- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
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恋するうさぎはメンドクサイ-010-
コンビニに車を駐めて、茅ヶ崎を送り出す。
「あれ、先輩は行かないんですか?」
「買う物ないからな。さっさと行ってこい」
「じゃあ、なるべく早く戻りますね」
「ごゆっくり」
バタンとドアの閉まる音。
ゆっくりしてきてくれ、本当に。思考が処理できない。こうやってステアリングに両腕を乗せてため息をつく間にも、俺の目はコンビニに入っていく茅ヶ崎を追ってしまう。
冗談だろ? 気のせいだ。
茅ヶ崎があんまりおかしなことを言うから、思考がそっちに傾いてしまっているだけだ。サブリミナル効果かな。――って思い込もうとするのに、俺の中の何かが否定する。
さっき手を握り締めてしまったのは、触れたかったからだ。指を絡め返してみてほしかったなんて思ってる時点で、もう駄目だろう。
「恋じゃない理由が……見つからない……」
恋だと思える理由ならいくらでも見つかるのに、そうじゃない理由が見つからない。恋をしないと決めているなんて意志だけでは、ひどくもろいんだ。
認めたくない気持ちの方が大きいけどね……。だって茅ヶ崎は普通に女を愛せるノンケだ。そう言ってただろ。万に一つもこの恋みたいなものが叶う可能性はないんだから。諦めるしかない。間違っても手なんか出すんじゃないぞ。それだけは絶対に駄目だ。
ああ……そうなると茅ヶ崎にも言っておいた方がいいのかな。自衛してもらわないと、万が一ってこともあるだろ。同じ会社で、同じ組で、同じ部屋。いいんだか悪いんだか分からない。そもそも俺は茅ヶ崎をどうこうしたいと思ってるのか?
茅ヶ崎と、キス……とか、セックス、とか……。
………………………………アリだな。
いや、アリだな、じゃないだろ、駄目だ。やっぱり茅ヶ崎に言っておこう。
キスをしたいって。セックスをしてみたいって。いやその前に――好きみたいだって。
この期に及んで「みたい」ってなんだ。往生際が悪い。でも仕方ないだろ、認めたくない。茅ヶ崎が言った通りになるのが癪だ。あれだけ外岡のあからさまな感情を拒絶してやったのに、まさか自分も同じ感情を抱いていたなんて、笑い話だろ。
ノンケに惚れても叶うわけでなし、やっぱり押し込めておくべきかな、この恋は。
そう思ったとき、ちょうど茅ヶ崎がコンビニから出てくる。小走りに寄ってきて、いそいそと助手席に乗り込んだ。
「早かったな」
「そうですか? 食玩の前で結構悩んでたんですけど」
ガサガサとビニール袋のこすれる音がする。コイツはどれだけ買ったんだ。でも、そんなに時間が経ってたなんて気がつかなかったな。俺もそれだけ茅ヶ崎のことを考えてる時間があったってことか。
はあ、とため息をつくと、呆れられたと思ったのか、茅ヶ崎がすいとペットボトルを差し出してきた。
「待たせちゃってすみません。先輩、それ好きでしょ」
それは俺の好きなジンジャーエール。ぱちぱちと目を瞬いた。
これは、俺に? なんだろう、この気持ち。
どうしようもなく――嬉しい。
自分の好きな物を買う間にも、茅ヶ崎が俺のことを考えてくれた。
それだけで、口許が緩む。
こんな些細なことで浮かれてしまえるなんて、恋というものはなんてお手軽な感情だろう。
「ん、ありがとう。もらうよ」
ちょうど喉も渇いていたし、とボトルの蓋をひねりかけて、はたと手を止めた。
「振ってないよな?」
これは炭酸飲料だ。もし思い切り振ってでもいたらスーツとシートが大惨事になることは間違いない。茅ヶ崎がそういう悪戯をしかけてこないとは限らないだろう。俺みたいに。
「振ってませんよ」
「じゃあお前が明けろ」
「信用なさすぎワロタ。振ってないって言ってんのに」
そう言いながらもしぶしぶ受け取る茅ヶ崎。カシュ、と音がして、蓋が開けられる。中身が噴き出すこともなく、どうやら本当に振ってはいなかったらしい。
「は~、惚れた男にする仕打ちですかね~」
「……構ってもらいたかったから、――っていうのはどう?」
ボトルを茅ヶ崎から受け取るときに、わざと指先が触れるようにした。ほんの少しでも触れてみたいっていうのは、立派な恋心?
「あれ、否定しなくなりましたね。ようやく観念しました?」
茅ヶ崎は何でもないように笑う。それはそうか、俺が茅ヶ崎に恋してるって、ずっと言い続けてたんだもんな。今さら驚くこともないんだろう。
「ああ、負けを認めるみたいで癪だけどね。どうやら俺は、茅ヶ崎のことが好きらしい」
「敗北オメデトウゴザイマス」
人生で初めての恋の告白ってヤツも、軽く流されてしまう。気持ちを否定されなかっただけ、マシかな。さてこれからどうしよう。好きでいることは許可されるんだろうか? 手を出さなければ平気かな。
「じゃあ残念賞あげましょうか」
「え? なんだ残念賞って……――」
日本では告白したら賞がもらえるのか? いや、でも残念賞なんだから、フラレるのかな。そんなことを思っていた俺の手からジンジャーエールのボトルを分捕り、茅ヶ崎が口を付けて中身を含む。喉が動く様がどうにも色っぽく感じられたのは、気づいたばかりの劣情だろうか。
だけど解せぬ。そのジンジャーエールは俺のために買ってきてくれたんじゃないのか。残念賞ってそういうこと?
「茅ヶ崎」
「はい、残念賞。間接ちゅー」
真意を訊ねようとしたら、飲みかけのペットボトルをぐいと押しつけられた。ぺろ、と唇を舐める仕種には、俺じゃなければ理性が焼き切れていただろう。何をしてるんだコイツは。
「今はそれで我慢しといてくださいねー」
「お前ね……。え、今は、って……? 直接の可能性があるってことか?」
「さあ? それは先輩次第ですかね。頑張って落としたらいいでしょ」
「お前ノンケだろ」
「基本的には、たぶん」
基本的には……? 口説いてみれば、努力次第でこの恋が叶うってことか? 茅ヶ崎は本当に恋というものを分かっているんだろうか。
「茅ヶ崎、俺の感情には劣情も含まれてるんだけど、理解してるの?」
「ついさっきまで恋を否定してた人の台詞とは思えん」
「直接のキスも、セックスもしたいって言ってるんだ。それでも平気なのか?」
「平気だって思うくらい惚れさせればいいんじゃないですかね」
まるで他人事のように携帯端末でゲームを始める茅ヶ崎。面白くない。当事者だろお前。
「……好きな女いるだろ。現在進行で甘えてみたいひと」
「どこからどう勘違いしたのか知りませんけど、好きな女はいませんよ。良かったですね」
そうなのか? だって、あんなに幸せそうに恋について語っていたじゃないか。でも、今さら俺に嘘をつく必要もないか……なら、心身ともにフリーってことなんだな。
こうなったら、振り向かせるしかないだろ。
「じゃあ、遠慮なく口説かせてもらうよ」
「はいどーぞ。今んとこ外岡より一歩リードですね」
「そうなの? なんで。アイツの方が長いことアプローチしかけてきてるだろ」
「俺に一度も好きって言ってないんで。男らしくないじゃないですか」
なるほど、あれだけあからさまなのに、それは確かに男らしくないね。
そうなると、焚きつけてくれた茅ヶ崎には感謝かな。ずっと気づかないで傍にいるとこだったよ。
恋なんてしないとハナから決めつけて、大事な感情を見過ごすところだった。
「でも、この気持ちには気づいたばかりだからな。初心者だし、判定はお手柔らかに頼むよ」
ないと思っていた感情が自分の中にもあったことを知るのは、これで何度目だろう。予定外の気持ちは慣れるのに一苦労だと思うけど、茅ヶ崎絡みならそれも楽しいかもしれない。
「茅ヶ崎。教えてくれてありがとう」
そう言って、俺は茅ヶ崎が口を付けたペットボトルにキスをした。
恋は唐突にやってきて
急速に
転がり落ちていくものである
やっっっと聞けた。
やっと言ってくれた。
あからさまに俺のこと見て、幸せそうに笑って、構いたがってるのに、どこが「恋じゃない」んだか。
先輩が俺のこと見過ぎたせいで、こっちまでその気になっちゃったんだから、責任取ってほしい。
俺を好きって言って。俺に構って。俺だけ見てて。
嫌だなんて言わせない、だって先輩は俺のことが大好きなんだから。俺が言ってあげないと気づかないくらい日常的に、俺に恋してたんだから。
まったく、俺が恋するうさぎはメンドクサイ。
#ウェブ再録 #両片想い #ウェブ再録
恋するうさぎはメンドクサイ-009-
朝茅ヶ崎をお越しに行ったら、珍しくもう起きていた。どうしたんだろう。
「あ、おはようございます先輩。思ったより早かったですね」
なんだ……起こしてやろうと思ったのにな。アイツのぐずぐずしてる声、結構好きなんだけどな。……え、いや、今のは別に他意はないんだ。好きって、そういう意味じゃなくて。仕方ないなって、家族みたいに思えるから。
でも、起きてたんなら仕方ないか。一緒にご飯を食べて、出勤準備をして、玄関へと向かう。車のキーを持ち上げて、気がついた。
「あれ、茅ヶ崎これ……」
キーに付けたストラップがチャリと音を立てる。そこに付けられていた見覚えがあった。
「あ、それ可愛いでしょ。昨日買ったナイランご当地メダル。でもスマホには付けられないし、キーの方に付けました」
それは、俺がこっそり買った物と同じ。……なんだ、買ってたのか……。やっぱり買わなきゃ良かったな。いや、確認すれば良かっただけなんだけど。
「……運転、俺がするよ」
「え、いいんですか。ありがとうございます」
「最初っからそのつもりだっただろ」
茅ヶ崎は上機嫌で助手席に向かっていく。その嬉しそうな顔はいつもと一緒だ。うん……俺が何を思ってようと茅ヶ崎は変わらない。これでいいんだ。でも、買ってしまったご当地メダルどうしようかな……俺が持っててもしょうがないんだけど。他のヤツにあげるかな。いや、誰にあげるっていうんだ、ランスロットだぞ。
……内緒で持っておこう。茅ヶ崎とおそろいになってしまうのはアレだけど、誰にも言わなければバレないしね。茅ヶ崎に知られないようにしておかないと。
おそろいか……悪くない。
「先輩、なんか嬉しそうな顔してますね。何かありました?」
「え?」
茅ヶ崎が隣から声をかけてくる。思わず振り向きそうになったけど運転中だ、危ない。だから振り向かないまま、なに? と訊ねてみた。
「いや、朝から機嫌いいなって思って」
「別にそんなことないよ。というか……お前こそ俺のことよく見てるんだな」
機嫌がいいなんて自覚はないけど、そんなこと、俺を常に見てなきゃ言えないじゃないか。せっかく買ったナイランご当地メダルが無用のモノになって、どちらかというと機嫌悪いのに。ああ、でも、おそろいは悪くないって思ってたから、それかな。
「先輩が俺を見てるよりはレベル低いですけどね~」
「見てない」
「ときどき先輩の視線感じるんで」
「気のせいだろ。自意識過剰だな。というか、それは本当に俺の視線なのか? また変なヤツに付け狙われてるんじゃないだろうな」
「外岡みたいな? いや、変なヤツはもっとねっとりしてるんで、違いますよ」
苦笑する茅ヶ崎は、多くのそういった視線に触れてきたんだろうか。
俺が知らない頃の茅ヶ崎……。危険な目には遭わなかったのか?
