そして103回目の恋をする

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「俺とお前が付き合ってることにしたらいいんじゃない?」
「は? 天才か。それで」
千景の口から飛び出したのは、考えもしなかった提案。
確かに利害は一致するのだ。お互いもらうチョコレートを減らしたい。だがそれだけのために特定の恋人を作るなんてできやしない。
「即答されるとは思わなかった」
「いや思いつかなかったんで。フリでしょ? 別に構いませんよ俺は」
お互いに事情を分かっている相手と共同戦線を張れば、後ろめたさもなくなる。相手に気をつかう必要もなくなる。
ひとつ害を上げるとすれば、お互いが男だということだ。性的少数者として昨今いろいろ取り沙汰されているが、世間の理解と、当事者の理想とはほど遠いだろう。軽蔑されることも、言葉や拳の暴力を振るわれることも少なくないはずだ。
「先輩はそっち慣れてるんでしょ? お任せしま……あ、ちょっと待って俺これ貞操の危機なのでは。待って待って、そういう意味じゃなくてですね」
至はここでようやく気づく。その性的少数者である千景の対象者は、男だったのだと。付き合っていることにすればいいなんて言って、そういう接触が増えれば己の身に危険が及ぶ。
両手を千景に向けて、接近禁止とでもいうように距離を置けば、千景の眉間にしわが寄せられた。
「慣れてるわけでもないし、お前に手を出そうなんてこれっぽっちも思っちゃいない。自惚れもいい加減にしておけ」
「そうですか、好みの範疇じゃないってことですね。よかったー俺そっちの趣味ないんで」
「いや、別にお前が好みじゃないわけじゃないんだけど?」
千景がずいと身を寄せてくる。細められた目は本気ではないのを物語っていて、またからかう腹づもりかと苛立ちがせり上がってきた。至は今度は逃げることもせず、じっと千景の瞳を見つめてやった。
「俺に惚れたら、たぶん面倒ですよ?」
「ははっ、それは怖いな」
悪戯が失敗したことを悟って、千景はそれでも楽しそうに笑う。どう転んでも面白がるのだなと、至は口をとがらせた。
「でも、惚れてるフリはしてくれるんですよね。付き合うんなら」
「そうなるね。茅ヶ崎も、俺に惚れてるフリできる? そうしないとこの共同作戦は成り立たないよ」
「推しへの課金額を増やせるなら、どうってことないです。曲がりなりにも舞台役者ですよ、俺たち」
「カンパニーに入って鍛えられたしね。こんなところでも功を奏するとは」
それな、と同意しながらカクテルで喉を潤す。妙なことになったものだと思う。別に酔っているわけでもないのに、恋人のフリをしようかなんて提案に乗っかってしまうなんて。
「でも、付き合ってるって、具体的にどうすればみんなに分かるんですかね? 堂々と宣言するのも何か不自然でしょ」
「さあ……そもそも付き合うってなにするの?」
「提案しといてなんですかそれ。恋人いたことないんですか?」
「特定の相手作るなんて、危なくてできるわけない。狙われるだろう」
「……そっか、すみません。忘れてました、先輩のそっちの事情」
至は俯いて、テーブルの上でぎゅっと拳を握る。千景がよくない組織に属しているのは知っている。具体的に何をしていて、どうしてそんなところにいるのかは分からないが、度々匂わされる組織の存在を、冗談として受け取りながらも、真実なのだと理解していた。
そんな危険な組織にいて、大切なものを作ることの危うさ。至はそれを、経験でなく知識として知っている。そして千景は、知識でなく経験として知っているのだろう。
もしかしたら特別に大切にしたかった相手もいたかもしれないのに、千景の傷をえぐるようなことを言っただろうかと、唇を噛んだ。
「茅ヶ崎って、順応性高いよね。監督さんといい、どうして受け止めてしまうんだろう」
「順応性、高いですかね? 俺は子供なのでそういう設定には興奮しますし、大人なので踏み込まずに逃げるズルイ手段を知ってるってだけですよ」
人と深く関わるのは、正直言ってまだ苦手だ。千景の言うことを受け流して逃げ道を残しているだけなのに、そんなふうに言われると後ろめたい。
「だけどお前は、受け流して飲み込んで、俺が踏み込まれたくないラインを越えてこない。無意識だろうとなんだろうと、俺にはお前の存在がありがたいよ」
握った拳の上に、千景の手のひらが重なってくる。ドキ、と鳴った胸の音をごまかすように顔を上げれば、思った以上に真剣な瞳をした千景がいた。
