そして103回目の恋をする

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だけど、そうそう良いことばかりでもない。
『うわ、近寄んなホモ』
『オンナ食い物にしてるかと思いきや、男にケツ振ってんのかよ。きめぇ』
『どんな顔すんだろうな、茅ヶ崎も、卯木も』
聞こえてくるようになった、あからさまな誹り。事実ではないのだし、何を言われても平気だと思っていた。
思っていたけれど。
(しんどい……)
言葉の暴力が、こんなにダメージを受けるなんて。しばらく忘れていた。高校時代のあれは、事実だったから仕方ないと思えたし、あの瞬間にすうっと冷めてしまったから、ダメージというダメージも受けなかったような気はするが、今回は違う。
(先輩の方どうかな……変なこと言われてないといいけど)
自分一人の問題ならばよかったが、今回は千景と二人の問題だ。しかも、千景にとっては嘘でないものまで含まれている。罵られるのは、相当つらいのではないだろうか。
(俺が、続けようなんて言ったから)
芝居だと思われた時に、あのままやめておけば良かったのかと今さら思う。
だがいろいろな臆測も絡み合った自分たちの関係は、収まるところに収まったような気もするし、今さらやめてもバレンタインの時に余計イケメンゲット戦争を加熱させてしまうかもしれない。
(今さら無理だし、楽と言えば楽なんだけど……先輩がどう思ってるか……それが重要なわけで)
千景はコイビトに対してすごく優しい。だからこそその優しい彼を、傷つけたくない。彼を変な目で見られるのが嫌だ。あの顔が曇るのが嫌だ。
(知らないくせに。知らないくせに、好き勝手言うなよ、殺すぞ……っ)
千景が今までどんな思いをしてきたか知らない連中に、あることないこと言われたくない。そう思って、項垂れた。
今の自分が、いったい千景の何を知っているというのか。
(駄目だ、俺も知らねーもん……悔しいけど)
職場の連中よりは知っているかもしれないけれど、それはプライベートでのほんの少しと、劇団員としての彼だ。
部署が違うから、彼がどんなふうに仕事をこしているのか見たことはないし、そういう意味では何も知らない。
(恋人なのに……いやフリだけど、でも、何も知らないんだ、俺……先輩のこと本気で好きな人いるだろうに、俺が囲い込んじゃって、申し訳ないよな……。それに、先輩だって誰か好きな人いるっぽいし)
ちく。
体の中から刺されるような感覚を味わう。訝しんで、至は胃の辺りを押さえた。
(いるっぽいっていうか……いても、打ち明けられなかった人、とか……)
千景の境遇を考えれば、好きな相手を巻き込めないと思うのは当たり前だ。この作戦を始める前にもそう言っていた。
(俺なら巻き込んでもいいって思ってるってことかよ? でもほら、守るって言ってくれたし! ……言って、くれた、し……)
本当は、本当に好きな人に言いたかったことかもしれない。そう思うと、相手が自分で申し訳ないとも思う。
千景の生き方がつらい。いつでも一人で全部を背負い込みかねない不器用さが、怖い。
(……俺、演じられるのか? あの人の好きな人。叶わなかった恋を、叶えてあげられるのか? ……先輩の、好きな人……)
千景の、どの恋人たちより恋人らしい仕草は、他に向けられるべき人がいたのかもしれない。そう思うと、途端に胃が重くなる。
ちく、ちく、と刺されるスピードが速くなってくる。朝食べたものがせり上がってきそうで、至は口元を押さえた。
「お、おい茅ヶ崎? すげえ具合悪そうだぞ」
そんな至に気がついたのか、隣の同僚が声をかけてくる。至はハッとして顔を上げ、大したことないと返してみせた。
「いや、でも顔真っ青っていうか……」
「……そんなに悪い……?」
「あのさ、それ……やっぱあの噂のせいか? 卯木先輩との……」
「……知ってるんだ」
苦笑したのは、今の今まで、彼が何も言ってこなかったのも気遣いのうちだと気づいたからだ。
「悪い、俺この間お前と卯木先輩が一緒にいるの見かけて。あ、映画館な。それでその……見ちゃったっていうか、その、キ、キス、してるとこ」
小声でそう謝罪してくる彼にも申し訳ないと思う。あれは完全にフリで、彼に見せるためのブラフだったのに。それを見たのに、あれから数日経った今、初めて口にしたのだ。
「ほ、ホントに付き合ってんなら、ちゃんと言った方がいいと思うぞ。噂って尾ひれつくだろ」
「……そうだな、あることないこと言われてるよ」
「だ、だよな! でもほら、ハッキリしといてほしいっていうか……」
「え?」
小声になりすぎて、最後の方が聞き取れない。身を寄せようとしたら、彼が身を引いたのに気がついた。そういえば彼は「男同士なんて引く」と言っていたことを思い出し、慌てて離れる。
「ごめん、気持ち悪いよな」
「あっ、わ、悪いあの、お前の隣ってことで、俺もちょっと言われちゃって……デキてんのかって」