「……大丈夫だったのか?」
「え? ああ、別に警察沙汰になるようなことはね、なかったですよ。これからは先輩が守ってくれるでしょうし」
ふふっと笑う声が聞こえる。なんでコイツはこう、危機感が足りないんだ。そりゃ、俺ができる範囲で守るけど。
「そんなこと言うんだったら、俺の傍離れるなよ」
するり、と。
口から何か出た。
今、何を言った? 何を言ったんだ、俺は。傍から離れるな? 子供じゃないんだぞ、そんなこと……する必要もないだろ。
自分の口から出た言葉が信じられない。
だけど茅ヶ崎を視界に入れておきたい。危険な目に遭う前に手を伸ばしてやりたい。危険な目になんか遭わせない。
「ち、茅ヶ崎、今のは別に」
変な意味じゃなくて。
そう言おうとしているのに、茅ヶ崎はそっぽを向いて、聞く気がないようだった。
そんなことをしている間に会社に到着して、何でもないように車を降りた茅ヶ崎にホッとした。気にしてないみたいだ。
……でも、少しは気にしてるかもしれない。傍を離れるななんて、恋人でもない男に言われて、どんな気分だろう? 嫌われてない……よな?
「先輩、今日帰りは?」
ドアを閉める寸前、茅ヶ崎が覗き込んでくる。朝の光に浮き上がるコイツの顔は、まあ確かに綺麗だよ。周りのヤツらが騒ぐのもよく分かる。
「え、あ、ああ……特に外回りは入ってない。時間が合えば一緒に帰るか?」
「ですね。俺今日午前に会議入ってるんで、延びるかも。ランチ一緒に行けないです、たぶん」
「そう……じゃあ、今日はランチ別々だな。仕事終わったら連絡入れるよ」
はーい、と言って茅ヶ崎はドアを閉める。あ、アイツ車のキー受け取らないで行きやがった。帰りも俺に運転させる気満々じゃないか。……いいけど。
でも、そうか……今日はランチ一緒に行けないんだな。残念。明日はどうだろう? 待て、なんで俺、こんなに茅ヶ崎とのランチ楽しみにしてるんだ? 特別なもの食べにいくわけでもないのに。
……茅ヶ崎が変なこと言い出してから、思考がおかしい。茅ヶ崎のことばっかり考えてる。
気のせいだ、絶対に気のせいだと言い聞かせて、俺も車を降りる。少し先で茅ヶ崎が足を止めて待っていてくれて、心臓のあたりがむずがゆかった。だけどそれでも気のせいだと頭の中で繰り返し、足を踏み出す。
恋なんて面倒くさいもの、するわけにはいかないいんだよ、バカ。
まただ。
また、茅ヶ崎が視界に入ってきた。俺が追っかけてるわけじゃない。茅ヶ崎が勝手に入ってくるんだ。そんなのどうしろって言うんだ?
茅ヶ崎は同じ部署の同僚と話してるみたいだし、今声をかけたら悪いかな。先に駐車場へ行ってるか。アイツにはLIMEでも入れておけばいい。
端末を取り出そうとしたところで、茅ヶ崎が俺に気がついたみたいだ。顔をこっちに向けて、笑ってくる。
「先輩」
体のどこかで、音がした。
何かが割れたような、落ちたような。
茅ヶ崎が小走りでこっちに向かってくる。踏み出すたびにふわふわと揺れる髪。それはどうしてかスローモーションのように俺の視界を彩って、焼きついた。
「今上がりですか? ちょうどよかった、俺もなんで一緒に帰りましょ。運転よろ~」
……待て。待ってくれ。なんだこれ? どうして俺は今、茅ヶ崎を――可愛いと思った? 一緒にいた同僚にろくに挨拶もせず俺の方へ駆け寄ってくるなんて……それも、職場ではあまり見せないような笑顔でだ。
いや、違う……違うそうじゃない。俺は別に、変な意味で可愛いと思ったんじゃない。そのはずだ。
「先輩? もしかしてまだ仕事残ってます?」
「え、あ、ああ……いや、大丈夫、上がりだから」
茅ヶ崎が覗き込んでくる。やめろ、近い。だいたいコイツはどうかしてるんだ。俺が茅ヶ崎のことを好きだと思い込んでるのに、そういう男の隣を平気な顔して歩くんだから。もし俺が変な気でも起こしたらどうするつもりなんだ? 車なんて狭いし密室だし、俺がちょっとハンドルを操作するだけでホテルにだって連れ込めるんだぞ。
「今日の夕飯なんですかね」
「カレーかな」
「え、昨日と一緒では」
「昨日はビーフだったし、今日はチキンかもしれない」
「肉変えただけワロ」
車の中で他愛のない会話はするけれど、俺の中身はイライラでみっしりだ。どうしてこんなに茅ヶ崎のことしか考えていられないんだろう。邪魔くさい。
押しのけようとするのに、ぽんぽんと顔が浮かんでくる。耳を塞ぎたいのに、運転中じゃそれもままならない。茅ヶ崎の声が耳に留まり続けてる。嗅ぎ慣れたラストノートが鼻を抜けて、脳に好感を伝えてくる。
違う、これは違う。
「あ、先輩コンビニ寄ってくれません? そこの角曲がったとこ――」
視界に、角を指さす茅ヶ崎の手が入り込んできた。とっさにその手を掴んだのは、エイプリルとしての防衛本能だったと思う。
でも、指が絡んだのは? 不必要に握り締めてしまったのは? 思わず茅ヶ崎を振り向いてしまったのは?
「先輩?」
きょとんとした顔を傾げた茅ヶ崎に、何かがせり上がってきた。それと同時に、体温が上昇するような錯覚に襲われる。
ほんの一瞬。たったそれだけで自覚した。
「な、なんでもない。いきなり手を出すなよ、危ないだろう」
「えぇ……~」
「コンビニでいいんだったな。また食玩?」
「あと課金のカード」
またお前は、と呆れた調子で呟く。いつも通りにできていただろうか。声は震えていなかっただろうか。上ずってはいなかったか?
ああ、まさか。
本当に俺が茅ヶ崎を好きだったなんて。
#千至 #片想い #ウェブ再録
恋するうさぎはメンドクサイ-008-
「美味しい。あとで万里にもお礼を言っておこうかな」
「や~別にいいんじゃないですか? ついでだったんだし」
「人のついでで俺に恩を売るなよ。ガチャの件はこれで済ませるつもりないからな」
「えー、済ませましょうよ。……あ、だったら膝枕もサービスしますけど」
ぽんぽんと茅ヶ崎が自分の膝を叩く。……そこに寝ろと? 何を言ってるんだ、コイツは。
「ほら、先輩お疲れのようですし。大好きな俺の膝枕なんて、今後ないかもですよ?」
「まだ言ってるのか、それ。俺はお前に恋なんかしてない。冗談もほどほどにしないと、怒るぞ」
「先輩そうやって頑なに否定してますけど、そもそも恋がどんなものか知ってるんですか? 理屈じゃなくて、感情で」
いつまでこんなくだらない論争を繰り返すんだ? そう思って振り向いたら、茅ヶ崎はどこか寂しそうな顔で俺を見ていた。返す言葉を見失って戸惑う。なんでそんな顔するんだ、茅ヶ崎。
「い、いや……感情でというのは、経験がない、けど」
うっかり真実を漏らしてしまう。知ってるって嘘を吐いた方が良かったのかな。でもそれはそれで面倒くさいことになりそうだ。恋をできない理由は話せないけど、恋をした経験がないってことくらいは、真実でいいか。
「俺はね、知ってますよ。恋がどんなものか」
茅ヶ崎の声に、目を見開いた。ぞわ、と肌があわ立つ。
どうしてだ、別に恋の経験くらいあるだろう。茅ヶ崎だって健康な成人男子なんだ、恋のいろはくらい経験してたって不思議はない。
なのにどうしてこんなに……寂しいなんて思うんだ?
