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EGOIST
「ギノ、これ」
狡噛はそう言って、宜野座の前に小さな包みを差し出してみせた。包装紙とリボンでラッピングされたそれは、彼への誕生日プレゼント。
今日は宜野座の誕生日。恋人である狡噛としては、外せない重大イベントだ。書類片づけてからでいいから部屋に来てくれと言ったら宜野座は不思議そうな顔をしていたが、もしかして忘れていたのだろうかと思ってしまう。
「……ギノ?」
しかし差し出したにもかかわらず、宜野座は受け取ってくれない。じっとその包みを眺めたまま、指先一本さえ動かそうとしなかった。
さすがに不審に思って首を傾げ促すと、宜野座はハッとして狡噛へと視線をやり、そして俯いてしまった。
「………………覚えていると思わなかった」
「は? なんでだ、毎年祝ってただろう」
小さく呟かれた言葉に、狡噛は目を見張る。学生時代に出逢って、友人から恋人になって、ずっと一緒に過ごしてきている。豪華なパーティーなど開けないが、一緒に食事をして何かしら贈り、一夜を共にするなんてこと、何度もしてきたのに。
さらに言えば今年、狡噛の誕生日を祝ってくれたのに。
正直、今年は無理かと思っていた。何しろ例の事件でサイコパスを後戻りできないほどに悪化させ、潜在犯になってしまったのだから。
執行官として刑事課に戻ってはきたが、以前のように宜野座と肩を並べて捜査の指揮を執ることはなくなった。当然住む環境も変わり、監視官の同行なしでは外も出歩けない。
何より、宜野座は潜在犯を嫌っている。社会のクズだとまで思っている。そんな存在になってしまったのに、生まれた日を例年通り祝ってくれたのだ。
そんな彼の誕生日を忘れるはずがないのに。
「俺はお前が考えているより、お前に惚れてるんだがな、ギノ」
同じ位置で肩を並べることも、肩を支えることもできなくなってしまったが、気持ちだけは変わらない。
「潜在犯からのものなんか、もう受け取れないか?」
宜野座の方の気持ちが変わってしまったのなら、それは仕方のないことだ。それだけの仕打ちをしてきた。潜在犯に落ちた部下を哀れんで祝ってやることはできても、祝われる理由なんてない、ということだろうか。
「……受け取らないと、だめか」
「…………受け取りたくないってことか? お前を諦めるのにはかなり時間がかかるんだが」
むしろ諦めるのは無理かもしれないとさえ思う。恋人として触れ合えなくなっても、上司と部下として接していかなければならない。逢えなくなるのならまだしも、そんな近距離で諦めなどつくものか。
「諦める? それ……恋人じゃなくなるってことか。狡噛がそうしたいのなら」
「いやいやそうしたがってんのはお前だろうが」
「え? いや別に」
わけが分からないとふたりそろって首を傾げる。だが宜野座が終結を望んでいるわけではないと知って、ホッとした。
「じゃあ、これ受け取ってくれてもいいだろ。なんで嫌なんだ?」
「い、嫌なんじゃない、それ……ら、来年じゃダメかと思っただけだ」
「来年?」
寂しそうに顔を歪め俯く宜野座に訊ねてみて、狡噛は答えを聞く前にああそういうことかと悟る。
「心配しなくても、来年も祝ってやるから」
監視官だった時とは違う。何かを約束してやれる立場にはない。命の危険と、サイコパス悪化の懸念。もしかしたら明日にでもいなくなってしまうかもしれないという、宜野座の怯え。
来年も一緒にいてほしい。そう言外に告げてくる宜野座に、なんの根拠もない未来を約束する。
「潜在犯の言うことなんか、信用できるわけないだろ」
信用できないと言いつつ、精一杯想いを注いでくれる宜野座を、来年も祝いたい。ずっと傍で、潜在犯なんかと言われながらも祝いたい。
「……お前がそこまで心配するなら、これは来年お前にやる。渡すために、ちゃんとここにいる」
狡噛はようやく納得した上でプレゼントを持った手を引っ込めて、テーブルの上に置いた。食べ物にしなくてよかったと今さら思う。来年の分も再来年ほしいと言い出すのだろうなと考えると、腐らないものにしないとなと一年先のことを思うのだ。
「しかし恋人の誕生日に何もないってのはちょっとな」
そう言ってちらりと宜野座を見やる。せめて何か普段と違うことでもしてやりたい。
「ギノ、今日は抱いてもいいか?」
「え、あ、ああ……? うわっ」
確認して、狡噛は不審そうな声を上げた宜野座をよいしょと抱き上げてみる。軽いとは言わないが、もう少し肉を付けた方がいいのではないかと感じた。
「下ろせ馬鹿!」
「こら暴れるな、落っこちるだろうが。今日はいつもと違うことしてやろうってんだから、おとなしくしおけよ」
「なにする気だ、おいッ」
そうして宜野座の抗議は聞かないまま、珍しく寝室へと足を運ぶのだった。
だがそれも長くは続かない。28の誕生日を迎えた頃は本当にめまぐるしくて、誕生日を祝う余裕などなかった。それでも狡噛はその一年前に買ったものを渡してくれて、来年もまた、とキスだけくれた。
しかし狡噛は公安局から抜け出し、宜野座は潜在犯に落ちて執行官になり、「来年」の誕生日を一緒に祝うことはなくなった。
狡噛の部屋を整理するときに、明らかに誰かへのプレゼントと見られるものがあったのは、おそらく29歳の誕生日に渡すつもりだったものだろう。
宜野座はこれで本当に途切れてしまうなと口の端を苦笑で上げながら、最後になるだろうプレゼントを受け取ったのだ。
そして宜野座の手元には、28歳の狡噛が買った29歳の宜野座へのプレゼントと、宜野座が買った狡噛への渡せないプレゼントが残る。
たぶんもう逢うこともないのだろうと、日々を過ごして日付が変わる今日、無事に30歳を迎えた。
フィルルルル。
執行官用のデバイスが音を奏でる。何か事件かと、宜野座は自室のソファで応答のモニターを立ち上げた。
【誕生日おめでとう】
モニターに打ち込まれていく単語に、目を見張る。リアルタイムで現れ、そして消えていくそれは、宜野座だけへの【誰か】からのメッセージ。
【玄関入って左へ3歩、下から1メートル、キーワードはEGOIST】
表示された傍から消えてしまう。宜野座はソファから腰を上げ、部屋のドアへ向かった。
「入って、3歩……下から1メートル」
そのメッセージの表した箇所に、小さな穴がある。爪で引っかければ、手前に引っ張れる切り込みが見えた。こんなものあっただろうかと思うより早く、爪の先を差し込んでいた。
10センチ四方ほどの板が剥がれる。その奥の小さな空間に、ちょこんと何かが置かれていた。しかしそれを手にするには、手前の防壁が邪魔だ。小さなモニターが付いており、そこにパスワードを入力しなければ取り出せない仕組みのようだった。
「パスワード……」
先ほど表示されたメッセージには、キーワードはEGOISTとあった。だがそのものズバリのわけはなくて、宜野座は思案する。
すぐに浮かぶのは香水だが、連想できるものがない。ファッションブランドでもなさそうだし、あとはーー。
「そういえば……あれもEGOISTだったか……」
数年前から一部マニアに熱狂的支持を得ているシビュラ公認アーティストがいた。生身の体を持っていながら、表に出るのはCGで描かれた少女。
確か常守たちが可愛いんですよと言っていたそれも、EGOIST。
宜野座はもしやと思って、彼女のリリースした曲を検索してみた。
ふと目に止まったものであればいい、と小さなタッチパネルに文字を入力した。
All alone with you と。
ピ、と電子音がしてロックが外れる。こんな手の込んだことをする人物は一人しか思い当たらない。どうやって仕込んだのか、いつ仕込んだのか、そんなことは分からない。
ただ事実として今、宜野座の手の中に30歳の宜野座への誕生日プレゼントがある。
デバイスへのメッセージはとっくに途切れていたが、ゆっくりと開いた箱の裏、綺麗な手書きの文字が綴られていた。
【来年、右手にはめてやる】
箱の中に、コロンとひとつ、指輪だけが入っている。
せめて指輪用の箱に入れろと思ったが、あの男にそんな気の利いたことができるわけもなかったかと、呆れ気味に笑った。
来年逢うまで大事に取っておこうと大切そうに握りしめる。そして逢えたら、渡せなかった彼へのプレゼントも押しつけてやろう。
また、来年――今度はふたりで。
#両想い #執×監 #逃×執 #誕生日
そこに、一緒に。
2期3話のバレが若干ありますので未視聴の方はご注意ください。
手のひらが、肩を滑り腕を撫でていく。どれだけかぶりの感触に、宜野座は切なく吐息した。
ボタンを外される感覚さえ新鮮で嬉しくて、相手の手に自分の右手を重ねてみたりさえする。下まで一緒にボタンを外したシャツの奥に素肌を認め、相手の男は瞬きをしてじっと眺めた。
「……どうした? 狡噛」
「いや……さっきからずっと思っていたんだが……綺麗な体つきになったな、ギノ」
狡噛、とその男を目の前にして名を呼ぶのも久しぶりなら、ギノ、と呼ばれるのも久しぶり。宜野座はその賞賛を素直に受け取って、ふっと笑った。
「お前ほどとはいかないが、鍛えているからな。別にお前に見せるためでもないが、そうなってくれないと困る」
「監視官だったころもやってたろ。ランニングとか」
たしなむ程度だと宜野座は自らベッドに横たわり、懐かしい時代を思い出す。懐かしく思うような月日が、経ってしまっていた。
「お前がいなくなって、親父がいなくなって、俺は潜在犯になった。執行官の適正が出たのは驚きだったな」
「……俺もお前が執行官になるとは思わなかったが、優秀な監視官だったんだ、適正くらい出るだろ。むしろ一般から入れるより教育が楽だ」
「監視官と執行官は、生きる世界が違うだろう。監視官として社会の秩序を維持することと、執行官として社会の秩序を維持するのは、まったく別の方法だ」
まあそうだなと狡噛はベッドに腰をかけ、宜野座の髪を撫でる。
