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NOVEL,A3!,万紬,俺のCandy Star! 2017.07.17
(画像省略)2017/07/17表紙:ももこ様【あらすじ】人生イージーモードだった万里の中に、入り込…
俺のCandy Star!

2017/07/17
表紙:ももこ様
【あらすじ】
人生イージーモードだった万里の中に、入り込んできてしまった紬。恋を自覚するまで、自覚してから、紬に大切な言葉を継げる万里サイド。
メインストーリーの無間地獄と冬組公演を絡めた紬サイド、千秋楽後の、何度目かの万里の告白に、紬が返した言葉とは――。
※作中に十座→左京の表現がありますので、苦手な方はご注意ください。
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#片想い #原作沿い #ウェブ再録
Strawberry
ふう、と息を吐くタイミングが重なって、どちらからともなく視線を合わせて笑い合った。
「平気っすか?」
「ん……だいぶ慣れた……」
紬はベッドに腕を投げ出して、疲労に包まれる体に休息を与える。そんな紬の髪をそっと撫でてくるのは、今の今まで繋がり合っていた恋人の手のひらだ。
「だろうな。一昨日より楽にできたし。やり方っつーの? 覚えてきた感じ。お互いに」
「うん、そんな感じだね……ねえ、万里くんも気持ち良かった?」
その手のひらにすり寄って、紬は訊ねてみる。恋人である万里の頬が、さっと染まったように見えた。気持ち良かったかと訊いてくるくせに、訊かれるのは恥ずかしいとでもいうのだろうか。
「よ、良くなかったらイッてねーし……。なんか、紬さんにそういうこと訊かれっとすっげぇ照れくさい」
「なんで。俺には散々訊いてくるくせに」
「う……」
明瞭な万里にしてはめずらしく、言葉が詰まる。促すように、今度は紬が万里の髪を撫でた。ベッドに突っ伏して、万里は言いにくそうに小さく紡ぎ出す。
「俺、今までさ……誰かとヤんのなんて、自分が気持ちよけりゃいーやって思ってて、相手のことなんて考えてなかったっつーか」
「前の彼女?」
「彼女って言うんかなあれな……って、イタタタ、イテ、痛いって紬さん、耳引っ張んなよ」
「ああごめん、ただのヤキモチ」
お互い、劇団に入るまでは見も知らない相手で、恐らく街ですれ違ったことさえなかっただろう相手だ。過去があるのはどうしようもなくて、異性の肌を知っているのもどうにもしようがないことだ。だけどそれでも、嫉妬というものは生まれてしまう。紬は万里の髪を撫でていた手を、無意識に耳に移動させ、八つ当たりのように引っ張っていたらしい。
「もー……、仕方ねーじゃん、紬さんのこと好きになるまで、マジでこういう気持ち知らなかったんすから……」
「……万里くん、初恋?」
「そっすね。アンタは違うだろーけど」
「うーん……、それは、そうかも……いたたた、耳、引っ張んないで」
初恋はとっくに経験していたという紬の耳を、今度は万里が引っ張る。ふてくされたような顔が可愛らしくて、紬はゴメンねと鼻先にキスをした。
「……いーけど。俺が、アンタの最初じゃなくても、最後なら」
「……うん、俺も、万里くんの最後がいいな」
いつか終わってしまうことなんて考えない。お互いに、お互いが最後であればいいと願って、口唇に触れる。髪を撫でてくれる万里の手が心地良くて、また一回り、気持ちが大きくなっていく。
「……だからさ、俺。紬さんのこと好きになったら、全然世界が違って見えんの。自分が気持ちよけりゃいいなんて思えねぇっつーか、紬さんのこと気持ち良くしてやりたいっつーかな。ちゃんとできてんのか、確認してぇの。……紬さん、気持ち良かった?」
紬は、ぱちぱちと目を瞬いた。気持ち良かったかと訊かれるのは別に嫌なことでもなかったし、恥ずかしい気持ちはあったけれど、意地悪をするためではないと知っていたから、ちゃんと応えてきたつもり。だけどまさか、万里がそんな風に考えて訊いてきていたとは思わずに、きゅうと胸が締めつけられた。
――――かわいいな……かわいいなあ、もう。
普段あんなに自信満々な万里が、こんなときだけ不安そうな顔をする。紬に対することだけ、万里が違う表情を見せる。それがかわいくて、嬉しくて、口許を緩めた。
「すごく気持ち良かったよ、万里くん。優しくしてくれて、ありがとう」
万里の表情がホッと安堵したものに変わる。
万里ほど頭が良ければ、気がつくと思っていたのだが、どうやら恋に関してはそうでもないらしい。万里が、「紬さんに気持ち良くなってもらえたか知りたい」と思うのと同じように、紬だって「万里くんに気持ち良くなってもらえたかどうか知りたい」と思って訊ねていることに。
――――自分だけじゃ、駄目なんだよね。恋って、こんなにくすぐったいものだっけ。
愛しいなあと、なんのてらいもなく思う。高校生の男の子相手に、こんな風になるなんて思っていなかったけれど、幸福な気持ちでいっぱいだ。
「よかった、アンタ全然拒まねーから、どこまでしていーのか分かんねぇし」
「そう? 嫌なときはちゃんと嫌って言うよ、俺」
「ん、よろしく」
ホッとしたのか、万里はベッドに体を預けて目を閉じる。紬は両肘をついてそれを見下ろし、こんなときだけ年相応に見える万里の顔を楽しんだ。
――――綺麗な顔してるんだよね、万里くんて。モテるんだろうなあ……俺がクラスメイトだったりしたら、放っておかないけど。……あ、無理、万里くんみたいにカッコイイ子に声かけるなんて、絶対できない。それを考えると、劇団で出逢えてよかったよね……。
そっと、鼻筋を撫でる。指先で、ふに、と頬をつついてみる。
「くすぐって……」
そうは言いながらも目蓋を持ち上げもしない万里に、紬は笑う。気を許してくれているのかなと、あやすようにも髪を撫でた。
汗でしめった髪は、それでも指をするりと抜けていく。
「万里くんの髪って、さらさらだよね……」
「あー……そーかも。おかげでセットしづらいんすけどね。ワックス使わねーと全然まとまんなくて」
「ふぅん」
万里は自分の見た目が良いことを知っている。さらに、どう見られているかも知っている。その期待に応えられるだけの心の余裕があって、いつも身だしなみには気を遣っているらしい。
――――その万里くんが、俺の前ではこんなに乱れるんだよね。もっと、俺しか知らないことがあればいいのに。
セットが崩れた万里の髪が、律動に伴って揺れる様を、紬は何度も見てきた。荒々しい呼吸とともに、紬さんと呼ぶかすれた声とともに、滴る汗とともに、自分の上に降ってくる様を、何度も感じてきた。
――――俺しか知らない万里くん……。
紬は、万里の髪を一房すくい上げる。それを三つにより分けて、順番を間違わないようにゆっくりと編んでいった。
「ちょ、なにしてんの紬さん。おーい」
万里の瞳が届く場所ではない。紬が何かをしているということくらいしか分からないようで、万里は笑いながら訊ねる。
「ん、だめ、動かないで」
「なんすかそれ……」
紬は万里の抗議も訊かずに、髪をもてあそぶ。そうしてできあがったのは、
「万里くん、みつあみも似合うね」
「はァ!?」
万里の前髪を編み込んだ、細い三つ編み。まあそれを留めるものがなく、紬の指先でかろうじて三つ編みの形になっているだけではあるのだが。
「なにしてんのアンタほんと……あとついたらどーすんだ」
「あ、せっかく似合ってたのに」
「んなわけあるか」
紬の指を外させ、万里はその三つ編みをほどく。紬はふてくされたような声を上げつつも、万里に恒常的なッ三つ編みを求めているわけではない。ただ万里の髪に触れていたかっただけなのだ。
「でも、ほんと万里くんの髪、気持ち良い……手触りっていうか、すごく好きだよ。俺もこういうのがよかったな」