「ほらまたそんな顔して。心配しなくても、今はフリーですよ」
茅ヶ崎はすっと手を伸ばして、俺のパソコンをパタンと閉じる。それでやっと我に返った。俺としたことが、他人に端末触らせるなんて。油断と隙しかないじゃないか、しっかりしろ。
眉を寄せていたら、型を掴まれてグイと引っ張られた。おい、どうした俺、油断と隙はあるくせに抵抗力がない。
気がつけば、俺の頭は茅ヶ崎の膝。強制的膝枕が実施されていた。
「おい、茅ヶ崎」
「ハハッ、先輩見下ろすとかレア。いや、これぞSSR」
悪戯が成功したみたいな顔で、茅ヶ崎が笑う。さっきまで寂しそうな顔してたのに、なんだそれ。動揺した俺の時間を返してほしい。はぁ……、まあ身の危険があるわけじゃないから、いいか……。
茅ヶ崎の膝は硬くはない。柔らかくもない。筋肉ついてないから、こんなものかな。存外に心地いい。
「それでさっきの話なんですけどね。俺は恋をしたことがあります。だからちゃんと経験で知ってるんですよ」
「へぇ……それなのに今特定の相手がいないってことは、失恋したのかな。ご愁傷様。慰めたりしないぞ」
「いやそういうことを言いたいんじゃなくてですね。恋を知ってる俺が言う【先輩は俺のことが好き】と、恋を知らない先輩が言う【茅ヶ崎に恋なんてしてない】。どっちが信憑性あると思います?」
言葉に詰まった。茅ヶ崎はさほど重要そうに思えない様子でゲームを楽しんでいて、また体が冷えていく。
と思ったら、小さな端末を握っていたはずの茅ヶ崎の手が、俺の髪を撫でた。
「その俺が言うんだから、先輩は恋してるんですよ。今、俺に」
確かに筋は通っている。体感として恋を知らない俺より、恋をしたことがある茅ヶ崎の方が、その感情に詳しい。だからって俺が恋してるなんて認めるつもりはないけどね。
だけど、俺の髪を撫でる茅ヶ崎の手が心地いい。汚れきった俺のものとは全然違う。あったかいな……。
「……恋って、どんなふうになるの、例えば」
恋を知っている茅ヶ崎はあったかい。どんな女を好きになったんだろう。ゲームみたいにできうる限りの情熱で想っていたんだろうか。その女は、なんで茅ヶ崎の想いに応えてくれなかったんだ?
「どんなふうって、普通ですよ。声聞きたくなったり、隣にいたいなあって想ったり。違う誰かと一緒にいるとこ見てすごい嫌な気分になったりしますよ。それでも声かけてもらうだけでそんな気分吹っ飛んでいくんですよね」
茅ヶ崎が穏やかな声でそう呟く。終わった恋にしろ、その優しい時間はコイツにとって大事なものだったんだろう。
「触れたくなったり、ちょっと甘えてみたくなったり。何より、その人のこと可愛いなあって思ったら、もう駄目ですね」
「じゃあお前は、俺がお前を可愛いと思ってるふうに見えてるの?」
「え、可愛くないです?」
「可愛くないよ。どっちかっていうと憎たらしい。部屋掃除しないし朝は俺が起こさないと起きないし」
「うぐぅヤブヘビだった」
茅ヶ崎の言うものが恋の症状なら、俺はやっぱり恋なんてしてない。茅ヶ崎の声を聞きたくなる時なんてないし、隣にいたいと思ったこともない。外岡が隣にいるのが気に食わないのは、たぶん春組の総意だろう。声をかけてやるのは俺の方だし、触れたいなんて考えたこともない。甘えるとか、どうやって? それに……茅ヶ崎のどこを可愛いって思えって言うんだ? 顔がいいのは確かだけど……それだけじゃ恋にならない。
でも、触れたくなる、……か。この手は心地良いから、触れていたいかな……触れててもらいたい……。
「どうすれば好きになってもらえるのか分からなくて、嫌われたくなくて、臆病になるんですよね。思ってることの半分どころか、三分の一も伝わってないんだろうなって」
苦笑する吐息が混じる。
違う、と感じた。これは、過去の思い出を語っているんじゃない。茅ヶ崎の恋は――現在進行形なんだ。その声の中に、目蓋の裏に、恋する相手を浮かべている。触れたくて、甘えたい相手だ。
なんだ、そうか。
ちゃんと相手がいるんじゃないか。
体が重い。沈んでいきそうなほど重い。息を吐き出したいのに、なぜか唇の手前で止まってしまう。
どんな女なんだろう。どこを好きになったんだ? その女にも、普段のだらしない姿見せてるのか? 見せられない……告白できてない? 俺も知ってる子なら、橋渡ししてやった方がいいんだろうか。
そう言ってやりたいのに、唇が動かない。
どうしてだ。なんで、こんなに悔しいんだろう。俺の知らない恋という感情を茅ヶ崎が知っているから? いや、茅ヶ崎が知ってることを俺が知らないってのは確かに悔しいかもしれないけど、恋情とかそういうのは不要な分野だ。負けてるわけじゃない。
「先輩? どうしたんですか、黙り込んじゃって。俺に恋してること自覚しちゃいました?」
「してないよ、恋なんて」
「たまには素直になってくださいよ……」
「事実を言ってるんだけど」
「俺も事実を言ってるんですけどね」
ふう、とわざとらしいため息を吐いて、茅ヶ崎の指先が俺の額をはじく。いい度胸だな。
俺はそれをきっかけにして、体を起こした。これ以上つきあっていられるか。あ、と茅ヶ崎が小さな声を上げたけど、そのまま部屋を出る。今日は向こうで眠ろうかな。
茅ヶ崎の戯れ言には付き合っていられない。
そう思ってアジトに来たんだけど、落ち着かない。静かすぎる。ソファに座っても、ミネラルウォーターを飲んでも、愛機でネットサーフィンをしても。なんだかそわそわとしてしまって、全然集中できないんだ。
まあ寮の方だと誰かしらの声や生活音が聞こえるから、防音完備のこの部屋じゃ、ちょっと寂しい感じがするのも無理はないかな。ハハッ、こんなふうに思うなんて、人は変われば変わるものだ。
入団した当初は、あそこにいるのが苦痛だったのに、今じゃ向こうが日常になってる。
いつも誰かがいて、笑い合って、ご飯を食べる。
そういえば、茅ヶ崎と一緒にいる時間も増えたな。
「ねえちがさ……」
ソファで隣を振り向いて、ガランとした空間に声を飲んだ。いるわけないだろ、ここは寮じゃないんだ。
あんまり一緒にいすぎて、隣にいるのが当たり前みたいになっちゃったのか……。仕方ない、会社も組も部屋も一緒なんだ。こんなふうに茅ヶ崎を探してしまっても、なにもおかしなことなんてないさ。
もう眠ろう。
ああ、アイツ明日の朝ちゃんと起きられるのかな。早めに向こう戻って起こしてやるか。
#千至 #片想い #ウェブ再録
恋するうさぎはメンドクサイ-007-
「千景でも、動揺することがあるの」
「至さん、何したんすか」
「……別に、たいしたことじゃないよ。さて、さっさと着替えてゲームゲームっと……」
茅ヶ崎はそう言って衣装を脱ぎ始める。言えないだろうな。俺がお前に恋してるなんてでまかせは。自分が恥をかくだけだ。
「外岡、まだ何かあるのか?」
衣装を脱ぎ始めてすぐ、茅ヶ崎は外岡に視線を移す。まだいたのか。
あわよくば茅ヶ崎の着替えでも見るつもりだったんだろう。他のメンバーもいる中、下心全開で茅ヶ崎を見るんじゃない。
「あ、ああ、いや……あの、うん、お疲れ様。また連絡する」
ハッとして言葉を濁し、外岡は楽屋を出て行った。一応お見送りを、と監督さんも追っていく。俺の着替え見てくれないの、と呟く真澄も、俺の視界には入らなかった。腹立たしさで、茅ヶ崎の腕を取る。
「茅ヶ崎。なんだあれ」
「は? ちょっと……痛いんですけど」
「また連絡するって、なんだ。お前アイツと連絡先の交換なんかしてるのか?」
外岡は茅ヶ崎に向けてそう言っていた。少なくとも連絡を取る手段はあるってことだ。
電話番号? LIMEのID? メールアドレス? 他に俺が知らないツールが何かあるのか?
「昨日も言っただろう、アイツに気を許すな。食われたいのか」
「先輩、先輩落ち着いて。交換なんかしてませんよ。アイツは俺がたるちだってこと知ってるし、そっちのツールで連絡取ることはできますよ。でもそれはあくまで配信者と一視聴者だし、やり取りしてないんで」
強く掴み過ぎたのか、茅ヶ崎が顔をしかめる。
ハッとして手を緩め、じっと茅ヶ崎を見つめる。嘘を言っている様子はなくて、俺に隠れて連絡を取り合っていることはなさそうでホッとした。
……なんでだ。いくらなんでも過保護だろう。酔っている時ならともかく、茅ヶ崎だってそれなりの対処はしてるはずだ。俺がここまで気を揉んでやる必要はない。
分かってるのに、嫌だ。
茅ヶ崎が俺の知らないところでアイツと話しているのは、ものすごく嫌だ。もっと言えば、俺が一緒にいる時でも嫌だ。
俺の眉間に皺が寄るのが分かる。唇を引き結んで、無言で責めるように茅ヶ崎を見つめた。返ってくるのは、困惑というより呆れた視線。小さなため息まで聞こえて、苛立ちは増した。
「コレで否定すんだもんな……。せーんぱい、着替えたいんで放してください。これ以上何か言いたいなら、昨日のこと認めてからにしてくださいね」
茅ヶ崎はそう言って睨み返してくる。振り払うことだってできるのに、あえてそうしないのは、俺を負かしたいんだろう。
ややあって、俺は掴んでいた茅ヶ崎の腕を解放した。
……認めたわけじゃない。負けたわけでもない。ただ、他のヤツらもいるし、喧嘩してるのかって思わせたくないじゃないか。事実、咲也の顔がホッとした表情に変わった。俺が最年長なんだから、不安にさせたら駄目だ。
考えないようにしよう。もう、茅ヶ崎のことは。
そう思ったのは間違いないのに、帰り際に寄ったお土産コーナーにご当地限定のナイラングッズが置いてあって、うっかり茅ヶ崎の顔が浮かんでしまった。
アイツ、これちゃんとチェックしたかな。まあ来られない距離じゃないけど、イベント中限定かもしれないし、ここの名産品持ってるランスロットなんて、かなりレアなんじゃないのか?