以前は長かった前髪も切ってしまい眼鏡さえかけなくなった宜野座の変化に、戸惑わなかったわけではない。別人のようだとさえ思った。
「それでも、施設で腐っているよりは……多少の危険があっても生きている実感ができるかと思った。正直、死にたいと思ったこともあったんだぞ」
「ギノ」
そんなことを言うなと責めてみれば、宜野座はそれも笑ってかわす。
「怒るなよ、今はバカなこと考えたもんだって思ってる。親父が……身を挺して生かしてくれた命なんだ、粗末にはできない」
征陸の、最期だっただろう姿を狡噛も覚えている。息絶え絶えに横たわった老齢の刑事と、すがるような目を無意識に向けてきた、監視官だった頃の宜野座。
別れを告げることはできなかった。手をさしのべることはできなかった。今でも唯一後悔をしていることだった。
「それに、施設の外にいた方が…………お前に逢える確率が高いかと思ったんだ」
そう言って宜野座は狡噛に手を伸ばす。触れたがった手を取って、狡噛はその手のひらに口唇を押し当てた。
「ギノ……」
吐息のように名前を呼んで、また出逢えたことに感謝をする。
逢いたかった。
身勝手だけれど、逢いたかった。
「逢えたらいろんな話しをしたかった。お前まで潜在犯に堕ちたのかって怒られながら笑い合って、少し事件のことでも話して、一緒に酒でも飲んで、じゃあまた、って気軽に別れてみたかったんだ」
宜野座が、狡噛の心を読んだかのように口にする。宜野座自身の思いでもあるのなら、お互いに同じことを考えていたのだと、ひどく懐かしい気分になった。出逢った頃は、おそらくこんな風に何も考えずに過ごしていたはずだ。
「ギノ」
宜野座の手を握る手にぎゅっと力を込めて、自分も同じことを望んでいたと伝えてみる。それが明確に伝わったかどうかは分からないが、宜野座が諦めに似た表情で笑ってくれた。
「でも、駄目だな。それをひとつもしないうちに、お前に触れたい思いがあふれてしまった」
ざわりとせり上がってくる、快感に似た歓喜。
変わったようで、変わっていない。狡噛はそう思う。いつだって宜野座はたった一言で狡噛を昇天させてしまうのだ。
「触れてもいいのか」
「ここまでしておいて途中で止めるなんて言うなよ。そういうのは好みじゃない」
笑って茶化してみせているけれど、触れた手がわずかに震えている。狡噛はもう一度強く握り、そして指を絡めた。
「次はいつ言えるか分からない。ギノ、俺もお前に逢いたくてしょうがなかった」
言って、宜野座に体をかぶせる。重なった口唇を舐めて、目を閉じた。
吐息が重なる。汗が混じる。肌がぶつかって、爪が食い込んだ。
何度も行き来する体を抱きしめて、キスをせがんでみせる。応えて降ってくるキスはこんな状態なのになぜか幼く感じられて、幸福だった。
狡噛は宜野座の腰をしっかりと抱え、改めて引き締まった肉体を実感して楽しむ。自身が監視官だった頃も、執行官だった頃も、こんなに綺麗な筋はついていなかった。
この数年いろいろなことがあったのだろう。それは狡噛も同じだ。月日が相手を変え、自身を変えたが、想う気持ちは変わっていない。
むしろ、よりいっそう大きくなっている気がした。
指先で筋をたどり、胸の突起を弾き、宜野座の左腕を撫でる。父親が使っていたのと同じタイプの義手を使いこなす宜野座を、傍で見ていたかったなと思う気持ちと、顔なんか合わせられないと悔やむ気持ちがない交ぜになった。
義手を撫でられても感じたりしないと初めは言っていた宜野座だが、狡噛が触れるたび反応しているように見える。
それは雰囲気の問題なのか、やはりどこかの神経に伝わっているのか、それとももっと色っぽく考えて、狡噛だから触れていることが分かるのか。
狡噛は何度もそこにキスをして、逢えなかった時間を埋める。宜野座はそんな狡噛の頭を撫でて、逢いたかった時間を伝える。
言いたいことがたくさんあったはずなのに、今は触れ合うだけで精一杯だった。
何度達したか分からないほどつながって、時刻さえ分からなくなった頃、ふたりで並んでベッドに寝ころぶ。
高ぶった気持ちをキスで慰めて、さすがにもう体力がもたないとふたりで笑った。
「本当に綺麗になったな、ギノ。雰囲気もそうなんだが……すっきりした顔とか、あとはやっぱりこの体、前よりしなやかになった気がする」
「こらくすぐったいだろ、触るな」
「気持ちいい体してるお前が悪いんだよ」
「どんな理屈だ。だが、まだお前のようにはならないな……もともとの素質が違うのはしょうがないんだが」
わき腹を撫でてくる狡噛を諫めながら、宜野座も狡噛の胸筋を撫でる。この胸に抱かれているのかと思うと気恥ずかしくてイラついて、やっぱり幸福だ。
「ああそうだ……お前が置いていったトレーニングマシン、もらったからな」
事後報告だが構わないだろうと視線を合わせる。執行官は思っていたより重労働で、守るべき相手ーー監視官という上司ができた以上、体力はどれだけあっても困らない。
無理のない肉体づくりをと思うと、狡噛は恰好の手本だった。
「俺のって……許可出たのか? 俺のものなんか、全部処分されるだろうと思っていたのに」
「頼んだんだ。体を鍛えたいからって。また購入申請出すのも面倒だしな」
おかげで毎日トレーニングだよと宜野座は笑う。残しておきたがって不思議のないものを選んだつもりだったが、たぶん常守には気づかれているだろう。
「そうか……俺のものをギノが使ってくれているからかな、離れていてもあそこにいるような気がしたのは」
「気色悪いことを言うな。何か変なものでも仕込んでるんじゃないだろうな」
「仕込んでおけばよかったな」
狡噛は、笑いながら嬉しいと続ける。離れてしまった古巣に、自分のものが残っているということは、そこで生きた証になる。それをいちばん大事な相手が証明してくれることを、とても嬉しく思ったのだ。
「お前のものっていうなら、マシン以外にもあるだろ」
「まだ何かあるのか? あの事件の資料は処分されただろうし、家具……煙草……」
心当たりを挙げて呟く狡噛の隣で、宜野座は少し体を起こす。鎖がなくなって自由にのびのび生きてきた恋人は、あの頃よりさらに鋭くなっているようで少しも変わっていないようだ。
考え込む狡噛の口唇を、上から覆う。驚いたように瞬かれる目蓋を、おかしそうに見下ろした。
「俺が――いるだろ」
狡噛があそこで過ごしていた、生きた証拠だ。狡噛は手を伸ばし宜野座の頬に触れる。
「俺のものか。そうだな、あそこには、お前がいる」
離れていても一緒にいるような感覚は、きっと気のせいではなかったのだ。
一緒に、そこにいる。
もっと強く感じるために、ふたりはもう一度深く深くつながり合った。
畳む
#両想い #逃×執 #ネタバレ
12%
ある秋の始めの一日だった。
狡噛は爪の先でデスクをカツカツ叩き、どうするかなと心の中で唱える。
重要で重大な分岐点だ、間違った判断をするわけにはいかない。
いや、たとえ失敗してもこの世が終わるわけでなし、今必要なのはきっかけとタイミングのような気がする。
今追いかけている事件のことではない。
メンタルケアのサプリを大量に盗んでいった犯人は今逃走のルートを確認している最中だし、他にやっかいな事件はない。
広域重要指定事件一〇二のことでもない。
確かにあれは狡噛の一生涯をかけてでも解決したいものだったが、それとは別のベクトルで大事なことがあった。
狡噛の視線が、ちらりとそちらへ向く。その対象は、相変わらず様式を成していない縢の報告書を見て項垂れていた。
視線の対象は、宜野座伸元。厚生省公安局刑事課一係監視官だ。
彼との間柄は、少し複雑なものになる。
出逢ったのは学生時代で、親友と呼んで良かった。一緒に公安局のキャリア研修所に進んで、無事に監視官となり、同僚として過ごしてきた。だけど今は上司と部下だ。
――――なんでアイツなんだかな……。
狡噛は視線を正面に戻し、はあー、とため息を吐いてしまう。
――――いや、違うな。なんでアイツに惚れてることに今さら気づいたんだか、だ。
意味もなくキーボードを叩き、単語にさえならない文字がモニターに打ち込まれるのを、ぼんやりと眺めた。
狡噛慎也は宜野座伸元に恋をしている。
気づいたのはほんの数日前だ。
日々の過酷な職務で疲弊したのか、休憩スペースのベンチでうとうとしている彼を見つけ、そっとしておこうか起こしてやろうかと悩んで、眠っているところなんて誰かに見られたくないだろうなとそっと隣に腰をかけ、自分こそが至近距離で寝顔を眺めていたあの日。
髪をかき分けて、こめかみに口づけてしまった。
そうしてから、自分がなにをしたのか分からずすぐさま立ち上がったけれど、その振動で宜野座は目を開けてしまい、気づかれたかと思った。
目を開けた宜野座は、まだしっかりと覚醒していたわけでもなさそうなのにもかかわらず、「狡噛?」と名を呼んできたのだ。
どうやら気づかれたわけではなさそうだと思うと同時に、せり上がってきた【何か】。
取り繕って、こんなところで居眠りするなんて珍しいなと揶揄ってやったら、宜野座の方こそ取り繕った態度で寝てない目を閉じてただけだと言い訳をした。
目を閉じていただけなら、狡噛の気配には気づいたはずなのに。ただでさえ他人の気配に敏感な彼が、気づかないはずがない。
傍にいても、それが自然だと思ってくれているのかと自分に都合よく解釈し、せり上がってきた何かの正体に気がついたのだ。
それが恋と呼ぶシロモノだということに。
だがそれが恋だと気づいても、言えるわけがないと顔を背ける。
あんなに一緒だったのに、今さら恋しているなんて言えやしない。ましてや、狡噛は彼の嫌悪する潜在犯になってしまっている。
叶うはずがないなと――諦めた。
はずだったのに、気づいてしまった恋心はどんどん大きくなるばかりだ。視界に入ればずっと見つめていたいし、声だって用もないのにかけたくなる。
そもそも見ていて飽きない容姿をしているアイツが悪いなどと責任転嫁し始める頃にはもう、諦めることを諦めていた。
言うべきか、言わざるべきか。