「そっすか? 俺は紬さんの髪の方がいいけどな。触ってて気持ちいーの」
「やだよ俺、いつもここだけ跳ねちゃうし」
万里が髪を撫でてくれるけれど、紬には自分の髪が好きになれない。嫌いなわけではないのだが、どれだけセットしてもひとふさ跳ねる部分が、気になってしまうのだ。
「あーこれな。俺ずっと、わざわざセットしてんのかと思ってたわ」
「そんな面倒な」
「なんでここだけなんすかね」
「うーん、つむじの関係かなぁ……なんだか触角みたいでちょっと恥ずかしいんだよね」
「可愛いじゃん、アンテナ。なんかセンサー仕込んでそう」
万里の指が、いつも跳ねる紬のひと房をつんつんと引っ張っていじる。ほんの少し頭皮を刺激する痛みは、だが不快なものではなかった。
「あ、カフェセンサーかな」
「ははっ、確かに紬さん、カフェ見つけんの上手いもんな。入り組んでるとことかさ。どーやって見つけんのか不思議だったんだけど、ナットク」
おかしそうに笑う万里に、まさか納得されるとは思っていなかった紬が面食らう。この年下の男の子は、案外ロマンチストで、たまにこんな非現実なことを受け入れてしまう。おそらく丞あたりに言っても「馬鹿か」と返ってくるはずだ。
「な、これさ、カフェ見つけたらピコピコ動いたりすんの?」
「うん、動くよ」
「マジでか。今度観察しとこ」
悪ノリする紬にも、ぽんと言葉を返してくる万里。それがおかしくて、嬉しくて、紬は目を細めて笑った。
「あとね、最近、感知する対象物増えたんだよ」
「増やせんの!? アンタすげぇな? で、何が見つけられんすか。たまご料理とか?」
たまごが大好物なことも覚えていてくれる。そんな万里の胸に頭を乗せて、紬は嬉しそうに呟いた。
「万里くん」
「は?」
「万里くんを見つけられる。万里くん目立つってのもあるけど、人混みでもすぐに分かるし。最近じゃ寮の中では人の気配も分かる。それが万里くんだと、そわそわするんだよね」
マジで、と万里の手が髪を撫でてくれる。嘘ではないけれど、嬉しそうに受け入れてしまう万里の素直さを、紬は好ましいと思っている。
「それを考えると、このアンテナも悪くはないかな?」
「俺も欲しいな、これ。紬さんがどこにいんのかすぐに分かるし、カフェとか、たまご料理旨いとこ見つけられるだろ。そのうちアンテナ同士で会話したりすんじゃねーの」
「えぇ……ナイショ話とか?」
「そーそー、今日は兵頭いねぇから部屋にこねえ? とかさ」
紬は万里の胸の上でおかしそうに肩を震わせる。そんなナイショ話がアンテナでできてしまったらそれは楽なのだろうが、少し寂しい気もするのだ。
「でも俺、誰もいないこと確認して耳打ちしてくる万里くんの声、すごく好きだよ」
「…………アンタずりぃ。そゆこと言うから、毎回負けた気になるんすよ」
胸の上から顔を上げ、万里と視線を合わせる。照れくさくてバツが悪いのか、万里の口唇はほんの少しとがっていた。
伸び上がってちょんとそこにキスをし、ふふと笑ってみせる。
「ねえ万里くん、声、聞かせて」
「なら、紬さんも聞かせてくださいよ。イイ声、な」
言って、万里は紬の体ごと位置を反転させる。わ、と声を上げたけれど、多少見えていた未来だ。
「万里くんのえっち」
「どーせな」
ほっぺたを軽くつねられるが、そんな接触さえ紬には嬉しかった。万里が、紬にだけ見せる子供っぽい指先と、大人っぽい瞳と、色気のある吐息。それらすべてが「摂津万里」を飾っている。
「好きだよ、万里くん」
「ははっ、俺なんか紬さんのこと愛してっからな」
「えっ、なにそれずるい……俺だってきみのこと愛してるもん」
「だーめ、俺が先」
笑いながら口唇にキスをしようとした万里との間に、紬はそっと指先を差し入れる。ストップをかけられた万里の目が不機嫌そうに細められるけれど、紬も譲る気はないようだった。
「先とか後とかないと思う、俺が万里くんのこと愛してるのは事実だよ」
「ベッドん中で説教すんなよ。負けず嫌い」
「そんなとこも好きでいてくれるんでしょ」
「あーはいはい好きっすよ、…………すげぇ、好き。大好き。どーしてくれんの、俺のこの先の人生」
ふてくされた口調の中に、万里のまっすぐな想いが混ざる。こつんと額を合わせてくる万里の背を抱き、撫でてみた。
「大丈夫、俺がぜんぶもらうから」
先なんて、心配しなくて大丈夫。そう言って笑う。万里は決まりが悪そうに視線を逸らして、赤くなった頬を隠すように覆った。
「アンタのその自信、どこからくんの……」
「ナイショ」
そうして紬は、万里を誘う。ストップをかけていた手のひらを抜き、口唇にキスをして、足を絡めた。万里の方からキスを深くしてくれて、互いの肌をゆっくりと撫でる。吐息のタイミングを重ねて、紬は万里を受け入れた。
のけぞっても、万里の背を抱く腕を外すことはない。からだ全部で、万里と触れ合っていたいのだ。
――――俺の中の自信は、全部万里くんがくれたものだ。そうじゃなきゃ、怖くて愛してるなんて言えないよ。
万里のまっすぐな想いは、知ってみれば分かりやすい。愛されていると自惚れでなく思える日常が、紬の中に自信を流し込んでくる。
紬のせいで万里の世界が変わったように、万里のせいで紬の世界いろも変わってしまった。
触れ合って、混じり合って、ひとつの色になっていく。
――――きみがくれた自信だから、大事に、大事に育てていくね。
紬は万里を強く強く抱き締める。そんな紬が可愛らしくて、万里も強く抱き締め返した。
#両想い
しあわせになる前に
初めて来たカフェは、やっぱり落ち着かない。雰囲気が悪いわけじゃない。ましてやコーヒーが美味しくないわけでもない。
それは完璧に、俺の気持ちの問題だった。
目の前に万里くんがいる。ううん、それはいつもと変わりないんだけど、いつもと同じなんかじゃ全然なかった。
ああ、何を言ってるか分からないと思うんだけど、俺もまだ混乱してるんだ。
万里くんとは、ついさっき、カフェ友じゃなくなった。
こんな言い方をすると悪い方向にしか考えられないと思うんだけど、少なくとも俺にはものすごく幸福で奇跡的で、いまだに信じられない思いでいっぱい。
だって。
だって万里くんが俺のこと好きでいてくれただなんて。
夢かな。でも夢じゃないっぽいんだよね。さっきこの店に入るまで俺、万里くんの手を握ってたし。今考えればなんて大胆なことしちゃったんだろう。人目についたかな、あれは。でもそんなこと気にしてる余裕なんてなかったし。
まだ体がふわふわしてる。
まだ頭がゆらゆらしてる。
どうしよう……本当に、どうしよう。俺、万里くんと恋人同士になったんだ……。
「紬さん」
「えっ?」
「コーヒー。冷めるぜ」
「あ、ああ、うん、そうだね」
店員さんに持ってきてもらってから、たった一口しか飲んでなかった俺のこと、見てたのかな。恥ずかしい。
ああ、万里くんはこんな時でも余裕があるなぁ……。俺の方が年上なのに、情けない。そう思いながらコーヒーを口に運んだけど、やっぱり味なんて分からない。それくらい、俺は緊張していた。
だって、だって片想いだと思ってた相手に好きだって言われて、平静でなんていられないよ。俺はあの時本当に、万里くんに好きって言葉言ってみてほしくて、「好きな子相手の練習台にしていいよ」って言ったんだ。ぜったいあとで苦しくなるって知ってても、夢くらい見たっていいじゃないかって。
そしたら万里くん、練習になんかならないって、俺相手じゃ本番になってしまうって言ってくれたんだよね。本番ってことはつまり練習じゃないってことで。期待して自惚れるどころじゃなかった。
まだ耳に残ってる。万里くんが俺を好きだって言ってくれた時の声。
幸せだったなあ……。
「紬さん、あのさ……ごめんな」
「えっ、な、なにが?」
万里くんが気まずそうに口にしてくる。この状況でごめんってなに? 俺今すっごく幸せなのに。もしかしてアレは嘘だったなんて言わないよね?