茅ヶ崎を呼ぼうと思ったけど、アイツはアイツで土産を物色しているようだ。うーん、どうしよう。買っておいてやる? でももう持ってたら無駄だしな。けど、なんで教えてくれなかったんだって、後から文句言われるのも面倒だ。
悩みに悩んで、俺はそのコーナーに置いてあったメダル型のストラップを手に取った。
それだけ小さな紙袋に入れてもらって、他のお土産とは区別する。
コレを茅ヶ崎に渡してやったら、どんな顔するんだろう。喜ぶかな。それとも、どうして先輩が、って不審そうな顔をするだろうか。ハハ、どっちでも面白そうだ。ガチャの賭けは俺が勝ったわけだけど、残念賞としてでもあげてみよう。
「あ、帰りは俺が運転――」
みんなの買い物が終わったところで運転席に向かえば、茅ヶ崎が声をかけてくる。覚えてたのか。
「いいよ別に。疲れてるだろうし。ゲームしたいんじゃない?」
「うぐ……否定できない。じゃ、よろしくです」
茅ヶ崎は上機嫌で助手席に回る。一応ナビ役で、と言ってはいたものの、絶対に役に立たないと思う。だってそのピンクアゲートの瞳は端末画面に釘付けだろう? せっかくランスロットのSSRが手に入ったんだしね。
後部座席では真澄がちゃっかり監督さんの隣を陣取って、じいっと眺めているのがバックミラーで分かる。ふふ、本当に片時も目を離したくないんだな。
真澄を見てると、やっぱり俺は恋なんかしてないって思えて安心する。あんなこと言い出した茅ヶ崎がおかしいんだよ。
恋なんてなんの足しにもならないのに。むしろ俺にとってはマイナスでしかない。傍にいたくなって、傍にいてほしくなって、相手のことしか考えられなくなって、自分のことだけを考えてほしくなって、……そんなの絶対に任務にも支障を来すだろう。
劇団を守るためにも組織を抜けないってのに、そんなことになったらアイツらは俺を調べ上げて、密にも行き着いて、幸福が崩壊する。
そんなこと、絶対にさせない。
ねえ茅ヶ崎。俺は恋なんてできないんだよ。相手がお前じゃなくてもね。
案の定茅ヶ崎のナビは役にも立たず、それでも無事に寮にたどり着いた。予定より少し早いかな。
他の団員たちにただいまを告げて、お土産を渡せば、談話室で今回の遠征話に花が咲く。俺はそれをやんわりとやり過ごして、部屋に戻った。
この劇団は居心地が良いけれど、俺みたいな人間には少し眩しすぎる時がある。無理をしてそこに溶け込むよりも、離れてみるのも大事だったりするんだ。もちろん周りには気づかせないようにね。まあ、密なら気づくだろうけど。
でも、俺はこれでも自分が変わったと思っている。以前なら、そういう時はアジトの方へ行っていたのに、今は自室で過ごしている。……ふ、自室、ね。寮の一室を、こんなに普通のものだと思うなんて、昔からじゃ考えられないな。
その時、ドア開いてここのもう一人の住人が顔を覗かせる。茅ヶ崎だ。少し心臓が跳ねたのは、あんまり認めたくない。ごまかすみたいに膝の上で愛機を広げたけれど、そういえばこのソファは茅ヶ崎のだったな。そう思い始めてしまったら、どうも落ち着かなくて、指の動きが鈍い。
「先輩、何か疲れてます?」
「いや……別に」
そう嘘を吐いてキーをタタタと叩く。当たり障りのないキーワードでサーチをかけて、何でもないふうを装った。
「分かりやすい嘘おつ~。はい、ひとまず。お疲れ様でした」
言って、茅ヶ崎は温かいコーヒーを渡してきた。え、なんだこれ。茅ヶ崎が入れてくれたのか?
声には出さずとも、表情で何が言いたいか悟ったらしく、茅ヶ崎が肩を竦めた。
「万里が入れてたから、ついでにもらってきてあげたんですよ。あ、ほらガチャ負けちゃったし」
「ああ、万里のなら安心して飲めるよ、ありがとう。というか、ガチャ勝負の報酬、これで済ませるつもりじゃないだろうな」
「え、駄目ですか」
「駄目に決まってるだろ。今月のランチは茅ヶ崎の奢りだな」
「待って待って、今月はホント課金で余裕がなくて」
いつもだろ、と言ってやる。コイツが課金しない月とかあるんだろうか。
茅ヶ崎はいつもの干物スタイルに着替えて、ソファに腰を下ろす。俺の隣だ。このソファは茅ヶ崎のだから、俺が座らせてもらってる方だけど、茅ヶ崎は何も言わない。卯木千景という男がこの部屋にいることを、何の不思議にも思っていないんだ。
それが、どうしようもなく嬉しい。
胸が熱くなるのに比例して、キーを叩く指先が冷えていく。ここにいたらいけないという思いが、指先を鈍らせる。隣にいるのに、茅ヶ崎とは住む世界が違うんだ。
「先輩、コーヒー冷めますよ。せっかく持ってきたのに」
「ああ……うん、ありがとう、もらうよ」
カップを持ち上げれば、指先に熱が移る。じんわりと広がっていくその温かみは、全身を弛緩させていくようだった。ゆっくりと焦げ茶の液体を口に含んで喉の奥に流し込めば、独特の苦みと酸味、ほんの少しの甘みが感じられる。香しい匂いが鼻を通り抜けて、まだコーヒーを味わう余裕があるのだと安堵した。
#千至 #片想い #ウェブ再録
恋するうさぎはメンドクサイ-006-
「茅ヶ崎、俺を動揺させてSSRの勝負に勝とうとしてる? 無駄だと思うよ。とにかく俺は色恋沙汰には興味ない」
「へーえ……ま、いいですよ。先輩がそう言うなら、もう俺のこと追いかけないでくださいね?」
茅ヶ崎が苦笑する。追いかけるってなんだ。誰もお前なんて――ああ、なるほど。たかが数十分いないだけで、成人男子を探しにくるなってことかな。……迷惑だった? 一人で考えたかったのか、昼間も。それは悪いことをした。純粋に心配してただけなんだって……たぶん俺が言っても信じないだろうな、コイツは。
「分かったよ。今度からは放っておく。お前からヘルプのLIME来ても無視するから」
「いやそういうことじゃなくて。……先輩案外子供っぽいっていうか、めんどくさ……」
「俺も、これほど分からず屋なヤツとの会話が面倒だとは思わなかったよ。シャワーしてくる」
これ以上問答してても無駄だ。俺の言うことなんか聞きやしない。咲也や綴の言うことだったら、聞くんだろうな……。監督さんとか、左京さんとか。ああ、むしろ言うことを聞かないのは俺相手だけってところかな。あとは……外岡。まだ胃がムカムカしておかしいんだけど、あのビール俺には合わないんだろうか。茅ヶ崎が好きな銘柄なら、一緒に飲めるかなって思ったのに。
俺は息を吐いて立ち上がり、シャワーの準備をする。その間茅ヶ崎は一度もこちらを見てくれなくて、機嫌は良くなさそうだった。
やっぱり、本当に迷惑だったんだろうか。連れ戻したの。 バスルームのドアの手前、少しだけ振り向く。視線が重ならないのが寂しくて、茅ヶ崎、と呼んだ。
「はい?」
「もう一度訊くけど、……外岡とは何でもないんだな?」
「しつこいですよ、先輩。アイツとは何でもないですし、そもそも俺はゲイじゃないんで」
「…………そう。分かった」
それ以上茅ヶ崎には構わずに、俺はシャワーを浴びることにした。温かい湯のはずなのに、体が冷えていくような感覚があるのはなんでだろう。茅ヶ崎の言葉が頭から離れていかない。
――俺はゲイじゃないんで。
知ってる。分かってる。なのになんでこんなに心臓が痛いんだ。
――俺のこと好きなんですよ。
違う、好きじゃない。いや、家族としては好きだけど、恋愛じゃない。絶対に違う。だってそうだろ、茅ヶ崎だぞ? あんなにだらしなくて猫かぶりの廃課金ゲーマーなんて、好きになるわけがない。
そもそも俺は恋愛なんてするつもりないし。組織にバレたら、相手の命が危ないんだよ。内からも外からも、狙われるハメになる。ゲームならともかく、現実のアイツが自分でそんなの回避できるわけないし。
ああ、でもザフラでは結構役に立ってくれたんだよね……。いや、違うか。俺一人なら、見張りなんて全部蹴倒していけたんだ。茅ヶ崎が役に立ったんじゃない、足手まといにならなかったってだけだ。今後傍に置いて、どうなるか分かったもんじゃない。
でも、なんだろうなこの感情。外岡が本当に気に食わない。茅ヶ崎にあれだけすげない対応されたら、嫌われてるって分かるだろ? 望みなんか欠片もないんだから、諦めたらいいのに。
それとも、恋ってヤツは簡単に諦められるものじゃないってことか?
