- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.729, No.498, No.497, No.496, No.495, No.494, No.493[7件]
永遠のブルー-001-
忘れられない色がある。
十四歳の夏、それを知ってしまった。
それはどこまでも高く突き抜けるような、透き通った――青。
なぜお前が膝をついているんだ。
跡部景吾は、瞬きをするのも忘れてその男をネット越しに見つめた。
中学生男子テニス・関東大会。初戦の試合だった。シングルス1、多くの学校が部長を据えるこのゲームは、跡部と手塚の初対決でもあった。
手塚国光は、青春学園テニス部部長だ。
国内の中学生プレイヤーならば誰もがその存在を知っていると言っても過言ではない。寡黙ながらも正確で冷静なプレイスタイルには跡部も一目置いていて、戦いたい相手ではあった。当然ながら自分の力を見せつけて圧勝するものとして。
だがその認識は誤っていた。
冷静に状況を判断して時には妥協もするだろうと思っていた男は、ただチームを勝利に導くために自分の腕さえ懸けるような、とんでもない男だった。
分かりやすく弱点を攻める跡部に、『遠慮するな、本気でこい』などと煽るようなことまで言って、実際本気でやらなければこちらがやられると思わせる。『それでも俺が勝つ』とでも言いたげな球筋が腹立たしくて、跡部も全力で返した。
いつしか、弱点を攻めていたことなど忘れていた。
手塚が激痛に顔を歪めて肩を押さえ、膝をついた瞬間に沸き上がってきたのは、怒りと焦燥感。
自分が弱点を攻めていたにもかかわらず、なぜだ、と思った。なぜ今この瞬間なのだと、身勝手にもだ。
もう少し早ければここまで心技ともに昂ぶっていなかっただろう。もっと遅ければ、必ず自身の勝ちという結末を迎えていたはず。
そもそも持久戦など受けて立たずに退いていてくれれば、所詮その程度かと嗤わらってやれたのに。
攻め立てたのは跡部で、選んだのは手塚だ。
互いの間にあった糸が、ぷつりと切られたような気がした。
青学のベンチで、他の部員たちに棄権を促されている中、跡部はただコートで待った。
納得できない。
――――こんな形で終われるわけがねえ。俺たちがこんなところで終わっていいはずがないだろう!
ぐっと強くラケットを握る。燃え上がった心はあの男でなければ鎮められない。
――――出てこいよ、手塚。手塚。……――手塚ァ!
祈り、怒り、信じて待った。こんな終わり方では納得できないのはお互い同じだと根拠なく思って。
いや、根拠はあった。手塚が打った球のひとつひとつにだ。
果たして、手塚は部員たちの反対を聞き入れず、親友と生意気な後輩の後押しを受けてコートに戻ってきた。
「待たせたな、跡部。決着をつけようぜ」
背筋を、何かが駆け抜けていったような気がした。武者震いに似た歓喜。
やはり同じ気持ちだったと、ラケットを握り直す。
決着をつけなければ前に進めない。いや前ではない、上だ。お互い部長同士で、チームを率いている以上責任がある。勝って次の試合に進むのは自分たちだと、それぞれ思っていたはずだ。負けるつもりでコートに立つプレイヤーなどいやしない。
だがこの時ばかりは、個人としての闘志が渦巻いていた。お互いにしか分からない機微だったとしても、それは事実だった。
「なんだ手塚ァ! このサーブは!」
球を打ち返す。激痛に顔を歪め、肩も充分に上がりきらない相手のボールを、容赦なく打ち返すなんて非情だと責める者もいるだろう。始めのリターンエースを見ていてそれを言うならば、眼科に行けと言ってやりたい。
そもそも、手を抜くべき場面ではない。それは手塚に礼を欠く。手塚は激痛に耐えてまで、勝つためにコートに戻ってきた。容赦がないのは手塚の方だ。あのボールを受けてみれば分かる。この期に及んで、負けるつもりなど毛頭ないことに。
手塚の息が上がっている。跡部の息も乱れている。
どちらも引くということを知らない男だ。その事実を、観戦している誰もが初めて知った。相対しているお互いさえも。
こんなにがむしゃらで熱いプレイをする男だったなんて。こんなアイツは見たことがない――近しい相手すらそう言うのだ。今までろくに言葉を交わすこともなかった状態では、当人たちだって同じ思いを抱いているだろう。
自分の中にもこんな必死さがあったのかと、自分自身に驚いてさえいるかもしれない。
跡部はそれを自覚していた。幼い頃イギリスで同年代の少年たちに負け続けていた時だって、ここまで必死になった覚えはない。
自分自身の未熟さに腹を立てて技術を磨いたが、あの時とは全然違う。己の内にあるすべてのもので挑まなければならない相手だ。
間違いなく、この先の人生で無二の試合になる。直感でそう感じた。
体も、心も、魂も、比べるもののない試合になると分かる。
