そして103回目の恋をする

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ざあざあと、雨足が強まってくる。時刻は二十二時。千景からはまだ連絡がこない。
トラブルが起きたというのだから、そんなに早く落ち着くものでもないと分かっているのに、何度も何度も端末を手に取ってしまう。
そうすればどうしてもLIMEのトーク画面を立ち上げてしまって、苦笑せざるを得ない。視線が追うのは、千景とのトーク画面。
まるで恋人同士のような会話だ。
春組とのトークではあまりスタンプを使わないのに、このトーク画面では頻繁にうさぎのスタンプが使われている。
可愛い、なんて思って、また実感するのだ。
(俺、本当に先輩のこと好きなんだ……)
こんな些細なことでも胸が熱くなるくらい、卯木千景という男に惹かれていた。
恐らく仕草のひとつひとつに、言葉のひとつひとつに。向けられる視線のひとつ、笑顔のひとつ、どれもこれもに恋をしていた。
たとえそれが、恋人に向けられた演技だとしても、卯木千景を形作るものに違いはない。
(恋ができて良かった。相手があの人で……良かった)
初めてがよりによって卯木千景とは、今後の自分の恋愛事情が難しくなるのだろう。彼以上の相手を探すのは困難だ。それでも、初めてが彼で良かったと思う。
気づかなかった、最高の恋だ。
そう思ったのを見計らったかのように、コールが入る。相手は、千景だ。
至は二度深呼吸をして、通話を開始した。
『茅ヶ崎? ごめん寝てた?』
「そんなわけないでしょ、お疲れ様です」
『ハハッ、だろうね。ありがとう、なんとか終わったよ』
「無事解決して良かったですね。今ホテルですか? 今日は泊まりですよね」
『品質改善とか規格の認証がちょっと面倒だなとは思うけど』
ため息は聞こえるものの、深刻そうなものではなかった。千景のことだ、大した労力も使わずに解決策を出してみたのだろう。さすが、とどこか誇らしく思って緩む口元を、きゅっと引き締めた。
『雨の音が聞こえる。そっちも雨ひどい?』
「ですよ。ほら」
『結構降ってるな。あの後大丈夫だったのか?』
端末を窓の方へ向けてみる。窓を叩く雨の音は、向こうまで聞こえたらしい。この心音までは届かないだろうなと苦笑した。
「ん、大丈夫でした。ちゃんと取引先に顔出して営業してきましたよ」
『はいはい偉い偉い。でも……嬉しかったよ、逢えるなんて思わなかったから。俺を見つけて走ってくる茅ヶ崎、すごく可愛かったな』
千景の甘い声が耳に届く。ぞくぞくとせり上がってくる、悪寒にも似た歓喜が恐ろしい。電話越しでよかったと至は額を押さえて、口を開いた。
「ね、先輩……やめません?」
駅まで逢いにいったのは、恋人としてではない。茅ヶ崎至として、この胸の中……体全部に駆け巡る想いが何であるのか、確認をしにいっただけだ。確信を得るために、千景の顔を見たかった。
恋だ、と確認して、確信して、恋人として見送った。
最後のつもりで。
『え?』
「もうやめませんか。お互い本気になる前に」
これ以上、千景の甘い声なんて聞いていられない。勘違いしてしまいそうになる。以前は冗談で言えたそれが、今は本音になってしまう。
「もう周りには知れ渡っただろうし、明日チョコ断るのに俺を使わないでください」
『なに……言って』
「今までありがとうございました。割と楽しかったですよ。……おやすみなさい、先輩」
そう言うだけ言って、一方的に通話を打ち切る。
突然過ぎることに納得がいかなかったのか、千景から再度コールが入るが、至は拒否の方にスライドさせた。
「俺は……もう本気になってたみたいですけどね……」
明日逢ったら怒られるのだろうかと、端末を放る。呼び出し音が鳴っていたけれど、取らずにいたら諦めたのか、鳴らなくなった。
(これで明日はちゃんと怒られて、話し合って、恋人ごっこは終わり)
チョコも減って、千景との接触も減って、望んだ通りゲーム三昧課金三昧の日常になるのだ。これでいい。
明日千景に逢うまでに心の準備とかぶる猫の準備をしていればいい。
無理やり下ろした幕は、もう上がらない。

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