まあどちらにしろ、もう俺には関係ない。今後アイツと逢って危ない目に遭おうが、それは茅ヶ崎の責任だ。手を握られようと、腰を抱かれようと、キスをされ……駄目だ、腹が立つ。だけど断じて恋じゃない。大事な家族に手を出されて、いい気分がしないのは、誰だってそうだろ? 合意の上ならまだしも、それがない状態でなんて。
茅ヶ崎だから心配してるんじゃない。誰が対象だって同じだ。真澄や綴だって、変なヤツに引っかかってたら助けたいし、シトロンは……好奇心でほいほいついていきそうだけど、優秀な護衛がいるからな。咲也は警戒心が欠片もないから本当に心配だよ。相手を社会的に抹殺してやる。
思い描いて、誰が対象でも等しく腹が立つことに、ホッとした。茅ヶ崎だからじゃない。恋なんてしてないよ。
少し動揺はしたけど、茅ヶ崎の策略にハマるわけにはいかないしね。ガチャに負けて悔しがる茅ヶ崎の顔が見たい。
そう思ったらなんだか楽しくなってきてしまった。俺は特にゲームを進めるつもりはないけれど、その顔が見たいから、ちゃんとガチャは引いてあげるよ。
恋なんてしてない、動揺させようとしても無駄なことだって証明するためにもね。
大きな拍手が聞こえる。それでようやく卯木千景に戻って、大きく息を吐いた。カーテンコールだ。
「出るぞ茅ヶ崎」
「え、あ、はい」
あえて茅ヶ崎の手を取って、また舞台に出る。女の子たちの黄色い歓声が耳に届くのは、そういうことなんだろうか。まあ、ランスロットは俺にとって大事な相棒だしね、手を引いてやるくらいおかしなことでもないだろう。
挨拶とファンサービスをしっかりこなして、袖にはけていく。茅ヶ崎が緊張していたのは、たぶん客先に星井氏を見つけたからだろうな。
茅ヶ崎の方こそ、恋でもしてるような態度じゃないか。いや、恋する人間の態度なんか知らないけどね。
っていうか、見てたの星井氏だよな? その隣に当然のようにいた外岡の存在に、今さら緊張したとか言わないだろうな。
「みんな、お疲れ様! すごく良かったよ!」
楽屋に戻れば、監督さんが嬉しそうな顔でそう言ってくれる。舞台の成功を誰よりも喜んでくれる大事な女性だ。
「アンタのために頑張った……褒めて」
「回を重ねるごとに上手くなってくね、真澄くん」
「本当? 次ももっと上手くなるから、見てて」
ああ、前言撤回しよう。恋する人間の態度、知ってたよ。分かりやすいのがすぐ傍にいる。微笑ましいね。
「真澄は本当に監督さんが好きだね」
「うん、好き……大好き。早く結婚したい」
「いや、しないからね?」
そうあしらう監督さんも、なんだかんだで真澄と一緒に出かけてたりするし、まんざらでもないのかな。
でも、ほら、こういうのが恋でしょ? 目を離してる時間が惜しいって感じで見つめて、追っかけて、声をかける。声を返してもらって、幸せな気分に浸る。それの繰り返しじゃないのか。
俺は別に茅ヶ崎を目で追ってはいないし、会話で幸せな気分になることもない。むしろ目を離している時間の方が多いのに。
「お疲れ様でした。星井は多忙なため先に帰りましたが、とても満足した様子でしたよ。また共に旅をしている気持ちになれた、と礼を伝えておくよう申し付かりました」
この男みたいに、茅ヶ崎から目を逸らさない時間は、俺には存在してない。はぁ……しかしあからさまだな。コレは俺じゃなくても気づくだろう。隠すつもりがないのか、外堀から埋めていくつもりなのか。……まあ当の茅ヶ崎は気にも留めてないみたいだけど。残念だったな、外岡。
「やりましたね、至さん!」
「っしゃ、今ならガチャ出るかもしれない」
「ランスロットのままガチャ引くんですか……」
「どうしようもない廃ゲーマー……やっぱり至みたいな大人にはなりたくない」
「そういえば、イタルまだ引けてなかったネ?」
まだは余計、と茅ヶ崎が携帯端末を取り出す。
そうだ、そういえば勝負してたんだっけね。報酬も決まってないけど。
「キタコレ! SSRランスロット!」
茅ヶ崎の顔がぱあっと明るくなる。花が咲いたみたいって言えばいいのかな。引けて嬉しいんだろうけど、お前に良からぬ感情を抱いている男の傍でそういう顔をするのはどうかと思うよ。外岡が固まってる。まだいたのか。
「先輩見てこれ、ランスロットですよ!」
「はいはい良かったね」
ランスロット引けたからって俺のとこ駆け寄ってこないでくれるかな。誰かさんの視線が突き刺さる。ハハ、でもなんでだろう、良い気分だ。
「というわけで、ガチャ勝負は俺の勝ちですね、せーんぱい」
「チガ、ソシャゲもやってくれてるんだ、ありがとな」
「お前に礼を言われる筋合いはねーし」
「俺もやってるんだソシャゲ版。フレ登録しないか?」
しない、と茅ヶ崎が口にする前に、割り込んでやった。気分が良くない。
「言ってなかったっけ、茅ヶ崎。ほら」
茅ヶ崎は外岡から視線を外し、俺が向けた端末画面を注視する。そこには、俺が引いたガチャの履歴が映し出されている。
「え、ガウェインと――ランスロットまで!? ちょ、どんだけ」
「ためしに十連一回引いてみたら、両方出たんだよね。俺の勝ちかな」
「Oh……イタル、派手にぬか喜びしたネ」
「やっぱ至さんの負けでしたね」
「こんなに徳を積んだのに……解せぬ……」
「徳を積んだ? 俺を動揺させた、の間違いだろ。効かなかったけどね」
羨ましそうに俺の端末画面を覗き込む茅ヶ崎。そしてその視線は、俺にも向けられた。困っているような、戸惑っているようなそれは、ひどく幼く見える。なんだろう? ああそうか、ガウェインまだ引けてないもんな。頼んでくれば、カードのストーリーくらい読ませてやろうかな。
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恋するうさぎはメンドクサイ-005-
「あれ。先に飲んでてくれても良かったのに」
駆けられた声にハッと顔を上げると、まだ髪の乾ききっていない茅ヶ崎の姿。え、もうそんなに時間経ってたのか? ちょっと仕事片付けようと思ってたんだけどな。
「ああ……せっかくだしね。茅ヶ崎、髪ちゃんと乾かせよ。風邪引いて明日ダウンなんて、笑い話にもならないぞ」
「あー、ハハ。そうですね、せっかく先輩が外岡から助けてくれたんだし」
「それな、ってヤツ」
茅ヶ崎はもう一度バスルームに入って、ドライヤーを持ってきた。
「ん。先輩よろ~」
「は?」
「俺ちょっとソシャゲするんで」
そう言ってドライヤーを突き出してくる。どうやら俺に乾かせと言っているらしい。断る、と言う前に、茅ヶ崎はスマホを構える。はぁ……主演が風邪引いても困るし、仕方ないな。
「今日だけだぞ」
「わーい先輩優しい~」
俺は茅ヶ崎からドライヤーを受け取り、まだ濡れた髪に指を梳き入れる。
うーん、濡れてても色っぽいけど、俺はやっぱりいつものふわふわした感じの方が好きだな。
……好き?
…………いや、別に他意はない。
濡れてるより乾いてる方がいいってだけで、変な意味じゃ。
外岡のこと考えてたからか、茅ヶ崎のこと変な目で見ちゃったのかな。気づかないだろうけど、後ろめたい……。
「んー、先輩の指気持ちいいですね……髪乾かすの慣れてるみたいですけど、よくやるんですか」
「は? そんなわけ……」
ない、と言いそうだったが、心当たりはあった。前はオーガストやディセンバー……密の髪も乾かしてやってたんだ。だってアイツらズボラなんだよ。風邪引いたらどうするんだって、あの頃も思ってたな。
ああ、そうか……家族だから、当然だよな。茅ヶ崎を心配するのも、好意的な感情を持つのも。外岡みたいな変な気持ちじゃない。
「ほら、乾いたぞ」
「ありがとうございまーす」
茅ヶ崎は上機嫌でビールの缶を持ち上げる。やっぱり悩んで落ち込んでるよりこの方がいいよ。
「ぷはぁ、ビールが美味い。バーじゃあんまり飲めなかったし。どっかの馬鹿のせいで」
俺もカシュッと蓋を開けてビールを含む。喉を通る液体が、なぜかいつもより苦かった。
「外岡は、高校時代からあんな感じだったの?」
「あー……いや、思い返せばっていう感じですかね。あの頃は、俺も純粋にアイツとのゲーム楽しんでましたよ。それまでずっと一人だったので、嬉しかったですね。毎日ゲームの話ばっかりして、笑い合って」
茅ヶ崎が昔を懐かしむようにまぶたを伏せる。その裏には、外岡の顔が浮かんでるんだろうか。俺の知らない茅ヶ崎の高校時代……それをあの男は知ってるのか。すごく嫌な気分だ。
「……学校帰りに寄り道したり、互いの家に行ったり?」
「まあそーですね」
「外岡に笑顔見せたりしてたのか」
「や、そりゃあの頃は普通に友人だったんで。家に行ったりするの、おかしくないでしょ」
「ふうん。あれだけ分かりやすいヤツなのに、危険だな。鈍感すぎるんじゃない?」
その嫌な気分のまま責めるように茅ヶ崎を見やれば、何言ってんだコイツっていったふうに俺を見つめてくる。なんだよ。
「先輩がそれ言います? いちばん分かりやすいの先輩ですよ」
「は?」
「自覚してないんですか。外岡にすっごい敵意むき出しにして。つーかあれ殺意に近いのでは」
「別に、外岡に良い感情持てないのは仕方ないだろ。お前を傷つけたヤツなんだ」
おかしな感情じゃないだろ。アイツを茅ヶ崎に近づけたくない。
茅ヶ崎はナイランに関われるの嬉しいみたいだけど、エンドリンクスにあの男がいるからな……どうしても関わりができてしまう。向こうもそれを利用してるのは分かってる。茅ヶ崎と知り合いだからって理由で、交渉相手に外岡を出してきてるんだ。外岡が希望してるのか……そうなんだろうな。公私混同しやがって。
「ほらそういう顔。いや~怒っててもイケメンてずるいわ~」
「は?」
顔……って? 俺、今どういう顔してるんだろう。笑顔じゃないのは確かだな。茅ヶ崎にイケメンて言われるのは不思議な感じだけど、悪くない気分だよ?
