そして103回目の恋をする

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「わー、並んでますね」
映画館に着いて発券を済ませ、定番ということでフード列に並ぶ。友人同士で訪れている女の子たち、男の子たち。手をつないでメニューを見上げる恋人たち。パンフレットやグッズを眺めている人たちも。
「で、ポップコーンだっけ? フレーバーがあるみたいだけど。辛いのは?」
「ないでしょ。あ、でもなんか期間限定でハバネロってのがある」
「じゃあそれがいい」
「即決」
分かってたけど、と笑いながら列に並び、そわそわと順番を待った。至はチーズのフレーバーを選び、大きさに悩み、コーラとジンジャーエールをセットにしてもらい、無事にトレーを受け取る。二人分を一緒に乗せられるものとあって、千景が持ってくれた。
「あ、席ここだ。後ろの方だけど見やすいですね」
「そうだな。茅ヶ崎座って。ん、トレーよろしく」
公開から日が経ってはいるが、やはり話題作とあって席は埋まり気味だ。至は先に腰をかけて千景からトレーを受け取り、カップホルダーにはめ込む。さっそくポップコーンに伸びた手に笑いながら、千景も腰を落ち着けた。
「あ、と。スマホ切っとかないと」
「茅ヶ崎がスマホの電源切るとか、神様明日は槍ですか」
「降りません。マナーでしょ。上映中とかエンドロールにスマホ構うヤツは万死に値する。神様俺に殺しのライセンスを」
「お前が手を汚すまでもないだろ。俺に任せて」
「千景さんが言うとガチっぽいんでヤメテ」
ははは、と笑いながら千景も端末を電源から落とし、しまい込む。予告編が始まって、至は座りを直す。
面白そうな映画があればチェックしておこうと思えば、同じ作品で千景がこれと指をさす。
「面白そうじゃない? シリーズ物?」
「ああ、はい、確か。あとでレンタル屋行きます?」
「うん、そうしよう。前作履修してから観たい」
ニコニコと上機嫌な千景に、至も嬉しくなる。千景とは趣味が合わないと思っていたけれど、ふとしたことで意見が一致する。
そういえば、万里も似たようなことを言っていたなと思い出した。紬とはカフェの好みも違うけれど、それが新鮮なのだと。少なくともコーヒーが好きだという意見は一致しているはずで、こんな気持ちなのかなと絶賛両片想い中の彼を思い浮かべた。
すべてが合致している必要はない。お互いの意見を理解し、尊重して、同じ時間を共有する。それだけでも幸せなのだ。相手が上機嫌であればあるだけ、余計に。
(よかった……今日のミッションは誰か知り合いに目撃されることだったけど、先輩が楽しそうだし。好きな人とも、こういうことしたかったのかな。先輩可愛いな)
はたり、と目を瞬く。
また彼を可愛いなんて思ってしまった。
好きになった人を重ねれば、という千景に、可愛いなとか綺麗だなと思った人を浮かべてとアドバイスを受けたことがある。
(可愛いなって、思っちゃうんだよね~なんでか~。あと先輩の所作っていうか、食べる時の仕草、綺麗……つい目がいっちゃって、最近のランチは困る……)
可愛いとか、綺麗だとか思う相手に心当たりはあったのだ。それが千景だとは言っていないが、明らかに以前より好感度が上がっている。
これが恋かと言われたらそれにはノーを返すけれど、このまま恋人ごっこを続けていたら、いつか本当に恋をしてしまうかもしれない。
いつもと違う千景、いつもと同じ千景、向けられる笑顔、交わされる優しい会話、男同士だという障害がなければ、たぶん恋に落ちている。
(でも、ない。先輩のあれは、俺に向けてるものじゃないし。好きな人……いるんだろうし。万が一これが恋になっても、気づいた時点で失恋だわ……)
ざわざわと心が落ち着かない。俯いてしまったせいか、千景がどうしたんだとのぞき込んでくる。
「大丈夫か? 気分でも悪い?」
「えっ、あ、だ、大丈夫です。映画館とか久々で、ちょっと緊張してたっていうか。と、隣に千景さんいるし、余計に」
「……緊張ね。それなら俺もしてるけど」
「またまた」
「いや本当に。さっきからトレーの傍で指が触れそうでさ」
「えっ……」
言われて自身の手を見下ろしてみれば、ほんの数ミリ開けて千景の指先。
「……小指の先でも触れていたい、……だっけ? ……触れてもいい?」
耳元でそっと囁かれ、体中の熱が上がる。戸惑って、ためらって、こくんとゆっくり頷くしかできない。ありがと、と言って千景は手を重ねてくる。
ポップコーンが食べづらいなと思うより先に本編の上映が始まってしまって、視線だけは前を向いた。
ストーリーとしては、割とありふれたもの。テロ組織の人質にされてしまった家族を助けにいくという男の話だった。元軍人だという男は銃火器の扱いも慣れていて、仲間もたくさんいて、困難に見舞われながらも人質たちを助け出すという、ハッピーエンドになるのだろう。結末は分かるが、合間に挟まれるアクションには確かに目を瞠るものがあるし、仲間たちとのやりとりを描くヒューマニズムも悪くない。
だけど至の頭はそんなストーリーが全部すり抜けていく。
開始当初から重なったままの千景の手が心をざわつかせるのだ。
あの時上がった至の熱はまだ引いていかない。むしろいまだに上昇中で、集中なんかできやしない。
(指、指絡まってる。なにこれ、恋人同士って、こんなふうなの? みんなそうなの? 映画なんか集中できなくない? いや俺が気にしなければいいんだけど気になるっていうか、ここまでしないと恋人っぽい雰囲気作れないの? え、駄目なの俺の演技?)
案の定ポップコーンなんて食べられない。コーラも飲めない。氷で薄まってしまっていないだろうかと気にする余裕はあるけれど、もう片方の手が伸ばせない。動いたら絡んだ指が外れてしまいそうで寂しい。
(寂しい!? 寂しいってなに、んなわけねーわ! クソ、飲んでやる、絶対に飲むんだ、頑張れ俺。動け俺の腕)
ガチガチに固まっていそうな腕をどうにか動かして、ギシギシと音でも立てそうな雰囲気でコーラのカップへと伸ばす。指先が到達したときにはホッとして、カップを持ち上げて口元へ運べた時には、重要なミッションをこなしたような気分だった。
(うわ、痛い。炭酸が突き刺さりそう)
強炭酸というわけでもないのに、緊張で渇いた喉には刺激が強い。ほんの少し含むだけにして、至はまたゆっくりとカップをトレーに戻した。
(やり遂げた。なんか汗かいたわ……)
こんな調子では、映画が終わる頃には喉がカラカラだろう。楽しみにしていた映画ではあるものの、早く終わってくれと祈りさえした。

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