「紬さんが俺のこと好きでいてくれてるって分かってたら、もっと、なんつーか、格好いいこと言ってみたかったんだけど。あれ八割勢いっつーかさ……もともと言うつもりなかったのに」
充分かっこよかったんだけど、なに言ってんだろうこの子。お願いだからそれ以上かっこよくならないでよ。
「どうして……言うつもりないなんて……」
「や、普通そうだろ? 同性なんて、しかも年下なんて対象外じゃん? 言えるわけねえっつの」
「と、歳は関係ないかな……あ、でも、俺も思ってた。万里くんにはもっと、同年代の可愛いこが似合うって」
「それと同じな。もし……そういうこと考えずに言えてたとしても、多分、後悔してたわ、俺」
はは、と乾いた笑いが耳に入る。それは諦めと同じことで、寂しくなって心臓が痛んだ。
「じゃあ、今も後悔してるの……?」
「んー、両想いだって分かったから、それはない。でも、紬さんが「本番もう一回」って言ってくれるまで後悔してたよ。アンタ優しいから、フッた相手のこと考えちまうだろ。傷つけた、どうしよう、ってさ……こっちが勝手に好きになって、アンタの都合も考えずに告ってんのにさ」
「それは俺の台詞だよ……万里くんだって優しいでしょ。悩ませちゃうだろうなって思うと、……そうだね、俺も言えなかった」
「俺が優しくしてんのは紬さんだけっすよ。アンタのためなら、どんだけでも優しくなれるし、傷ついたって別に構いやしねーし」
うわあ……万里くんてやっぱり自分が格好いいこと自覚してるよね。普通そんなこと、思ってても言えないよ。万里くんだからサマになるんだよ……。
でも、やだな、万里くんが傷つくのは。自分が悲しいより、寂しいより、つらい。
誰も、誰かを傷つけたいと思って生きているわけじゃないんだろうけどさ。それでも、言葉は、行動は、時に誰かを傷つけたりする。
「あ、あの、万里くん……」
「ん?」
「俺、こういうおつきあいとかあんまり慣れてなくてさ……たぶん万里くんはじれったくなるかもしれない。万里くんが何を望んでるのか分からなくて、傷つけちゃうこともあるかもしれないんだけど……あの、そ、それでも、俺と、その……おつきあい、して、くれる……?」
恥ずかしいんだけど、正直そういう経験は乏しい。どこまで我が儘を言ってもいいのかさえ分からないし、万里くんがどこまで望んでてくれるのかも、わからない。具体的に言えば、キスとかそういうことをしてもいいのかどうか。
「まいったなー……」
万里くんの、困ったような声が耳に届く。俺は多分、青ざめていたと思う。だって、傷つけたくないとか思った傍から困らせちゃってるんだよ。ど、どうしよう……。今ならまだ、傷は浅いよね、おつきあい、やめられる?
「あー、ほんと参った。……アンタどんだけ好きにならせんだよ。マジ勘弁して」
「え、……え?」
「あのさぁ、俺初恋っつったの覚えてない?」
「え、あ、うん、言ってたかな……」
「経験はあるけど、マジで惚れた人相手ってのは本当に初めてなんだわ。だから、俺も紬さんが何をどこまで望んでくれてんのか分かんねー。俺が考えてること全部言ったら、傷つけるかもしれねぇ。怖ぇよ、正直。……それでもアンタ、俺とおつきあいしてくれんの?」
万里くんが、持ってたコーヒーカップを置いて少し傾け、中身をくるりと回して、また持ち上げて、飲むでもなくじっと眺めて再度テーブルに置く。落ち着かないその動作は珍しくて、万里くんも緊張していたことに俺はようやく気がついた。
「万里くんになら俺、傷つけられたって構わないよ」
「……そういう話じゃなくてな」
「だって、きっと万里くんはそのあと絶対優しくしてくれる。だから傷なんて気にしない」
万里くんが驚いた顔で俺を見てくる。そんなにおかしなことを言ったかな。
でも、言ったことは本音だよ。これから先どんなすれ違いがあっても、万里くんはそれまで以上の優しさで俺を包み込んでくれる。
「だから、もし俺が……したくないけど、もし俺が万里くんを傷つけちゃったとしても、絶対傷跡消してみせるよ。だからその……俺と、おつきあい、して……くだ、さい」
なに言ってんだろ、俺。俺なんかが万里くんを包み込めるわけないのに、気持ちだけは人一倍貪欲で、泣きたくなってくるよね。偉そうなこと言って、万里くん呆れてないといいんだけど……。
なかなか声が返ってこないんだけど、答え、くれないのかな……。
「よ、……よろしくおねがいします…………」
ほんの少し待ってみたら、顔を真っ赤にした万里くんがそう答えを返してくれた。かわいい……え、万里くん、可愛い……。傷つけちゃうかもなんて言ったけど、無理、こんな格好よくて可愛い子、傷つけられるわけないじゃない……。
「おいしいトコ全部持ってかれた感……なんなんだよアンタほんともー……紬さんの前では格好よくいたいのに、初っぱなからダメじゃねーか!」
「万里くんはいつでも格好いいので大丈夫だと思います」
「なんで敬語」
「ふふ」
「……なあ紬さん、アンタを傷つけるのが俺なら、その傷消すのも俺だから。他のヤツにはさせないで」
万里くんのまっすぐな目が俺を射貫いてくる。
これから先、万里くんが俺を傷つけても、万里くんが癒やしてくれる。俺が万里くんを傷つけても、俺が癒やしてみせる。
「うん、よろしく万里くん。幸せになろうね」
「トーゼンっしょ」
万里くんがいつもみたいに笑ってくれた。
ひとまず今日は、俺の中の欲を話してみてもいいのかなって、俺はようやくコーヒーをちゃんと味わえるようになったのだった。
#両想い #ワンライ
恋人同士になりましょう
夢かと思った。だけど夢じゃねー証拠に、俺はちゃんと紬さんの腕を掴んでいる。この感触が夢なわけはねぇ。ガクガクと膝を揺らし、自分の力で体を支えられないらしい紬さんの重みが、夢なはずない。
けど夢じゃねーっとことはだ。
夢じゃ、ねーって、ことは、だ。
絶望的だと思ってた俺の恋、叶うのか?
「つ、紬さん……」
「お願い、万里くん……万里くん、もう一回、本番……っ」
支えた紬さんの口から、震える声が聞こえる。これはどうやっても、自分に都合のいいようにしか解釈できねぇんだけど……?
紬さんは、好きな子相手の練習台にしていいよって言った。自分から告白なんてものしたことねぇ俺に、紬さんは優しさのつもりで言ったんだろう。だけど俺には逆効果だったんだよ。マジで好きな人相手に、練習なんかできるわけねーだろってさ。
つい、言っちまった。
練習になんかなるわけない。全力で本番になっちまうって。
いくら鈍いヤツだろーが、これで分からないわけはなかったんだ。言ってから、しまったと思った。もう一緒にカフェ巡りもできなくなるかなって、驚いてかへたり込む紬さんを支えたんだけどさ。
そこで、これだ。
もう一回本番お願いします。
って、なんだそれ。なんだよそれ?
本番ってことは、練習じゃねぇってことで、つまり。
つまり紬さんは俺に「好き」って言ってほしいってことかよ。
期待すんぞ。期待、すっだろ、これは!
紬さん、ともう一度名を呼べば、壁を頼りに紬さんは自力で立っていようとする。紬さんなりの、心の準備ってヤツなんだろうか。
改札手前、電車が来なければ人の行き来は少なくて、そもそも壁際で立ち止まってるの俺たちのことなんか、誰も見向きはしないだろう。壁に貼られた夏祭りの広告には花火が配置されていて、紬さんの綺麗な顔立ちをひときわ映えさせていた。
「……紬さん、好きだ」
期待と不安とが入り交じった瞳をまっすぐに見つめる。そこには俺しか映ってなくて、らしくねーほど心臓が鳴った。
俺の解釈は、間違ってないんだろうか。ここでもう一回本番というのは、これで間違ってなかったんだよな?
「ずっと言えなかったんすけど、その、今、俺……紬さんに、本気で、恋してる」
動き出してしまった口は、もう止まらない。止められない。俺はマジで今までこういうの言ったことなくて、どう言ったらいいのか全然分かんねーの。遠回しの方がいいのか、ストレートな方が伝わりやすいのか。一応後者を選んでみたんだが、紬さんはちゃんと分かってくれてんのか?
「ゆ、夢じゃ……ない……?」
「え?」
「だって、だって万里くんが俺のこと、好き、とか、そんな……俺、自分に都合のいいように取ってる、の、かなって」
紬さんの震える声が耳に届く。つまりそれは、紬さんの遠回しな告白なのか。
「紬さん、俺これでもありったけの勇気出してみたつもりなんで……夢とか、言われっと、ちょっとしんどい」
「だ、だけど! だけど……俺、俺だって万里くんのこと好きなんだよ、こんな、上手くいくなんて思ってなかった!」
うわっ……。
マジか。マジか、マジかよ……っ!
上手くいくなんて思ってなかったなんて、そりゃこっちの台詞だ!