だからこそ打ち込む球に最高の力を込める。誰になんとそしられようと構わない。
この球を受ける相手に――手塚には分かっているはずだ。
トスを上げる直前に交錯した視線で、手塚がわずかにグリップを握り直したことで、それが自分の独りよがりではないと確信ができた。
たとえこのタイブレークがどれほど続いたとしても、自分を――そして、手塚がテニスに懸ける想いを裏切ることのないように、すべての力をもってプレイをしよう。
――――手塚、ありがとよ。今ここでお前と戦っていなければ、お前が全力で挑んできたりしなければ、俺は俺の進化を自分で止めていた。
一瞬たりとも気など抜けない。全神経をボールと手塚の動作に集中させているのに、それでも横を抜かれる。仕返しに足元を撃ち抜いてやっても、すぐ次の手に備えなければならない。
一ポイント取っても、次は取られる。全力で打っているのに、向こうも全力で打ち返してくる。
だが不思議と腹が立たない。悔しくはあるが、余計に気分が高揚した。魂が吼ほえたような気分を味わう。
いつしか、審判のカウントの声も聞こえなくなっていた。
聞こえるのは、コートを踏みしめる音と、強烈なインパクト音。互いの咆哮と、荒れた吐息。それだけだった。
いつまで続いたっていい。
日が暮れたって構わない。
ずっとこうして、球を交わしていたい。
だが終わりというのはいつかくるもので、ポイントを取るために打った手塚の零式は彼の思惑に反した軌道を描き、跡部のラケットがそのボールを拾い返す。その際に倒れ込んだ跡部の反応が遅れる。
手塚が打ち返してポイントを取られ、まだタイブレーク状態が続くものと思われた。だが手塚の打った球が跡部のテリトリーにまで届くことはなく、ネットに捕らえられて――落ちた。
ゲームセット! という審判の声で、周囲の音が戻ってきたように思う。
ああ終わったのか。終わってしまったのか。
跡部は立ち上がって、ネット際に歩んできた手塚の顔を見た。相変わらず表情は読みづらく、この勝敗をどう思っているのか分からない。
跡部はじっと手塚を見据え、彼の背負うものに思いを巡らせた。
勝ちは、勝ちだ。そして、負けは負けだ。
だがそれでも、差し出された右手を握り返して、高く掲げてみせる。
お互いが勝者で、お互いが敗者だと。
周りが驚いているのが空気で分かる。手塚すら驚いているようなのが手のひらを通して伝わってくる。
他にどうもできなかったのだと、跡部自身らしくないことを理解していて、長くはそうしていられない。
ゆっくりと手を放せば、「跡部」と小さく呼ばれる。だが何も聞くつもりはなくて、揃って審判への礼を終わらせ自陣へと戻った。
ベンチに腰をかけ、息を整える。
ここまでとは思わなかった。手塚という男が。跡部景吾じぶんという男が。
満たされた気分だ。そう思う傍から、まだ足りないと思う自分がいる。
まだ、もっと、高みへ行ける。恐らく同じ思いを抱えている男がいるから。
だが、と跡部は吐き出した息を飲み込んで止めた。
――――次の補欠戦、恐らく負ける。手塚が目をかけている新人だってえんだから、相当な腕の持ち主だろう。日吉まで回ることを想定していなかった俺のミスか。
日吉も二年の中では優秀なプレイヤーだが、まだメンタル面に未熟なところがある。次代の氷帝を背負うには、ここを乗り越えられるかどうかにかかっている。
ふと顔を上げると青学ベンチの手塚が目に入った。何をしていやがる、と眉間にしわが寄る。早く病院に行けと叩き出してやりたい。
ネット際で握手をした時だって、わずかながら左手が震えていただろう。その肩はすぐに治療をしなければいけないのではないのか。周りの連中も、いったい何を悠長に構えているのだ。
「おい、てづ……」
思わず腰を上げかけた時、気づく。手塚がじっとコートを見据えていることに。
後輩である越前の試合を、余すところなく見届けなければならないと。その勝利を信じ、熱望して。
跡部は上げかけた腰を下ろし、ふっと口許を緩めた。
そうだ、信じて観ないでどうするのだと。これは個人戦ではなく団体戦なのだ。率いているキングが周りを信じなければ、誰もついてこない。
自分がするべきことはした。自分自身も想定外に熱くなった試合は日吉の闘志を刺激しただろうし、準レギュラーですらない部員たちにも、何か響くものがあったはずだ。そして自分のペースで心技ともに磨いていくきっかけになっただろう。それでいい。後はここでどっしりと構えているべきだ。
それがキングたりうる者の使命。
――――勝ってこい、日吉。今お前の持てるすべてでぶつかってこいよ。
信じてここで待っている。
跡部はいつものしたたかな笑みをたたえ、ちらりと手塚を見やった。
周りを信じられるかどうか――自分たちの勝負はまだ続いている。青学と氷帝の勝負であり、頂点同士の勝負でもある。
――――同じなんだろ、手塚。背負うものは俺もお前も変わらねえ。てめぇとの決着は、まだついちゃいねぇぜ!
