そして103回目の恋をする

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それでも、目覚ましのアラーム音で目が覚めた。目が覚めたということは、眠っていたようだ。
ごろん、ごろん、と布団の中で何度か寝返りを打って、今日も仕事に行きたくない感満載です、と文句を垂れるが、五度目あたりの寝返りで諦めて、もそりと布団を纏いながらも起き上がった。
シャワーをして朝食を取って身だしなみを整えるだけの時間は充分にある。
眠い目をこすりながらシャワーをし、朝食に向かう。
「茅ヶ崎、おはよう」
そこには身支度を終えた千景がいて、胸が鳴った。いつもより格好良く見えるのは気のせいだろうかと思いつつ、ちゃっかりと隣に陣取る。
「おはようございます。……昨夜のこと、夢だったらどうしようかと思った」
千景は本来、昨日大阪に泊まってくるはずだったのだ。それが、こうして隣で一緒に朝食を取れるということは、夢ではなかったのだと安堵した。
「キスまでしたのに?」
ふっと笑う千景の方こそ、ホッとした表情だ。本当の恋人同士になれたのは現実なのだと、お互いに改めて実感する。
「あの、みんなに言っても大丈夫ですか? フリじゃなくなるし……」
「ああ、俺は構わないよ。茅ヶ崎に手を出そうって人もいないだろうけど」
「いやそりゃいないでしょ」
今ここにいるメンバーにだけでも先に言っておこうと、至は箸を置く。
「あのさ、みんなに聞いてほしいんだけど」
両手を膝に置いた至を見て、千景も併せて箸を置いた。そんな二人を、なんだなんだと見つめる視線がいくつかあった。
朝食を作ってくれた臣、登校しなければいけない中高生組、バイトに出掛ける紬や咲也、真面目に講義に行くらしい万里や十座、早朝トレーニングから戻ってきた丞、組の事務所に出向くらしい左京。
「あの、えっと、なんて言ったらいいのか……」
「そのまま言えばいいんじゃない?」
「そうですけど! 心の準備とか何もしてなかったし」
口ごもる至と、何をそんなに悩む必要があるのかと心底分からないといった顔の千景。
まるでかみ合わないような二人なのに、テーブルの下では互いの指先が絡んで離れなかった。
「ねえ、なに? もう行かなきゃなんないんだけど?」
「至さん、大事なお話なら、夜の方がみんなそろってるかもしれないですよ?」
苛立ち始めた幸に続けて、いづみが心配そうにのぞき込んでくる。至はハッとして、みんなの方へ視線を向けた。
大事な話ではあるけれど、夜は夜で当事者が集まらない。
勢いで言ってしまえと、口を開いた。
「あの、俺と千景さん、正式にお付き合いというか恋人同士になったというか今までみたいなフリじゃなくてホントのホンキでそうなったので報告、みたいな」
オタク特有の早口になってしまって、あんまり上手く伝えられなかったなと額を押さえる至の横で、千景が肩を震わせる。
「茅ヶ崎の言い方じゃ伝わらないと思うけど、今までチョコ回避のために恋人のフリしてきたのが、お互いに本気になってしまった結果かな。だから正式に交際を始めるよ」
千景がフォローを入れてくれてホッとした至だが、団員たちの反応が気になるところである。フリでなくなったことで、改めて男同士の恋愛に対しての風当たりを実感しなければいけないか、と恐る恐るみんなの顔を眺めてみたけれど。
「はぁ……?」
彼らは一様に、何を言ってんだコイツらはとでも言いたげな顔をしていた。幸や左京なんかは特に分かりやすくて、そんなことに時間を取らせるなという心の声まで聞こえてきそうだ。
「えっ、なにその反応」
「お前ら、とっくにそうなってると思ってたんだが」
「あー……俺も思ってましたけど」
驚いて声を上げる至に、丞や臣が返してくる。
「俺っちももうちゃんとお付き合いしてるんだと思ってたッス! 大人の男はやっぱり違うんスねって」
「俺は遅かれ早かれそうなると思ってたからなあ……」
「至さんと千景さん、ついに想いが通じ合ったんですね! わぁ……素敵です!」
「お、おう……? 思いも寄らぬ反応」
「鈍感だったのは茅ヶ崎だけってことじゃない?」
どうやら団員たちは、すでに二人がフリでなくちゃんと想い合って付き合っているのだと思っていたらしい。
至が自分の恋心に気づかなかっただけで、千景が言い出しづらかっただけで、周りは勝手に真実を突き止めていた。