問題はそこだ。最近は宜野座が不審そうにこちらを見ていることもあって、そろそろ何らかのアクションを起こさねば先手を打たれてしまう。
何でもないと言った方がいいのか、好きだと打ち明けてしまった方がいいのか。
それを考えてため息ばかりを吐いてしまう。
「コウ、最近ため息が多いな。どうした?」
挙げ句の果てに隣のデスクの征陸にまで言われてしまって、苦虫を噛みつぶした。まさかアンタの息子に惚れちまったと言うわけにもいかず、狡噛はちょっとな、と言葉を濁す。
どうしたもんか、とまたため息を吐いたら、不意に視線を感じた。
その視線の元を振り向いてみると、一瞬だけ責めるような不安そうな目をした――宜野座と視線が触れ合う。
気がついた宜野座が慌てて逸らしてしまったおかげですぐに途切れてしまたったけれど、狡噛の胸を高鳴らせて締め付けるには充分だった。
もしかしたら彼も、狡噛のため息が多いことに気がついていて、心配してくれているのだろうかと思ってしまったら、もう止まらなかった。
――――ギノ。
あふれてしまう。
気にかけてくれていることがこんなにも嬉しいなんて、自分は思ったより単純な生き物だったんだなと、狡噛はひとり苦笑した。
狡噛はそのまま席を立ち、宜野座のデスクへと向かう。彼はその気配に気づいているだろうに、声をかけるまであからさまなほど無視してくれている。
叶わなくてもいい。
「ギノ」
「……なんだ」
「話しがあるんだが、時間をくれないか、今日」
叶わなくていい、言ってしまいたい。
告げたあと自分の気持ちがどうなるのか知りたい。宜野座がどんな反応をするのか見たい。
狡噛の真剣な眼差しと声に一度だけ視線をくれて、宜野座は口を開く。
「ここでは話せないものなのか?」
「……話せないことはないが、できればお前だけに聞いてほしい」
テラスへ行くか休憩スペースか、さすがに廊下じゃ無理か、と狡噛が思案していると、宜野座はちらりとモニターの時計を見やり、分かったと呟いた。
「仕事が終わってからでいいな? 勤務中に貴様に割いてやる時間などない」
「あ、ああ……それでいい、すまんな」
宜野座はそれ以上なにも言わずにモニターとにらめっこしながらキーボードを叩く。狡噛はぱちぱちと目を瞬いて、デスクに戻ってから緩んでしまう口許を隠すように煙草を取り出しくわえる動作で口を覆い隠した。
分かって言っているのだろか、彼は。
仕事が終わったあとということはプライベートな時間であって、仕事中に割いてくれない時間をそこで割いてくれるということなんだが、と宜野座の不器用な優しさに鼓動が速くなる。
こんな些細なことで浮かれてしまうなんて、人生何が起こるか分かったもんじゃない。狡噛は普段後回しにしてしまう報告書を早々に片づけて、仕事のあとの逢瀬に備えた。
「コーヒーでいいか? と言っても、あとは水くらいしかないがな」
「あ、ああ……コーヒーで」
仕事が終わったあと、宜野座を伴って官舎に帰ってきた狡噛は、宜野座にソファを勧めキッチンに立つ。自分以外のために煎れるコーヒーは、熱すぎないよう気を遣った。
宜野座はソファに腰をかけてくれたが、どうしてか緊張しているように見える。もしかして、気づかれているのだろうか? と狡噛は横目で彼を見やった。
正直、宜野座は恋愛方面に疎いところがある。学生時代や監視官に成り立ての頃にアプローチをかけてきていた女性たちに気づきもしなかったのだ。
その彼が、この気持ちに気づくだろうかと考えた時、否定と同じくらいの強さで自分のことだからだろうかと自惚れる。
かつて相棒と呼び合った仲だ、全然知らない相手とでは比べるべくもない。
まあどうせ言ってしまうのだし気づかれていても支障はないなと、コーヒーカップを二つ手に宜野座の元へ歩んだ。
「ミルクと砂糖入れておいたけど、よかったか」
「……ああ」
宜野座の前にカップを置き、狡噛は彼の右手のソファに腰をかける。どう切り出したものかと、思考をまとめるためにコーヒーを一口、含んだ。
「そ、それで……話しというのは」
「ん? ん、ああ……それなんだがな」
宜野座の拳が膝の上でぎゅっと握られている。眉間のシワが増えている。
この気持ちに気づいていてこの態度なら、やはり望みはないなと、狡噛は逆に落ち着いてしまった。
「今さら何をと思うかもしれんが、どうも俺はギノに惚れてるらしくてな」
カップをテーブルに置き、膝の上で手を組んで、宜野座の方に顔だけ向けて、告げた。苦笑まじりになってしまったのは、望みが薄いと分かったからだろうか。
宜野座の反応はというと、俯き加減で拳を握ったまま体を硬直させている。
そんなに驚いたのだろうかと思った一秒あと、
「なんだ、そんなことか……」
はあーと大きく息を吐いて、宜野座は糸が切れたように力を抜いてうなだれた。
「……そんなこと?」
決死の覚悟とまではいかないが、それなりに重要で重大な気持ちのつもりだった。それは宜野座にとって【そんなこと】ですませてしまえるものなのかと気分が沈む。
「お前が深刻そうな顔してるから、俺はてっきり何か重い病気にかかったとか、サイコパスが著しく悪化したとか、そういうことだと思っ……なんだと?」
宜野座は垂れた頭を支えるために額を押さえて、危惧していた可能性を吐き出す。
だがそういう深刻なことではないと分かって、安堵したらしい。
執行官を監視し管理する立場として、そういった変化には対処しなければいけないが、人材が不足している中でいったいどうするべきかと考えていたのだろう。
そうした安堵のあと、改めて狡噛の言葉を認識したのか、ゆらりと顔を上げて振り向いてきた。
「貴様……今なんて言った」
「なんだ、認識してなかっただけか。そんなことって言われたから、本当に駄目なんだと思ったんだが」
宜野座が認識していなかったことに、狡噛の方こそ安堵した。そんなこと扱いされたことに思ったより落ち込んでいたらしい。
「どっ、どういうことだ狡噛」
「どういうことだってお前」
宜野座が驚愕と不信さを混じらせた瞳で見てくる。狡噛は腰を上げ、宜野座が反射的に腰を浮かせる寸前で彼の両側に手をついた。
「それはもう一度聞きたいってことでいいんだな? ギノ」
そうやって少し上からの視線で宜野座を見下ろす。接近してみて初めて、彼の頬がほんのり染まっていることに気がついた。
「よ、良くない、退け!」
「お前に惚れてる、ギノ」
狡噛は再度、今度は宜野座を正面にして告げる。見る見るうちに彼の顔が染まっていくのが、とても嬉しかった。
「ふ、ふざけたことを抜かすなっ」
「別にふざけてなんかないぞ。本気だ。恋人にだってなりたいし、許可が出るならこのままキスだってしたい」
「キッ…………出すかそんな許可! いいから退け! そんな話しならもう帰る!」
力任せに押しやられ、ソファについた手が離れてしまう。だけどここで逃すわけにはいかない。【そんなこと】から【ふざけたこと】に変わったのは進歩なのかどうか。
「おい待てよギノ」
立ち上がって出口へと向かいかける宜野座の手首を掴んで引き留める。せめてこの気持ちを否定しないでほしいと思うのに、宜野座は振り向いてもくれなかった。
「俺の気持ちは迷惑でしかないのか」
「迷惑だ。今さら……そんなことを言われても、応えられるわけないだろう」
「かけらも、可能性はないのか? この先ずっと……元相棒、でしかいられないのか」
最初にその絆を断ちきってしまった自分が言えることではないのだが、と狡噛は心で思う。しかし、そんな身勝手を通してでも宜野座に分かってほしい。
「可能性があると思っているのか」
「あればいいと思っている」
「勝手な男だな。お前が本気らしいことは分かったから、もう離せ。帰る」
宜野座の冷たい声が突き刺さる。狡噛は、仕方なく掴んでいた手首を解放した。
想いを理解はしてくれたようだが、迷惑だ身勝手だと言われてしまっては、もともとなかった望みも空気のように消えていく。
「……すまん。来てくれて礼を言う」
恋が叶わないからといって、生きていけないわけではない。
やるべきことがあるのだし、落ち込んでいる暇などないと思っているのに、考えていたよりずっと心が沈んでしまうものなのだなと、狡噛は宜野座の座っていたソファにドサリと腰を下ろした。
「ギノ、身勝手ついでに言うが、今フラレたからといって簡単に諦められるものでもないんだ。いつか自然に忘れるまで、好きでいさせてほしい」
一度知ってしまった想いは、なかったことにはできない。そんな日がくるかは分からないが、ただの上司として見られる時まではこのままいさせてほしい。
「狡噛」
少しの沈黙のあと、宜野座の声が耳に届く。狡噛は顔を上げ、視線の先にようやっと振り向いた宜野座を確認した。
「迷惑だとは言ったが、可能性がないとは言ってない」
眉間にシワを寄せて、染まった頬を自覚してかしないでか眼鏡を押し上げながら、不遜な口調で彼は呟く。
狡噛は宜野座を見上げぽかんと口を開けたが、すぐさま立ち上がり、目線を同じ高さにした。窺うように指先を絡ませ引き留めて、訊ねる。
「あるんだな、可能性。それは、口説いてもいいということか?」
「かっ、可能性がないわけじゃないというだけで、俺が貴様に惚れるかどうかは別っ……」
「どれくらいあるんだ」
可能性がゼロでないなら、叶うのかもしれない。狡噛はこの機会を逃すものかと、詰め寄った。宜野座はその勢いに負けてか、視線を泳がせて呟く。
「じゅ、十二パーセントくらいだ」
「お前日付で適当に言ってるだろギノ」
今日は十月十二日、おそらく狡噛の指摘は当たっている。現に宜野座の頬が赤さを増した。
「ギノ」
染まったその頬に手を添えて、狡噛は宜野座の口唇に自分のものを重ねた。
衝動的なものだったが、触れた時間は三秒くらい。
「な……っ」
口唇を離せば当然目を見開いた宜野座がいて、だが狡噛はしまったと後悔するより口唇の感触に酔う方が重要だった。
「何してる貴様!」
「何って……口説こうと思って」
「貴様は口説くのとキスがイコールなのか!? ふざけるな、前言撤回だ!」