どよめきやインパクト音が響く中、跡部はふっと視線を上げて目を細めた。
まだ昇っていける。あの高みへ。あの瞬間の快感を忘れることなどできやしない。
――――ああ、なんて……鮮やかな青をしてやがる。
夏に向かう色だ。
日吉の――氷帝の敗北がきまったのは、それからしばらくの後だった。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー
永遠のブルー

2022/04/10
【あらすじ】
手塚の怪我について負い目を感じている跡部だが、「お前とテニスがしたい」と言われ自分の中の厄介な想いに気づく。こんな勝手な感情は告げられるわけがないと必死で心を押し殺しながら、好敵手として接していた。けれどそれは、手塚の一言で崩れてしまう――。
001/002/003/004/005/006/007/008/009/010/011/012/013/014/015/016/017/018/019/020/021/022/023/024/025/026/027/028/029/030/031/032/033/034/035/036/037/038
手塚サイド:「情熱のブルー」もあわせてどうぞ。
※作中にリョ桜表現が含まれます。ご注意ください。
#片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー
マシュー永眠 2022/03/22
少し落ち着きました。リプやお気遣いありがとうございます。
ねこのこと。文字に起こすことで、気持ちを落ち着けたい思いと気持ちを残しておきたい思いで。
3月22日、雪の舞う寒い日。在宅勤務だったのでマシューはいつものように私の膝でくつろいでいました。フォロワーさんにも「ねこのあたま」なんて写真送ったりしてた。
11時半頃、ビヨンとマシューの体が跳ね起きるように伸び上がり、2度程苦しそうな呼吸をしたと思ったら、もう瞳孔が開ききっていた。
突然のことに私はどうしたらいいか分からず、ただ何度もマシューの名を呼ぶ。返事がないどころかもう首がすわってない。カクンと垂れる小さな頭を支えて、「なんで」と震えながら訊ねかけた。当然何も返ってこない。
大好きなクッションに横たわらせて、心音聞いてみるけど、ない。
職場に連絡して午後休暇もらい、まだ温かいマシューをキャリーケースに入れる。こんなにおとなしく入ってくれたの初めてだね。
傘に落ちてくる雪の音を聞きながら家から10分くらいのとこにある病院に駆け込んだ。他のお客さんがいたものの、急患扱いですぐ診察へ。
酸素吸入の処置開始。
……1分程で、「……いいですかね……」と先生に訊ねられ、頷く。手遅れだとは分かっていた。
火葬屋さんを紹介してもらい、家に帰る。
ケースを開けてもマシューは飛び出してこない。
号泣した。
なんで。さっきまで元気だったじゃん。朝だってご飯食べてたのに。膝でゴロゴロしてくれてたよね。急過ぎる。
もういないんだ。まだあったかいのに。
泣いて、泣いて、謝って、亡骸に寄り添う。うまく声も出せない。
ひとしきり泣いて、死後硬直に備えてマシューの体勢を整える。まだまだあったかい。
職場と実家に連絡とTwitter報告して、ご飯を詰め込んで、その後どうしたのかあまり覚えてない。
翌日は出社予定だったが在宅勤務にしてもらい、仕事前に火葬の手続きをした。移動式の火葬業者さん。対応はとても丁寧だった。夜に来てくれるそうだ。
ひとまず午前中だけ仕事して、火葬の準備。
マシューの尻尾の毛をもらい、保管。ふわふわやねん。
自分で作った下手くそな花束と、花屋さんに作ってもらった花束を供える。私のはセンスのかけらもない。ごめんなさい。
ご飯も少しなら一緒に火葬可能とのことだったので、折り紙で箱を作ってカリカリにかつお節かけて入れた。ちゅーる用にもう一つ箱を作っておく。
お手紙も書いた。桜の木の下に猫がいる立体のメッセージカード。
お別れまでに何度もマシューの体をなでる。冷たくなった亡骸に、ようやく実感が湧いてくる。
夜、火葬していただきました。
お骨上げした時、担当さんが「これ爪ですね、こっち指。あとこれが尻尾。牙」と言って渡してくれました。小さい。ピャワイイ……。骨壷とは別途保管。
手作りをモットーにしてらっしゃる業者さんだったので、ものすごく可愛い骨壷にリボンかけてもらって、お礼をして家に入る。
遺影と玩具お供えしてお風呂に。お風呂から上がってももうバスタオルの上に鎮座されてることもないんだな……。
翌日は出社。残業して帰る。幸いにもご飯は食べられる。ただ胃様はすべてを受け入れてはくれない。それなのに体重が変わらないのはなんでだ。
そんなこんなで、なんとか過ごしています。あまりにも寂しくてねこカフェ行ってきた……。
不思議なことがね、2つあるんですよ。
①私肩こりがひどくて、そのせいで頭痛かったんですけど(手帳にアタマイタイって書くくらい)、あの日からその痛みがない。目の疲労も。
マシュー、もしかして持ってってくれた?