「あーだから俺昨日相談されてすっげ驚いたんすよね。絶対千景さんも本気だって」
「……あっ、お前、昨日言いかけたのコレかよ! 言え!」
「知るか、アンタが聞く耳持たなかっただけだろ。俺は俺でいろいろ混乱してたんだっつの」
あー、と至はいろいろの意味を察して紬の方へ視線をやれば、恥ずかしそうに顔を背けられた。
「ま、おめでと。昨夜の騒ぎは聞こえてたし、もーみんな知ってんじゃねーの」
「聞こえっ……」
「あれ、やっぱエチュードとかじゃなかったんすね。フリからの告白エチュードとか、夜中まで真面目だなって思ってたっす」
「ほらな、大根までフリじゃなかったって思うほどだったっつーことだよ」
「おい摂津てめぇ朝っぱらからケンカ売ってんのか」
「てめーが大根なのは事実だろうがよ」
二人のケンカを止める臣の傍で、昨夜のことが筒抜け状態だったことを知って、至はカアッと頬を染める。同時に、やっぱりあそこで誘惑に負けてしまわないでよかったと胸をなで下ろす。
同じことを思ったのか、苦笑する千景と目が合った。寮ではやっぱりやめようと、暗黙のルールができあがる。
「まあ、てめーらがどうこうなろうが知ったこっちゃねぇ。ただひとつだけ言っておくが、そっちのいざこざで劇団潰すようなことがあったら容赦しねえからな」
「ああ、それはご心配なく。俺だってこの劇団が大切ですしね」
「同感です。ここがなかったら先輩ともこんなふうにはなれなかったので、俺は俺なりに劇団を盛り上げて、守りますね」
さりげなくのろける至と、それに微笑む千景に、呆れたような表情を隠しもしない団員たち。まさかとっくに互いの恋心を見破られていたとは思わなかったが、おかげで団内公認の恋人同士になれてしまった。
「なんだか俺の知らないところで舞台が展開していた……」
「幕が下りて終わり、というわけではないからね、物語の世界も、現実の世界も。それぞれの視点というものがある」
千景の言葉をきっかけに、丞や紬の演劇論に火がついてしまう。
今朝はそれに左京も加わり、咲也がキラキラした目で眺め、芸歴の長い天馬がうんうんと頷く。
「恋も、叶ったら終わりじゃないからね、茅ヶ崎」
「始まり、でしょ。何度も言ってますけど、俺恋愛初心者なので、浮かれても引かないでくださいね」
「いや、俺も割と浮かれてるから。お互い様かな」
「ひええ浮かれる先輩とかSSR」
「置いてくか」
「いやいや待って。大事な恋人置いてかないでくださいよ。先輩本気でやるから」
そんなこんなをしている間に、出勤時刻だ。のんびりしている暇などなかった、と至は慌てて身支度を調える。置いていくと言ったわりにちゃんと待っていてくれた千景とともに玄関へ向かう。その途中で千景が団員たちを振り向いた。
「ああそうだ。俺と茅ヶ崎、今日は帰らないから。ご飯はいらないよ。行ってきます」
「……先輩っ……! あ、い、行ってきます」
察した団員たちが頬を赤らめるのを視界の端に映して、至は千景を追いかける。確かに今日は帰らない予定だったけれど、セックスをしてきますと宣言したのも同じだ、恥ずかしくて仕方がない。
「先輩の馬鹿……」
助手席で顔を覆う至に笑って、その手を剝がしてくる千景。
「馬鹿でいいよ。今この瞬間も、お前に恋する男だからね」
言って、そっと唇を触れさせてきた。甘い言葉は、確かに自分に向けられたものなのだと分かって、体全部が熱くなる。
夜までちゃんと我慢しなければと思うお互いの理性が、触れるだけのキスに留めさせた。
「あの、俺以外からバレンタインの、受け取らないでくださいね」
「さっそく独占欲かな? 言われなくても、……って、なに、茅ヶ崎も俺にバレンタインくれるの?」
「……一応。あの、でも、あとで! 誰かが見てる時の方が効果的かなって」
「ははっ、なるほどね、小道具ってわけか。それはそれで楽しみにしてるよ」
小道具、と言われて胸が痛む。それは確かに、小道具として買ったからだ。この恋に気づく前、噂を確実な物にしようと思ってのこと。純粋に千景を想ってのことではないのが、悔しい。
仕事が終わって時間があれば、ちゃんとしたものを買いたいと申し出てみようか。
恋人と過ごす初めてのバレンタイン、小道具なんかで終わらせたくはない。至は改めて千景へのプレゼントを走る車の中で考え直した。

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