「は?」
至は目を瞠って、次いで眉を寄せた。
何でもかんでもひとくくりにする人種というのはどこにでもいるもので、「男なら誰でもいい」と思われてしまっているようだった。しかも、この作戦に何も絡んでいない同僚さえ巻き込んで。
「…………ごめん、ホント、そんなことになってるとは思わなかった……俺別にゲイってわけじゃないんだけど……ただ、あの人が好きってだけで……」
ずぐんと胃が重みを増す。当事者だけでなく、何も悪くない人を巻き込んでしまった。つけなくてもいい傷をつけてしまった。
「あーそうなのか。ほらお前、女の子たちのアプローチ全部断ってるの、そうなのかって言うヤツもいるから……でもこの間可愛い子好きって言ってたしなーって思って。そうそう、お前らが一緒のとこ、俺の彼女も見てたんだけどさあ。本人たちは大変な思いしてるかもしれないんだからからかったりしたら駄目だよって言っててさー。いい子だろ? 惚れ直したね俺」
本当に話したかったのは最後の話題のろけらしく、彼の顔もぱっと明るくなる。彼は本当にいい人を見つけたようだ。このまま幸せに過ごしてほしいと心から願った。
「そうだな……嬉しいよ。俺からって、お礼言っておいて。そうだ、彼女の写真とか、デスクに飾っておいた方がいいんじゃないか? 俺にはこんなに可愛い彼女がいるんだから男になんか構ってる暇ないってね」
「あ! それする! あとで写真見とこ!」
ツーショの方がいいかな~なんて、彼は嬉しそうにカタカタキーボードを叩く。こちらに関しては、少し距離を置けば変な噂も収まるだろう。
しかし、こんな弊害が起こるなんて。読みが甘かったと思わざるを得ない。千景に相談した方がいいかもと〝恋人〟を思い浮かべれば、ギリギリと胃をわしづかみにされたような不快感が襲ってくる。
この件でまた千景の顔を曇らせてしまうかもしれない。そんな思いがよぎったせいか。
「茅ヶ崎?」
「……ごめ、やっぱちょっとしんどい……医務室行ってくるわ……。メールチェックこっちでするから……」
言って、支給品であるタブレット端末を持ち上げた。午後からの会議もあるし、資料の作成とチェックも終わらせないといけないのだ。
「え、マジで大丈夫かよ? ついてってやろうか?」
「平気、ありがと。また変なこと言われるし、一人で行けるよ」
「あ、ああ、そうか……気をつけろよ」
うん、と頷き、至はゆっくりとした動作で立ち上がり、上司の下へと歩んだ。
体調の不良と、片付けるべき仕事の量、タイムリミットなどを報告し、無事に医務室へと向かえた。
「熱はないようですね。昨夜は何時頃寝ましたか? 少し寝不足もあるかもしれません。いつも飲んでるお薬とかありますか?」
医務室へ入れば、常勤のスタッフに訊ねられて、就寝時刻だけはごまかした。
胃が重いのも痛いのも精神的なものだと思うが、寝不足であることも否めない。
「あ、いつも飲んでるというわけではないんですが……ある人が買ってきてくれた薬、飲んでおきます」
「そう。上司の方に許可も取ってらっしゃるということなので、こちらのベッド使ってください。忙しいのも分かりますが、仕事もほどほどにしてくださいね。薬を飲むならこちらをどうぞ」
タブレットを持ち込んだ至にそうクギを刺して、ベッドを指してくれる。至はありがたく使わせてもらおうと、ジャケットを脱いでネクタイを外し、ベッドの上に放った。
(ああ、ホントにヤバい……オフトゥンの誘惑に勝てるかな俺……メールチェックまだ済んでない……)
それほど重要な案件を抱えているわけではないが、未読数が二桁あるのはよろしくない。先に資料の作成か、とアプリを立ち上げかけ、いやそれより先に薬だわと、ジャケットのポケットに入れていた薬の箱を取り出した。
すぐ効く、という謳い文句にホッとしたところで、傍に既製品パッケージとは思えない物があるのに気がついた。
眼鏡をかけた、うさぎの絵。
心配そうに耳が垂れ下がっているのが、なんとも言えず可愛らしい。可愛らしいが、これをまさかあの千景が描いたのだろうか。
(え? 待って待って、先輩可愛過ぎか? チートなのにこんなとこだけ下手くそとか、萌えるわ~いや俺が萌えてどうすんだよって話だけど)
ぎりぎりと絞られるかのように痛んでいたものが、きりきり程度に落ち着いてくれる。恋人を心配してくれたものでも、ルームメイトを心配してくれたものでも、共犯者を心配してくれたものでも、なんでもいい。
千景の優しさが、薬と一緒に全身に染み渡るようだった。
(医務室なうだけしとこ。あとで怒られるし)
至はベッドに寝転がって、LIMEで千景に伝え、改めて薬の礼も送っておいた。既読はつかなかったが、何かあれば同じ社内だ。こういう時は社内恋愛も悪くないなんて思いつつ、資料の最終仕上げに入った。

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