そして103回目の恋をする

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「卯木と茅ヶ崎が、恋人同士になるのか。まだそういう感情は分からないが、良いことだと思う。お祝いのパーティーなら、俺も参加させてもらおう」
「いや、ガイさん、飽くまでフリだから。本当に恋人になるわけじゃないから」
「む? エチュードということか」
まあそんなようなものですね、と千景が説明したのを皮切りに、演劇の話に火が付いてしまった男が数人。
「職場の人たちを全員騙すとなると、それなりにリアリティが必要になってくるよね」
「だが、卯木たちが普段職場でどう接しているのか分からない。急に接近し出しても駄目だ。逆に疑わせてしまうだろう」
「でも目的はバレンタインのチョコを渡してくる女性を減らすことだ。そうゆっくりもしていられない」
言わずもがな、紬と丞だ。そして意外にも、
「堂々と宣言するわけじゃないんだよな? 視線とか、体への触れ方とか、そういうのでも表現できんの?」
「視線というのは有効だろうな。もちろん舞台で演じるのとは違う。観客である第三者との距離が、現実では格段に近いんだ。わざとらしければ、それこそ疑われる」
万里と左京も、恋人同士の演じ方について議論を発していた。万里はまだ酒の飲める歳ではないため、至のコーラを分けてもらった状態ではあるけれど。
「うん、そうだね。視線の感情というものは重要だよ。あと、さっきも言ったけど、体への触れ方って結構違うものなんだよ。関係がどこまで進んでるかによってね」
そこに東も入り、年少組がいる空間ではできなかった話を盛り込んでくる。なんだかだんだん話が大きくなっているような気がするが、今さら後に引ける雰囲気でもなくなった。
「セックスをしているかどうか、ってことかな」
「うわ直球」
「千景の言う通りだよ。心も体も許した相手とそうでない相手は、全然違うからね」
「じゃあまだ体の関係ない方がいいんじゃないのか。設定として」
「ほ、ホントにその、するわけにはいかないしね。徐々に距離を近づけていった方がいいと思うよ」
千景の発言に顔を引きつらせる万里と、真面目な顔で答える東と丞。そして少し照れくさそうに付け加える紬。
「日本では同性の交際は認められていたのか?」
「パートナー認定の制度がある自治体もあるって程度だ。ただ、法で禁止されているわけでもねぇからな」
そして、根本的なことを訊ねるガイと、これまた真面目に答える左京。
至はやっぱり不思議だった。彼らが、どうしてそうも簡単に同性愛という設定を受け入れてしまうのか。
「つーか、みんな気持ち悪くないの、男同士の恋愛とか。俺自身は別に偏見ないと思ってたけど、何かほら、あるでしょ、生理的に受け付けないとか。身近にはいてほしくないとか」
視線が、ゆっくりと至の方を向く。向かってこないのは、千景の視線だけだった。
いくらフリとはいえ、広くないコミュニティの中での色恋沙汰はあまり歓迎されない。惚れた腫れた、くっついた別れた、なんて話は、辞める辞めないに発展する可能性が非常に高い。恋人として過ごしたあとに別れた際、気まずいのはお互いだけでなく、周りもだ。リスクといえばリスクである。さらに少数である同性愛なんて、歓迎はされないだろうに。
「惚れちまっちゃあ仕方ねえだろうが。相手が男でも女でも、義理さえ通せばいいんじゃねえのか」
「ボクはそういうお客さんもたくさんいたしね。ボクとどうこうなりたいというわけじゃなくて、相談役としては、多かったよ。もちろん女性同士の話もあったし」
「恋愛感情を研究することになるだろうし、演技の幅も広がるんじゃないか。俺は別にいいと思う」
「丞は演技のことばかりだね。うーん、俺も特に……びっくりはしてるけど、フリだってことであんまり実感湧いてないのかも」
「……こればっかりは、左京さんと同意見かな。あと丞さんにも。演技の幅が広がるって意味では、俺もアドバイスとか通して分かることもあるだろうし」
万里の答えに、なるほどと至は思う。恋愛なんて興味ないと言っていた男がこんな話に乗ってくるなんて、どういう風の吹き回しかと思っていたが、演技に取り入れたいらしい。盗める技術は盗んでおいて損はないというところだろう。
そんな万里の視線が、ある一点を見つめているのに気がつく。そしてそれは、ゆっくりと逸らされた。
(えっ……)
至は目を見開く。彼が見つめていたのは、一人の男。月岡紬だ。
――視線の感情というものは重要だよ。そう言っていた東のことを思い出す。ピンとくる、という言葉を、これほど顕著に感じたことはなかった。
(えええええええ、待てお前、マジか。そういうこと?)