「先輩、言っておきますけど外岡とはなんでもないですからね。後にも[[rb:前 > さき]]にも、天地がひっくり返ってもアイツとどうこうなることはないんで」
「それは良かった。お前の趣味を疑うところだったよ」
「だからめんどくさいヤキモチ妬くのやめてくれません?」
「は?」
今なんて言った? なんて言ったんだコイツは。空耳か? そうだな、俺はおじいちゃんポジらしいから、耳がおかしくなってもしょうがない。
いや待て、違うだろ。今コイツは本当におかしなことを言った。
「……なんて?」
「ヤキモチ。嫉妬。ジェラシィ」
茅ヶ崎が単語を並べ立てる。いや、聞こえなかったわけじゃないし、単語の意味がわからないわけでもない。
分からないのは、なぜ茅ヶ崎が今、俺に向けてその単語を放ったのかだ。なんでヤキモチなんか。
「自覚してないとかワロ。いや、自覚がない分、外岡よりは可愛げがある……? いや逆にタチが悪いのか」
「茅ヶ崎、だから何を言ってるんだお前は。確かに外岡と仲良くしているお前を見るのは嫌だが、それは仲間というか、家族として当然の感情だと」
「仲良くとかやめてくださいねー気色悪い。俺はいたってノーマルですし、女の子の方がいい。もっと言えばゲームにすべてを費やしたい男なんですよ。金も時間も情熱も」
俺の声を遮ってまで、茅ヶ崎は外岡を拒絶している。それには少し安堵した。アイツに奢ってやったカクテルは、無意味ではなかったのだと。
「茅ヶ崎は、モテるくせになんていうかちょっと残念なとこあるよね」
茅ヶ崎の性的指向がノーマルなんてことは分かっているし、普段の生活を見ていればゲームがいちばんなんてこともよく分かる。特定の親しい相手がいるわけでもないことだって。
女よりゲーム。茅ヶ崎らしくて安心する。
その信念を覆す相手が現れるまで、まだしばらく茅ヶ崎は誰の物にもならない。そう思って、ひどく安堵した。
「それ先輩に言われたくありませーん。モテるくせに、オンナ駄目なんでしょ」
「……知ってた?」
「なんとなく」
茅ヶ崎は興味もなさそうに呟く。
確かに茅ヶ崎の言う通り、俺は女性を恋愛対象にできない。性的対象になんてとんでもない。
女性を蔑視しているわけじゃないんだ。どうしても受け付けないっていうだけで。仕事したりするのは別に平気なんだよね。ただ……大抵の女性が俺に色目を使ってくるのが嫌だな……。
「確かに女性は駄目だけどね。…………待て、だからって俺は男が好きっていうわけじゃないんだぞ。ましてや」
ましてや、お前が好きなんて。
なるほど、茅ヶ崎は俺がゲイだって思ってるから、勘違いしたわけだ。はあ……自惚れるにも程がある。俺は呆れてつい笑ってしまった。
「さすが茅ヶ崎。自分に向かってくる好意は、種類がなんであれ恋愛に変えてしまうのか。ふざけるなよ」
「いや~別にそんなつもりないんですけどね。そんなん言ってたら、咲也とか綴とかシトロンとかもそうなるじゃないですか。真澄も……あー、たぶんあれは俺をウザいって思う気持ちの方が多いだろうけど。家族愛、でしょ」
「俺のだってそうなんだけど」
何かを塗りつぶすみたいにそう答えると、茅ヶ崎がふっと笑う。素直、と。しまった、ついうっかり。いや、家族愛ってのは本当だけど、コイツには言いたくなかったな。でも、これが恋愛感情だって誤解されるよりはよほどマシだ。
だってあり得ないだろ。俺が、茅ヶ崎を、なんて。
外岡みたいな目で見てるわけじゃない。ちゃんと幸せになってほしいって、心から思ってる。だからこそ外岡みたいなヤツの手に落ちて欲しくないんだよ。
茅ヶ崎の本質を見て、それでも好きでいてくれる人なら、茅ヶ崎を傷つけないで愛していってくれる相手なら、俺だって歓迎してやる。身辺調査は得意だしね。
「先輩のは、家族愛じゃないですよ。見てれば分かる。っつーか、見られてるから分かる、の方が正しいですかね」
なのにそれを否定される。
俺はいったいどんな目で茅ヶ崎を見てるって言うんだ。まさかとは思うけど、外岡と同じような目で……? やめてくれ、そんなわけないだろう。
「へえ? 俺がいったいどんな目でお前を見てるって?」
「言わせるんですか?」
「聞きたいね。否定してやるから」
「先輩はね、俺のこと――好きなんですよ。外岡と一緒」
「バカ言うな」
予想はしてたけど、頭から否定してやった。
そんなわけない。俺は恋ができるような人間じゃない。恋を――していい男じゃないんだ。
こんな汚れた手で、誰を抱けっていうんだよ。
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恋するうさぎはメンドクサイ-004-
「いいもの飲んでるな、茅ヶ崎」
「あれ、先輩も飲みにきたんですか」
「……こんばんは卯木さん」
「どうも。隣、いいかな? 眠れなくて」
俺がちゃんと笑って声をかけてやったのに、外岡は眉を顰めて茅ヶ崎の腰から手を離し、わざとらしい笑みを向けてきた。いいところで邪魔しやがってってところかな?
「珍しいですね、先輩が眠れないとか。緊張してるんですか?」
昼間あんなに緊張してたヤツに言われたくない。お前の貞操を守ってやろうっていうのに、分からないのか?
それとも……奪われたかったのか……?
ひょっとして俺のしていることは本当に余計なお節介なんだろうか。日本のことわざ……なんだっけ、あれ、焼け木杭に火がつく、という……。
茅ヶ崎は、もしかして外岡のこと好きだった……?
……なんてことだ、その可能性を少しも考えていなかった。あれだけ傷ついたのは、信頼していたからだろう。恋情も含まれていたのかもしれない。その男と再会して、昔のことでも話していれば、あの頃の想いがよみがえってくるということもある。……のか?
「先輩なに飲みます? ウォッカベース好きでしたよね」
茅ヶ崎の隣の椅子に腰をかければ、さりげなくオーダーを促してくれる。コイツのこういうところは好ましいな。というかウォッカベースが好きだと言った覚えもないんだけど。
でもそれは真実で、自然と口元が緩んだ。俺のこと、気にかけてくれてたんだな、茅ヶ崎も。
「うーん、じゃあ……――カミカゼ」
バーテンダーにそう告げると、かしこまりましたと軽く頷いて、ウォッカとホワイトキュラソー、ライムジュースをシェイクしてくれた。
「先輩、明日公演あるの忘れてませんよね……強めじゃないですか、それ」
「景気づけだよ。ライムが聞いててさっぱりするし」
「お酒強いんですね。……ところで卯木さんは、カクテル言葉をご存じで?」
外岡が茅ヶ崎の向こうから俺に声をかけてくる。声をかけるだけで、茅ヶ崎にそんなに顔を寄せる必要があるのか?
しかしこの男、意外にもその存在を知っていたんだな。じゃあ、俺がカミカゼをオーダーした理由も分かってるわけだ。
「へぇ……そんなのあるんですか。花言葉みたいなものかな」
「ええ、あるんですよ。知ってる相手同士なら、それで会話をすることだって可能ですね」
カミカゼのカクテル言葉は――きみを救う。
オオカミに狙われたうさぎちゃん……いやうさぎは俺か。狙われた茅ヶ崎を、救うよっていうこと。まあ茅ヶ崎が知ってるとは思わないけどね。
「たとえばこれなんか。ウイスキーフロートなんですけど、カクテル言葉は楽しい関係。チガの飲んでるインペリアル・フィズは楽しい会話」
「いやお前との会話なんてちっとも楽しくねーわ」
「そう言うなって。久しぶりなんだからさ」
言いながら、外岡は茅ヶ崎の背中をポンポン叩く。髪に触れたら許していなかった。下心丸出しで触るんじゃない。
でも、良かった。茅ヶ崎はやっぱり外岡と一緒にいても楽しくないんだな。春組のみんなといた方がいい顔してるし。俺とランチ行ってる時の方がよほど可愛い。
……可愛い? なんだそれ。言葉のあやだな。茅ヶ崎が可愛いわけない。
ともかくお前の出番じゃないんだよ、外岡。
「茅ヶ崎。それを飲んだら部屋に戻ろう。みんな心配するだろ。飲み足りないならコンビニでチューハイでも買ってやるから」
茅ヶ崎にベタベタと触る外岡を引き剥がしてやりたい。お前はコイツの彼氏か。茅ヶ崎もなんで拒絶しないんだ? まさか高校時代からこうだったわけじゃないよな? いや、あり得るけど……。いちばん性に敏感な年頃だ。外岡が恋情どころか劣情をもって茅ヶ崎に触れていたとしたら――。
ああ、なんだこの感じ。怒り……焦り? どうしてだ、誰に対して?
「ん……そうしようかな。外岡もいやがるし」
「おいチガ、お前なぁ……」
茅ヶ崎はそう言って、残っていたフィズを飲み干す。外岡の目が、茅ヶ崎の喉元に釘付けになっていた。もちろんそこを掻き切ろうという殺意ではない。触れたがる劣情だ。ふざけるなよ本当に。
「せっかくのところ邪魔してしまってすみません、外岡さん。コイツ明日大事な公演なんで、連れていきますね」
「え、あ、ああ……そうですよね、明日は星井も観劇しますし。チガにとっては神的存在だもんな。緊張してトチるなよ」
「だーれに言ってんだ? じゃあね、おやすみ」
茅ヶ崎はフンと不敵に笑って会計を頼み、腰を上げる。俺もそれに合わせて立ち上がった。
「お詫びに一杯奢りますよ。すみません、こちらの方にシャンディ・ガフを。チェックは俺に」
バーテンダーにそう頼んで、目を細めて外岡に笑ってやれば、俺の意図には気づいたようだった。「無駄なこと」なんてカクテル言葉じゃ、ちょっとあからさまだったかな。まあでも、アイツのあからさまな下心よりはよほどマシだ。俺は茅ヶ崎を先に歩かせて後を追った。背中に突き刺さるような外岡の視線を受けながらね。
「先輩、コンビニ」
追いついた俺の袖をつんと引っ張って、エレベーターを指す。本当に飲み足りないのか。仕方ないなと肩を竦め、エレベーターに乗り込んでエントランスの階を押してやった。
「ねえ、邪魔したかな」
「え? ああ、アイツですか。んー、助かりましたよ。もうちょっとしつこかったら、先輩にヘルプLIME送ろうかと思ってました」
「ふうん、アイツの下心には気づいてるんだ?」
「下……あんまり気にしないようにしてたのに、言葉にしないでくださいよ」
茅ヶ崎がげんなりした顔になったところで、エレベーターがエントランスに着く。すぐ隣のコンビニに向かって、酒類のコーナーに足を運んだ。
「先輩も飲むでしょ、はい」
「買うの俺なんだけど。まあ、うん、飲もうかな」
茅ヶ崎は勝手にプレミアムだかなんだかのビールを手渡してくる。飲んだことない銘柄だけど、まあいいか。
茅ヶ崎はこれ好きなのかな? 覚えておこう。
「あと、ジャーキーとナッツとー、あ、これこれ」
「おいどさくさに紛れて課金カード持ってくるな。それは自分で買え」
油断も隙もないな。いや、ある意味では隙がありすぎなんだけど。やっぱり外岡のことは気づいていたんだ、コイツ。
ビールとつまみを買って、部屋に戻る。
「先輩、お風呂先にどうぞ」
「いや、俺は後でいいよ。先に入れ。酔って寝ないうちにな」
「先輩ほんと過保護。さすが孫大好きおじいちゃんですね」
「お前は俺の息子ポジだろ」
「それな。じゃ、先に入ってきますよ。早めに上がってくるんで」
「ごゆっくり」
全く茅ヶ崎は、本当に危機感というものがない。外岡の気持ちに気づいていながら、どうして隣で酒なんか飲むんだ。俺に助けを求めるって言ったって、その時俺が動けなかったらどうするんだ?
はぁ……今日は手遅れにならなくて良かったけど、アイツあの様子じゃ諦めてなさそうだしな……。あとで茅ヶ崎にキツく言っておこう。外岡には気を許すなって。
というか、気に食わないのはもうひとつ。俺に助けを求めたらちゃんと来るって、なんの不思議もなく思っていそうなところだ。お前の失敗にいつでも付き合ってやれるほど暇じゃないんだけど?
