そして103回目の恋をする

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車が駐車場に駐まる。相変わらず運転まで上手いのずるいと思いつつ、至は助手席で軽く息を吐いた。
「じゃあ、最終チェック」
「俺たちは付き合い始めたばかり」
「体の関係はまだなくて」
「それでもお互いしか目に入ってない」
「告白は茅ヶ崎から」
「いやいやそこはせんぱ……千景さんからで」
「ああ、名前で呼んだ方がそれっぽいね。……至?」
「ひえ、それで呼ばれるとなんかぞわぞわする。茅ヶ崎でお願いします」
「注文が多いな。まあいい、それで」
そうやって一通りの打ち合わせを終え、二人で同時にカチリとシートベルトを外した。
さあこれからが戦いだ。一瞬も気は抜けないぞと、至はキッと前だけ見据えた。
「茅ヶ崎、怖い顔になってるよ」
「えっ、あ」
「とても恋が叶った男の顔とは思えないな。お前は俺が好き、ほら笑って」
つん、と指先で頬をつつかれて、初っぱなから駄目出しをされる。至はその指先をそっと払い、自身の指を絡めて握った。
「千景さんも、俺のこと好き、ですよね」
「はいはい好きだよ。遅れる。行こう」
そうして、ギリギリ人目に触れない場所、と見せかけて、人目に触れる場所まで手をつないで歩いた。
「……もう少し」
「うん」
そうして、名残惜しそうに手を離すのだ。それを目撃した同僚たちが、数名目を丸くしたのを確認してから。
「分かってたけど視線がいつもの倍。鬱陶しい……」
「想定内だろ。じゃあ、お昼に呼びに行くよ」
「カレー以外の店探しておきますね」
「うん、いいよ。激辛のものがあれば」
「ねーわ」
小声でそんな言葉を交わし、それぞれの部署へと向かっていく。じっと背中を見つめれば、千景がほんの少し振り返り優しげに笑う。
(うわぁ……えげつない)
傍にいた女性社員が被弾したようだが、たぶんわざとだろうなと思いつつ、至は自身のデスクへと就いた。
(こんなんで大丈夫かな。職場恋愛中の彼氏と同伴出勤。はぁ……疲れるけど、諭吉のためな。むしろ諭吉と結婚したい)
今日のタスクを確認しつつ、いつもより多い、突き刺さるような視線を受け流す。もしや先ほどの駐車場でのやりとりがもう広まっているのか。
それも作戦のうちではあるものの、いっそ光よりも速く広まる噂話の恐ろしさを思い知る。そのうちあることないこと囁かれるのだろう。
(どんな尾ひれが付くのかね。それはそれで楽しみでもあるけど)
軽く息を吐いた時、個人端末がLIMEの受信を知らせる。ちらりと横目で見やれば、送信相手は千景だった。
『平気?』
思ったよりも速い広がり具合に、状況確認してきたのだろう。視線が鬱陶しいと言った至のことを、心配もしてくれたのかもしれない。自然と口の端が上がって、至はすいと指先で画面をスワイプしてトーク画面を立ち上げた。
『広まるの速いですね。ゴシップ好きのヤツにでも見られたかな。想定内です』
『そう、ならいい。続行で』
OKを示すスタンプを送って、仕事に戻る。噂の広まり具合と、やり玉に挙げられる状況次第では、作戦の中止も考えていたようだ。
確かに先ほどからちらちらともの言いたげな視線がいくつも向かってきているし、大声とも小声ともつかない話し声でざわついている。仕事中だろうがと突っ込みたいところだが、至も至で千景とLIMEをしていたのだが、ある意味共犯である。
昼休みにはもっと広まりを見せるだろう。普段交流のある同僚には、何か聞かれるかもしれないと、仕事を片付けながらお得意のシミュレートを開始した。
そして、ふと思い出す。デートスポットをリサーチしなければいけないのだったと。
隣のデスクの男は、確か最近合コンで彼女ができたと言っていたし、ちょうどいいかなと視線を向ける。どことなくそわそわした様子の彼に、至は笑って声をかけた。