今の視線は、そういうことなのだろうか。
疑問には思いつつも八割確信的に万里を見やる。彼は丞に演技の時の仕草などを話していて、一瞬読み取れた感情は欠片もなかった。
(……片想い、なのかな。なるほど視線、ね……)
第三者から見る視線の向く先というものが、どんなものなのか思い知った。実にタイミングよく。
(でも俺と先輩は両想いって設定だから、あの視線じゃ駄目なんだよな? えーと、先輩が好き、先輩が好き、先輩が好き……)
暗示のように心の中で呟いて、千景を見やる。恋人同士の設定なのだから、彼も同じように見ていてくれるだろうかと期待したものの、千景の視線とはぶつからなかった。その視線は、万里と同じように紬へと向かっている。もっとも、感情の種類は違い、観察のようではあったけれど。
(先輩も気づいたってこと? さすが、抜かりない。でも今は俺のこと見てるべきでしょ、恋人の、俺を)
今の今まで千景を見てはいなかった自分を棚に上げて、恋人である茅ヶ崎至を見ているべきだと、理不尽な怒りをぶつけてみようかと思うが、それはあまりにも大人げない。考えに考えて至が取った行動は、千景の肩にこてんと寄りかかることだった。
「茅ヶ崎?」
呼ばれるけれど、返事はしてやらない。面白くなさそうにむくれていれば、ヤキモチを妬いたのだと受け取ってもらえるだろうか。そこは役者としての演技の見せ所だ。観客はタネを明かされた人たちばかりではあるけれど。
「どうした。眠い?」
くっついているせいで逆に表情が見えないのか、期待した言葉ではない。空気読め、と眉を寄せた。
「ふふっ、至はヤキモチ妬いてる感じなのかな? 千景、紬のことじっと見てたでしょ」
「えっ、俺っ?」
東の助け船という名の指摘に、紬が驚いて肩を竦める。万里の眉尻が上がったのを、至は見逃さなかった。
「ああ、なるほどヤキモチね。じゃあここは……こんな感じで」
状況を把握した千景の手が、肩に回される。普段にない距離と接触に、至の体が強張った。
「ヤキモチ妬かれるのも嬉しいけど、俺は茅ヶ崎しか考えられないから。安心して」
こつ、と頭がぶつかる。
「……俺も、先輩しか考えられないです」
「そう。ありがとう」
こめかみに何か柔らかな感触。
それが唇だと気づいた時、至の中で何かがはじけた。
「いやいやいや無理、先輩そこまでする必要ないでしょっ」
「お前が先に仕掛けたくせに」
「やっぱり茅ヶ崎の仕草がまだ硬いな」
「卯木も、恋人を想う感情の中にからかって楽しむのが見え隠れする。観客を騙すなら、徹底的にやれ」
丞と左京に駄目出しされ、手厳しい、と脱力する。演技に対してストイックな彼らのような観客を相手にするわけではないのだから、もう少し評価してほしい。
だがしかし、冷静な指摘のおかげで、千景との近すぎる距離にうっかりときめきそうになったのは何かの間違いだと思うことができた。そこだけは感謝したいと、至は大きなため息を吐いた。
「付き合い始めたばっかりって設定で行きましょ、先輩。実際この話出たの今日なんだし。ああもう、無駄に疲れた」
「ああ、まあそうだな。恋人への接し方なんて、やっぱりよく分からない。ひとまず視線のやりとりからにしようか」
これ以上は駄目出し合戦になりそうだと、至が腰を上げる。それをきっかけに、大人の恋愛談義はお開きとなった。

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