②本来なら3月末の某社締切に向けて追い上げの時期。私も出すつもりで書いてはいた。書いてはいたが、ちっとも楽しくなくて筆が進まない。何度書き直しても全然ダメで、「今はこれを書く時じゃないんだ」と思い、別の作品を1から書くためにプロットを考え始める。2月上旬。某社の締切は間に合わないなとここで潔く諦める。
うまく書き進められてたら今は最終的な推敲してる時期。失意の中それができたかというと、絶対に無理。
更に言うと、諦めたのは「猫」をモチーフにしたものだった。終盤で「愛してるから行かないで」なんていうエピソードもあった。
愛してるから行かないで。
私があの子に言いたかった言葉。けど思い返しても言ってない気がする。介護等で長く苦しむことなく私の膝で逝ってくれた子に、いかないでとは言えなかった。
作品を書き上げられていたとしても、出せるものじゃない。
早くに諦めていたのは、幸いだったんだろうか。
虫の知らせというにはあれかもしれないが、おかげで創作のことを考えずにゆっくり過ごしていられる。
ゆっくり、少しずつ、立ち直っていこうと思います。
マシュー、シェルターから引き取って6年と10か月、傍にいてくれてありがとう。虹の橋の向こうで穏やかに過ごしてください。
これは寝てるだけのマシュー🐈️

火葬前のマシュー
畳む#ねこ
共犯者たちのランデブー
本誌カラーページまで使うんだよこの人たち……
手塚は、廊下の壁にもたれて人を待っていた。少し早く着いてしまったなと携帯端末が表示する時刻を眺める。
気が急いてしまうのは、自覚している感情のことを思うと仕方がないような気がした。
「よう手塚。待たせたな」
「いや、十分前だ、跡部」
なんでもないようなフリをして、待ち人にいつもの表情を向けてみる。
待っていた相手は、跡部景吾だ。
ほんの少し前までは、対戦校の部長同士。その後は同じ選抜チームで戦う仲間同士。そしてそれぞれの国を背負ってプレイする敵同士。
さらに手塚にとっては、あの夏の日から特別な人になってしまった相手だ。
なぜよりによって、と何度も自分自身に呆れたが、相手が跡部景吾では仕方がない。そう諦めることにした。
「言い忘れたが、決勝進出おめでとう」
「ああ、ありがとよ。てめぇと幸村の試合、見事だったぜ」
「お前とももう一度試合してみたかったが、次の公式戦は恐らくお互いプロになってからだな」
ため息交じりにそう返すと、跡部がわずかに目を瞠ったように感じられた。変なことを言っただろうかと不思議に思い、手塚はじっと見つめることで訊ねかけた。
言葉にして問いかけようとは思ったけれど、音にするより跡部を見ていたい気持ちが勝る。我ながら重症だと心の中で叱咤するも、視線を逸らすことはしなかった。
「ああそうだな。楽しみにしてるがいいぜ」
じっと見つめ返してくる跡部の視線で、覚悟のほどが知れる。せり上がってくる歓喜は、やはり上手く表せなかった。
「ところで跡部、本当にやるのか……? この、焼肉バトルとやらを……」
「アーン? 今さら何を言ってんだ手塚ぁ。準備はすっかりできてんだぜ」
そうか、と諦めて返す。
手塚が跡部を待っていたのは、試合後に各国代表選手たちを巻き込……集めて行う焼肉バトル……晩餐会……いや、バトル……どちらでもいいが、ともかく以前全国大会準決勝後に行ったような、焼肉を絡めて勝敗を競うというミッションのためだ。
決してデートの誘いではない。
それだったらどんなにいいかとは思うが、共犯者として声をかけてくれたことは、嬉しく思っていた。
「まさか本当にやるとはな。俺の自主トレに押しかけてきたのは、よもやこちらの話がメインだったのではないだろうな?」
「ハッハァ! そこを見破るとはさすがだぜ! ……って、冗談だろ。そう怒るなよ」
「怒ってはいない」
ドイツ対日本戦が始まる前――昨日のことだ。跡部が、ドイツの選手村にまでやってきた。
対戦国のテリトリーに足を踏み入れる度胸はさすがといったところだが、手塚ゾーンを破り満足げに「明日の試合が楽しみだ」なんて言う彼をどうやって引き留めようか考えていた時、跡部がとんでもないことを告げてきたのだ。
跡部家がメインスポンサーとなり日本選手たちと焼肉晩餐会を楽しむことになっているが、乗らないかと。
どうせなら各国代表を集めるかと言い出すまでに、時間はかからなかった。
そんなに急にできるものかと言ってやりたかったが、彼が跡部であることを考えると、実行できてしまうのが悲しいところだ。
トントン拍子に焼肉バトルへと発展してしまい、誰が何をどう交渉したのか各国の監督陣から出資もあるらしいなんて話まで出た。
バトルとなると乾の特製ドリンクが出てくるのだろう。絶対に負けられないし、頭が痛いと思っていたら、「てめぇは俺様の共犯者だぜ」なんて言われ、ヘリで大会運営を見守ることになってしまったのだ。
乗るか、乗らないか。そう問われたら、乗るに決まっている。ヘリに。
楽しそうに、嬉しそうに笑う顔に撃ち抜かれただなんてことは、ドイツのチームメイトたちには死んでも言えやしない。
設備や関係各所への連携確認ということで、バトルが始まる前から手塚は跡部とともにヘリへと乗り込んだ。