「紬さん今のもう一回、もう一回言って」
「え、えっ?」
「好きって、ホントに?」
あ、と紬さんが小さく声を上げる。勢いだけで口にしたらしく、自覚してなかったようだ。もともと大きな目がもっと大きく見開かれて、こぼれちまうんじゃねーかなって思った。紬さんは口走った言葉を自覚してか、恥ずかしそうに俯いて、浅い呼吸を繰り返す。
「ご、ごめん、ちょっと待ってね、今、あの……ちゃんと、言う、ので」
ちょっとでも、何分でも、何十分でも、待つよ。紬さんの口からいちばん聴きたかった言葉が聴けるなら、何時間だって待てる。
なあ、馬鹿みたいじゃね? なんでもできて、イージーモードだった俺がよ、こんな、たったひとりの人相手に一喜一憂してんの。
けどもう馬鹿でいーわ。全然、馬鹿でいーわ俺。
「万里くんが、好き、だよ、俺も」
アンタの口からそれが聴けるんだったら、なんにだってなってやる。
「万里くんが大好き……」
叶うと思ってなかった、って紬さんが俺をまっすぐ見てくれる。だからそれこっちの台詞な……。
「あ、そ、そうだ、あの、万里くん」
「あ?」
「りょ、両想いってことは、その……俺たち、恋人になれるのかな」
なんでそこだ? 普通そうだろ、お互いに好き合ってて、恋人にならねぇ理由があんのか? 別に二股でも不倫でもねーし。
「よゆーでなれんだろ。カフェ友から、こ、恋人同士に昇格ってとこっすかね」
紬さんが恥ずかしがるから、俺までつられちまったじゃねーかよ。どうしてくれんだ、かっこわりぃ。
あー、でもいいや、紬さんが嬉しそうに笑ってくれた。そんだけでいい。
「ねえ万里くん、どこか美味しいコーヒー飲みに行こう。こんな幸せな気持ち、感じたことない。もっと長く幸せ感じたいんだ」
「行かねー理由はねーわ。もともとカフェ巡りにきたんだしな」
ひとまず改札出て新規開拓しよ、と紬さんを促しかけて、俺は足を止めた。
壁際の、デカいポスターが目に入る。
夏祭りと書かれたそのポスター。全然興味はなかったけれど、これって誘ってみてもいいんじゃね? 恋人同士なら、結構大事なイベントだろ?
「あとね、万里くん。俺、きみといっしょにあれに行きたい」
紬さんが壁の広告を指さす。
先、越された。
「あー、な、夏祭り?」
「うん。レンタルでいいから浴衣着よう。万里くん絶対カッコイイでしょ」
この人天然なんかな、なに言ったか自覚してんの? 俺の浴衣姿見たいって言ってんだぜ? しかもカッコイイって断言してんの、ちゃんと分かってる?
「ね、一緒に行ってくれる?」
「俺から誘おうと思ってたんすけどね……」
「あはは、おんなじ気持ちってことだよね。楽しみだな。じゃあひとまず、カフェへ」
そう言って紬さんは俺の手を握って歩き出す。さっきまでガクガク震えてたアンタはどこへ行ったんだ。
ああもう、夏祭りの前に、俺の中がお祭り騒ぎだよ。
#両想い #ワンライ
TEMPO
いつもとは違う駅でカフェを探してみよう。そう言ったのは万里の方で、紬はひとつ瞬いて、それにいいよと返した。それが、昨日の夜のできごと。天鵞絨駅周辺のカフェは行き尽くしてしまって、目新しさがない。もちろんお気に入りのカフェというモノはそれぞれにできたけど、どうせなら新規開拓もしてみたい。
せっかくできたカフェ友なのだ、楽しみたい。
ゴトン、ガタン。車輪がレールの上を滑る。ぶつかり逢う音を紬はドアすぐそばの手すりにもたれて聴いていた。すぐ目の前、カフェ友である摂津万里が、電車のドアにもたれながら携帯端末の画面に指を走らせている。紬はその横顔をじっと眺め、そして、伏せた。
――――行き先のない電車なら良かったのに。
目的があって電車に乗っている以上、いつか行き先に着いてしまう。万里と過ごすために行き着く先だが、万里と一緒に過ごしたいから着いてほしくない。
今日は何を話そうか。紬は目を伏せたまま、万里との会話のネタを探した。探して、なにもないことに苦笑する。
こうして一緒にカフェにいく間柄ではあっても、お互いの間にカフェ巡りと芝居以外に共通の趣味などない。実際今だって、万里の視線は携帯端末の中のゲームを追っているのだろうし、その指先は敵だかなんだかを倒すためにしか動かない。
今まで一緒に行ったカフェの中でも、会話のネタがなくて沈黙が流れるのは、よくあることだった。だけど紬は、それを苦痛には感じていない。紬にだって自分のテリトリーというものがあるし、自分自身のペースというものがある。万里だってそうだろう。沈黙は苦痛ではない。ただほんの少し、寂しいだけで。
万里の声が聴きたい。
万里の声で呼ばれたい。
万里の声に返したい。
初めての恋は、紬のぜんぶを巻き込んで、深い沼に引きずり込んでいく。
――――叶うわけないのに。この距離で万里くんを見ていられるって、それだけで、満足、したいのに。
上手くいく恋だとは思っていない。いないのに、欲望だけは一人前だ。
――――好きって言いたい、好きになってもらいたい。キスだってしたいし、抱かれてもみたいんだよ。ねぇ万里くん、俺がこんなこと考えてるなんて、きみは全然知らないんでしょ。
万里は、恋に興味がないと言っていた。そういえば自分自身も高校生の頃は芝居ばかりで、恋愛に意識を向ける余裕なんてなかったなあと思いだす。それを考えると万里の言い分は分かるのだが、万に一つでも可能性はないと気分が沈んでいってしまう。
「紬さーん、なんか疲れてねぇ? 引き返す?」
目を閉じたままそんなことを考えていたら、さすがに万里が気づいて声をかけてくる。紬はその声を全身に染み渡らせるようにゆっくりと目蓋を持ち上げた。
「ううん、そんなことないよ。どうして?」
「ため息、六回目」
紬は目をぱちぱちと瞬いた。万里の視線は携帯端末に向かったままで、こちらの動向を気にかけているようには見えなかったのに。まさかじっと眺めていたときのことは気づかれていないだろうなと、少し視線を逸らした。
「ちっちゃいヤツだけど、なんか苦しそうだったからさ。座れたら良かったんだけどな……」
万里がやっと顔を上げて、電車内をきょろりと見回す。それでも夕方のこの時間帯、空いている席はひとつもなくて、座ることは難しい。
「目的んとこまであと三つだけど、次で降りようぜ。どこだっけ……あー、行ったことねーわ。ちょうどいいじゃん、次の駅で新規開拓しよ」
万里が車内の表示板を確認して、次の停車駅を確認する。確かにカフェ巡りできたことはない駅だ。万里は他の用事でも来たことがないのか、それとも紬に悟らせないための嘘なのか。
――――多分、きたことあるんだろうなあ……万里くんは、優しい、ずるい……。他の人にも、そんなに優しいのかな……。
後者だろうと紬は思う。さっき一瞬見せた表情は、本当に心配してくれている顔だった。目的の駅まで我慢するより、早く降りて座れるところを探した方がいいと思ったのだろう。
――――苦しい。万里くんが好きで、大好きで、苦しい。
クスリなんかない、治るわけない、お医者サマで草津の湯でも、この初めての不器用な恋は治せないはず。
初めての恋じゃなければ、せめて恋愛方面にもう少し慣れていたら、万里への恋心を楽しんでいられただろう。
「そうだね、そうしようか」
「テンポ、おそ」
「ごめん考え事。ごめんね万里くん、ありがとう」
「……べっつに」
万里が、少し言葉を詰まらせてふいとそっぽを向く。紬のためについた嘘が、バレてしまったことを悟ったのだろう。それでも何でもないような振りをして、停まった電車から紬を連れ出してくれた。
「大丈夫っすか?」
「平気、少し寝不足」
「は? 寝れねーの? なんか悩みでも――」
駅の改札へと向かいながら万里は訊ねてくるけれど、途中で立ち止まって携帯端末を確認する。メールか、LIMEかを受信したのだろう。紬も少し先で立ち止まり、万里を待った。
