そして103回目の恋をする

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「茅ヶ崎、遅れるぞ」
「待って待って先輩、あと五秒」
ドライヤー片手に叫ぶ至に、千景はわざとらしく手首の時計をのぞき込んだ。
「五、四、三、二、一。行ってきます」
「先輩ってば!」
責めるような声で廊下に顔を出した至に呆れながらも、千景は軽く息を吐いてこつんと額を小突く。
「先に車で待ってる」
「ん」
そうして、ちゅっと至の唇にキスをした。至も、何の不思議もなくそれを受け入れ、いっそ嬉しそうにドライヤーのスイッチを入れ直す。
「……なにあれ。とうとうくっついた?」
「くっつ……、ど、どういうことだよっ?」
「くっついたはくっついたでしょ、言わせないでよねポンコツ役者」
「な、なんだとぉっ!」
「なかよしさんかく~」
「すみー、さんかくちゃんが恥ずかしそうにしてるよん」
「付き合ってるフリって、あの、そこまでしなきゃなんねえんすか」
「まあどこまでやるかは本人たち次第だろうが、少しわざとらしさがなくなったところを見れば、いい傾向なんじゃねーか」
「あ、あーちゃんが目撃してなくて良かったっす~」
「ここに莇がいたら左京さんの雷が落ちるな……」
それを目撃してしまった団員たちは、口々にそう呟く。
恋人同士のフリをしているということは知っていたから、いつも一緒にいることに不思議はなかったのだが、急接近は何があったのだろうと思っていることだろう。
「至さん、大丈夫かなあれ……」
「うーん……自覚してないんじゃどうしようもないかな……」
そうして、事情を知る万里と紬は、心配そうに見守る。
「傍から見りゃ一目瞭然なのにな。千景さんだって、すぐ気づきそうなもんだぜ」
「でも、いちばん近いから見えないってこともあるんじゃないかな。……こんなに近くにいても、俺は万里くんに好きな人いるの知らなかったもの」
「あーそれはいいから! っくそ、恨むぞ至さん……」
万里はガシガシを髪をかき混ぜ、すぐ傍にいる紬の顔が曇ったことに、やっぱり気がつかなかった。

「お待たせしました先輩。すみません」
「ホントに待ったよ。どうしてあと十分でも早く起きられないんだ」
「先輩が起こしてくれればいいんですけど」
「声かけても起きないヤツが何を言ってるんだか。今日だって二度」
声をかけたのにと言いかけた千景を遮るように、至がキスをしかける。お説教はごめんだとばかりに唇をんで、ぺろりと舐めて、軽く吸ってリップ音で離れる。
「優しいキスで起こしてくれたら、起きますね」
「…………息ができないくらいのヤツしてやろうか」
「ひえ、お手柔らかに」
そんなことを言い合いながら、車を走らせる。
いつも通りのようで、いつも通りではないやりとりに、違和感を覚えない。
昨日ファーストキスを終えてから、急速に距離が縮まっているように感じた。それでも不自然でないこの距離が心地よくて、指先からじんわりと熱が広がっていくようだ。
「じゃあ、またランチに」
「はい、楽しみにしてますね」
職場に着いて各々のデスクへと向かい、ランチの約束を取り付ける。いつも一緒なのだから、わざわざ言わなくてもいいようなものだが、これは周りへのアピールだ。千景とのランチが楽しみなのも本当だけど、といそいそデスクにつこうとした時、至はそこに封筒が置いてあるのに気がついた。
(社内便? なんだろ)
封筒には社名が印刷されているが、手書きで茅ヶ崎様と書いてある。重要な書類だろうかと封を開けて、目を瞠った。
「なっ……」
数枚の写真。どれもこれも、至と千景が一緒に写っている。それだけならまだいい。そのうちの一枚は、昨日の。……昨日の、車内でのキスが写っていた。
見られていたのだという羞恥と、写真に撮られたという恐怖。周りにこれだけアピールしているのだから、見られるのは別に構わない。ただ、演技と意識してそうしていた瞬間ではないのが恐ろしい。
さらに、何の目的でこんな写真をよこしてきたのか分からないというのが、至を混乱させた。
(待って……待ってなんで? こんなん撮ったって、俺ら職場じゃそういうふうに振る舞ってるから、知られたってダメージないし、金目的にしたってリスク考えたら現実的じゃない)
封筒の蓋を閉めて、写真がこぼれ落ちないようにステープラーで留める。ランチの時にでも、千景に相談しなければいけない。ド、ド、と心臓が鳴る。汗が噴き出てくるようで不快な気分に陥った。
(社内の人間だ……いや、それは分かるんだけど、これ……昨日の差し入れとは別口でいいのかな……同じだったら昨日のサンドイッチとかヤバかったことになるし、違えば違ったで複数案件てことになる)
どちらにしても、頭の痛いことだ。
世の中を上手く渡るために外面をよくして猫を何匹もかぶって、王子様キャラで通してきたけれど、それがこんなふうに返ってくることになろうとは。
ひとまず仕事を片付けようと、デスクの引き出しにしまい込む。千景とのランチまでデスクを離れないようにしなければならない。リスクはできるだけ減らさないと、致命傷になることだってあるのだ。
キリキリと痛む胃は、昨日と別の理由だった。

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