染まる肌の範囲が広がって、耳まで赤くなる。狡噛の体を突き飛ばし宜野座は叫んだ。
なるほど本命相手には捜査みたいにぽんぽんと言葉が出てこないのだ、と狡噛はここで初めて気がつく。知らなかった自分の一面だ。
「あー、すまん自分から口説いたことがなくて勝手が分からん。あとお前の口唇気持ちいいな」
「しっ、知るか勝手に言ってろ! あと職務にそういうのを持ち込んだらドミネーターで撃ち抜いてやるからそのつもりでいるんだな!」
「あ、おいギノ」
まったく悪びれもせずのたまう狡噛に、宜野座は声を張り上げ、そのまま体を翻す。呼び止めた狡噛の声もわざと聞こえないふりをして、部屋を出ていった。
「さてどうやって口説けばいいんだろうな……」
可能性がないわけではないなんて期待するようなことを言われたら、試さずにはいられない。どんな攻め手が有効なのか分かりやしないが、そうやって悩む恋もいいだろう。
もう一度あの口唇に触れたいと狡噛が自分の口唇をなぞった頃、玄関のドアの向こうで宜野座はあまりの衝撃に混乱し赤い顔のままうずくまっていたという。
アンソロに寄稿したもの
#執×監 #両片想い #ウェブ再録
あめのひに
パタパタ、というよりは、ガツガツ、だった。
土砂降りの雨は、窓ガラスを容赦なく叩き水滴を作っていく。水滴は近くにできた水滴とぶつかって大きくなり億も差が加わって、ガラスを滑り落ちていく。落ちた先で同じように落ちた水と交わって、法則に従って低い方へと流れていくのだ。
狡噛は、他人の家の窓からそれをぼんやりと眺めていた。
「狡噛、コーヒー煎れたから」
「ん? ああ、すまない、良かったのにそんなの」
煎れてくれた相手は、この部屋の持ち主である宜野座伸元。狡噛の想い人である。
狡噛は窓際からソファへと移動し、腰を下ろした。もう見慣れてしまったマグカップに、湯気の立つ熱いコーヒー。好みの温度だ。
飲む前にそれが分かってしまい、狡噛は苦笑する。こういう何気ない自然さが、まずいんだよなあと。
「それで……どうしたんだ狡噛。何かあったんだろう? 単に雨宿り目的なら、カフェだって良かったのに、俺のとこ来たいなんて」
「だってお前んとこならコーヒーただで出てくるだろ」
「狡噛。……ごまかすな、金取るぞ」
「……すまん、いや、大したことじゃないんだがな……」
やっぱり気づかれていたらしい。狡噛が何かに悩んでいることは。それもそうだ、あれだけ近くにいては相手の変化に気づかざるを得ない。逆の立場でも、すぐに気づくだろう。
しかし大したことはないと言ったものの、狡噛にとっては重大なことだった。
「事件のことか?」
「いや、俺個人の問題だな」
宜野座への想いに気がついたのは少し前だ。
親友だった。学生時代に出逢ってこれまで、なんの疑いもなくこの関係が続いていくのだと思っていた。
気づいてしまったこの感情は間違いなく恋と呼ぶシロモノで、どんどん大きく育っていっている。止めることができないのだ、どうしても。
気づいた時点が終わりの始まりだったのだ。
今さら友情に戻せと言われても無理だ、視線はどうしてもそういう意味で宜野座を追ってしまう。
これが恋だと知ってから、三日ほど悩んだ。こんな想いを抱えていることを知ったら、宜野座はどう思うだろうか。同じ思いを抱えているとは思えないから、すぐに叶うことはないはずだ。最悪の場合、縁を切られてしまうかもしれない。
言わない方がいいと判断した。
「この間は、ただの寝不足だって言ってたのに。やっぱり悩んでたんじゃないか」
「まだ覚えてんのか。怖いな」
この恋に気づいた日のやりとりを、宜野座はまだ覚えているのか。呆れるふりをして、心の内側で喜んだ。あんな些細なものを覚えていてくれたのかと。
「茶化してないで、いい加減はっきりしろ。俺のとこにきたってことは、何か力になれるんだろう?」
宜野座は、自分用に煎れたコーヒーに手もつけないで睨んでくる。宜野座の家に行きたいと言い出したのは狡噛の方で、宜野座はそれを相談ごとがあると解釈したようだ。
狡噛にしてみれば、どこかゆっくりできるところでふたりっきりでいたいというだけだったのだが。
いやふたりっきりというには多少無理があるかもしれない。ふたりと、一匹だ。宜野座の手は、愛犬の背中を撫でている。癖もあるのだろうが、無意識に自身の緊張をほぐそうとしているのだろう。
「俺はその、こういうのは慣れていないから……いいアドバイスなんかしてやれんかもしれんが……」
育ってきた環境上、宜野座がそう言うのも無理はない。ずっと親しい友人なんかできなかったことだろう。つまり誰かの人生相談をうけたこともない。
狡噛が初めてのはずなのだ。
それでも、真剣に聞こうとしてくれている。できるだけ力になってくれようとしている。
言わない方がいいと思っていた。彼の信頼を裏切ることはできない、ごまかしてでもずっと親友のポジションでいた方がいいと思っていた。
だけどそれは間違っていると、今気づく。
宜野座の真剣な思いを受け流してごまかして、騙す方がよほど不誠実だ。
ふたりいたいというだけでここへ来てしまったけれど、思いがけない機会になった。
ざあざあと降りしきる雨は、きっときっかけをつくってくれたのだろう。
ひとつの滴が他の滴とぶつかって交わってやがてひとつの流れに行き着く、冷たくて優しい雨が。
「……好きなヤツができたんだ」
呟くと、宜野座は驚いた表情を隠しもせずに声を上げた。
「え……っ、お前に!? そ、んなの、一度も」
なかったのに、と宜野座が続け、狡噛は苦笑い。確かに他人を好きになったのはこれが初めてだ。学生時代に何人かと交際をしたことはあったが、どれも短期間で解消している。シビュラのご託宣と、相手の要望通りに。
「そうか……それで、その、うまく行きそうなのか? 俺も知ってる相手だろうか」
「いや、絶望的だよ。相手にはまだ言ってないが、どう考えても可能性低くてな」
シビュラの相性判定は? と訊ねてきた宜野座に、してないと首を振る。機械に決められるというのはどうも好みじゃない。
「お前がそういうの好きじゃないのは知ってるが、だったら言ってみるしかないだろう。お前の性格はどうあれ、公安局のエリートなんだぞ、顔だって悪いわけじゃないし、頭だっていい。交際を断られる理由が見つからん」
「性格はどうあれってお前な」
誉められているのか貶されているのかイマイチつかめない。恋人の条件としては申し分ないと言いたいのだろうが、条件だけで恋人にはなれない。心がほしい。ぶつかってもやがてはひとつになれるような、そんな想いが。
「お前冗談のセンス最悪だからな、自覚しろ。……だが、お前に好きだと言われて嬉しくないヤツなんか、いないと思う。言ってみたらどうだ?」
いや一人くらいはいるかもしれないだろう、と狡噛は心の中で考える。
たとえば、
「じゃあ、たとえばお前だったらどうだ? 俺から好きだって言われたら嬉しいのか?」
宜野座とか。
「まず熱を計るな。そんなわけないだろう、って」
宜野座は笑いながら顔を背ける。それにはどんな意味があったのか、狡噛には分からない。諦めの強いため息を吐いて、そんな宜野座をまっすぐに見つめた。
「じゃあ、今すぐ体温計持ってきてくれ」
ガツガツと窓を叩く雨の音にかき消されないように、大きめの声でゆっくりと返す。
宜野座は、背けていた顔を振り向かせ、え? と声を上げた。
「俺が好きなのはお前だよ、ギノ」
あまり優しい気持ちで伝えることはできなかった。窓を叩く雨のように、荒れていたかもしれない――――。
#片想い #監×監 #お題
おわりのはじまり
「狡噛」
公安局を出る直前、背後から声をかけられた。狡噛はそれに振り向いて、少し複雑な思いを抱える。
「ギノ、お前も今帰りなのか。当直お疲れさん」
振り向いたそこには係違いの同僚が立っていて、さすがに疲れた顔をしていた。
「ああ、ちょうど報告書も提出が終わったしな」
彼を待った狡噛の立ち位置で、肩が並ぶ。ほんの少し、わずか数センチだけ彼の方が背が高いと実感するのはこんな時だった。
「しかし、今日の事件はまいったな」
ため息混じりの宜野座の声に、ああ、と狡噛も同意する。狡噛が正面玄関から局を出るのは珍しい。普段なら地下の駐車場に停めてある車で通勤しているからだ。
だが、今日未明に起きたシステムダウンで、道路が稀に見る渋滞だったのだ。現代の車両はオートドライブモードが搭載されていて当然で、それに乗る者は形ばかりステアリングを握りアクセルペダルとブレーキペダルに足を乗せるだけ。いや、もうそうしなくても車は勝手に動いてくれる。行き先を設定すれば、道路の状況や天候さえシステムが考え導いてくれる。
それが当たり前になっているせいで、そのシステムに不具合が発生すれば混乱を極めるのだ。
交通整理にドローンを動員しても間に合わないくらいだったらしく、そんな中でくるまで出勤などしていられない。
家から歩けない距離でもなし、朝の運動にもちょうどいいと徒歩で出勤したのだ。
だがおかげでシステムが回復したというのに車がないため帰りも徒歩である。
「俺は昨日車だったから、徒歩なら送っていくが」
24時間当直勤務していた宜野座は車がある。が、狡噛はそれを断った。今あんな狭い半密室でふたりきりになるわけにはいかない。
「たまには歩くよ」
「…………なら、俺も歩いて帰るかな」
宜野座がそう言い出したのには驚いた。別に気を遣わなくていいぞと言ったら、少し話したいしと返ってきて、それを無碍に断るわけにもいかなくなった。
結局ふたりで歩いて帰ることになったが。そういえばこんな風にふたりきりで歩くのは本当に久しぶりだ。
「道路も渋滞が解消されたな」
「長引かなくて良かった」
「まあそうだが……今後の課題ではあるんじゃないのか? システムが正常であることに慣れすぎて、各機関さえ混乱したんだ。またこんな事態がないとも限らないだろう」
狡噛は、ふっと口の端を上げる。宜野座はひどく真面目で、頑固だ。職務に忠実であろうとする意志は堅く、学生時代から変わらずまっすぐに前を向いている。