思っていたよりも距離が近い。腕が触れるほどの距離に、どうしようもなく胸が鳴った。
けれど、この騒音では心音が聞かれることはないだろう。安心して好き勝手に鳴らせることにした。
陽が落ちる寸前の美しい景色を、こうして隣で眺められる。操縦士がいてはさすがに二人きりとはいかないが、それだけでも充分だった。
「壮観だな」
「そうだろ。この景色を俺様と堪能できるなんざ、贅沢者じゃねーの、手塚ぁ」
騒がしかった心臓が、止まるかと思った。まさかこの想いに気づいているのではないだろうなと内心焦るけれど、手塚はそれでもなんでもないフリを続ける。
「飛行機からは、眺める余裕がなかった」
「ふ……ん。じゃあせいぜい眺めておくんだな」
眉をつり上げた跡部が、ふいと顔を背けるのに気がついて、手塚も顔ごと跡部を振り向いた。
手塚が分かるほどに、跡部は不機嫌そうだ。
返す言葉を間違えただろうかとじっと眺める。夕陽に照らされる跡部の髪がとても美しくて、視線を釘付けにされた。
「なんだよ?」
「……いや、綺麗だなと思って、眺めていた」
「あ? ああ、海かよ。昼の海もいいが、夕暮れ時ってのも、なかなかイイな」
跡部の向こう側に、ちょうど海が見える。
そういうことではないのだがと言いかけて思いとどまった。海ではなく跡部がだなどと言えるわけがない。さらに、緩んだ口許が窓に映って見えて安堵した。機嫌は直ったらしい。
「今度泳ぎに行くかよ?」
「泳ぐより、釣りがしたい」
「釣りか、いいな。まあさすがに大会終わってからだな……」
予定空けろよと言われて、手塚はぱちぱちと目を瞬いた。
大会が終われば、跡部は日本に帰るだろう。手塚はドイツへだ。それなのに予定を空けろということは、逢える、のだろうか。
「あ、でも確かドイツって釣りの免許いるんじゃなかったか……? 他の国でするか……」
「跡部、それは、俺とお前でか?」
二人きり、で。
「…………まさか嫌とは言わねーだろうな。アーン?」
国を越えてまで、二人で、逢う。これを逢瀬と言わずになんと言えばいいのか。先ほどから跡部が、探るような、煽るような言動をしているのが気にかかる。これはもしかしなくても、気づかれているのではないだろうか。
「…………………………ひとつ訊くが、それは俺がお前に抱いている感情を知っていてのことか?」
気まずさと、羞恥と、膨れ上がってしまった期待を込めて跡部を見やれば、彼はややあって面白そうに口角を上げた。
「さあな、知らねーよ。知ってほしけりゃとっとと言うがいいぜ」
指先で顎を持ち上げて挑発される。けれど、確信した。跡部は手塚の中にある想いにとっくに気がついているのだと。
そして、付け加えるならば。
「お前の球なら、どんなもんだって受け止めてやる」
キラキラと期待に満ちたその瞳は、跡部も手塚と同じ想いを抱えているのだと。
「どうした手塚、怖じ気づいたかよ」
「そういうお前は、ずいぶん落ち着かないようだな。隠し事とは、共犯者が聞いて呆れるぞ」
「あァ!? ……っと、やべぇ、もう時間じゃねーの。会場の方へ戻るぜ」
チッと舌を打つ跡部だが、そうしたいのは手塚とて同じこと。せっかくもう少しで跡部がどう想ってくれているか聞けるところだったのに。
だが、時間に遅れるわけにもいかない。
遊覧飛行もといテスト飛行を終えて会場へと戻るヘリの中、せめて少しだけでも意思表示をしておこうと、左手で跡部の右手に触れてみる。
握り返してくれたということは、やはりそういうことなのだろう。
もしかしたら、長い間ずっと想い合っていたのではないだろうか。
しかしお互いが負けず嫌いであるせいなのか、「惚れた方の負け」を認めたくないらしい。事実、跡部は手塚にばかり言わせたがっている。
跡部がそのつもりならば、こちらも受けて立とう。
手塚は跡部の右手に指を絡め直して強く握った。
「いよいよだな、跡部」
「ああ…ショータイムの始まりだ!」
砂浜には、このバトルに参加する選手たちが続々と集まってきているのが見える。
しかし、手塚と跡部もまた、新たな戦いへと身を投じることになるのだった。
畳む
#両片想い #本誌ネタバレ #新テニ
勝負はこれから
黄色の信号に従って、跡部は停止線で車を止めた。
「今日はやけに信号に捕まっちまうな。ついてねえ」
ステアリングを指先でトントン叩きながら舌を打つ。早くマンションに帰って、人目を気にせず触れ合いたいのに。焦る気持ちを浅ましいとは思うけれど、手塚相手に今さら取り繕うこともない。
「跡部」
「アーン? ……ん」
助手席から呼ばれて、声だけで返したら、手のひらで強引に振り向かされた。間を置かずに重なってきた唇には若干驚いたけれども、拒むことはしなかった。
「おい危ねえだろ、手塚」
「あと十秒ある」
触れるだけで離れていった唇に、それでも抗議くらいはしておこうと思ったのだが、無駄だった。
重なった唇は、今度は先ほどより長く、深いキスになる。
きっちり十秒キスをして、離れた瞬間に信号が青へと変わった。
「部屋まで待てねえのか」
「待っているつもりだが」
手塚はひとつ瞬いて、シートに体を預ける。今いったい何をしたのか覚えていないのだろうか? 呆れつつも、跡部はゆっくりとアクセルを踏み込む。
