そして103回目の恋をする

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「失敗した」
パスタ店でペペロンチーノを前にして、千景が珍しく気鬱そうに肘をつく。至も至で、チーズトッピングしたトマトソースパスタを前に、あまり食が進まない。
「先輩もですか」
「お前とのこと目撃させるまでは上手くいってたし、意味深にちらちら見てくる子もたくさんいたから、大丈夫だと思ってたんだけど」
はあーと大きなため息を吐きながらフォークをくるりと回す千景。約束通りランチの誘いにきてくれたのだが、戦況はあまり良くないようだ。
「義弟になるんだろ、仲がいいのはいいことだな、……だってさ」
「それ絶対先輩のせい! 去年の嘘がまだ尾を引いてるじゃないですか!」
「茅ヶ崎が、姉がいるなんて言うからだろ……妹にしておいてくれれば良かったのに」
「いや、そんなん言われても俺のせいじゃないでしょ。実際姉貴がいるんだし。そもそもそういう問題じゃない。先輩が監督さんを婚約者として紹介するのが悪いんですよ。早いとこ婚約解消してください」
職場から離れた店を探したのは、こんな作戦会議を聞かれるわけにはいかないからだ。仕事はなんでもそつなくこなすイケメンエリートたちが、そろって「失敗した」と言い合うところは見られたくない。そもそも、あれが演技であることを知られたら、すべてが水の泡である。
「関係図リセットしたいね、本当……ひとまず監督さん、イコールお前の姉、かつ俺たちの可愛い妹とは性格の不一致で婚約解消したことにしようか……」
「それで、俺が慰めてるうちにとでも? ハハッ、上手くいかない時の先輩見るの結構楽しい」
「他人事みたいに言うな。お前の方は? デートスポットのリサーチするんじゃなかったのか」
「朝の駐車場事件は芝居の練習だったってことになってるらしいですよ。女の子たちは半々くらいってとこですかね……」
そうくるとは思わなかったと項垂れると、千景が楽しそうに笑う。先ほどの仕返しらしい。案外子供っぽいところもあるものだと、至は息を吐いた。
「もう少し親密にしないと駄目ですかね」
「まあ、一日でどうにかなるとは思ってなかったから、続けていくしかないな。帰りも迎えに行くよ。定時で上がれそう?」
「頑張ります。……隣のデスクのヤツには、男同士は引くって言われましたけどね……」
しょんぼりと俯くと、フォークを持つ千景の手が止まる気配。男性がそういう対象である千景を前に、失言だったと口を押さえる。
「先輩、すみませ――」
「そういうこと言われるのは想定してただろ。持ちかけたのは俺でも、乗ったのはお前だ。言い寄ってくる女を減らしたいというだけの理由でね。やめるなら今のうちだぞ、茅ヶ崎」
それでも千景は、失言を責めるのではなく、作戦自体の続行如何を話題にしてくる。彼はもう、慣れるほど言われてきたのだろうかと思うと、心臓がずきずきと痛んだ。
至も、もちろん想定はしていた。
劇団の連中がなんでもないように受け入れるから忘れそうになっていただけで、覚悟はしていたはずだった。
だけど、想定するのと実際言われるのとでは、天と地ほどに違う。
「俺とお前が付き合っているのは演技だ。事実じゃないことでそしりを受ける必要はないだろう。演技の練習だと思われているうちに、乗っかってやめるか? それでなくても、俺の恋人だなんて危険極まりないんだ」
千景の言っていることは正しい。言い寄る女性を減らしたいという理由で周りを騙すのは気が引ける部分もある。いわれのない中傷を受けることもある。千景の特別だと思われて、命を狙われる危険さえある。
やめます、と言うのは、たぶん簡単だったはずだ。
「……続けましょ」
だけど至は、やの一言も口にしなかった。
「だってみんなもせっかくアドバイスくれたんですから。一日どころか半日も保たずにやめるなんて不義理もいいとこですよ」
「そういう問題か。無意味に傷つくことないって言ってやってるのに」
「さすがにそんなにヤワじゃないです」
「分かったよ。じゃあ続けるってことで。週末はデートする? 演技に見られるようじゃ、まだまだ恋人同士の雰囲気になってないんだろう」
そうですね、と至は頷きながらモッツァレラだけ掬い上げて口へと運んだ。

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