「フリだから大丈夫だとは思うけど、もし危険が及ぶことになっても、お前は俺が守るから、茅ヶ崎」
ぎゅ、と拳を握られる。手のひらから伝えられる体温は確かにヒトのもので、現実なのだと思い知らされる。
この、鳴ってしまった胸の音も。
「……イケメンの口説き文句すごい」
「別に口説いてないだろ」
「口説かないんですか、恋人(仮)なのに」
手を退けられたのを機に、至は両手で顔を覆う。あんなに真剣な目で見つめられたら、恋に落ちかねない。気をしっかり引き締めておかないと、作戦が作戦でなくなってしまう。
(ふざけんな、俺はノンケだっつーの)
火照る顔をぱたぱた手で仰ぎ、なんとか冷まそうと試みる。アルコールの度数が強かったんだなと思うことにして、至は大仰にため息を吐いた。
「じゃあ、まあ……今から俺と先輩は共犯者ってことで……」
「共犯者か。いいなその響き。いかにもお前が好きそうな言葉だ」
「アガりますけどねホントね。会社だけでいいんですよね?」
「寮じゃ必要ないだろ? ああ、でも……信憑性という観点では、寮でも演技していた方がいいのかな。少し距離を近くしてみるとか、一緒に出掛けるのを増やすとか」
フリをするということに決めたものの、なんということだ。お互い恋愛初心者だったらしい。恋人として付き合うというのは、具体的に何をすればいいのか分からない。いちばん分かりやすいのは肉体的な接触だろうが、フリなのにそこまでする必要はないはずだ。
となれば、もう少し前の段階からである。
「デートってヤツですか」
「今度の休み、デートしてみる? もしかしたら職場の誰かに目撃されるかもね」
「あ、それなら事前にリサーチしておきます? 同僚にどこ行くのか聞いてみたりして。鉢合わせとまではいかなくても、目撃談があれば信憑性とやらも高くなるでしょ」
「それはいい手かもな。普段どこでデートするのか訊ねて回れば、恋人ができたんだって思われるし、そこで匂わせてもいい」
「おk、さっそく明日やってみます」
バレンタインまであと一か月。根回しは早い方がいい。至は頭の中でシミュレーションを開始した。休日に恋人とデートに出掛けそうな同僚をピックアップし、タイミングを計算する。
ぶつぶつとこぼれ落ちる独り言に、隣の千景から笑いが漏れた。
「楽しそうだな」
「割と。ちょっとゲーム感覚ですよね。アイテムゲットしやすい相手を探すっていうか、情報回してくれそうなヤツと、情報拡散してくれそうなヤツ見つけます」
「噂好きってのは、どうしてもいるからな。そっちは任せる。あとは、なれそめとか決めておくべきかな? 俺とお前で言うことが違っていたらまずいだろう」
あ、と至は気づく。こういうとき、千景とはまったく別の思考回路なのだと思い知らされる。付き合っているフリの提案にしても、前準備にしてもだ。だからこそ人として興味はあるし、卯木千景という男を知っておいて損はないなと思う。
「どっちから告白したか、とか、ですか……」
「ん? ああ……そうか、日本ではそうなんだっけ。茅ヶ崎とは会社でも寮の部屋でも一緒だから、傍にいないと不自然に感じるようになったとか――かな。いつのまにか親密になってた設定もいいんじゃない?」
「なるほど。えっと、お互いベタ惚れな感じですか? 他の人なんか目に入ってないとか」
「そこまであからさまじゃなくてもいいだろう。急接近にもほどがある」
さじ加減が難しい、と至は頭を掻く。演じることが役者の仕事だが、恋する男はまだ舞台では演じたことがない。現実でも、経験したことがない。どうすれば、どうなれば、周りが恋と認めてくれるのか。
「みんなに聞いてみますか? 一成とか、椋……少女漫画読まされそうですけど」
「それ言うなら、みんなにも事情話しておかないといけないな。帰ったらちょっと相談してみようか。東さんとか、有効な手段知ってそうだし」
「一気に艶っぽくなるやつキタコレ」
「じゃあ、よろしく、共犯者さん」
「よろ~」
笑いながら、グラスを合わせ、ほとんどなかったカクテルを飲み干す。美味しい夕飯が待っているし、そう長居はしたくない。目標も立ったことだしと、二人は早々に席を立つ。さりげなく肩を抱いてくる千景には気がついたけれど、もう「恋人ごっこ」が始まっているのだと視線だけで返してみせた。

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