いや、待つというほどの時間もなく、万里が隣に追いついてくる。手には端末は握られておらず、大事な用事ではなかったらしいと紬は感じた。
「あれ、よかったの?」
「あーいーのいーの。一成が合コンの写真送ってきただけ。さっきからうっぜぇくらい送ってくんの。断ったからって嫌がらせかよ、ったく」
「え、あ、合コン? 万里くん、そういうの行くんだ?」
「行かねーよ、興味ねぇし。うざってぇだけだろ」
ため息交じりの万里の言葉に、ガツンと頭を殴られたような錯覚に陥った。合コンということは、主に男女の出逢いの場だ。多くは恋愛関係を望んで。たまには友人関係を目的に。紬は項垂れて、額を押さえる。万里が合コンに行かないというのは、正直ありがたい。絶対女の子に狙い撃ちされるに決まっているのだから、そういった場には行かないでほしいとは思っていた。
だけど、万里は恋愛に興味がないどころか、うざったいと思っているらしいと、今の発言で分かる。
絶望的だ。
ぐわんぐわんと頭が回るようで、紬はとうとう足を止める。
「紬さん? ちょっと……おい、大丈夫、じゃねーよな。貧血?」
万里がそんな紬を心配して覗き込むけれど、紬は口唇を噛んだままなにも言わない。何かを発せる状態ではなかった。
――――もともと絶望的だけど、いくらなんでも、これは駄目かな……俺の気持ち知っちゃったら、うざったいって思うのかな。そうだよね、好きでもない、しかも男の俺なんかに好かれても、困るだけだよ。
「紬さん、なあ、ちょっと、隅っこ……歩ける?」
紬の腕を掴んで、万里はゆっくりと通路の済みへと移動する。立ち止まったままでは、行き来する人たちの邪魔になってしまうからだろう。広告の貼られた壁際で、紬はやっと息をした気がした。
「やっぱこのまま引き返そう。少し休んでからでいいからさ。具合悪いんだったら先に言えっての」
「ごめん……大丈夫、……大丈夫だよ、ごめんね」
紬はそう言いながらも、顔を覆う手を外せない。初めての恋を、初めての失恋を、いったいどうやって飲み込んだらいいのか分からない。
「……俺ってそんな頼りねーかな……」
「え、ごめん、なに? 聞こえなかった」
「なんでもねーよ」
そう言いながらも万里のため息は大きい。早く気持ちを浮上させなければと、紬は何度か深呼吸を繰り返す。「面倒」だとか「うざったい」だとか、万里に思われたくない、その一心で。
「大丈夫、もう落ち着いたよ。コーヒー、飲みに行こう」
「んな青い顔してなに言ってんすか。帰るぞ」
「大丈夫だってば」
「アンタの大丈夫はアテになんねーの。なんか悩み事とかで寝れねーんなら、帰り道で聴いてやっから」
万里はそのまま、改札へは向かわずに乗ってきた電車のホームへ足を向けてしまう。だけど紬は動き出せずに、万里から顔を背けた。
「悩みなんて……言ったって万里くんには分からないよ。恋愛に興味ないでしょ、うざったいって思ってるくらいだし」
「はぁ? ……ちょっと待てよ、アンタの悩みって、そっち方面?」
お互いの声が尖る。紬は、このままじゃ駄目だと俯いた。こんな気持ちのままで、想いを告げるわけにはいかない。どうごまかそうかと必死で言葉をたぐり寄せた。
「……そうじゃなくて、合コンに集まった人たちは、真剣な想い抱えてるかもしれないでしょ、それを……」
「俺、好きでもねーヤツになに言われても響かねーから。あしらうのうざったいって意味で言ったんだよ。別にそういうのやってるヤツらをどうこう言ったんじゃない。……言われたいひとには、絶対、……ぜったい言ってもらえねーからな」
視線を落とした万里に、紬は目を瞠る。さあっと血の気が引いていくような音を聞いた。
「そのひと以外にはキョーミねぇの。だから合コンとかそういう誘いは全部断ってる」
万里に、好きな人がいる。すごく好きなひとがいる。それをたった今、知ってしまった。
崩れ落ちていきそうだ。まるで絶望的な初恋で、とうとうなにもできないままで終わってしまう。
紬は震える口唇をどうにか押さえ込んで、開いた。
「す、好きなひとに伝えてみたら? 万里くんだったら、大丈夫だと思うけど……」
「……どうやって? 俺自分から言ったことねーし……なに言ったらオチてくれんのか、分かんねーの」
万里がそう言って苦笑する様を見て、分かる。万里の方も初恋なのだと。普段あれだけ器用になんでもこなしてしまう万里が、恋については自信がないらしい。自信がなくなってしまうほど、その相手が好きなのかと、紬は泣きたくなった。
――――大丈夫、覚悟してたよ、平気、応援してあげられる、できるよ、できるだろ、月岡紬。
何度も自分に言い聞かせて、ため息ひとつ。笑顔を作って顔を上げてみた。
「じゃあ、俺のこと練習台にしていいよ。女の子の役とか、何度かやったことあるし」
万里が目を瞠ったのが分かる。そうして細められていく目は、不愉快さを表しているのだろうか。それでも紬は、精一杯の笑顔を作ってみせる。
「…………習なんて……アンタじゃ練習になんかなんねーよ」
眉間に皺を寄せて、万里が珍しく低い声で呟いてくる。紬はずきりと心臓を痛ませて、苦笑した。気づかれていないといい、嘘でも、演技でも、練習でも、一度でいい、万里に好きと言われてみたかっただけだなんて。
「あ、……そ、そっか、ごめん、俺も恋愛方面には疎いし、参考にならな――」
「練習になるわけねーだろ、俺が好きなの紬さんなんだから! 全力で本番じゃねーか!!」
万里の拳が、ドンと紬の傍の壁にぶつけられる。
紬は、これ以上ないくらいに目を大きく見開いた。
「……っえ、……え!?」
「悪い……こんな風に言うつもりじゃ……っつかそもそも言うつもりなくて」
――――うそ、うそだ、うそ、そんな……そんなわけっ……。
「初恋、なんすよ……」
万里の切ない声に、紬の足から、一気に力が抜けていってしまう。ガク、と膝が折れて腰が沈む。
「紬さんっ?」
床にへたりこんでしまう寸前、万里の両腕が支えてくれるけれど、紬はやっぱり自力で立ち上がることができないでいる。がくがくと震えるあしをどうにか踏ん張るけれど、力なんか全然入ってくれなかった。
「ば、万里くん、ごめ……ごめんね、あの」
「……あー、いいって、フラレんのは分かって――」
「あの、もう一回本番お願いしてもいいかな……」
「は? …………え、……、……え!?」
ようやく絞りだした声で、万里がその言葉の意味を把握するのに十数秒。テンポが遅れる。
紬が万里の本番をもう一度聴くのに成功したのは、それから二分もあとだった。
#両片想い #ワンライ
だから恋は困るんだ
あんまり美味しくねぇ。
飲み慣れたはずのコーヒーを、その日に限って俺はそう思った。
時刻は午後11:00。終夜営業のカフェの外、飲み屋の電気がきらきらと無責任に灯っている。俺には入れない場所だ。いや、入れてもアルコールは飲めない。まだ、そういう年齢。一切飲んだことがないかと言えばそれは嘘になっちまうけど、積極的に飲みたいもんでもなかった。
今はコーヒーの方がいい。好みの味に出逢うとホントに嬉しいんだよな。その店の場所と名前は秒で覚えられるから、リピートすることだって多々ある。
ここもそういう店のひとつだ。
だから、ここのコーヒーがまずいわけねぇ。
なのに今日は、まずい……いや、まずいんじゃねーな。美味くねーんだ。おんなじだろって言われそうだけど、全然違う。
俺はカップを静かに置いて、ため息を吐いた。原因は分かってんだ。ただ、認めたくないだけで。
だってさ、好きなひとが合コン行っちまってるってだけで、こんだけコーヒーまずくなるとか、超ガキっぽくね?
演劇に関する男女混合の意見交換会だよって言ってたけど、いやそれめっちゃ合コンだし。
分かってんのかなあのひと。分かってねぇんだろうな、芝居馬鹿だし、演劇に関することって言われたら、なんでもほいほい行っちまうんだろ。
その中にどんだけアンタ狙いの女がいると思ってんだ、紬さんは!
