そして103回目の恋をする

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「デスクに置いてあったものは、カウントしないでもいいよね……?」
「俺もいくつか置かれてました……めげないですね、女の子たちは」
ランチの時間を向かえて、エレベーターに乗り込んでの会話は、声を潜めたりしなかった。作戦は作戦ではなくなって、嘘をつく必要もなくなったからだ。
「茅ヶ崎の方もか。ね、面と向かって受け取ったわけじゃないから、怒るなよ? お返しは一応するつもりだけど」
「……まあ、いいですよ。返して回るわけにもいかないでしょ。俺だって同じようなもんですし」
「良かった。怒ってたらどうしようかと思ったよ。こんなことで嫌われたくないしね」
「千景さん、本当に俺のこと大好きですね」
「まあね。お前もだろ?」
「それな。悔しいことに」
額を押さえて、千景には敵わないことを示してみせる。だが頭を抱えたいのは乗り合わせた他の社員たちの方だろう。よりによってイケメンたちののろけ合戦を聞くハメになろうとは。数名、体を震わせている女性もいるようだが、今の至たちには映っていない。
エレベーターを降りたところで、あ、と至が思い出したように声を上げる。立ち止まった至を不思議そうに振り向いた千景の胸元に、押しつけられるエメラルド色のショッパー。
「これ、千景さんに。中身、スパイスティーなんです。良かったらもらってください」
「俺に? 嬉しいな、俺がスパイス好きなのちゃんと覚えててくれたんだ」
思わず噴き出しそうになったけれど、嬉しそうに受け取ってくれる千景に、ホッとした表情を見せてみる。そこかしこで上がった息を呑むような音は、目撃者たちの悲哀だろうか。
今年は誰からも直接受け取らなかったあの卯木千景が、やっぱり茅ヶ崎至からだけ受け取った、とこの昼休みの間に噂が駆け巡ることだろう。
当初は作戦としてしか考えていなかったものだが、これはこれで、良い牽制になったかなと至は息を吐く。できれば、千景を想うライバルは減らしたい。恋未満ならば大歓迎だが、恋になれば同坦拒否である。
千景も千景で、スパイスが好きだという情報を盛り込んで、チョコのみならず甘い物全般の回避をしたようだ。使えるものは使う千景のずる賢さも、今となっては恋する要素になっていく。
「恋の力ってすごいですね……」
「本当にね。まさか自分がこんなふうになるなんて思ってなかった」
全部が全部、好きな気持ちにつながってしまう。
言葉にはしなかったけれど、同じタイミングでついたため息で分かってしまった。傍にいると、自然と似てきてしまうのだろうかなんて、目を合わせて微笑み合った。

定時を少し過ぎてしまった。どうしても断れなかった、というか席を外した隙に置かれていたチョコをまとめて、帰り支度を済ませる。それでも去年よりは激減していて、この分なら当初の目的であったお返しの資金を減らすというのも達成できそうである。
これ以上増えないようにと、至はそそくさとデスクをあとにする。
先にデスクを抜け出していた千景の待つ駐車場、朝駐めたところまで駆け足で向かって、途中で疲れてゆっくりになって、また駆ける。
千景は運転席で愛機を広げているようで、浮かび上がる彼の容貌にドキドキと胸が高鳴った。
こつ、と窓を爪の先で叩けば、千景が気づいてロックを解除してくれた。助手席に乗り込めば、優しい笑顔が向かえてくれる。
「お疲れ、茅ヶ崎」
「おつです。またちょっと増えちゃいました」
「うん、俺も。恋人がいるっていうのにね。彼女たちは何を見ているんだろう?」
「なんかもう、ゲーム感覚なんじゃないですか? 渡すのが任務ミッション、みたいな」
「ははっ、茅ヶ崎らしい答えだな」
一応差出人だけ確認して、まとめたチョコレートは後部座席にぼすんと放った。これからは恋人たちの時間なのだから、邪魔をしないでほしいとでも言わんばかりにだ。
「せ、あ、ち、千景さん、あの」
「なに? っていうか、呼び方どっちでもいいよ。お前が俺の恋人だっていうのはもう間違いないんだから」
「は、はい……そういうかっこいいこと言うのやめてください、や、うそ、やめないで……。あのですね、千景さんにもっとちゃんとしたバレンタインのプレゼント、あげたいんですけど……どっかお店寄りません?」
仕事の合間にリサーチをしてはみたのだが、バレンタインともなるとどうしても甘い物特集が前面に出てきて、上手く探せなかった。となれば千景本人に欲しいものを訊いて買い求めた方がいいだろうと思ったのだが。
「いいのに、あれで充分だよ」
「いや、でもあれ千景さんのこと好きだから買った物ってわけじゃないんですよ、そんなのでせっかくのバレンタイン終わらせたくない」
「ねえ、分からない? 店に寄る時間が惜しいって言ってるんだけど」
「へ?」
走る車の中、ちらりと視線をよこされる。言葉の意味がすぐには把握できなくて、声が上擦った。
「すぐに抱きたい」
ストレートにそう返されて、見る見うちに顔が赤くなっていく。恋人たちの時間なのだからと自覚はしていたものの、直情的な物言いには慣れていない。
「仕事終わったら好きにしていいって煽ったの、茅ヶ崎だったよね?」
にっこりと微笑まれ、見えない鎖につなぎ止められたような感覚に陥る。逃げ場がどこにもない。逃げるつもりもないけれど、もう少し心の準備をしたかった。
「無理強いするつもりはないけど、できれば朝まで抱かせて」
寮とは違う方向へ車を走らせる千景の隣で、これ以上ないくらいにドキドキしながら、ハイと頷くのが精一杯だった。

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