「どうしたの、そんなそわそわして。彼女からの連絡待ち?」
「えっ、あ、ああ、いや、あー、うん、そ、そうかも」
「合コンで逢った人だっけ。可愛い?」
同僚は声を上擦らせながら曖昧に答える。分かりやすいなと心の中で呆れながら、至はひっそりと誘導した。彼の顔がぱっと華やぐところを見るに、なるほどパートナーのことを訊かれたらこういう反応をすればいいのかと頭の片隅に留めておく。
「そうそう、可愛いんだよマジで。写真見る? これこれ、この子」
「へぇ……可愛いね。いいな、お前にはもったいないんじゃない?」
「もっ、もったいないとは思うけど! だから、大事にしていきたいんだよ……あっ、っていうか、茅ヶ崎も可愛い系好みなのか……?」
「好みっていうか、普通に好きだよ、可愛い子は」
それで付き合うかどうかは別だけどと付け加え、心の中では好みも何もそもそも付き合うこと自体が面倒くさいと呟いておいた。同僚は不審さと好奇心を押し隠せないような顔をして、こっそりと囁いてくる。
「あ、あのさ、茅ヶ崎って劇団入ってるんだよな? う、卯木先輩と一緒に」
「ああ、同じとこにね。何か公演見たいものあったらチケット都合つけるけど?」
「いや悪い、そういうことじゃなくて。普段もやっぱり芝居の練習したりすんのか? 稽古とかそういうの以外に」
「そりゃ、するよ。テーマ出し合って即興劇したりね。台本ナシだから、全部アドリブ」
「そっ、そっか、なるほどな、やっぱそうだよな!」
彼はなぜかホッとした表情になって、ぽんぽんと肩まで叩いてきた。至は首を傾げ、もしかして彼女が芝居に興味でもあるのだろうかなんて考えたけれど。
「じゃあ駐車場事件てのもそれだよな~。そういう練習もあるもんな」
「え? な、なに駐車場事件て……あ、もしかして朝の先輩とのこと見られてたのか?」
噂話に事件の名前まで付いているなんて思いも寄らなかったが、目撃者には事件だったのだろう。ここからどう切り返していくかで、尾ひれの付き方が変わってしまう。至は慌てたフリをして、彼の出方を待った。
「そうそう、卯木先輩と茅ヶ崎が手ぇつないでたって女どもが騒いでたんだけどさぁ~あれも芝居の練習とかなんだろ? 大変だよなぁ」
(そうきたか――――!!)
思わぬ方向転換に、うっかり項垂れた。まさかそう捉えられるとは思っていなくて、上手く返せなかった。こんな時、一般人相手の即興劇がどんなに大変なことか思い知る。
相手も演劇に関わっていれば、ある程度行動が読める。それでも突飛もないことを仕掛けてくるのがカンパニーの連中だが、彼らと一緒にいると演技は日常と切っても切り離せない。だからこそ、演技を演技として受け取られる可能性を考えていなかった。
「えっと、それは、その……」
「茅ヶ崎も卯木先輩もイケメンだもんな、男同士でなんて、それこそもったいねーし、やっぱちょっと引くもんな! あーよかった。あ、今度可愛めの子紹介しよっか? 彼女の友達もふんわり可愛い系多いし」
実は、と言いかけた言葉が、唇の手前で止まる。『やっぱり引く』と言った彼には言えやしない。事実ならまだしも、演技なのに『本当に付き合っているんだ』なんて。
「……いや、いいよ。そういうの、今は」
「あっ、そうか、茅ヶ崎なら選り取り見取りだもんな。悪い悪い」
彼は本当に悪気なく、思ったことを口にしているのだろう。彼女がいなければいやみかとも受け取れるが、付き合い始めたばかりの彼は、幸せ絶頂のはずだ。他人にいやみを言う暇もないだろう。
(引く、ね……そうだよ、それが普通の反応だよ。劇団の連中がおかしいんだって)
至は前髪を少し掻き上げて、モニターに向き直る。ずぐ、と重たくなった胃は、目的のために周りを騙す罪悪感だろうと位置づけた。

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