……って、助けも求められないうちから心配して茅ヶ崎を捜してた俺が言えることじゃないか。
でも、心配だったんだ。今日は昼間も緊張で様子がおかしかっただろ? またその緊張ぶり返してやけ酒でもしてたらって思うじゃないか。だから捜した。そのおかげで魔の手から救えたのはラッキーだと思ってるよ。
あんなヤツに触らせたくない。子供っぽい独占欲なんかで茅ヶ崎を傷つけた男になんか。百歩譲って、高校時代のいざこざもなくちゃんと段階を踏んで茅ヶ崎へ想いを告げているならともかく、酒に力を借りようだなんて男じゃ駄目だ。
……なんだか、娘を嫁にやる親の心境だな。いや、少し違うか……茅ヶ崎は息子だし、結婚なんかしないし。……アイツも、いつかはするのかな。あの廃人ゲーマーの世話をできる女がいればいいね。すごくもやもやするけど。
さっきからなんだか不可解な感情ばかりだ。
民間人に、殺意に似た感情を抱いた。エモノを持っていたら――理性が押しとどめていなかったら、まずいことになっていたかもしれない。それは駄目だ、任務でもないのに。それに、犯行がバレるのも良くないけど、茅ヶ崎に関わるヤツなんだから、彼にも害が及ぶ。嫌疑をかけられて、劇団が潰れるようなことになったら、俺は今度こそ自分を許せない。
茅ヶ崎を守りたいのに、それじゃ俺がアイツを窮地に立たせてしまうんだ。
外岡のことは気に入らないが、生かしておいてやろう。
#千至 #片想い #ウェブ再録
恋するうさぎはメンドクサイ-003-
そんなこんなで、ナイランのキャラとしてPR活動をしてみたけれど、やっぱり茅ヶ崎の様子がおかしい。いつもなら俺たちに駄目出しするくせに、今の茅ヶ崎は逆に駄目出しされかねない。それは他のみんなも気づいていて、テンポが狂う。
PRはなんとか無事に終えたけど、主演をなんとかしろとみんなに頼み込まれて、茅ヶ崎を連れ戻す役目を仰せつかった俺の身にもなってくれ、あの馬鹿。
茅ヶ崎は誰にも何も言わずにどこかへ消えていたけれど、ああ、うん、たぶんあそこだろうな。
いくらかの確信を持ってパーク内を歩く。まったく世話の焼けるヤツだ。主演があんなふうじゃ、成功するものも成功しやしない。
なんだか悩んでいるような茅ヶ崎を見たくない――わけじゃないけど。面白いからね。
でも、だからっていつまでも見ていたいわけでもないんだよ。俺の相棒である彼は、何事にもまっすぐで、純粋で、高潔な騎士だ。そうだろ? 茅ヶ崎。
ああやっぱりここにいた。王の間だ。王座の前で、茅ヶ崎は跪いて何かを祈っているように見えた。その祈りを邪魔するのは心苦しいけど、みんなが心配するし早く連れ戻そう。
「やっぱりここか、茅ヶ崎。心配するから、一言くらい残していけ」
茅ヶ崎が振り返る。ランスロットではない、茅ヶ崎の顔だ。……コイツ、顔だけはいいんだよな。
「咲也や監督さんが、でしょ」
俺も心配するとは欠片も思わないわけか。可愛くない。
「……まあね。俺はお前の親父ってことらしいから、仕方なく迎えにきたんだよ」
本音を隠して返してみれば、茅ヶ崎はなんでか苦笑する。
よくここが分かりましたねと茅ヶ崎は言うが、なんで分からないと思うんだ? だってここ、あのランスロットの限定SSRの背景にそっくりだろ。茅ヶ崎なら、ここしかないと思ったんだけど。
「……ちょっとパワーをもらいにきたんです。ガチャの」
「ガチャの、ね……」
茅ヶ崎は猫かぶるのは上手いけど、嘘は下手だ。ガチャのパワーをもらいにってのも嘘ではないだろうけど、大部分はそれじゃないだろ? こんな時くらい、素直に頼ってくれてもいいのにな。茅ヶ崎の中で、俺はまだ頼れる存在じゃないんだろうか……。
俺では頼りにならないというなら――。
「捜したぜ――ランスロット」
ごめんガウェイン、お前を貸してくれ。
緊張しているランスロットに発破をかけるエチュードを仕掛ければ、茅ヶ崎――ランスロットが返してくれる。俺の大事な相棒だ。
「どんなことがあっても、お前ひとりじゃねえんだ。安心して楽しめよ」
その言葉が、ガウェインのものなのか、それとも卯木千景としてのものなのかは分からない。でも、彼はハッとしたような顔をしてくれた。
「そろそろ時間だ。行こうぜ相棒。――新しい旅に」
「ああ」
彼は肩の力を抜いて頷いてくれる。緩んだ口元が嬉しかった。
これでもう、大丈夫だろう。茅ヶ崎は分かったはずだ。一人ではないのだからと。
「急にエチュード仕掛けてくるなんて……。先輩、いつからそんなに演劇好きになったんです?」
素に戻った茅ヶ崎が、むくれて睨みつけてくる。さっきまでの高潔な騎士はいったいどこへ行ったのやら。
「さあね。でも演劇馬鹿のお前には負けるかな」
「……そうですね。俺の方が少し長いんだし、そう簡単に負けちゃたまんないですよ。ここでは俺の方が先輩です。そんなわけで、さっきの芝居に駄目出ししていいですか?」
いいですかと訊ねておきながら、駄目だと言っても聞きそうにない勢いだ。俺は一応はいはいと返しておいた。
こういう負けず嫌いなところがあるから、茅ヶ崎は構い甲斐があるんだ。
「手の角度もう少しこっちに。ガウェインのかっこよさを最大限に活かしてください。あと台詞、もう少しランスロットを心配してるみたいに、あ、でもそれとは気づかせちゃ駄目なんで、そこんとこさじ加減が――」
矢継ぎ早にぽんぽん飛び出してくる駄目出しに、思わず笑ってしまいそうだった。完全復活かな、茅ヶ崎。良かった。こっちの方がお前らしくて好きだよ。
……ん? ……んん。……間違ってはない。俺は別に茅ヶ崎のこと嫌いじゃないし、ちゃんと家族として大事に思ってるからな。
「ようやく終わったか。はぁ……それにしても、さっきは不意を突いたのに全然キャラがぶれなかったね、茅ヶ崎は。さすが」
「そりゃあ、長年ナイラン愛こじらせてるんで。誰にも負けませんよ」
「それだけ熱くて重いナイラン愛があれば、星井ディレクターにも届くんじゃないか。あのプレ公演の時みたいに。オズとのクロスオーバー公演、許可もぎ取ろうとしてたプレゼンみたいにね」
真実の心というものは、ちゃんと届くのだと、俺はこの劇団に入って知った。教えてくれた茅ヶ崎が忘れちゃ駄目だろ。
「……ありがとうございます」
「……何が?」
「いーえ、別に」
まったく素直じゃないな。いや、素直な茅ヶ崎は慣れてないから勘弁してほしいけど。
「さあ、戻ろう。みんな心配してた」
ぽんと背中を叩いて、足を踏み出す。星井氏がくるからって変な緊張してPR活動もろくにできなかった――なんてことは、内緒にしておいてあげるよ。
明日の公演に向けて、他のみんなは早く休んだようだった。でも茅ヶ崎はまだ落ち着かないらしくて、ホテルの部屋に戻ってこない。俺もね、一応は心配するんだよ。一言くらい残していけっていうのに、アイツときたら。馬鹿なの?
また何か悩んでるんだったら、ちゃんと助けてやりたい。相棒として。
とは言っても、捜すところなんてたかが知れている。ホテル近くのコンビニか、ホテルのロビーか、それともバーラウンジか。
ロビーのソファにはいなかった。コンビニにもいなかった。一応二軒回ったんだけどね。となればあとはホテル上階のバーラウンジ。
俺はエレベーターでその階を押し、飲んでるなら一杯くらい奢ってやろうかとも思う。飲みすぎてるなら引っ張ってこようと思う。
まったく、俺がこんなだから過保護って言われるんだ。知ってるよ。万里や東さんがそう言ってるの。でも、仕方ないだろう。……大切なんだ。大切な、家族……なんだから。
案の定、茅ヶ崎はバーにいた。カウンターでロングのグラスを握る姿が見える。他にも客はちらほらいるようなのに、アイツは目立つな。一人で飲んだりしたら、女から声かけられたりするんじゃないのか?
だけど、俺の予想に反して茅ヶ崎の隣に女はいなかった。俺は想わず目を瞠る。
断ったのではない。隣にちゃんと連れが――外岡がいるからだ。
なんでだ? どうして、仲違いしたヤツと一緒に仲良くバーなんかにいるんだ? 茅ヶ崎の神経が信じられない。いや、そりゃ俺だって密と仲違いしていたことはあるけど、それは誤解だったわけで、そもそも今だってそんなに仲良くない。仲が良かったことなんて一度もないし。
だけど話を聞く限りではアイツと外岡の件は誤解ではない。せっかく育んだ友情を粉々にされたんだろ。それなのに、どうしてそいつの隣で笑えるんだ?
それに、気づいてないわけないだろ、茅ヶ崎。外岡はお前に気があるんだぞ。ちゃんとまずい方面でだ。あからさまに俺に敵意なんか向けて、独占欲丸出しの子供のまま成長してないじゃないか。
そんなヤツと二人で酒だと? 危機感がないにもほどがある! 飲み過ぎて部屋に連れ込まれるのがオチだ。それどころか変な薬でも入れられてたらどうするんだ!?
おいふざけてるのか外岡、その手はなんだ。茅ヶ崎も振り払え、腰の手を……っ!