変わらないんだな、と心の中で思って、横顔を盗み見た。
「それに狡噛、お前今日、様子がおかしかっただろう」
責めるような口調で振り向いた宜野座とそこでばっちり目が合ってしまって面食らう。逸らそうかどうしょうか迷って、瞬きでごまかした。
「……そうか?」
「ああ。今日は市民たちのストレスが上がりっぱなしだったからな、出動が多くて疲れていたのかもしれんが、……お前が潜在犯を撃ち損じるのは珍しい」
失態というほどのものではないが、今回のシステムダウンでストレスが値が上がりすぎてサイコパスを悪化させた潜在犯を、ひとり撃ち損ねた。部下の執行官が仕留めたおかげで大事にはならなかったが、凶悪な犯罪者だったらどうするのか。
狡噛もそれはわかっている。撃ち損ねた原因も知っている。
一瞬、錯覚したのだ。
あの半フレームの眼鏡と、短くて柔らかそうな黒髪の男と、学生時代の宜野座が重なって。
よく見れば……いや、よく見なくても似ても似つかない人相だったのだが、昨夜見た夢がマズかったのだろう。
「……今度ヘマする時はお前の耳に入らないようにするさ」
狡噛は肩をすくめて笑い、宜野座の真面目な責めをやり過ごす。そういう問題じゃないだろうと案の定怒る声が聞こえたが、今はその声さえ起爆剤のように思えた。
昨夜、宜野座を抱いた。――夢の中で。
起きた時は世界の終わりかと思ったほどに動揺していた。宜野座はずっと大事な友人だと思っていたし、短くもないつきあいの中でそういった感情を抱いたことなどないと思っていた。
なのに、狡噛は夢の中とはいえ自身の欲望をぶつけたのだ。
きっと欲求不満だったんだと自分を納得づけようとした矢先の錯覚。
正直今は宜野座の隣を歩いているのも後ろめたい。欲求不満だというなら、自分の好みの女性が出てきてもいいはずなのに、よりによって親友である彼を、なんて。
狡噛はちらりと宜野座を見やる。彼はまだ今回の失態についてぶつくさ文句を垂れているようだが、正直内容など耳に入ってこない。
あの動く口唇に何度キスをしただろうか。あの首筋に幾度かぶりついただろうか。
そんなことばかりが思い起こされる。
「狡噛、聞いているのか?」
「……え、あ、いや、すまんまったく聞いてなかった」
「なんだと!? お前……っもう少し取り繕うとかすればまだかわいいものを……!」
「だから謝っただろう。で、なんだって?」
横顔に見とれて、抱いた時のことを思い出していたなんてとても言えやしない。
「だから……何か悩みがあるんだったら、聞くからと」
少し決まりが悪そうに呟く宜野座に、胸が締め付けられるのを自覚した。
まさか、それを言うためにわざわざ徒歩での帰宅を選んでくれたのか。
こみ上げてくるなにかを確かに自覚して、狡噛はそれが漏れ出さないように口を覆った。
ああ、これか。
声に出さずに、思う。
「狡噛? なんだ、やっぱり悩みがあるのか? お、俺では相談に乗れなくても、カウンセラーとか、ほら、プログラムあるだろ」
「あ、いや、だ、大丈夫だ……」
黙り込んでしまった狡噛を案じてか、宜野座がのぞき込んでくる。その至近距離に、狡噛はらしくなくうろたえた。
ドクドクと心臓が鳴る。あまりに新鮮な感情に、気持ちが追いついていかない。まさかこんなに突然知ることになるなんて、思ってもみなかった。
「すまんギノ、本当に大丈夫だ。少し寝不足だったからな、そのせいだと思う」
それでもどうにか平静を装って、ごまかしてみせる。まずは宜野座に悟られないよう自分で気持ちを整理しないといけないのだ。
「……本当だな?」
「悩みがあったらちゃんと吐き出すから。とはいっても今まで悩みらしきものを抱えたことがないから、そうなったら面白いけどな」
「お前本当にムカつくな。心配した俺が馬鹿みたいじゃないか」
宜野座は呆れたようにそう言って足を速めてしまう。多分に照れ隠しも混じっているのだろうが。
狡噛はそんな宜野座のあとを追う。肩を並べて、言った。
「心配してくれてありがとうな、ギノ」
「……別に、お前の様子がおかしいと周りだって迷惑するからな、仕方なくだ」
素直に認めようとしない彼がおかしくて、また笑ってしまう。頭をはたかれて、いつもどおりの自分に戻った。
そうしてしまうと名残惜しい。宜野座とはあそこの交差点で別れなければいけないのだ。
「じゃあ、明日遅れるなよ狡噛」
「ああ、おやすみギノ」
だけど明日も逢える。狡噛は交差点で立ち止まり、右方向へ曲がっていく彼を見送る。
ふうーと息を吐いた。
突然に気づいてしまった。
この感情は間違いなく、そう名付けるべきもののはず。
これがダチの終わりの始まりか、と狡噛は諦めと幸福が入り交じった笑いを浮かべた。
#両片想い #無自覚 #監×監
わりとありふれた日常
狡噛は欠伸をしながら刑事課一係のオフィスに足を踏み入れた。いつものメンツがそろっていて、代わり映えのない日常だなと――思いかけたが、足りない。
「おはよーコウちゃん」
「ああ。……ギノは?」
夜勤だった縢と征陸、常守。日勤である六合塚。そこに狡噛が入るが、明らかに一人足りなかった。狡噛は持ち主のいない宜野座のデスクに目をやって、不思議そうに訊ねる。
何しろ彼は自分より先に部屋を出たのだ、着いていないはずがない。官舎からここまで数分であるにもかかわらず、なぜいないのか。
昨夜はそんなに無茶をした覚えもないし、途中でダウンしているということもないだろう。
「あ、宜野座さんなら局長のところに。出勤した途端の呼び出しだったんですよ」
宜野座の後輩監視官である常守がその謎を解いてくれた。なるほどいないのはそのせいかと納得し、自分のデスクに就く。
「昨日は何もなかったのか? とっつぁん」
「あー、一件だけエリアストレスの上昇で出たな。何のこたぁねえ、子供が迷子になってただけだ」
「ガキでも一人前のサイコパスだからね~。すぐ親が駆けつけたけど」
肩を竦めた征陸に、ゲームをしながら縢が続ける。大捕り物ではなかったようで、世界はおおむね平和。
「でも征陸さんがいてよかったですよ~。私小さい子の扱いって分からないし」
常守が胸をなで下ろすのを、狡噛は苦笑して横目で盗み見る。そりゃあ子供の扱いに慣れているのは一係唯一の子持ちである征陸くらいのものだろう。
「うちは逆にカミさんが迷子になりやすかったがなあ。母さんいなくなった、って俺のシャツ引っ張ってくる伸……息子も可愛かったが」
息子の名を呼びかけて征陸は慌てて伏せる。おおっぴらに名を出せる立場ではないのだと少し寂しそうな顔をして、懐かしむように目を細めた。
「今は携帯とかで連絡取りやすいですけど、昔はモバイルの端末とかなかったんでしょう? 待ち合わせとか大変そう」
「あ、俺もマンガ読んだことある! なんで携帯使わないんだろうって思ったら、そもそもなかったんだよね」
「あらかじめ時間と場所をきっちり決めておかないと難しそうね。人口も今よりずっと多かったみたいだし」
不便だよなあーと縢は言うが、おそらくなかったらなかったでそれに合わせた対処をできる人間たちだったのだろうと狡噛は思う。
しかし、知ってしまった今では昔の状態には戻れないだろう。モバイル端末がなかった時代も、車やトレインがなかった頃も考えられないし、極個人的なことを言えば、宜野座伸元と出逢わなかったもしもの世界も考えられない。
顔が見たいなと、昨夜さんざん堪能したにもかかわらず思ったその時、局長のところから戻ってきた宜野座がオフィスに顔を出す。
「あっ、宜野座さんお帰りなさい」
狡噛はすかさず声をかけ、ああとだけ返事をしてデスクに就いた宜野座の正面まで足を運んだ。
そしてこっそりささやく。
「起こせよ」
危うく遅刻するところだったぞと暗に含んでやれば、宜野座は眼鏡の奥でぱちぱちと目を瞬いた。
「……まさかついさっきまで寝てたのか?」
宜野座は、狡噛の寝起きが良くないのは知っている。つまりそういう仲だからだ。職場でそういった話しをするつもりはないし好きではないが、バツの悪そうな顔をした狡噛を珍しく思ってしまう。
「次から起こしてくれ」
「覚えていたらな」
小さな声でそうやり取りし、朝の挨拶に代えた。
そうしてから意識をパッと切り替え、宜野座は監視官の顔になり、全員に通達する。
「まだ全員が残っていて好都合だ。急なことだが、明日一日、我々一係に休暇がもらえた」
「えっ!?」
「おっ?」
「本当ですか!?」
「急過ぎませんか?」
縢、征陸、常守、六合塚がそれぞれの驚愕を音にする。狡噛だけはさほど驚いた様子も見せず、どういった風の吹き回しだ? と煙草に火を点けた。
「いや、なんでも年次の休暇がうまく処理されていなかったようでな……。降ってわいたようなものだが、明日は全員休養を取るように。急ぎの仕事だけは終わらせて行ってくれ」
休暇が増えたのではなく、もともとあったものが承認された形にはなるが、休暇は嬉しい。明日は何をしようかなあとそれぞれ思いを馳せていた。
「明日みんな休みってことは、多少のドンチャン騒ぎはオッケーっすよね? みんなで飲まない?」
俺ツマミいっぱい作るからさあと縢が持っていたゲームを放り出して身を乗り出す。確かに翌日休みということは夜更かしをして寝過ごしても問題ないということで、こんな状況は滅多にない。
「ねえ朱ちゃん買い物つきあってよ。何かツマミのリクエストあったら作るし」
「みんなでご飯ってこと? いいな、楽しそう。私も手伝おうか?」
「えっ、あっ、いやいや買い物つきあってくれるだけで充分。クニっちも食いに来るっしょ? 何か嫌いなものあったっけ」
すでに縢の中では今日の夕食を全員でということになっているらしく、メニューを考え出しているようだ。
「特にないけど。志恩にも声かけていいわよね」
「もっちろん。つか先生強制参加っしょ。いないとつまんないもん」
「俺も混ぜてもらっていいのかねえ。酒持っていくわ」
わいわいと計画が立てられている傍で、まあハメを外し過ぎなければ目くじらをたてることもないだろうと、宜野座は眼鏡を押し上げる。