「お前本当に俺のことが好きだな」
わかりきったことを、あえて言葉にしてみる。いくら久しぶりに逢ったからといって、運転中さえ我慢できないなんて。しかもこれで待っているのだというから驚きだ。そうやって口の端を上げたら、こちらこそ呆れたようなため息が聞こえた。
「まあ、お前が俺を想う以上にはな」
だが、次の言葉がいただけない。跡部は「アーン?」と煽るように声を上げた。
「聞き捨てならねえな、手塚ァ。俺がてめぇを愛してねえみたいに言うんじゃねえ」
「そうは言っていない。ただ俺の方がお前を好きだというだけだ」
運転中にもかかわらず触れたいと思うほど、と付け加えられて、跡部は少し先の信号を見据える。タイミング的に、次は捕まらない。普段なら信号待ちなどしたくもないが、この時ばかりはチッと舌を打った。
「ふざけたこと言ってんじゃねーぞ。俺の方が気持ちはでけぇんだよ」
「いや、俺の方が大きい」
「どの口が言いやがる。ロクに言葉にしねえくせに」
「それは仕方がないだろう。言葉では足りないからな」
お互いに、一歩も譲らない。
せっかく久しぶりの逢瀬だというのに、これではケンカになってしまう。もともとそう甘い雰囲気でベタベタするタイプでもないが、険悪になりたいわけでもない。
好きの気持ちが大きいと言われるのは嬉しいけれど、納得がいかない。
跡部は青信号をやり過ごし、車の流れを見て路肩に停車する。
「どうした、跡部」
「うるせえ黙ってろ」
手塚の首に手を回し、ぐいと強く引き寄せれば、シートベルトがしゅるりと音を立てて伸びる。助手席と運転席の真ん中で、互いの唇が重なった。
優しく触れたのは一秒だけで、お互い同時に唇を開く。出逢った舌先を触れ合わせて押しこみ、舐ねぶり合った。
至近距離で視線がぶつかる。挑むようなその瞳が心地よくて、もっと近くで見たいと両腕で抱き寄せた。
「……っふ、は、はぁ……んぅ」
吸い、吸われ、ぴくりと腰がうずく。ごまかすようにぴったりと唇を合わせてようやく、跡部は目蓋を落とした。湿った音が車内に満ちていく。手塚の手のひらがシャツの上から胸を撫でるのに合わせて、跡部も手塚のシャツのしわを愛撫した。
触れたい。
こんなにも触れたい思いが強いのに、「お前より」だなんて言わせない。
跡部は手塚の舌に軽く歯を立てて、食らいかねないほどに強く吸い上げた。
「……っは、っはぁ……、は……どうよ、これでもまだふざけたこと言いやがるのか。アーン?」
運転を中断してまで触れたがった自分の気持ちが、負けているなんて思いたくない。跡部は濡れた唇を手塚の指で拭い、勝利を宣言した――つもりだった。
「ああ、俺は負けない」
二の句が継げずに眉を寄せる。
頑固者だと思ってはいたが、ここまでとは。跡部は頭を抱えたくなった。
「そもそも最初に好きだと言ったのは俺の方だろう、跡部」
「そんなもんタイミングの問題だろうが! お前絶対に俺の気持ち知ってて言いやがっただろ!」
「先を越されないようにと思っただけだ」
中学時代から続くこの関係は、恋人同士であり、宿敵同士。負けず嫌いの二人が、なににおいても争ってしまうのは、仕方のないことだっただろうか。
「ったくてめぇは、昔っから強情だな。全然変わらねえ」
「お前には負ける」
「そこは負けんのかよ」
じっと睨ねめつけるが、手塚が怯むことはない。また、勝ちを譲る気もないらしい。跡部は盛大に舌を打ってシートに体を預け、ゆっくりと車を発進させた。流れに乗って、速度を上げていく。
「もういい。これからじっくり教えてやるぜ、手塚ァ」
早いところ部屋に帰って――いや、部屋までなんて待てやしない。どこか近くに部屋でも取るかと、思いつく跡部系列のホテルを割り出していく。
さてどうやって手塚に分からせてやろうか。それを考えると、苛立ちが好戦的な気持ちに変わっていく。
「さあ、覚悟しな。夜は長ぇぜ」
「そうだな。愛しているぞ跡部」
「ばぁか。殺し文句はベッドの中まで取っておけ」
そうやって、二人はあの時のタイブレークのような夜に身を投じることになるのだった。
#両想い #ラブラブ #未来設定
五分間
出口へと向かう途中、やけに騒がしいなと眉が寄る。
飛行機の発着アナウンスをはじめ、搭乗客や見送りの人々で、空港はわりといつでもざわついているものだ。しかし今日は、度を超しているように思えた。
「なんだか騒がしいですね、跡部社長」
「あぁ、大方どこだかのアーティストでも到着したんだろうよ。それよりこの後のスケジュールだ」
跡部の不機嫌を察知した秘書がそう声をかけてくる。顔に出てしまうとはまだ未熟だと、跡部はふいと顔を背けた。
にぎやかなのは嫌いではないが、考え事をするには少し煩わしい。早々に立ち去ろうと足を踏み出す。しかし騒ぎの原因も同じ方へ向かっているようで、徐々に近づいてくる。立ち止まってやり過ごした方が得策かと、歩調を緩めてその人だかりに視線を向けた。
マイクやカメラを向ける記者やそれらからかばうように歩く男がいるのを見るに、やはり著名人だろうと思われる。後ろには、ミーハーなファンたちが大勢ついてきていた。ファンサービスのひとつでもしてやればいいのにと肩を竦めつつ、騒ぎの中心にいる男を視界に認めた。