胃液がせり上がってきそうなほどの不快感。気がついた時には、二人が俺の目の前にいた。外岡が無害なら、邪魔するつもりはなかったんだけどな。
#千至 #片想い #ウェブ再録
恋するうさぎはメンドクサイ-002-
場当たり稽古が終わった。ナイランはいつもの公演とはスタッフも違うから、みんなどうにも緊張はするらしくて、スムーズに行かないところもあったかな。だけどそれが新鮮な気持ちを連れてきてくれる。
緊張というものは悪いことばかりではない。公演に慣れてしまった気持ちを引き締める意味では、ナイランは特別な公演と言えるかもしれない。
「どこに行ってもガチャ回してる」
「今回のガチャだけは出るまで引く。はい課金完了、からの十連!」
茅ヶ崎はあんまり気が引き締まってないみたいだけど。いつもと変わらないな。出るまで引くのも、課金後最初はドブなのも。
「……まあ、久しぶりのランスロットを演じる緊張を隠しているようにも見えるけど」
「イタル、バラバラダヨ」
バレバレかな、と突っ込みを入れつつ、「そういうわけじゃないけど」とこっそり否定をするあたりが茅ヶ崎らしい。
「そんなことより先輩。俺とガチャ勝負しません?」
遠慮しとく、と即答してやった。話題を逸らすためもあったんだろうが、つきあってやる義理はないからな。そうしたら、茅ヶ崎は意味深に視線を流してきた。何か良からぬことでも企んでいそうな目だ。
なんで今一瞬息が止まりそうだったんだ?
「今回の目玉が、ランスロットとガウェインだって言っても?」
挑発的な笑みを向けてくる。それはランスロットの顔ではなく、間違いなく茅ヶ崎至のものだ。どうも今ソシャゲ版ナイランのガチャがⅣ限定らしい。シトロンがなぜか得意げに説明をしてくれる。
「そうそう。だから先にどっちかのSSR出した方が勝ちってことでどうですか?」
「物欲センサー出まくりの至さんが、千景さんに勝てるとは思わないっすけどね……」
「でも、Ⅳのキャラならやりたくなりますよね。オレもモードレッド引きたいです」
「ねえ、アンタは俺狙いで回して……」
なんだかみんなガチャを回す雰囲気になってきたな。外堀を埋められるってのはこういうことか。
どうするネ? とシトロンに訊ねられ、断り続ける方が面倒だなと悟った俺は、ため息交じりに茅ヶ崎の挑戦を受けてやった。
「今の俺は茅ヶ崎至ではありません。ランスロットですから。絶対先に引く」
「……ハッ、楽に勝てると思うなよ?」
受けたからにはちゃんと勝負しないとね。俺も茅ヶ崎に挑発的な笑いを向けてやったら、ぱちぱちと目を瞬いて「望むところだ」と返してきた。
「ところで、勝負するのは構わないんだけど報酬はどうするんだ。勝った方には何かあるの?」
「うーん。考えてなかった。俺は先輩より先にSSR引ければいいので」
「やめるか」
「ちょ、待った待った。えーとじゃあ、俺が勝ったら今月のランチ全部先輩のオゴリで」
「俺が勝ったら?」
「仕方ないですね、今月のランチ全部オゴらせてあげます」
「えっと……それってつまりどっちにしろ千景さんが至さんにオゴるってことになってませんか?」
遠慮がちな咲也の声に、バレた、と茅ヶ崎は舌を出す。また課金のしすぎか? 少しは学習すればいいのに、この馬鹿。
「分かったよ。じゃあ今月はずっと出張入れておこう」
「マジでやりそうだからアレだな……。ま、報酬は追い追いってことで」
はいはい、と適当にあしらっておく。俺は別に報酬が欲しいわけじゃないからな。茅ヶ崎をからかって遊べたら、それでいい。
なんていうか茅ヶ崎は、からかい甲斐があるっていうかないっていうか、子供っぽいところもあれば大人のズルさも知っている、そんな男だ。だから俺の嘘に乗っかってはこないくせに、引っかかったフリをして場をしのぐ。それが俺には心地いい。
こんなやりとりさえ、口元が緩んでしまうくらいには。
ふと、茅ヶ崎からの視線に気がつく。悪意でなく、もちろん好意なんかでもなく、ただ探るためだけの視線だ。なに? と問いかけるように視線を返してみれば、責めるような目をして逸らされた。なんなんだ、いったい。
「さすがに腹減ったっすねぇ」
「お腹ポコポコダヨ~」
「ペコペコですね」
「そうだね。どこかでお弁当買ってこようか」
「アンタの手作り弁当……食べるのもったいない」
「いやわたしのじゃないからね?」
そんなことを言いながら、用意された楽屋へと向かう。この地域にしかないお弁当とかもあるだろう。それは楽しみだ。
だけど、その気分を降下させるものがある。関係者以外入れないはずのそこに、劇団関係者じゃない男がいた。
「げっ……」
隣の茅ヶ崎が、嫌そうな声を出す。それもそのはずだ。控え室で待ち受けていたのは、コイツの元親友。外岡氏。
初演の頃に聞いた話じゃ、わりと仲がこじれたんだと思ったけどなんというか……面の皮が厚いな、外岡氏は。
「あからさまに嫌そうな顔するなよ、チガ」
……チガ、ね。他の誰もそんな呼び方はしないのに、この男だけが茅ヶ崎をそう呼ぶ。親友だったのなんて、昔のことだろうに。馴れ馴れしい。
「地方公演には来られないとうかがっていたんですけど……」
さすがの監督さんも、不審そうな顔を隠していない。まあ彼女は隠そうとしても無理だろうけど。演技力があれじゃあね。しかしこの男、なんでこんなところに? 仕事……だろうか。
「実は、ちょっと相談がありまして」
どうやら仕事ではあるらしい。公演に関係あることなら、別にお前じゃなくてもいいと思うけどね。なんだかんだで、茅ヶ崎に逢いにきたんじゃないのか? ケンカ別れしておいて、こっちは未練たらたらな彼氏みたいな感じだな。
……なんだ? 今、すごく嫌な気分だ。あの男の顔を見ていたくない。だけど今ここで楽屋を出ていけば、妙なことになる可能性が高い。俺は太ももの横で軽く拳を握るだけにしておいた。
懐柔するつもりなのか、外岡は高級な弁当まで用意していた。いや、それは星井氏の差し入れだから、コイツは関係ないんだが。その星井氏も今回の公演を観に来ると告げられて、茅ヶ崎が固まってるのが面白い。本当にナイランが好きなんだな。
でもキュウリを肉と言い張って食べるのはどうしたものか。公演大丈夫か? まあ、俺がフォローするけどね。
ところでさっきから外岡の視線が向かってきている気がするんだが。
最初は、俺の隣でそわそわ食ってる茅ヶ崎を見ているのかと思ったけど、違うな。あれは、俺への敵意だ。敵意? なんでアイツが? まさか組織のことに関連しているんじゃないだろうな。正体がバレているなら消すけど……いや、どうもそういう雰囲気じゃないな……。
「茅ヶ崎、こぼすなよ」
「わ、わか、わかってますよ」
ペットボトルをつかむ手さえ危なっかしい茅ヶ崎を横目で見て、ボトルの底を支えてやる。外岡の視線が一気に鋭くなったことに気がついた。
おやおや。これは。……なるほど、そういう意味の視線か。俺のチガに構うなってとこかな? 誰がお前のだ。気分が悪い。
「そういえば、さきほど相談があるとおっしゃってましたが……星井さんのことですか?」
監督さんの声に、やっと外岡の視線が外れる。
「ああ、いえ……実は、舞台のPR活動にご協力いただけないかと」
「PR活動って……まさか」
外岡の相談事に、茅ヶ崎の顔が曇る。公演前に役者のやる気削いでどうするんだ。馬鹿か。
「今回こそ、ぜひ《たるち》に宣伝協力を――」
「お断りします」
茅ヶ崎が何かを言う前に、監督さんが全力で拒絶する。彼女のこういうところ、好感が持てるよね。
「やらないって前にも言った。監督を困らせるな」
真澄も真澄で、監督さんを理由にはしているけど、茅ヶ崎に視線をくれたのは見逃してない。素直じゃないな、真澄も。
「そうでしたっけ?」
しかしこの男は性懲りもなくすっとぼけている。さすがに俺も口を開いたよ。
「そもそも契約書にはプロモーション活動への協力なんて項目はなかったと思いますが? 天下のエンドリンクス社が、まさかそんな大事なこと忘れるはずもないですし」
目一杯の笑顔を向けてやったつもりだ。嘘は言ってないし、監督さんたちも言ってるように《たるち》を表に出させるつもりはない。裏の顔、というものの重要性を、俺はここにいる誰よりも知っている。
「……冗談ですよ」
どうして外岡は、俺にだけ睨んでくるんだ。楽しくなってくるだろう。……何か誤解されているのかな、もしかして。
ああ、そういえばコイツは高校時代も同じようなことしてたんだっけ? 茅ヶ崎が自分以外と仲良くしてるのが面白くなくて、本性をバラした、ってね……変わってないじゃないか。茅ヶ崎、大丈夫か? 仕事とはいえ、こんなのと関わって。
「近くでナイランの公式イベントを行っていまして。皆さんにも少し顔を出していただけないかと。ナイランのロケハンに使ったところですよ。チガなら分かるだろ? っていうか、公式イベントなんだから知ってるだろ」
「ああ……まあ。公演終わったら覗こうかと思ってたけど」
話を振られて、茅ヶ崎が面倒そうに答える。
確かに茅ヶ崎がチェックしてないわけはないんだ。公演場所の近く、公式イベント、ロケハンで使った聖地、なんて、オタク心をくすぐるだろ。
それにしてもあの男、仕事のはずなのに茅ヶ崎をチガと呼ぶのはいただけないな。公私混同するな。
茅ヶ崎の声にいつもの覇気がないのは、あの男のせいだけじゃないと思うけどね。
まあなんだかんだでPR活動に協力することにはなってしまった。外岡が絡んでなきゃ、純粋に楽しめたのにな。
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会社の飲み会を断って、成り行きで別のところへ飲みに行くことになった千景と至。そこで女性客から「一夜限りのお誘い」という意味を持つカクテルをおごられそうになり、千景は意味を知って回避するが、至が口を付けてしまい……?
EP:2.22のガチャ事情
1:ONE NIGHT IN HEAVEN
2018/05/03 セフレの始まり
2:愛のひとつも囁けない
2018/07/01 気づいてしまった恋心
作中に万紬表現があります。ご注意ください
3:たった一度のI love you
2018/08/19 ザフラでの公演
作中に万紬表現があります。ご注意ください
4:ふたりの約束
2019/08/04 恋人同士になったけど……。
作中に万紬・十左表現があります。ご注意ください
5:千秒の愛に至る音 掲載準備中
2022/087/24 プレゼントをしたい。
EP:2.22に祝福のキスを
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