「縢、騒ぐのはかまわんが他の係に迷惑をかけるなよ。常守監視官も、そのあたりの管理はきっちり頼む」
「えっなんで。ギノさんも来るっしょ?」
諫めた宜野座を、縢が不思議そうに振り向いた。それには宜野座の方こそ驚いてしまった。
「は……? 俺もその騒ぎに参加しろというのか?」
「みんなっつったじゃん俺。何か予定あるんならいいけどさあ、休暇決まったさっきの今で、ギノさんに予定入ってるとは思えないんだよねー」
「なっ……」
事実ではあるが、どういう意味だと憤慨しかけた宜野座を、狡噛の腕が制す。
「たまには執行官との距離を縮めてみるのもいいだろギノ。たかがこんなことで色相が濁るほど軟弱なわけでもあるまいし」
「当然だろう馬鹿が!」
思わずそう叫んでしまってから、しまったハメられたと宜野座は頭を抱えた。決まりだなと狡噛はおかしそうに口の端を上げる。
そんな狡噛を、宜野座はキッと睨みつけた。執行官たちとのコミュニケーションをはからせるためにフォローしたいのか挑発したいのか、どちらかにしてほしい。
「そうと決まれば食材買い出し行かなきゃなー。ほら朱ちゃん早く早く!」
「えっ、あっ、ちょっと待ってよ縢くん!」
「あ、あととっつぁんもさー、お酒買いに行こう」
「いいのかい? せっかくのデートを邪魔するのは悪いだろうが」
そうは言いつつも、征陸は縢にシャツを引かれてついていく。事件でなく外に行くというのは、嬉しいものなのだろう。
「……志恩に話してきます」
六合塚は相変わらず表情から感情が読みとれないが、どことなくそわそわしていた。恋人に逢いにいくからなのか、その恋人を含む全員でドンチャン騒ぎができるからなのか。長いポニーテールを揺らしながらオフィスを出ていった。
図らずも狡噛と二人になってしまった宜野座は、妙なことになったなと呟いた。
「なんだ、不満か? たまにはいいだろう」
「不満というわけでは……ただ一係全員なんて、ブリーフィングみたいでな。仕事の延長という気分が抜けないんじゃないかと思っただけだ」
「息抜きにならないんじゃないかって? そんなもの、気の持ちようだぞ。お前がちゃんとリラックスすればいい」
努力はする、と宜野座は眼鏡を押し上げる。彼のリラックスは努力をしないといけないほど難しそうなものなのかと、不器用な宜野座に笑う。
「ベッドの中では結構リラックスしてるのにな、お前」
狡噛の揶揄に、意味をちゃんと把握して宜野座は顔を真っ赤に染める。
「ドミネーターで撃ち抜かれたいか狡噛」
「そいつぁごめんだ。ギノに狙われたら逃げられないの分かってるからな」
「だったらこんな話しは――」
宜野座の射撃技術が群を抜いているのは狡噛が誰よりも知っている。狙いを定める彼の視線に捕らわれるのもそれは楽しいだろうけど、できれば捕らえるのは自分の方がいいと口唇を塞いだ。
おそらく小一時間は六合塚が戻ってこないだろうことを見越して、昨夜ぶりの口唇をたっぷり堪能し――宜野座に殴られた。
「あっ、お疲れーコウちゃんギノさん。クニっちと先生もう先に来てるよー」
その日の仕事を定時で終えて、二係と三係に引継を行って、狡噛と宜野座は縢の部屋へと足を踏み入れた。
放っておくとギノはこないかもしれないからななどと見え見えの嘘をついて、誰もいなくなったオフィスでキスをしてきたのは内緒だ。懲りない男だなと宜野座は怒りながらも、今度は殴ってくることはなかった。
「おーお疲れさん二人とも。先に始めてるぞ」
「お疲れさまです、宜野座さん、狡噛さん。お先にいただいててすみません」
ねぎらいをかけられながら向かった先のテーブルには、見るからに旨そうに湯気を立たせた料理や、瑞々しい新鮮な野菜を使ったサラダ、スープや気軽に摘めるクラッカーなどが所せましと並んでいる。
「旨そうだな」
「へへっ、そりゃねー気合い入れたもん」
狡噛に誉められて縢も嬉しそうだ。料理は趣味だが、誰かと一緒に食べるというのはそれ以上の楽しさがある。
「宜野座監視官、なに飲みます? シャンパン……ワイン?」
「え? あ、いや俺は……」
六合塚にグラスを渡されるも、アルコールを接種する気のない宜野座はやんわり断る。上司に、しかも監視官に酒をすすめるとはどういうことだと怒りたくもあったが、雰囲気を壊すのも申し訳ないと思い、それはやめておいた。
「ギノはこれでいいだろ。アルコールは入ってない。乾杯くらいつき合え」
横から狡噛がメディカル・トリップを勧めてくる。普段からメディカル・トリップも飲むことはないのだが、健常者のためのものが縢の部屋にあったとは思えない。わざわざ買ってきてくれたのかもしれないと考えると、無碍に断るわけにもいかなかった。
「……これっきりだぞ」
「はいはい分かったよ」
全員に飲み物が行き渡ったところで、改めて乾杯が行われる。なにを祝うわけでもないが、縢が明るい声でおっつかれー! と言ったのをきっかけに七つのグラスが天を指した。
宜野座はメディカル・トリップを飲み干して、縢の部屋に視線を巡らせた。相変わらずゲームばかりだなと、呆れるばかりだが。
しかし、そのゲーム台があるエリアを半分以上浸食しているものには興味がある。宜野座はグラスを片手にそれの方向へ足をやった。
ビリヤード台。
ホロではなく本物のようで、キューや球も揃っている。手入れはあまりされていないようだが、ゲームをする分には問題ないのだろう。
「ビリヤードか、懐かしいな」
それに気づいた狡噛が、横から声をかけてきた。そういえばビリヤードというものに触れたのは、学生時代いろいろなところに連れ回してくれた狡噛がきっかけだった気がする。
「えっ、ギノさんビリヤードやんの!?」
「嗜む程度だが」
「なんだ早く言ってよそれ! ドローンとじゃ勝負になんなくってさあ」
唐揚げを口の中に放り、縢が大股で寄ってきた。どうやら勝負をしようといううことらしいが、ドローンよりは楽しめるといいなーなどと無意識に暴言を吐いている。
「何か賭けます?」
「貴様、俺が賭事などすると思うか」
「もーカタいなあギノさん。たとえば外出申請のこととか報告書一回免除とか、そういうのでいいんだけど」
賭事と言えば金銭的なものかと思ったが、そういったものばかりでもないのかと宜野座は考えを改める。
「なにがいいんだ」
「じゃあー、俺が勝ったらこの間却下されたフィギュアの購入申請通してくださいよ」
「了解した。ではお前が負けたら報告書の差し戻しにいっさい文句を言うな」
なにそれ、と縢が眉を上げる横で狡噛が噴き出す。宜野座はよほど縢の反抗的な態度に耐えかねているらしいなと。
「まぁいいっすけど。ギノさんに負ける気しないもんね」
ブレイクショットはどちらが? と訊ねた縢に、お前がやれとどこか余裕のある宜野座に、この時点で気づくべきだった。
「へぇー、絵になるわねシュウくん」
キューを構え球を打つ縢を煽るように、唐之杜がきれいな口唇で笛を吹く。弥生もああいうの似合いそうねと恋人にフォローを入れることも忘れずにだ。
「私ビリヤードって初めて見ます。どういうゲームなんですか?」
常守の問いかけに、征陸がゲームのルールを説明していく。もしかして征陸もやっていたのだろうかと、常守は興味津々だった。
そうしてあとには、呆然と佇む縢が在った。
「な……にが嗜む程度だよッ、めっちゃくちゃ巧いじゃねーか!」
いちばんメジャーなナインボールで勝負をしたが、まさに手も足も出ない、状態だった。3の球で縢がミスをしてからは宜野座の独壇場。以降縢がキューで球を突くことはなかった。
「意外、ですね」
「ホントよねー、宜野座監視官にこんな特技があったとは思わなかったわ」
口々にそうはやし立てるギャラリーの中で、いちばん得意気な顔をしていたのは、宜野座当人でなく、なぜか狡噛だった。
「縢、お前狙い撃ち系でギノに勝てると思うなよ?」
「なんでコウちゃんがドヤ顔してんの。あーもー、腹減ってしょうがねーや」
腹が立つと腹が減るのだ、と縢はキューを狡噛に押しつけて早々に逃げ出す。恋人の評価がガラリと変わる瞬間が、狡噛には嬉しくて楽しくてしょうがないらしい。
「ずいぶん楽しそうにやってたな、ギノ」
「久しぶりだったからな。今では本物の台があるところになんて行かない」
「ハハ、いつも俺が連れ回してるだけだったもんな、あの頃は。……久々に勝負するか?」
連れ出して連れ回して、彼が困った顔をするのを見るのがあの頃はとても楽しかった。いつしかそれが恋だと気づいて、ずっと近くで見てきたのだ。
「いいが、何を賭ける?」
「うーんそうだな……」
そんな二人のやりとりを、皿に盛りつけたパスタを頬張りながら眺めていた常守が口にする。狡噛さんのあんな楽しそうな顔初めて見た、と。
あーそりゃねえと笑う唐之杜と、相手が相手だからでしょと六合塚。あれ隠す気もないよねと縢。俺としちゃあ複雑なんだがなと征陸。何がなんだか分からないまま、スープを勧められて飛びつく常守。
「ギノはどうする?」
「……じゃあ、メシでも奢れ。公安局のでも、……外のでもいいから」
他のメンバーに聞こえないように、宜野座はこそりと呟く。それは暗に外でのデートをほのめかしていて、それに気づかない狡噛ではない。珍しい宜野座からの誘いに、これは負けるべきかと考える。
が、手加減をしたら気づかれるのも分かっていた。
「だったら俺は――」
少し思案して狡噛が宜野座の耳元で囁く。カッと頬を染めた宜野座の腰を抱き、誰にも気づかれないようにその頬を口唇でかすめ取る。
狡噛の囁いた言葉は宜野座を盛大に動揺させ、手元を狂わせるには充分だっただろう。
今夜から明日一日お前を好きにする権利、なんて。
さてどちらが勝ったかは、想像にお任せしよう。
#両想い #執×監
NOVEL,PSYCHO-PASS,狡宜 2014.05.22
ギノは、言葉にして伝えるということが苦手らしい。それは希薄な人間関係だったことが理由として挙げられ…
あと少し ~言葉だけじゃ足りないらしく~