は~……しんど……。なんでヤローなんかに惚れちまったんだろうな。しかも年上。いや年上は好きなんだけど、性別がな。どう考えたって上手くいくわけねーじゃん。
どうにかカフェ友ってポジは維持できてっけど、それじゃ意味ねーんだよな……いや意味なくはないんだけどさ、紬さんが意見交換会って名前の合コン行くって時、止められねーの、すげえ悔しい。酒の席じゃなかったら、俺も絶対ついてくのに。飛び入りなんてよくあることだろ。
未成年なことを、これほど悔しいと思ったことはない。もどかしい。今すぐ成人して、紬さんと飲みに行ってみてぇ。酒は別に飲まなくてもいーけど、他のヤツら牽制しときたいんだよな。
だって紬さんとなら、酒よりコーヒーだしさ。
あー、ここのコーヒーが今日美味くない理由、もひとつあったわ。
正面に紬さんがいねぇ。
紬さんとカフェ巡りし始めてから、一人で飲むことがなくなったせいか、ちょっと、……さみ、しい。
紬さんのやわらかい笑い顔もないし、なんか照れくさそうに呟く声もない。万里くん、て呼んでくれるあの声、たまんなく好きなのにさ。
それがひとつもない店内は、今の俺にとってヘブンじゃなくなってる。
逢いてーな……今LIMEしても、見てねーだろうな……。アプリ立ち上げてみるけど、やっぱりやめとこ。
そもそもあのひと慣れてねーから読む習慣もついてねーし……おい俺の指勝手に動いてんじゃねーよなんだよこれ、送れるわけねーだろ。
逢いたい。
なんて。
……は!? なんで勢いで送信ボタン押した!? 削除削除削除!! やっべ、セーフセーフ、既読は付かなかった、全然よゆー。
……もし、万が一にでも読まれてたら、ごまかそ。他のヤツに送る予定だったって。誰にって、誰でもいーし。んなもん送るような相手いねーけど。
はー、も、マジしんどい。紬さん相手だとホント何もかもが上手くいかねぇ。
紬さんを好きになってなきゃ、ここのコーヒーも美味いはずだった。紬さんのいない寮に帰りたくなくて、こんなとこで時間潰したりもしなかった。LIMEのメッセひとつに言葉選んで悩んで、送信タップする指が震えたりもしなかった。
調子が狂う。いつもの自分でいられない。
「万里くん?」
ほら、幻聴まで聞こえてきた。さすがにこれはやべ、…………は?
「つ、……紬さん?」
なんで、どうしてここに紬さんがいるんだ? 幻覚か? いやそれにしてはすっげぇリアル。……本物?
「なにしてんすか、こんなとこで。アンタ今日、合コンだったろ」
「合コンじゃないってば。っていうか万里くんこそ何してるの、こんな時間まで。未成年なんだから、駄目じゃない……?」
本物……本物!? なんで……っていうか、偶然、だよな? 合コンの店、ここから近かったんか? さすがにそれは聞いてなかったけどさ。
「万里くんがここのコーヒー好きなのは知ってるけど、夜遊びは駄目だよ」
言いながら、紬さんは俺の正面に座る。えっ……と、コーヒー飲んでくつもりってことで、いいんだよな。
「すみません、アメリカン。万里くんは?」
「あー、じゃ、俺もアメリカンで」
そうして店員に追加オーダーを頼み、ふうっと息を吐いた。まったくゲンキンなもんだぜ、紬さんが来た途端にここはヘブンに変わる。
「いいんすか、未成年と夜遊び・・・・・・・とか」
「えっと……じゃあ、俺が保護者ってことで」
「頼りねぇ保護者だな」
気まずそうに紬さんは視線を泳がせて呟いてくる。二人でいると、どっちかっていうと俺の方が上に見られる。その紬さんが保護者って、ウケるわ。
それを抜いてもな、保護者かあ……って気分だわ。
紬さんには、保護者じゃなくて恋人になってほしいのに。
「でもびっくりしたな、コーヒー飲んでいこうと思って入ったら、万里くんがいるんだもの。ドア開けてすぐに目に入ってきたんだよ。目立つからなぁ、万里くん」
「そんなに目立つっすか? ん~……自分じゃ分かんねーけど」
「えっ、あっ、そういうものなの? ……なら、やっぱり気をつけなきゃね」
運ばれてきたアメリカンをすすりながら、紬さんがため息を吐く。それって俺が補導されたりとかそいうこと心配してんのかな。んなヘマしねーのにさ。
「紬さんも、今日の合コンで目立ってたんじゃねーの? 誰かと連絡先交換してきたんすか?」
「真面目な意見交換会だよ? っていうか俺が目立つわけないじゃない……交換したくても俺、やり方分からないし」
「…………合コンの意味なくね、それ」
「あのね万里くん、俺、今はお芝居で精一杯で、女の子とおつきあいするつもりは全然ないんだよ」
ため息交じりに呟かれた言葉に、俺は心の中でガッツポーズ。それなら、積極的に「夜遊び」行ったりしねーよな? まぁ芝居に夢中ってことは俺も眼中にはねぇんだろうけどな……。
「万里くんとこうやってカフェ巡りする方が楽しいしね。万里くんは、いいの? 女の子と一緒の方が嬉しくない?」
マジでか。今のマジでか。紬さん、合コンより俺とのカフェ巡りの方がいいって! どんな殺し文句だよ。やっぱこの人、無自覚で人たらしだわ。
「俺も別に。今はキョーミねぇっつか、もともと恋愛方面にキョーミねぇからさ」
「あ、……そうなんだ……」
だから、紬さんを好きになったのは俺的に予定外っていうか、おかげで空回りしっぱなしなんだよな。
「紬さんとこうやってコーヒー飲んでる方が、俺も楽しーしな。夜はまた店が違った雰囲気になるし」
紬さんの言葉を真似て返した俺に、紬さんが満面の笑みを返してくれる。マズった、可愛い。
「ホント? じゃあ、またこうして夜遊びしようね、万里くん」
続いた紬さんの言葉に目を瞠って息を止めて、危うくカップを取り落としそうになった。何言ってんだ。何言ってんだこの人!
「ちょ、なに、言って」
「あ、でもたまにだよ、たまに。そうそう未成年を連れ出せないよ」
大事なとこそこじゃねーし! ほんとにこの人は、無自覚でどうしようもない、危なっかしい!
そんなとこも可愛いって思っちまうんだよな。
ああ、これだから恋ってヤツは。
◇ ◇ ◇
そっかぁ、万里くんは恋愛に興味ないんだ……。じゃあしばらく女の子とつきあう予定もないわけで。目立つ自覚がないってのほんとどうしようもないなって思ったし、女の子に牽制する必要なくなったのかな。それは有り難いけど、当然俺なんか眼中にないよね。手放しでは喜べないよ。
万里くんには知られたくない。あの交換会を途中で抜けて、万里くんと巡ったカフェ探してたなんて。まさか本人がいるとは思ってなかったけどさ。
夜遊びしちゃいけない年齢の子に、なんでこんな恋しちゃったんだろう。
困ったなあ……叶う見込みなんて全然ないのに、止められない。
だって、万里くんが俺とのカフェ巡り楽しいなんて言ってくれるから。浮かれちゃうじゃない……。
……でも、さっきの・・・・は見間違い、だよね……? スマホの画面にポップアップで出てきたメッセージ……。
逢いたい。
なんて。
びっくりしてアプリ立ち上げたら新規メッセージなかったし……恋愛に興味ないなら、他の人宛でもなかったはず。やっぱり俺が万里くんを好きすぎて生み出しちゃった幻だったんだ。
その瞬間はがっかりしたけど、ここで万里くんを見つけた途端天国に来た感覚にさえなったんだから、ゲンキンだ。
ああ、これだから恋ってものは。
#両片想い #ワンライ
この雨になれたら
ざあざあ。
雨が窓を叩く音がする。
紬は熱を持ったコーヒーカップを両手で持ち上げ、ガラスを滑る雨粒を眺めた。
「まだ、強いね、雨足」
「あー……そっすね」
小さく呟くと、正面の席に座った万里からも同意が返ってくる。彼の手に握られた携帯端末は、ゲームでも起動しているのだろうか。紬はゆっくりと瞬きをして、小さくため息を吐いた。
本当は、コンビニに寄る予定だったのだ。そこで傘を買って、MANKAI寮に帰る――それが、当初の予定。土砂降りの雨の中、ほんの少し雨足が弱まった隙にと二人で飛び出して、ぱしゃ、と水たまりを踏んだり飛び越えたりした目的地。
自動ドアのすぐ傍に、いかにも今が買い時ですとでも言わんばかりにおかれた色気も何もないビニール傘。それを一本ずつ買って、傘の分だけできてしまう距離にションボリしながら帰るはずだったのだ。
それなのに、見つけてしまった。コンビニの少し先、営業中と小さなプレートがかかるこのカフェのドア。
あ、と声を上げたのは、ふたりほぼ同時だった。
紬さん、と万里の声が呼んだのと、万里くん、と紬の声が呼ぶのが重なって、噴き出したのが二十分ほど前。