瞬間。
時が止まったかのような感覚を味わう。
なぜこの男がここにいるのか――それは視線の先の相手も同じ気持ちだったようで、互いの真ん中で視線が絡み合った。
数か月ぶりの邂逅だ。
視界が、彼以外すべてモノクロになったように見える。
「……手塚」
音になったかどうか分からない。同じように、彼の――手塚の唇が「跡部」という形をたどるのが見えた。
跡部は立ち止まり、手塚も立ち止まる。周りの人間が、不思議そうに手塚と跡部の二人を見比べる。傍についていた秘書も、不思議そうに「社長?」と呼んできた。
跡部はこくりと唾を飲み、口を開く。
「……五分だ。五分、待機しろ!」
視線を外さないままに命じた後で、示し合わせたわけでもないのに手塚と跡部は同じタイミングで同じ方向へと走り出した。
「跡部! 来い!」
伸ばされた手を取るのに、迷いはかけらもなかった。
どよめきと、黄色い悲鳴。フラッシュがたかれる感覚と、聞こえるシャッター音。そんなものは後でどうにでもできる。今はただ触れた手のひらの熱を感じていたいと、指を絡めた。
トップアスリートたちに追いつける者など、そこには存在していない。まるで逃避行のように、二人は人混みを駆け抜けた。
言葉を交わすより先に、唇を重ねた。人通りのない通路の陰で抱き合い、奪う。
「……っはあ、っふ……んん、んっ」
「ん、ぅ……は」
跡部の腕は手塚の首を強く抱き寄せ、手塚の腕は跡部の背をぐっと抱きしめる。
互いの耳にだけ届く絹擦れの音。混ざり合う唾液の音。離れた唇から漏れる吐息の音。離れた傍からまた奪い合った唇が、くぐもった声を奏でる。
どうしてこんなに長く離れていられたのだろう。
どうしてこんなにも、触れ合わずに過ごしていられたのだろう。
指に髪を絡ませ、頬を撫でる。ついばんで舌を吸い、歯を立てては指先で喉を愛撫した。目蓋を持ち上げれば至近距離で視線がぶつかり、安堵した吐息が相手の唇に覆われていく。
濃密なキスを何度も繰り返して、宥めるように相手の背中を撫でた。
「なんで……こんなとこいるんだよ」
「お前こそ……」
息を整えるために肩口に顔を埋め、互いの匂いを吸い込む。慣れきったはずの匂いなのに、いつだって充足感で満たされる。
「いつまでこっちにいるんだ」
「明日の夜、向こうに立つ」
「とんぼ返りじゃねーの」
「ああ。お前に逢えるとは思わなかった」
この空港で逢えたのは、本当に偶然だ。お互いのスケジュールなど把握していなかった。跡部はイギリスから一時帰国したに過ぎず、手塚もまた大会後アメリカからこちらへ来ただけのようだ。思いがけない邂逅が、責めたいほどに嬉しかった。
「夜は……時間あるのかよ」
「空ける。必ず」
鼻先を擦り合わせ、確認するように唇を触れ合わせる。〝空ける〟ということは、予定が入っているのを調整するということだ。
ともに過ごす時間は、お互いの努力がないと作ることができない。それを理解しあっているからこその言葉に、跡部は素直に感謝した。
「続きは夜だ」
「ああ」
そろそろ戻らないといけないと、名残惜しく感じながらも手塚の体を押しやる。時間が許せばこのままどこかに連れ去ってしまいたいけれど、そうもいかない。
「すまない跡部、言い忘れるところだった」
「アーン?」
秘書の待つ場所へ戻ろうと足を踏み出したとき、手塚に呼び止められて振り向く。
「誕生日おめでとう」
「――ああ、ありがとよ」
今日というこの日にここで逢えたことが何よりのプレゼントだ。
跡部はそのまま歩を進める。向こうに戻るまでにこの甘ったるい気分を静めておかなければと、触れ合った唇を指先でなぞりながら。
続編「五分間-その後-」
#両想い #ラブラブ #未来設定 #誕生日
/ /

「手塚、九州やて?」
手塚が療養のために九州へ向かったことは、人づてに聞いた。
「ああ、そうみたいだな」
跡部はそう返すしかできず、ふいと顔を背ける。
「見舞い、行かへんの」
忖度も何もなく無遠慮にそう訊ねてくるのは忍足で、ある程度予測のできたものだった。
「九州までか?」
「跡部なら金の心配はあらへんやろ。自家用ジェットでも使たらすぐなんとちゃう?」
暗に行かないと答えたつもりなのに、懸念事項はないとばかりに続けてくる。
確かに金銭的な問題はない。ヘリでもジェットでもすぐに使える立場にはある。
生徒会やテニス部のことで時間がないと言っても、この男は「跡部がそんなつまらん言い訳するやなんてなあ」と言ってくるに違いない。そして実際、調整できないわけでもない。
「行って何するってんだ、テニスができるわけでもねえのに」
「よう言うわ。朝から晩まで気にしとるくせに。詫び入れたいんやないんか?」
「詫び、ねえ……」
手塚が療養に行ったのは、跡部との試合で痛めた肩の治療のためだ。
罪悪感は、ある。
弱点を攻めて潰しにかかったのは跡部なのだから。だが跡部にとって誤算だったのは、肩に負担がかかっていると理解しつつも手塚が退かなかったことだ。
なにも、本当に再起不能にしようとしたわけではない。選手生命にも関わる部分だ。およそすべてのプレイヤーが、その先を考えて棄権するか、攻め急いで墓穴を掘るかだと思っていた。今まで相手にしてきたどの選手もそうだった。