ギノは、言葉にして伝えるということが苦手らしい。それは希薄な人間関係だったことが理由として挙げられるのかもしれないが、多分に照れもあるんだと思う。
「なあ、ギノは俺のこと好きか?」
朝起きていちばんはじめに視界に入る恋人へ、何度もしてきた質問を着替えたあとに今日も忘れずに行った。もう、日課みたいなものだ。
「……そこそこ」
「ぷはっ、なんだそこそこって」
答えはいつも違うようでいて、少しも変わらない。
ギノは俺のことが好きで好きでたまらないんだ。
それは自惚れなんかじゃなくて、全身で感じている。視線の向きにしろ熱さにしろ、ギノは言葉がない分態度で示してくれる。
「じゃあ、俺のどこが好きだ?」
「特別にはない」
ギノはふいと顔を背けながらも答えてくれた。なああれは自覚があるんだろうか? ここからでも分かるくらい、ほっぺた真っ赤なんだけど。
「昨夜あんなに可愛くしがみついてきてくれたのになー冷たいなぁギノは」
「なっ……バ、バカかお前っ……朝っぱらからする話じゃないだろう!」
わざとだよ、分かってるだろお前をそうやって振り向かせたかったんだってことくらい。顔を真っ赤にしたギノを見て昨夜のことを思い起こす。
泣き濡れた目や甘い吐息や俺を煽っているとしか思えない喘ぎ声。昨夜あんなに堪能して満足したと思ったのに、いざ朝を迎えるとぜんぜん足りないんだよな。仕事がなけりゃこのままここで抱いてるぞ。
「じゃあ素直に言葉にしてくれよ。俺を好きかどうか。どんなところが好きなのか。どれくらい? なんでそこが好きなのか?」
ギノが言葉にする事を苦手に思っているのを知っていて、俺はあえて言葉を求めた。だって不公平じゃないか? 俺はギノに言葉でも伝えているし、態度でだって示している。佐々山にはお前のはダダ漏れ過ぎると言われているくらいだ。
「俺はギノが好きだ。手触りのいい髪もまっすぐな視線も」
言いながら、ギノの好きなところに触れていく。最初は髪に、そうして目元に、頬を撫でて、
「あとここな。……キスしがいのある口唇、すごく好きだ」
そっと口唇でそこに触れる。
キスなんて何度もしてきているのに、いまだに赤くなるギノは、本当に可愛いと思う。でもあんまり可愛くても困るんだよな? ギノに手ぇ出すヤツが増えるだろう。
佐々山はいらん心配だって言うけれど、そんなの分からないじゃないか。もし俺がギノの彼氏じゃなかったら、手を出すに決まっているからな。
「な……んで狡噛は、その……毎日毎日そう言うんだ? 飽きないのか?」
「飽きるという発想はなかった……ギノはおもしろいこと言うな」
ギノを好きだと言葉にする行為に飽きるというのは、たぶんギノを好きじゃなくなったときだと思う。あり得ないな。
「お前がイヤなら止めるけど」
「い、いやなわけじゃない! ただ、その……俺は、あまり返してやれないから……」
否定してくれて良かった。俺がギノを好きだと言うのはもう呼吸をしているのと同じようなことで、止めろと言われたらきっと死ぬしかない。
「たぶん、ちゃんと言った方がお前だって嬉しいんだろうっていうのは分かってるんだ。俺がそうだから、同じだって」
ギノは自分が今なにを言ったか自覚しているだろうか? 残念ながら俺はギノの言葉を聞きのがしたりはしてやれないからな。
好きだと言ってくやったら俺が嬉しがると思う、ということは、俺に好きだと言われてギノは嬉しがっているということだ。
「けど、やっぱりどうにも慣れてなくて」
可愛い。本当に可愛い。気づいてないっぽいところがたまらなく可愛い。
「だったら、イエスとかノーとかそういうのでもいいぞ」
言葉にする努力をしてくれている。そんないじらしさが愛しい。
「俺はギノのことが好きだ。それは知ってるな?」
「あ、ああ、……イエス?」
「一目惚れだったってことは言ったっけ?」
「はっ? し、知るかそんなの、ノーだ!」
「ギノは俺のこと好き?」
「………………」
あれ、なんだこの沈黙。ここはイエスって返ってくる予定だったんだが。
え? あれ? まさか俺、自分で思ってるより好かれてないのか? いやそんなはずない……ないよな?
どうしようギノが困った顔してる。おかしいなこんなはずじゃなかった。予想外のことに、らしくなく慌てて、沈みかけたそのとき。
「お、お前と同じ、だっ」
顔を真っ赤に染めながらも、ギノがさっきの質問に答えてくれた。
俺と同じ。ということはつまり、
「俺だってちゃんと、お前のことすごく好きなんだからな!」
なかばやけくそで吐き出されたそれだけでも俺を昇天させるのに充分だったのに、さらに幸福が眼前に広がる。
可愛いな、たまらんくらい可愛いな。
ギノのキスが届くまであと三センチ、頑張って待っていよう。
#両想い #監×監
ほんのイタズラ
「なんで俺が狡噛とペアなんだ!?」
宜野座は引いた紙切れを握りしめ、ふるふると体を震わせた。
「仕方ないだろギノ、くじで決まったんだから。諦めろ」
ペアの相手である狡噛は、まるでなんでもないことのように振る舞っている。そうそう、と後ろで縢や唐之杜が同意していた。そもそもなぜこんなことをするハメになったのか、最初のきっかけはもう分からない。
「いやあ、俺審判で良かったなあ。若いモンの感覚にはついていけん」
「私こういうの初めてで。楽しそう~」
「俺は心臓が爆発しそうなんですけど……」
「アタシたちはいつもと変わらないわね、弥生」
「志恩、仕事中よ」
人数の関係で、一人はゲームの審判になる。それに運良くあたった征陸は胸をなで下ろし、ペアになった縢と常守、唐之杜と六合塚はそわそわしながらもすでに準備を整えていた。
「観念しろギノ。たかがポッキーゲームだぞ?」
狡噛に至っては、ペアと判明した瞬間から面白そうな顔を持続させている。それがまた宜野座の癇に障った。
「なんで貴様はそう順応性が高いんだ! できるかそんなバカバカしいこと!」
誰が言い出したのか(おそらく縢あたりだろうが)、今日十一月十一日はポッキーの日だとかで、それを使ったゲームをやることになってしまった。普段なら乗りもしない宜野座だが、コミュニケーションは必要ですよという常守の駄目押しと、運がよければ見ているだけの審判になれるかもしれないという逃げ道が、宜野座にくじ引かせたわけだが。
「面白いこと言うなギノ。どだいゲームなんてものはバカバカしいものだ」
自分の運が良くないことを忘れていた。狡噛は、縢が持ってきたポッキーを指先で摘みこれ見よがしに振ってみせる。そうして、宜野座以外には誰にも聞こえないような小声で囁いてきた。
「なにが問題だ? 嫌なら負けりゃいいだけだし、キスなんかいつもしてるだろうが」
「もっ、問題がありすぎるッ」
カッと頬を染める。
狡噛慎也とは、キスも、キスよりすごいこともする仲、いわゆる恋人同士という間柄だ。だから別にうっかり口唇が触れ合ってしまっても、それこそ日常のできごとなのだが、だからこそ困るのだ。
いつもの調子でうっかり自然にキスなんかしたら、周りの連中にバレてしまう。もし口唇が触れたらどういう反応をすれば、そういう仲だと気づかれないのか、宜野座には分からないのだ。
かといってわざと負けるのも悔しい。
ポッキーをくわえた状態とはいえ狡噛の顔が近づいてきて、思わずいつもみたいに目を閉じてしまいそうな自分が悔しくてたまらない。
「ひ、人前で……その、うっかり……したら、どうするんだ……」
宜野座は恥ずかしそうに目を逸らす。人前で、狡噛と二人きりでいる時のような無防備な雰囲気は見せられない。コントロールできない自分が未熟なのだと分かっているが、こればかりはどうしようもないのだ。
「――分かった、人前じゃなきゃいいんだな?」
「は? おい待てなんでそうなる」
狡噛はそれでもポッキーゲームを取りやめる気はないらしく、宜野座の腕をぐいと引く。
「とっつぁん、俺たちはちょっと別のとこでしてくる。ギノがどうしてもって言うんでな」
「別のとこ? そりゃあ……審判ができんだろう」
「コウちゃんそれアリ~?」
「アリだよ。勝敗は自己申告する」
狡噛は宜野座の腕を引いたまま、納得いかない風な顔をした縢や常守を通り過ぎる。あまりイジメるなよと肩を竦める、何も知らない征陸を通り過ぎ、意味深な唐之杜や六合塚の視線をやり過ごして掲示部屋を出た。
「おい狡噛っ、俺はまだやるとは――」
「譲歩してやってんだ、たまにはハメはずせって」
そんなことを言い合いながら喫煙スペースの方へ歩んでいく二人を見送り、刑事課のメンツはそれでも当初の予定通りポッキーゲームを楽しむのだった。
「おい狡噛、待て、どこまで」
どこまで行くんだと、腕を引かれながら宜野座は狡噛の背中に投げかける。正直、内緒の恋人とはいえ対外的には上司と部下だ。部下に手を引かれている様などあまり晒したいものではない。
「ここならいいだろ、ギノ」
狡噛は足を止め、喫煙スペースの観葉植物の陰に二人で隠れる。ここなら人も来ないし、通路からは死角になっている。見咎められることはないだろう。
「ほら」
狡噛はポッキーを摘んでつきだしてきた。どうあっても二人だけでゲームをするつもりのようだ。誰も見ていないのだから、やったことにしてごまかしたっていいだろうに。
「狡噛……お前本当にするつもりなのか?」
「せっかくの機会だ、やったっていいだろう」
「お前の考えていることが分からん……」
宜野座は頭を抱える。こうと言い出したら実行するまで止めないんだからなと、息を吐いた。
「そうか? 至極分かりやすいと思うが。お前とペア組みたいからくじに細工したんだ、このまませずに終われん」
「はぁっ?」
健気だろうと壁にもたれる狡噛に、宜野座は驚愕の声を上げる。くじに細工とはいったいどういうことか。いや聞きたくはないが、つまり今こうなっているのは狡噛がしくんだことというわけか。
「貴様、勝負にイカサマとは……そこまで堕ちたか」
「だったらお前、ほかの奴とが良かったのか? 俺なりに助け船を出したつもりなんだがな」
「う……」