お互いに共通するのは、芝居とカフェ巡りのみだ。年齢も違えば興味があることも違う。好きな食べ物も違うし、カフェを好む理由も違う。
だけど、だからこそ、紬は見逃せなかった。
万里ともっと長く一緒にいられる口実を。
傘を買うのをやめて、もう一度雨の中を一緒に走った。また万里が手を引いてくれたけど、特に深い意味はないんだろうなあと思うと、嬉しさと寂しさが同時に襲ってくる。
――――高校生相手に恋とか、……馬鹿みたいだよね……。
いつからだろう。
摂津万里という年下の男の子に、月岡紬は恋をしている。
驚くより先に、笑ってしまったのを覚えている。
叶うわけがないのに、どうして好きになってしまったんだろう? 理由は探せばたくさんある気がしたけれど、紬は万里を好きになった理由を探していない。どれだけ理由を並べ立てても、それは結局「彼が摂津万里だから」ということになってしまう。
顔も、声も、仕草も、醸し出す雰囲気も、歳のわりに大人びた表情も、ときおり見せる子供っぽい笑い顔も、摂津万里だからこそ出せるモノ。素のままの彼の全部が、紬の心を支配している。
今、この時も。
「やっぱ傘買って帰った方が良かったっすかね? 通り雨だと思ったんだけどな」
「うーん……どうだろ。何か急ぎの用事でもあった? 万里くん」
「や、俺はヘーキっすけど。傘一本とブレンド一杯だったら、俺迷わずブレンド選ぶわ」
言って、万里がカップを持ち上げる。笑ったその口唇がカップの端に触れるのを見て、紬はほんの少し視線を背けた。
あの口唇に触れられたら、どんなに幸福だろうか。そんな風に思ってしまう自分が、情けなくて仕方がない。叶わない恋なんて、早々に諦めてしまえばいい。何度もそう思ってきた。
「それに、傘あると紬さんと話すのに邪魔だしな」
なのにそのたび、万里が邪魔をしてくれる。諦めることを諦めて、せめてこの距離を保っていたいと苦笑する日々だ。
――――万里くんにこの気持ちを言っちゃったら、きっとそんなこと言ってくれなくなるよね。女の子にモテるんだろうし、おつきあいなら断然そっち。今は、ゲームにしか興味ないのかな。
モテそうな容姿をしているのに、特に女の子と出かけたりしている様子がないのは、休日には稽古かゲームに勤しんでいるからだろうか。それを考えると、彼がゲーム好きで良かったと思うし、ゲーム仲間らしい至には、せいぜい捕まえておいてほしいと思う。そんなズルイことを考えた。
「にしても、紬さんてすげーのな」
「え? 何が?」
「天気まで読めんだろ? さっきあと十秒っつって俺のこと引き留めたじゃん。マジで雨足弱まったし」
「ああ……あれね……」
紬はどう答えようか迷って、気まずそうにコーヒーをすすった。
確かに、雨宿りしていた建物のひさしから飛び出す直前、万里を引き留めた。あと十秒待てば雨足が弱まるからと、手を握って。
――――あんなの、嘘なのにな。万里くんて素直。
そう、紬は雨の勢いを読んだわけではない。あんなのは万里を引き留めて、手を握るための口実だ。偶然にも雨足は本当に弱まってくれて、万里が手を引っ張ってくれたのだ。思わぬ幸福に目を瞠ったけれど、きっと万里は気づいていないはず。
「やっぱ花の世話とかしてっと読めるようになんの? 雨に弱いヤツとかもあんだろ」
「うん、そうだね……恵みの雨は必要だけど、多すぎると根が腐っちゃうし。今日は屋根の下に入れてきたから、大丈夫だと思うんだけど……予報より早くてびっくりした」
雨の勢いを読めることにしておいて、万里の素直さにまた気持ちが大きくなるのを、どう隠したものかと思案する。
知られたくないけれど、気づいてほしい。瞬きをして万里の姿を視界に納めるたび、心の中が変わっていく。
叶うわけないのだから絶対に知られたくないという思いと、こんなに好きなのだから少しは気づいてほしいこの鈍感、という気持ちが交互にやってくる。
「でも、今回の雨は恵みかもな、俺たちにとっちゃ。このカフェ知らなかった」
「あ、それはそうかも。万里くんが一緒の時でよかった」
カフェ巡りは一人でだってするけれど、どうせなら万里と一緒の時がいい。気に入った店はどうせあとから万里と一緒に来るのだから、それなら最初から、という思いで口にした言葉に、どうしてか万里の声が詰まったような気がした。珍しく視線を逸らされて、紬は首を傾げる。
――――もしかして、気づかれた? ……ううん、そんなはずない。万里くんと一緒にカフェくるの楽しいって、前から言ってるし、こんなことで気づかれるはずないよね。
「なんかほんともう……むり……」
はあーと万里が大きなため息を吐く。無理、というのはどういう意味だろう。もう一緒にカフェに来られないということだろうか? 何か彼の気に障ることを言ってしまったのだろうか?
――――それならそれで、いっそ言ってしまおうか。俺は万里くんのことが好きなんだって。
どうせ嫌われてしまうなら、この気持ちを知ってほしい。そして困ればいい。
八つ当たりだと分かっていても、そう思わずにいられない。こちらはそれほど好きなのだ、と紬はこっそり万里を睨みつける。
――――きみの肩を濡らす雨にさえ嫉妬するほど、俺は。
あの雨になれたらいい。たとえ指先で払われても、一時でも触れていられる。
そんな馬鹿なことを考えて、紬は恵みの雨にごめんとありがとうを心の中で呟いた。
#両片想い #ワンライ
きみといっしょに
ばしゃばしゃばしゃ。
踏んだ水が跳ねて、パンツの裾を盛大に濡らしていく。だけど今この時点で、それを気にしている余裕なんかなかった。恐らく、道行く人の誰にもだ。
「紬さん、あそこ」
「うん」
無駄だと知りつつも、万里は腕を目の少し上にかざし視界を確保する。突き刺さらんばかりの勢いで降る雨に、そんなものがどれだけ有効だろう。
こんな日に限って傘を持ってきていない。おまけに傘を売ってそうなコンビニも雑貨屋も、目の届く範囲にはなかった。しかし運良く、ひさしのある建物を見つける。そこに紬を促し、どうにかびしょ濡れの大惨事はまぬかれたわけだが。
「ッあーもう、今降るかよ!?」
「びっくりしたね……降るの夜って言ってた気がするんだけど」
ひとまず雨の攻撃を避けられる場所で、万里は濡れた頬を濡れた腕で拭う。それに気づいた紬が、鞄からハンカチを取り出した。
「万里くん、使って」
「や、いーすよ。アンタ使えば」
「駄目だよ、風邪でも引いたらどうするの」
「風邪引きそうなのアンタのほうだけどな、紬さん」
見るからに体力なさそうだし、と笑って付け加えると、うん体力はあまりないけどねと、頬にハンカチを押しつけられた。
「使って」
真剣なまなざしに射貫かれて、万里の胸が鳴る。
「…………サンキュ」
なぜ、そんなにも頑ななのか。年下の未成年に風邪でも引かせたら、オトナの責任だとでも思っているのだろうか、この頼りない風に見える成人男性は。万里は仕方なくそのハンカチを受け取って、額や頬についた水滴を拭った。
――――こんなもんでドキドキするとか、小学生かよ……。
青い縦縞の清潔なハンカチ。紬のものだと思うともったいなくて、だけど貸してくれたことがとても嬉しい。
好きな相手の持ち物で、自分を拭うことの気まずさと、むずがゆい幸福感。
まさか気づかれてはいないだろうけど、摂津万里は月岡紬が好きだった。いや、だった、ではなく、現在進行形だ。
いったいいつ、そういう対象になってしまったのか分からない。よくカフェでお茶をするようになり、月岡紬というひとりの男を知っていくうちに、膨らんでしまった恋心。
気がついたのは、些細なきっかけ。
たまたま入ったカフェで、紬を見つけた。約束をしていたわけでもないのに、その偶然と、紬が笑いながら言ってきた言葉に、心を全部持っていかれてしまったのだ。
『たまにはひとりもいいかと思ったけど、駄目だね、寂しい』
LIMEしようと思ってた、と途中まで打ち込んだアプリ画面まで見せられて、戻れなくなったのは、二ヶ月ほど前。
想いを告白しようにも、玉砕すること必至の恋だ。諦めるというわけでなく、ただ純粋に、紬を困らせたくない。きっと、悩んで、迷って、めいっぱい躊躇って、悔しそうにごめんと言ってくるはず。
自分のことで悩んでくれるのは嬉しいが、だけどやっぱり困らせたくない。
告げずにさえいれば、紬とこうしてでかけることができる。恋心を押し込めて押さえ込んで鍵をかけて、今日はどこのカフェに行こうなんて訊ねることができる。
今日も、そうして誘い出したのだが。
「ごめんな紬さん……連れ回したあげく、濡れさせちまって」
