そして103回目の恋をする

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「は? 付き合うって、いたるんとチカちょんが? なになに、急展開じゃん!」
「いや、ちが、そうじゃなくて」
「えっ、い、至さんと千景さんがお付き合い……!? あわわわわ、お、大人ですし、そういうことがあってもおかしくないですよね、ど、どうしようボクなんかが大人な二人の傍にいてもいいのか、ああ、でも素敵な恋を見ていたいし、ど、どうしよう」
「椋、落ち着いて」
「はぁ~、至さんと千景さんねぇ。何か裏がありそうだけど、まあ別にいいんじゃね?」
「話を聞け」
「どうでもいいが寮の風紀は乱すんじゃねぇぞてめぇら」
「どうでもいいって言われましたけど」
「……じゃあ、イケナイことをする時はホテルに行こうか、茅ヶ崎」
「先輩悪乗りすんの禁止で」
寮に帰って、その場にいた団員たちに「付き合うことにした」と告げた後の反応は、様々だった。驚く者、何を言っているのだと肩を竦める者、そもそも意味が通じていない者。
それでも大半が、何の抵抗もなく受け入れているのが不思議でしょうがなかった。
誰か一人くらい、気持ち悪がったりしてもいいのではないかと思うのだが、それがひとつもない。
「だから、フリなんだってば。バレンタインのチョコ減らしたいってだけで、本当に付き合うわけじゃ」
恋バナを聞こうと詰め寄ってくる団員たちに弁解をできたのは、持ちかけて三十分ほど経ってからだった。
「なんだ、それならそうと先に言ってよね。驚いた」
「うっうっ、モテる男は悩みも贅沢ッス~」
「ライバルが減るなら俺は別に本当でも構わなかった」
「チョコ、減るんすか……」
「至さんはともかく、千景さんが言うと嘘か本当か分かんないんすよねぇ……」
思春期の年代が多い中で、混乱させたかなとも思うのだが、飽くまでフリだということを理解してもらう。
雰囲気を恋人同士に近づけたいと付け足せば、演劇馬鹿たちが集まるこの劇団ではぽんぽんと意見が跳んでくる。
「やっぱはやりのテーマパーク行ったりするんスかね!?」
「インステ映えするとこ行ったりしちゃう~? おすすめのスポット探しておくねん☆」
「通勤は一緒……って、今もそうか。帰りも時間合わせたりした方がいいんじゃね?」
「残業する恋人を待つってことか。休憩室みたいなところがあれば、そこで待ってたらアピールできるんじゃないか?」
「うわあ、それで疲れた至さんをエレベーターで支えるように抱く千景さんが見られるんですね!」
「椋が見られるわけじゃないでしょ。プレゼント贈り合ったりとかいいんじゃない? 可愛くラッピングしてあげようか」
こんな調子で、当人たちが若干置いてきぼり感を味わっている。ちらりと見やった千景はそれを楽しそうに聞いていて、たまに肩を震わせていた。
思えばこの男も変わったものだ、と至は思う。
入団当初は、談話室で集まりはしても、こんなふうに笑いはしなかった。
咲也とのコイン勝負をしたり真澄へマジックの指導をしたりしながらも、瞳は少しも笑っていなかったのに。
今は自ら談話室に居座り、会話を楽しんだり晩酌をしたり、暖かな空間を受け入れている。
良かった、と思う感情が何という名前なのかは分からない。
嬉しい、と感じる気持ちに、何か名前が付いているのかは分からない。
ただ、心地いいなと思って、至も肩の力を抜くだけだった。
「ふふ。至はもう演技始めてるのかな」
「えっ?」
「千景のことを嬉しそうに見てたね。まるで恋人を見つめるみたいに」
東に声をかけられ、思わず視線を逸らして振り向く。何か言いたげで楽しそうな顔をした東がそこにいて、いたたまれない気分になった。
「あ、え、あ、いや、うん、そう、そうですね……」
特に演技をしているつもりはなかったけれど、そうしておいた方がよさそうだ。それにしても、恋人を見つめるようになんて、自分はいったい東の目にどう映っていたのだろう。フリをするだけであって、千景に特別な感情など抱いていないというのに。
「バーでも言ったけど、茅ヶ崎は本当に順応性が高いというか、順応するのが早いよね。明日に備えてってこと?」
千景から背けたはずの顔を、彼の指先で顎を取られて振り向かされる。必要以上に近づいた顔に、瞬きもできなかった。
(落ち、落ち着け茅ヶ崎至。そ、そうそう、演技。演技ね。明日から会社で恋人同士なんだから、練習。練習。マジ顔がいいこのチート先輩)
「人前じゃ、これ以上近づいたら駄目ですよ、先輩。キス……したくなっちゃうでしょ」
「……そうだね、もしかしたらキスだけじゃ済まなくなるかもしれないし」
目を細めて、吐息を感じられる至近距離で、至は意識して甘い声を出してみる。恋人に向けるものに聞こえるだろうかと胸を高鳴らせながら。そうしたら、千景に反撃された。こんな甘ったるい声は聞いたことがない。優しい瞳も見たことがない。
顔が熱くなるのを感じる。
至の方はともかく、千景は〝恋人の仕草〟をみんなに聞いて回る必要などなかったのではないだろうかとさえ思う。
「ストップストップ二人とも。椋が保たねえって」
「え? あ」
万里の声にハッとして体を離せば、両手で口を覆い震える椋の姿。彼にはこれも少女漫画展開なのかと、申し訳ない気分だ。
「寮の風紀は乱すなと言ったはずだが」
加えて、左京の鬼のような形相。もしもここに莇がいたならば、ただではすまなかっただろう。やっぱりさじ加減が難しいと、ソファから立ち上がって椋の元へと歩み寄った。
「椋、ごめんね驚かせて。寮では気をつけるよ」
「いいいいいえっ、ボクが勝手にときめいてただけなので! むしろもっと見たいです! あ、そうだ、今度お二人にやってもらいたい場面があってっ! 貧血で倒れちゃったヒロインを抱っこして保健室に連れて行く男の子がすごくかっこよくて、あの」
キラキラと目を輝かせて詰め寄ってくる椋は、とても幸せそうだ。メーター振り切っちゃったのかと思うと、その感覚には共感できる至には無碍にできない。
「貧血ねえ……稽古でバテる茅ヶ崎はよく見かけるけど、俺が茅ヶ崎を抱き上げるの? 無理じゃないかな」
「へえ、先輩できないんですか」
「いや、できるできないじゃなくて、絵面的に気色悪い」
「それな」
恋人同士の雰囲気から、一気に先輩後輩に変わってしまう。しかし、椋を落ち着かせるためにはこれでいいのかと、深呼吸を繰り返す小さな天使の髪をなでながら考えた。
「まあ、そんなわけなんで、今後寮内で俺と茅ヶ崎が接近してても変に思わないでもらえるとありがたいってところかな。アドバイスは常時募集してるから、よろしくね」
「そういうことなら、喜んで協力するよ。ちょっとお子様たちがいるところでは言えないようなこともね」
「東さん、その色っぽい笑い方やめてもらえますかね……」
どんなアドバイスなのか興味はあるが、恐ろしくもある。有益な情報ならいいのだが、確かに顔を真っ赤にしている年少組がいるところでは聞きたくない。
「じゃあ、ボクの部屋来る? お酒でも飲みながら話そうか」
東の提案に乗り、談話室をあとにする。千景と左京がそれぞれ手持ちの酒を持ち込み、二〇六号室に邪魔をすることになった。

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