言葉に詰まる。確かに、他のメンバーと当たる可能性だってあったのだ。唐之杜あたりは面白がりそうだが、その他は誰と当たっても気まずい。というか、できるわけがない。
「そ、それは……助かったが……」
「だったら、ほら。チョコついてる方やるから」
「子供扱いか!」
突き出されたポッキーは、摘む方でなくチョコが端まで付いている方だ。駄々をこねる子供をなだめているような風情にカッとなって、宜野座は思わず狡噛の手からポッキーを取り上げる。
どうにもやり場がなくなってしまって、ためらってためらってためらったあげく、
「……ほら、さっさとくわえろ」
チョコが端まで付いた方を狡噛に向けて突き出した。狡噛は一瞬面食らったように目を見開き、ほんの少し視線を泳がせる。
「おい、なんだいったい」
「いや……ギノがエロいなと思って。くわえろとか、どんだけ挑発するんだ」
「なっ……、き、貴様っ……」
そんなつもりで言ったのではない。狡噛の頭の中はいったいどうなっているんだ? と顔を真っ赤にしながら手を引っ込めかけたが、それより早くつかまれる。
「怒るな、誉めてんだから」
「し、知るか! あ……」
つかんだ宜野座の手から、狡噛がポッキーを奪っていく。綺麗にそろった歯で挟まれたそれのもう一方の端は、宜野座に挟まれるのを待っていた。
「ん」
促すように、狡噛が顎を突き出す。本当にこんなことしたいのか、と宜野座はいまだに不思議な気持ちでいっぱいだ。狡噛の考えていることは本当に分からない。長くつきあいを続けていてもだ。
「ん?」
早く、と狡噛が器用にポッキーを上下させる。手首は掴まれたままで、逃げ出すこともできやしない。宜野座は覚悟を決めて、小さく息を吐いた。
「目……閉じててくれないか……恥ずかしい」
目を閉じたらゲームの意味がないような気もするがと思いつつ、やはりこの体勢この距離で目を開けたままというのは恥ずかしいのだ。
狡噛は途中で開けてやるつもりでいながらも肩を竦め、素直に従って両の目蓋を閉じた。
宜野座はそんな狡噛の眼前で手を振り本当に閉じていることを確認し、ポッキーを口唇で挟もうとした。が。
ほんの少し。
ほんの少しのイタズラ心が働いてしまった。
掴まれていない方の手で、狡噛の口に挟まれたポッキーを引き抜く。
「ん、……ん!?」
そうして、口唇にキスをした。
宜野座にしてはたっぷり五秒口唇を押しつけて、離す。
「はは、まぬけ面だな、狡噛」
「ギノ……お前な……」
予想していなかった展開に、狡噛の反応が遅れる。それを面白そうに眺め、ゲームのルールがどうであれ、なんだか勝った気分で優越感に浸った。
「なんだ、キスをしたいんじゃなかったのか?」
「まあそうなんだが、できれば」
このまま負けてなるものかと、狡噛は宜野座の腰をグイと抱き寄せ、耳元で囁く。
「もっと深いので頼む」
答えも聞かずに口を塞いで、さんざんに舐めしゃぶる。絡んだ互いの指先から、ポッキーが抜け落ちていった。
#両想い #執×監 #ポッキーの日

キ、と一台の車が停まる。冬の様相を持ち出した空を見上げて、常守朱は助手席の男を振り向いた。
「ここで大丈夫ですか? 宜野座さん」
「ああ、すまない、常守監視官。……いい加減に宜野座さんはやめろと言っているのに」
「無理です。宜野座さんはどうやっても宜野座さんなので」
きっぱりと告げてくる彼女とのやり取りを、いったい何度繰り返しただろうか。その言い分は分かるような分からないような、複雑な思いだ。宜野座は困ったように片眉をあげて苦笑した。
宜野座伸元にとって狡噛慎也がずっと狡噛慎也だったことを、身をもって知っているからだ。
「すまないが、ここで少し待っていてくれ。心配しなくても、誰かさんみたいに逃亡なんてしないから」
「そんな心配してませんよ、宜野座さん」
「……だろうな」
運転席の常守は、おかしそうに笑ってひらひらと手を振ってくれる。宜野座は助手席のドアを開けて、あたりの景色をぐるりと見渡した。
変わったような、少しも変わってないような。
目線があの頃より高くなったのは、身体的な変化で、少し寂しく感じるのは取り巻く世界がすっかり変わってしまったからか。
ここは宜野座が通っていた日東学院だ。もちろんそこを囲む塀の中に入ることはできないし、もとからそのつもりもない。塀からはみ出た木の枝振りは少しも変わっていなくて、その傍に立つ無粋な電柱もそのままだ。
もっとも、ここに来たのは二年前。二年やそこらで外観が劇的に変わるわけもない。特にここらへんにはホロが使われていない。季節の移り変わりを感じさせる花たちはしばしばホロで表されることもあったが、本物が多いここの風景を、宜野座はーー宜野座たちは気に入っていた。
宜野座は傍の塀にもたれ、息を吸う。
あの時は緊張するひまもなかったなと思い出して、口の端を上げた。
そうしてあの頃と変わらない右手を持ち上げ、指のわきに口づける。まぶたを落とし、開け、指を押しやるように口唇から離した。
宜野座の瞳はじっと前を見据え、あきらめとも呆れともつかない笑みを浮かべる。
ーーーー……未練、と……言うのだろうか、これは。
首を傾げてみるも答えが返ってくるわけもなく、宜野座は満足して車内に戻った。
「待たせてすまない。帰ろう」
「えっ、もういいんですか!?」
「やりたいことは終わったからな。連れてきてくれてありがとう」
シートベルトを締めれば、運転席の常守は驚いて声を上げる。それはそうだろう、勤務中の監視官を引き連れて、行きたいところがあるなどと言えば、宜野座の性格を考えると相当重要な場所であるのだろうに。それなのに、たった数分いただけでいいなんて。
「あの……ここ、なんなんですか? 宜野座さんの通ってた学校ですよね」
中に入らなくてもよかったのかと、常守は車を発進させながら尋ねる。許可を取れば、校舎の中にだって入れただろうに。それでも宜野座は首を横に振った。
「正当な理由もなく入れるわけがないだろう。そういうのを職権濫用というんだぞ」
「……でも、ちょっとくらい」
「いいんだ。俺はあの場所に来たかっただけだから」
気を遣わせてしまっているなと、宜野座は苦笑する。だけど本当に、宜野座はあの場所がよかったのだ。
「特別な思い入れでもあったんですか?」
「ああ、まあ、……そうかな。課程二年のとき、あそこで初めて狡噛とキスをした」
「キッ……」
常守が頬を真っ赤に染めてステアリングに突っ伏す。いくらオートドライブとはいえ危ないぞと、どこか他人事のように指摘した。
「宜野座さん……あの、えっと」
「いまさら驚かないでくれ、こっちまで恥ずかしくなってきた」
「だ、だって宜野座さんがそういう話することってなかったじゃないですかっ」
執行官でありながら逃亡した狡噛慎也とは、恋人といっていい間柄だった。監視官だったころはそれを受け入れられず隠してきたが、まあ周りに悟られていないわけはなくて、執行官に降格したら、なにを頑なに隠そうとしていたのか分からなくなり、世間話の合間に、告げていた。
「あの男と恋人でいることが悔しかったからかな。アイツの身勝手さはあなたも知ってるだろう。そんな男に惚れてる自分が情けなくて、最近ようやくどうでもよくなってきたところだ」
「……狡噛さん、ずっと変わらなかったんですか。想像つきますけど」
「そうだろう? あの時だって、俺の誕生日なのに、アイツは自分のしたいことだけしていった。あとで悪びれもせずに謝ってくるのがどうしようもなく狡噛なんだがな」
突然すまん、と笑う顔で言われた初めての時のことを、今でも思い出せる。想いは告げ合っていたけれど、まだまだ友人の粋を出なかった自分たちを壊してくれた、あの日。
「誕生日って、プレゼントのつもりだったんじゃないですか?」
「本人の意思を無視してか?」
「あー……ははは。あの、でも、その、受け取ったん、ですよね? 別のプレゼント」
「あるわけないだろ。そういえば誕生日だったななんて言う男が、そんなもの用意してるわけがない」
思い出して額を押さえる宜野座に、常守が乾いた笑いを漏らす。実に狡噛らしいのだが、せめてキスの予告くらいしてほしかったあの頃の純情。
「仕方ないから、こっちから要求した」
「宜野座さんがですか? なにをもらったんです?」
「はは、“来年も同じものをよこせ“って言ってやった。あの時のアイツの顔は、おもしろかったな」
笑う宜野座の横で、意味を把握し常守は頬を赤らめた。盛大なのろけ話であると。
「アイツもあれで案外律儀な男だったようで、それから毎年、俺の誕生日にはあそこでキスをくれたよ」
卒業するまで、卒業して監視官になっても、執行官になってしまっても、誕生日にはあの場所でキスをした。
宜野座は指で自身の口唇をなぞる。
「さすがに、昨年は無理だったけどな」
昨年は大きな事件でそれどころではなかったのだ。あの事件を機に狡噛は逃亡し、宜野座は犯罪係数を上げながらも、こうして執行官として復帰した。
「宜野座さんがおねだりするなんて、狡噛さんは本当にすごい人ですね……」
「おねだりってやめてくれ。要求したのは俺だが、アイツはくれるって笑って言うんだから、しょうがないだろう」
「お互い大好きなのは分かりましたよ。あの、今あそこで狡噛さんに逢ってきたなら、もう言ってもいいですか?」
「うん?」
「お誕生日、おめでとうございます、宜野座さん」
のろけ話に呆れつつも、常守は嬉しそうに告げてくる。今まで知らなかった宜野座を見られて、宜野座を通して狡噛を知ることができて、嬉しいのだろう。
「……ああ、ありがとう」
「戻ったらケーキ食べましょうケーキ。私頑張って作りますから」
「…………あなたは仕事をしてくれ」
出来上がるケーキを想像して、宜野座はやんわりとお断り。なんで縢に教えてもらってああなるんだろうと、一生解けそうにない謎を胸に、宜野座は公安局へと戻っていく。
今年もまた触れ合えなかったけれど、あそこでキスを投げてきた。口唇の感触を忘れてしまう前に、もう一度逢えたらいいと、小さな願いを込めながら。
今もまだこの世界のどこかで生きている、大切な恋人へ。
#両想い #誕生日