「えっ、ううん、いいよ、だって俺も連れ回したじゃない。万里くんお花とか興味ないでしょ」
「あー、まぁ、ねぇけど。アンタが楽しそうに花とか見てんのは面白いかな。あ、紬さん肩すげぇ濡れてる。つかほっぺたも」
万里は紬に借りたハンカチで濡れていないところを探して畳み直す。紬も雨に濡れてしまっているのだから、処置をしておかねばそれこそ風邪を引いてしまう。丞あたりに怒られるのは目に見えていて、そっとハンカチを差し出した。
「あ、大丈夫だよ。平気」
「平気じゃねーって。使った後で悪いけど……つか、拭くから動くなって」
他人の使ったハンカチを使いたくないのか、単に遠慮しているだけなのか、紬は自身のハンカチを受け取ってくれない。困ったような表情は万里をも困らせて、仕方なく、本当に仕方なく、紬が逃げないように腕を掴んだ。
頬に、ハンカチを当てる。すっとハンカチに染み込んでいく水滴を凝視して、万里はハンカチ越しに紬に触れた。
頬、鼻筋、顎、首、髪。丁寧にしようと思えば手つきがゆっくりになってしまって、より長い時間触れる事になってしまう。それはそれで嬉しいのだが、何かの拍子に気づかれてしまいそうで恐ろしい。
――――そんな風に目ぇ閉じんじゃねーよ、無防備すぎ。キスしちまうぞ。
目蓋についた水滴を拭おうと目許付近に手をやった自分が悪いのだが、この体勢でその仕草はやめてほしいと、理性を総動員させる。
「……ま、こんなもんかな」
「あ、ありがと……」
「はー、これしばらく止まねーよなあ……どーする紬さん」
借りたハンカチは洗濯して返すから、と万里はポケットにしまい込む。空を見上げてもまだまだ止みそうもなくて、このままここにじっとしていては寒さで結局風邪をひいてしまうだろう。それでは元も子もない。
万里は携帯端末で近くに休めそうな店がないか検索する。もしくはコンビニだ。傘さえあればこの豪雨の中でも、帰って熱い風呂に入れる。
「あ、そこの角にコンビニあるわ。なあ紬さん、ちぃっとここで待っててくんねぇ? ひとっぱしり傘買ってくっから」
「え? 駄目、こんな雨の中、万里くんに行かせられないよ。俺が買ってくるから、万里くんが待ってて。駄目なら俺も行く」
「いや意味わかんねーし。俺のが足早いじゃん?」
「うっ……で、でも、やだよ……ひとりでいるの」
少し顔を背けられて、万里は頭を抱えたくなる。どうしてそんなにも可愛らしいことを言うのだろう、この男は。確かにこの雨の中一人で待つのは心細いだろうが、それだって数分だ。
「万里くん、一緒に行ったら駄目かな……」
「…………ちゃんと走れるんすか」
「が、頑張る」
「わぁったよ、じゃ、行くぞ」
「あっ、ちょっと待って、十秒!」
結局折れてしまい、雨の中へ駆け出そうとした時、紬の慌てた声。何だ十秒って! と振り向いた万里の手を、握るものがある。
「あと十秒、多分雨足が弱まる」
紬の、頼りないと思っていた手だ。
万里の体を、熱が駆け巡った。
――――な…………んだこれ!! 十秒もこれっ……、無理!
紬はじっと空を見上げている。雲の動きでも見ているのか、絡んだ指先に力がこもったのに気がついていない。
「向こうの角、だよね」
「お、おう。――走っぞ!」
十秒、経ったかどうか。紬が繋ぎ止めてくれた手を離したくなくて、万里は指を絡めたまま、紬と一緒に雨の中へ駆け出していった。
ばしゃばしゃばしゃ。
水が跳ねて靴も裾も濡らしていくけど、やっぱりそんなこと、気にする余裕なんてどこにもない。
#両片想い #ワンライ
First Kiss
「なあ、紬さん」
万里は携帯端末の画面をテーブルに伏せて置き、恋人の名を呼んだ。その声を受けて、紬が振り返ってくれた。
「どうしたの、万里くん」
「キスしてもいっすか」
立てた膝に腕を置き、折り曲げて襟足をかき混ぜる。
恋人とは言うが、ほんの少し自信がない。何しろ恋人らしいことを何もしていないのだ。
好きだと告白してからしたことといえば、どこが好きか、どれだけ好きか、これからどうしようか、今時中学生でももう少し進んでいそうなのに、そんなことしか話し合っていない。
カフェに行って話し込むのは、恋を告げる前からしていたことだし、いまいち新鮮みに欠ける。
男同士じゃ堂々と手も繋げないし、ちょっと距離の近い友人同士を演じてみたり、時には兄弟を演じてみたり、それはそれで楽しいのだけれど、物足りないと思ってしまうのはこっちだけだろうか、と万里は指に自分の髪を絡ませる。
叶うと思っていなかった恋だから、大事にしたい。壊れないように、そっとゆっくり進んでいきたい。そう思っているのは本当だけれど、紬にもっと近づきたいと思っているのも本当だ。
――――こんなこと言ったら、怒られっかな……。
もっと近くに行きたい。口唇に触れたい。もっと言えば、抱いてもみたい。
紬はどこまで許容してくれるだろう? こうして部屋の中で過ごす二人の時間を、もっと増やしたいと言ったら、叶うのだろうか。
「あ、うん、いいよ。しようか」
拒絶されると身構えていた分、紬の何でもないような明るい声に、反応の仕方を忘れた。
「えっ、……いーのかよ」
まるでカフェのはしごでもしようかというほどの軽い調子には、万里の方が驚いてしまう。性的なことにあけすけなタイプにも見えないが、それはもしや万里の勝手な思い込みだったのだろうか。
いくら恋人同士とはいえ、男相手に簡単に「キスしようか」なんて返せてしまうほど。
「え、するんじゃないの? 違った?」
「いや違わねーけど……」
なんだか思っていたシチュエーションと違う、と万里は困ったように片方の眉を上げる。
もちろん「しようか」という合意は嫌だ、駄目だ、というわけではない。
想像の中の紬は、キスしてもいいかなんて言ったら、びっくりして大きな目を瞬いて、恥ずかしそうに、目一杯ためらって、「うん」と頷くような――そんな夢を見ていたわけでもない。
ファーストキスもまだしたことのない小学生じゃあるまいし、と思ってはいるが、あまりにもイメージと違う。
男相手だということに、嫌悪も緊張もないののだろうか。
「うん、じゃあ、はい」
紬は読んでいたシナリオをパタンと閉じて横に置き、腰を上げて万里の正面に座り直してくれる。万里は、さらに驚いた。
正座。
紬は万里の前で、ちょこんと正座をしたのだ。綺麗にそろえた膝の上に握った拳をそっと置いて、さあ来いとでも言うようにまっすぐに見つめてくる。
しかしよくよく見てみれば、膝に置かれた拳はだんだんと力が入ってきているようで、紬の緊張を伝えてきた。
ふはっ。
万里は思わず笑い声で空気を揺らす。
おかしさと一緒にどうしようもない愛しさがこみ上げてきて、紬への想いがまた一回り大きくなった。
「……なに、万里くん」
「わ、悪い……俺、キスする時に正座する人って初めてだわ、っくく……」
「正座するのなんて、俺だって初めてだよ……」
「なんだよ、しよっかなんて軽いこと言ってたから、俺とのキスなんてそんな重要な事じゃねーのかと思ったら、……ドキドキしてくれたんだ?」
そうだ、思っていたのと違ったというのは、そこだ。
こちらはしぬほど緊張しているのに、年上の余裕とでも言いたげな紬の態度が、腑に落ちなかったのだ。
だけどそうではなかったのだと知って、ホッとする。
「万里くん、笑った罰」
「えっ」
紬が珍しく軽く睨みつけてくる。万里はしまったと思った。せっかくのチャンスが、これでふいになってしまうのかと。いや、そんなことより、きっと精一杯勇気を出した紬を傷つけてしまったのだろう。
「紬さん、ごめ――」
だけど弁解しようと伸ばした手を、紬が絡め取ってくる。万里は目を瞠った。
紬の左手と、万里の右手が、絡んでいく。指を交わらせてくる紬に驚いて、視線をそちらへ向けてみれば。
「あとの隙間は、万里くんが埋めてね」
照れくさそうに目を細め、はにかんで口にする紬の「キスをしよう」おさそい。
ドキドキしてくれたんだ? と訊ねた万里の方こそが、返り討ちに遭ってドキドキのオンパレードだ。
だけど、万里がしかけて紬が深くしてくれた絶好の機会を逃してなるものかと、空いた左手を上げる。隙間を埋めてねと言った紬の願いを聞き届けて、首の後ろに運んでゆっくりと引き寄せた。
口唇が触れる、二センチ手前。ぴたりと止まって万里は笑った。
「ファーストキスだな」
「えぇ? うそつき」
「うそじゃねーって。俺と紬さんの、な」
「こういう時にも使うの……?」
「使うの」
しらねーけど、とは口にしないで、二センチ分、首を伸ばして隙間を埋めた。
#両想い