それなのにあの男は、肩の不調を抑え込んでまで持久戦を挑んできたのだ。
読み切れなかったことで、手塚の肩を破滅させた。
詫び、で済むのかどうか。
もし今後テニスができなくなったりしたら――どうすればいいのか。あれほどの選手を、自分が死なせてしまうのか。
九州には確か、青学大附属の病院があったはずだ。そこに罹っているのだろう。
これが跡部家の息がかかった施設なら最優先にしろと手を回すところだが、……と思いかけて、踏み留まる。
治療を必要としている人はなにも手塚だけではない。それこそ一生をふいにする怪我を負っている患者だっているだろう。それを押し退けて治療を優先させろなどとは、口が裂けても言えやしない。
「手塚がそんなもの受け入れるかどうか……」
口許に苦笑を浮かべて、忍足に答える。望まれるなら詫びでもこの先の生活補償でもするが、手塚はそれを受け入れないだろう。「必要ない」とにべもなく言ってのける姿が、目に浮かぶようだ。
「お前がそないに苦しそうな顔するんやったら、やっぱりあの時止めといたら良かったわ」
けど、とそこでいったん言葉を止める忍足を振り仰ぎ、そこに苦笑する友人を見つけた。
「なんやあの時は、止められへんかった。あないに必死にボール追う跡部やなんて、そうそう見られるもんとちゃうしなあ。手塚に関しての読み違いはあそこにおる全員がそうやったろうけど、跡部も大概やで。観たかったんや、宿敵同士のまたとない試合。止めへんで、堪忍な」
「……宿敵同士?」
跡部は目を丸くする。何の不思議もなく出てきたその単語が、ストンと自分の中に落ちてきて、じわりと体中に染みこんでいく。
「なんでそこで驚くん、自分。変なこと言うたか?」
「い、いや……そうじゃねえが、アイツが俺を宿敵として認識したように見えたってのか?」
確かに跡部は手塚をライバルとして意識していた。だがあの試合まで彼とはろくに言葉を交わしたこともなかったし、手塚が他人をそう意識しているようには見えなかったのだ。
「俺のことはあくまで敵対校の部長だとしか思っていなかったはずだぜ」
「そないなどーでもいい相手とあないにアツい試合繰り広げるんかいな」
「……手塚だからだろ」
「分からんなら、本人に訊いたらええんとちゃう?」
「連絡先を知ってると思うか?」
「せやから見舞い行って直接訊け言うてんねん。自分やったら、宿敵に見舞い来られたら嬉し……いや、ちゃうな、跡部の場合は。発破かけにきたんかってテンション上がって、それまで以上にリハビリ頑張んのやろな」
忍足は、どうしても跡部を見舞いに行かせたいらしい。
一度くらいは顔を出すべきだと思うが、それでテンションが上がる手塚など想像もできない。本当に宿敵と思ってくれているなら悪くない気分だが、当の手塚はそれどころではないだろう。
「男らしゅうないで、跡部」
「アーン?」
「あの試合からずっと手塚のこと考えとるくせに」
男らしくないとは聞き捨てならねぇなと煽るようにすごんでみたが、次に忍足が発した言葉に瞠目し、息を呑んだ。
ずっと手塚のことを考えている――それは、事実だ。その事実に今気がつかされただけで。
「…………それは、仕方ねえだろ」
肩の怪我は。治療はどのくらい進んでいるのか。今も痛むのか。次の試合には間に合うわけがない。青学はどうしているんだ。この先テニスはできるのか。
日がな一日、考えるのはそんなことばかりだ。
手塚がどう思っていようと、跡部が怪我のきっかけを作り一因になったのは間違いない。その跡部が手塚のことを心配するのは、なんらおかしなことではないはずだ。
「気にかかることがあるのに、行動に移さんてのは男らしゅうないて言うてるやん。毎日そないに眉間にしわ寄せられてたら敵わんで」
「眉間にしわだと?」
「自覚しとらんのか、跡部。部室になんか来とらんと、はよ見舞いに行きや」
言いながら自身の眉間を揉む忍足に、跡部の眉根が寄る。それに気がついて舌を打ち、顔を背けた。
手塚のことを考えている時、いい気分でないのは仕方がないにしても、周りに悟らせたどころか気を遣わせていることを不甲斐なく思った。
跡部はふうーと盛大にあからさまなため息をつき、ジャケットを脱いでネクタイを緩め、着替えを始めた。それを見て、忍足の方こそあからさまにため息を吐いた。
「ジャージで行ったかて、手塚とテニスはできんで」
「自主トレだ、バァカ。これ以上てめぇのたわごとなんざ聞いていられるか」
制服の替わりにバサリとジャージの上着を羽織って、跡部は更衣室を後にしようとする。ドアを開ける直前、口許に笑みを浮かべて振り向いた。
「気を遣わせてすまねえな、忍足。今この瞬間からは、そんな気遣いは捨てな」
体を翻したこの瞬間からは、もう周りに心配をかけるようなことはないと暗に含み、足を前へと踏み出す。それは氷帝のキングとしての一歩だ。
キングの背に、忍足のため息は届かなかっただろう。
「あの日で氷帝の夏は終わったのに、お前の夏はあの日に始まってもうたんやな、跡部。なんちゅう皮肉や」
そんな呟きさえも。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー