- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.559, No.558, No.557, No.556, No.555, No.554, No.553[7件]
情熱のブルー-002-
「待たせたな、跡部。決着をつけようぜ」
ネットの向こうで、ぐっとわずかに眉を寄せる跡部がいる。
それは〝当然だ〟という合意なのか、〝できるのか〟という問いかけなのか。そのどちらもだろうか。
手塚はそれを、強い視線で押し返した。言葉なく、瞳が絡み合う。
こんなふうに長く跡部の瞳を見つめたことはない。
海のようだと思っていたその色は、メラメラと燃える炎のようでもあるのだなと、今この瞬間に不相応なことを考えた。
跡部が打った球は返すことさえ諦めて、タイブレークに突入する。サーブ権が手塚にきたが、どこまで打てるか分からない。
トン、トン、とボールを跳ねさせて、ラインの位置を確かめる。
ズキ、ズキ、と釘でも打ち込まれているかのように、肩が痛む。
それは鼓動とともに重奏を生み出し、汗が流れた。
――――俺は、負けない。
越前にそう宣言したように、負けはしない。これは自分自身との戦いでもあった。
トスを上げた球がシュッと空気を切る音がする。それでいくらか集中力が戻ってきた。
「……っ!」
しかし肩はいつものようには上がらない。なんとかサーブを打てたのは、意地のようなものだった。
「なんだ手塚ァ! このサーブは!」
跡部は、威力の落ちたサーブを容赦なく打ち返してくる。
その瞬間手塚が感じたのは、驚愕と歓喜だった。
この返球をみるに、跡部は一切手加減をするつもりがないということだ。目の前で膝をついたところを見ておいて、声にもならない叫び声を上げた男をネット越しに眺めておいて、まだ、本気で攻め立ててくる。
真剣勝負か。
ぞくぞくと背筋を何かが駆け抜けていった。
ざわざわと全身が総毛立つ感覚を味わった。
正直、この試合まで跡部景吾という男に対して抱いていた印象は良くなかった。氷帝学園のテニス部を束ねるというカリスマ性や統率力は目を瞠るものがあったが、他人をねじ伏せて蹴落とすような強引で傲慢な強さには好感が持てなかった。実力主義だということを鑑みてもだ。派手さばかりが際立っていたのも原因だろうが、彼の本当の強さがどこにあるのか分からなかった。
圧倒的な強さを示しながらも、あえて持久戦を得意とし、じわじわといたぶり相手を精神的に追い詰める。それは立派な戦略だ。
否定はしないが、好きにはなれない。手塚にとって跡部という男は、そのような存在だった。
この試合で初めて対峙したが、その印象は崩れなかった。だからこそ持久戦を仕掛けて、彼のフィールドで完膚なきまでに叩きのめしてやろうとも思っていたのだ。
実際はそんなに簡単なことでもなく、返ってくる打球は速く、重い。
勝つのは当然自分の方だと、お互いが思っていたに違いない。
嬉しい誤算というものを体験したのは、初めてのことだった。
普段はあまり受け止めてもらえない球が、しっかりと返ってくる。気を抜けば横を抜かれる。一瞬たりとも気が抜けないと、心よりも先に体が理解した。
全力で挑まねば負ける。何度か球を交わすうちに、互いの意識は塗り替えられていった。
この男との試合を、怪我で棄権などしたくない。手塚はラケットを握り直し、サーブを打つ跡部景吾をじっと見つめた。
フォームに無駄がないなと、改めて思う。あれだけ派手な技を繰り出せるのは、基礎がしっかりしているからだ。そこから自分に合った形を見つけ出し、技へと昇華させるというのは、プレイヤーとして真摯に取り組んでいる証拠。
なぜそれに気づけなかったのかと不甲斐なく思う傍で、心地よさを感じる。
束ねる人数こそ違えど、同じ部長同士、中学三年生。聞けば生徒会長をも務めているという。その共通事項に今、テニスに懸ける想いの深さが加わった。
――――跡部、お前という男を初めて知った気がする。
ネットの向こうの男は、ただただ全力でボールを返してくる。対戦相手が負傷で棄権寸前までいったとなれば、憐れみと悪化させる恐れで手加減もしようというものだが、跡部にはそんな様子が一切見られない。一球一球、丁寧に、打ち返してくる。
強さも、速さも変わっていない。それは、球を受けている手塚がいちばんよく分かっていた。
手加減などされたくなかった。全力で戦ってこその勝利だ。それでなくても中学最後。力を出し切りたいからこそ、このコートに戻ってきた。
その思いを、跡部がどこまで理解しているか分からない。
だが、手塚の全力に、跡部もまた全力で返してくれる。
諦めたくないと、強く思った。跡部なら応えてくれる。そう確信して、ただがむしゃらにボールを追いかけた。
跡部の金の毛先から、汗が落ちる。歯を食いしばって歪む口許。荒い呼吸と、心地良いインパクト音。
いつしか、審判のコールも聞こえなくなっていた。
長いタイブレークだ。取って、取られて、汗を拭う。視線がコート上で交錯する。
部長として負けられないという責任よりも、負けたくないという意地が上回ったように感じた。
自身の荒い呼吸が耳につく。跡部の荒い吐息が、体をわななかせる。先に集中力を欠いた方の負けだ。
もう一ポイントもやれないと互いが歯を食いしばり、手塚はラケットをわずかに下げた。
零式を打ったつもりだったが、回転が足りなかったのか力の加減を間違えたのか、ボールは戻らなかった。跡部がそれに食らいついて倒れ込む。返ってきたボールを迎え撃つ。
ボールにガットが触れた瞬間、あぁ、と手塚は思った。距離が足りない。
そして手塚が懸念した通り、返したボールはネットに捕まり、越えることはなかった。
「ゲームセット! 氷帝、跡部!」
今の今まで聞こえなかった審判の声が、唐突に耳を支配する。
負けたのか……と視線が落ちる。だがそれよりも大きな感情で、終わってしまったことが残念でしょうがなかった。
だが、負けは、負けだ。そして、勝ちは勝ちだ。
ネット越しに、跡部と視線が重なる。今までに見たどの瞬間よりも静かで、まっすぐな瞳だった。
手塚は右手を差し出す。ラケットを握ったままの左手は、また痛み出した肩のせいでわずかに震えている。この距離では気づかれているだろうが、せめて彼の健闘に敬意を表して、震える手など出したくない。
跡部が、その右手を握り返してくれた。汗に湿る手のひらは、互いが懸命に試合に打ち込んだ証拠だ。手塚はどこかで、ホッとしてしまった。キングという名にふさわしい強さと真摯さで応えてくれたことが、嬉しかったのだと思う。
跡部景吾という男を、噂というフィルターで覆ったままでいないでよかった。
ぐっと、握った手に力が込められる。
不思議に思っているうちに、跡部の手ごと上に掲げられた。
手塚は目を瞠る。
勝者は、跡部のはずだ。あの氷帝コールの通り、手塚は敗者である。
だが、彼は手を掲げてたたえてくれた。お互いが勝者で、お互いが敗者だと。
「跡部」
思わず小さく名を呟いたけれど、背けられた彼の顔が振り向くことはなかった。頭上で握られていた手がパッと放され、支えを失った右手を胸の前に下ろす。審判に挨拶をすませ、自陣のベンチへと戻っていく跡部の背中を見やり、手塚もまた自陣へと足を向けた。
「手塚部長!」
「手塚、大丈夫かい」
仲間たちが心配そう口にしてくる。だが手塚には、やらなければならないことがあった。
「――越前」
補欠戦となった試合に臨む一年レギュラーを、送り出すことだ。
「高架下のコートで言った言葉、覚えているか」
お前は、青学の柱になれ。
次代を担う選手が必要だ。圧倒的な強さでもって周りを引っ張っていく者が。かつて手塚自身がそう託されたように、次は手塚が誰かに託す番だった。
それを受けてか、越前は真摯に「はい」と答えた後、不敵に笑ってみせてきた。この状況で大した度胸だと安堵さえ覚え、ベンチに腰をかける。
肩の痛みを認識してしまうと、集中できない気がしたけれど、見届けなければいけない。ちらりと氷帝のベンチを見やると、跡部は頭にタオルをかけたまま俯いていた。気力を使い果たしたのか、よほど体力を削がれたのか、それとももう勝った気でいるのか。
――――見届けろ、跡部。俺たちが次の試合を生んだんだ。
基本的に個人競技ではあるものの、この大会は団体の成績で勝敗が決まる。手塚が跡部に勝利していればこの補欠戦はなかった。越前と、氷帝の日吉がコートに出ることはなかったのだ。部長として、最後まで責任を果たさなければいけない。
――――俺とお前の勝負の決着は、まだついてはいない。
部長同士、テニスに懸ける想い、次代に託さなければいけない責任。ただ一度試合に勝ったくらいで、決着がついたなどとは思われたくない。それほど、名残惜しかった。
手塚はコートに視線を戻し、黄色いボールを追いかけた。
ややあってもう一度跡部に視線を向けたら、手塚と同じようにじっと前だけを見据え、試合を見守っていた。後輩の勝利を信じて握る拳は、やはり手塚と同じほどの強さに見えた。
勝敗の行方を追いかけるその瞳は、コート上で見た時と同じく熱いのだろうなと思うと、どうしてか口の端が上がった。
ズキ、と肩が痛むのに合わせて、トク、と心臓が音を立てる。
この左肩では、次の試合は無理か――と思う。越前が勝利を収めることを前提に、次のことを考える。様々なルートをシミュレートしてみたが、十中八九、出られない。今回の敗北以上に痛手だなと、唇を引き結ぶ。
それでも、試合を棄権するなどという選択肢は存在しなかったのだからしょうがない。あのコートで、跡部景吾が待っていたのだから。
彼に対する認識を改めないとな、と先ほどの試合を思い出しかけて、審判が越前のポイントをコールしたのにハッとした。
今は、先ほどの試合を反芻するより目の前の勝敗だ。
――――勝ってこい、越前。今できるすべての力で、勝ってここに戻ってこい。
ひとつ瞬くごとに、勝利への執念が加算されていく。
――――勝たせてもらうぞ、跡部。
勝って全国大会へ行くのは俺たち青学だと、強い意志で前を見据える。それは跡部も同じようで、後輩の勝利を信じてどっしりと構えていた。キングは弱みを見せるべきではないというように、余裕の笑みさえたたえてだ。
視線を上げると、燦々と輝く太陽が瞳を支配する。
なんて熱い色をしているのだろうと、手塚は目を細めた。
越前の――青学の勝利が決まったのは、それからしばらくの後だった。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー
情熱のブルー-001-
忘れられない色がある。
十四歳の夏、それを知ってしまった。
それはどこまでも高く燃え上がる、灼かれそうな――青。
なぜ今なんだ。
肩に走った激痛は認識したが、どうして今この瞬間なのかと、手塚国光は歯を食いしばった。
あと一球だったのだ。あと一球あのコートにたたき込めば、勝利が確定したというのに。
「……、……ッ……!!」
声にならない声が、天を突く。
膝を折る。膝をつく。肩が上がらない。動かない。先ほどまで握っていたはずのラケットを、拾い上げることすらできなかった。
迂闊だった。無意識に、完治したはずの肘をかばってしまっていたのだろう。いつもの試合ならば、それでも勝てた。自分に持久戦を仕掛けてくるような相手がいなかったというのも、判断を誤った原因の一つだ。
いや……果たして本当にそうだろうか。どこかで、肩に負担がかかっているのを理解していたように思う。
「手塚!」
「手塚部長!」
青学の仲間たちが、ベンチから駆け寄ってくる。いまだに痛みが引いていないことは、きっと彼らも分かっているだろう。このままでは棄権させられかねない。それは駄目だ。受け入れられない。
「来るな!」
駆け寄ってくる仲間たちに向かって声を張り上げる。膝をついたまま、視線だけそっと正面に向けた。
ネットの向こうに、対戦相手がいる。氷帝学園の頂点に立つ男――跡部景吾だ。その男はぐっとラケットを握ったままこちらを見据えてくる。
――――ああ、そうだ、跡部。
手塚は激痛をこらえて声を絞り出す。
「試合は……まだ、終わっていない……!」
こんなところで終われるものか。こんなことで、勝ちを譲ることなどできやしない。こんな中途半端な状態では納得がいかない。
状態を確認するためということで、試合が一時中断される。それはモチベーションや集中力の持続に大きな影響を与えるが、どうしようもない。
手塚はベンチで、左手をぐっと握り、力を抜き、またぐっと握りしめる。
力は入るようだ。肩の痛みも、先ほどより若干和らいだように感じた。
「手塚、棄権した方がいい」
「肩を痛めて引退した選手は山ほどいる」
不二や乾が、強い口調でそう勧めてくる。それは普通の行動だろうなと手塚は思った。逆の立場なら、止めるべきだからだ。部長という立場である以上、部内での怪我には責任がある。しかしいざ止められる側になると、首を縦には振れない。
こんなところで終わりたくない。中学最後の大会なのだ。悔いなど残したくない。この一戦に勝てば次に進める。いや、進まなければならない。
何より、コートにまだ跡部景吾がいる。
恐らく、手塚が再びコートに立つのを待っているのだろう。彼も、納得のいかない顔をしていた。
続いていた応酬が、突然ぷつりと切れたのだ。不完全燃焼であることは間違いない。
〝出てこいよ〟
彼の揺るぎない青の瞳が、そう語っているように見えた。
手塚はラケットを握り直す。
「手塚部長!」
「手塚、駄目だよ!」
尚も止めてくる仲間たち。それでも手塚は、戻らなければならない。いや、戻りたい。
跡部と、視線が重なる。手塚はそっと目を閉じてその交錯を断ち切ったけれど、すぐに腰を上げた。コートに向かって足を踏み出す手塚の前に、副部長である大石が立ち塞がる。
「手塚」
長く、共にテニスをしてきた。支えてもらった。止めるならば、その彼を押しやらなければならない。
「大和部長との約束を、果たそうとしているのか?」
ひとつ瞬いて、大石をじっと見やる。彼はそれを肯定と捉えただろう。全国制覇の夢を叶えるというのは手塚自身の夢でもあるが、大和との約束を守りたいという思いもあった。ここで棄権などしたら、夢半ばで柱という役目を託してくれた人に申し訳も立たない。
どう勝つか。周りの期待を背負う者の責任だ――手塚はそう思っている。
「……頑張れ」
ぐっと拳を差し出してくれる。手塚はわずかに目を瞠った。てっきり他のメンバーと同じく止めてくるものと思っていたが、そうではなかったようだ。
傍で支えてくれた大石だからこそ、手塚がどれだけこの試合に懸けているか知っているのだろう。ごつりと腕を合わせ、力強く頷いた。後ろのメンバーたちは止めるべきだと慌てていたが、手塚の意志が揺らぐことはない。
「部長」
ベンチにふてぶてしく腰をかけていた越前が、声をかけてくる。手塚はその小さな少年に意識をやった。
「俺に勝っといて、負けんな」
彼なりの激励なのか、発破をかけたつもりなのか、ほんの少し拗ねたような声が届く。自分を打ち負かしたのだから、簡単に負ける男であってくれるなというのは、なんとも生意気なものだが、気持ちは充分に理解できた。
「――俺は、負けない」
そうして手塚は、コートに戻る。突き刺さるような跡部の視線が、なぜか心地良かった。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー
情熱のブルー

2023/03/19
【あらすじ】
※「永遠のブルー」を手塚サイドから書いたストーリーとなります。
関東大会の試合以来、跡部のことが頭から離れない。僅かな心の動揺に手塚は恋情を自覚したが、告げるわけにはいかなかった。気持ちを押し殺し好敵手として長く過ごしてきたが、それは些細なきっかけで崩れてしまう――。
001/002/003/004/005/006/007/008/009/010/011/012/013/014/015/016/017/018/019/020/021/022/023/024/025/026/027/028/029/030/031/032/033/034/035/036/037/038/039/040/041/042
※作中にリョ桜表現が含まれます。ご注意ください。
#片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー
五分間-その後-
「五分間」の続編
部屋のインターホンが鳴る。跡部は足早にドアへと向かった。
ルームサービスは頼んでいない。部屋の番号を知っているのはホテル側の人間か、知らせた恋人だけ。不用心だとは思いつつ、跡部は確認もせずにロックを解除した。
果たしてそこに待ち受けていたのは、やはり愛しい恋人の姿。
「よう、手塚」
「すまない、遅くなってしまった」
「いや、思っていたより早いぜ。お疲れ」
すぐに抱きついてしまいたいところだが、そうすればこのままここでコトが始まりかねない。なんとか我慢して、手塚を招き入れた。
「ご家族には逢えたか?」
「ああ、明日の昼食を約束してきた」
「そりゃよかった」
ドイツから帰国した手塚は、明日の夜には向こうに立つという。トンボ帰りだが、そこしか都合がつかなかったらしいのだ。家族に逢って話すことがあると聞いたが、どうせなら三日後の誕生日までいられればよかったのにとも思ってしまう。
「雑誌のインタビューというのはいつまで経っても慣れないな」
「お前はそうだろうな。空港でのこと、訊かれたか?」
「まあ……訊かれた」
昼間空港で偶然鉢合わせた時、思いがけない邂逅だったせいか、何もかもかなぐり捨てて駆け出し、たった五分間の逢瀬を持った。
手塚の帰国待ちをしていたらしいファンやカメラを構えた報道陣を放ってだ。跡部も、イギリスから一時帰国して商談や会合が控えていたというのに、待機しろと秘書を放って手塚の手を取った。
騒ぎにならないわけはなかった。
「なんて答えたんだよ?」
「いつか話すことがあるかもしれない、と。親しい友人というのも、あの状況では難しいだろう」
ソファに腰をかけた手塚に、そうだなと跡部は笑いながら肩をすくめた。立ち話程度ならそう言えるが、手を取りながらの逃避行では到底無理だ。
「雑誌の方は抑えたが、SNSまではな……。フッ、すげぇぜこれ。〝国光サマがイケメンとどっか消えた〟〝金髪美人が手塚さんさらっていったが!?〟〝追いかける隙もない〟〝秘密の逢瀬なら邪魔できない〟……だとよ」
「どちらかと言うと俺がさらっていったような気がするが」
あの時「来い」と手を差し出したのは確かに手塚だったが、言うべきところはそこではない。十中八九、勘ぐられている。手塚国光には同性のパートナーがいるのだと。
こうなることは予想できたはずなのに、あの時はどうしても抑えられなかった。
それでも跡部は、お互いの責任においてつきあってきたはずだと思い、後悔を口にすることはない。
「腹括れよ、手塚。たぶんこれから周りが騒がしくなるぜ」
「それは分かっている。お前の方が大変そうだが」
「ふん、それを乗り越えてみせねえで、跡部は束ねられねえよ」
「毎度思うが、お前のその強気なところは好ましいな」
「ふふ、ありがとよ」
きっと空港でのやりとりを見た報道陣が、こぞって取材を申し込んでくるはずだ。手塚の取材選別はこちらでしてやるかと、いくつか懇意にしている雑誌社を思い浮かべてみる。いっそ楽しくなってきてしまった。どこがいちばん愉快な記事を書いてくれるだろうか。
「跡部、楽しそうなところ申し訳ないが、先にこれを受け取ってもらえないか」
「アーン?」
振り向いた跡部の目の前に、一輪の薔薇。
突然のことに、跡部はぱちぱちと目を瞬いた。
「お前、これ」
「ここに来る前に買ってきたんだ。まだ開いている花屋があって助かった」
そういえば、部屋に入ってきてからずっと左手が後ろに隠れていた気がする。
この一輪の薔薇を隠していたのかと思うと、可愛いことをしてくれるなと口許が緩んだ。
「今日逢えると分かっていれば、もっとちゃんとしたものを用意したんだが。せっかくの誕生日に、薔薇一輪ですまない」
「いや、嬉しいぜ手塚。……ふ、これ買うためにお前が花屋に入ってくの、見たかったな」
そう、今日十月四日は跡部景吾の誕生日だ。
今日この日に手塚に逢えたことが最高の贈り物なのに、わざわざこうして花までプレゼントしてくれるなんて。
柄じゃないだろうにと思いつつ、手塚の左手からその薔薇を受け取った。
「わざとかそうでないのか、黒薔薇ってな。俺たちにふさわしい薔薇じゃねーの」
「喜んでもらえてよかった。空港でも伝えたが、誕生日おめでとう。逢えて嬉しい」
「サンキュ、手塚。逢いたかった……」
そう言って、両腕を手塚の背に回す。手塚も両腕で抱き返してくれて、ほうっと息を吐く。
慣れた体温と匂いを感じて、脳まで満たされる思いだ。
どうして、こんなにも求めて止まないのに、離れていられたのだろう。
体を離せば視線が絡んで、唇が引かれ合っていく。
「ん……」
何度もしてきたキスでさえ、いまだに胸が鳴る。それを知っているのか、確かめるように手塚の手のひらが胸に当てられた。
びくりと揺れた肩をもう片方の手でなだめられ、応えるように舌を吸う。それを合図に、キスは深さと激しさを増した。
じんとしびれるほどに強く吸われ、歯を立て舌を舐る。混ざる唾液を飲み込んで、吐息さえ奪って互いのシャツのボタンをもどかしげに外していった。
「……っ手塚、ベッド……」
「ああ、立てるか?」
「キスで腰砕けになるほどヤワじゃねえ」
「――ほう? なんなら今から砕かせてやってもいいが」
「ベッド! 行くんだろうがよ!」
差し出された手を振り払ったのは、羞恥からくる腹立たしさだったけれども、腰が砕けるくらいのキスとはいったいどれほどのものだろうか。
興味はあるが、ここでバテるわけにはいかない。何しろ夜はこれからだ。
朝が来るまで、黒薔薇にはここで待っていてもらうことにしよう。ベッドの中で花言葉を教えてやったら、手塚はいったいどんな顔をするのだろう。きっと涼しい顔で「知っている」なんて言うに違いない。
可愛くねえなんて思いながらも、愛しそうに肩を抱いて、キスをしながらベッドへと向かっていった。
翌朝、手塚は珍しくスマートフォンの着信音で起こされた。ドイツ語で応答するのはもはやくせになってしまっていて、ここが日本であることをしばし忘れる。電話の相手が、付き人だったせいもあるだろう。
「いや、構わないが……ああ、…………は?」
まだ眠っている跡部を起こさないようにゆっくりベッドを降りて会話を続けたが、向こう側から聞こえてきた言葉に耳を疑った
「それは、どういう……いや、謝らなくていいが」
動揺は声に表れ、立てた物音に跡部が起き出してしまった。手塚は通話口をそっと押さえ、「起こしてすまない」と小さく呟く。気怠げな跡部はふるふると首を振った。
「ああ、分かった。そうさせてもらう」
手塚はため息を吐きながら通話を終え、怪訝そうな顔をした跡部に向き直った。
「何かトラブルか?」
「いや、トラブルというか……まあそうなんだが」
「なんだよ、珍しくパッとしねえ答えじゃねーの」
跡部はローブを羽織りながら立ち上がる。情事の名残が散らばる素肌は目に毒だが、強気な口許は「俺がなんでも解決してやる」とでも言いたげだ。
「帰国の便が予約できていなかったと言われた。……せっかくだから一週間ほど滞在してきたらどうかとも」
「アーン?」
今日の夜、向こうに帰る便に乗るはずだったのだ。その飛行機が予約できていないとは。強行軍だったし、時間が許すのならばもう少しゆっくりしたいというのは本音だが、これは、恐らく。
「はは……ん、気の利いたことしてくれるじゃねーの」
そう、恐らくは飛行機のチケットが取れていないなんてことは噓なのだ。めったに帰れない状況であることに加えて、昨日の空港でのことが関係しているに違いない。
「どうする手塚。俺なら、自家用機ででもお前を送ってってやれるが」
飛行機のチケットなど、今からどうにでもなる上に、恋人は財閥の御曹司だ。言い方は悪いが金に物を言わせて融通を利かせることだってできる。
跡部は楽しそうに口の端を上げ、手塚の答えを待っていた。
「結構だ。せっかくなので、一週間ほどの休暇だな」
「なら、予定会わせるから、お前の誕生日を一緒に過ごさせてくれねえか。俺もお前に黒薔薇を贈りたい」
「ああ、もちろんだ。俺たちに似合いの花だからな」
「ククッ、やっぱり知ってて選んだな」
肩を揺らして笑う跡部に、「そうだな」と今日最初のキスをする。
一週間の休暇の中で、家族に紹介する時間が取れればいいと思いつつ、昨夜散々堪能した体をもう一度抱きしめた。
黒薔薇の花言葉―永遠の愛―
#両想い #ラブラブ #イベント無配 #未来設定 #リクエスト
23182
「どういうことだよ」
「俺が知るわけないだろう」
知らされた数字を二人で確認して、眉間にしわを寄せた。果たしてこんなことが起こり得るものなのか。
いや、しかし実際に起こっている。
「23182票……」
「同率五位とはな」
〝国民〟に対して行った国勢調査という名の人気投票で、手塚国光と跡部景吾がまさかの同票数で順位が同じになってしまったのだ。
これが発表されたら皆が驚くことだろう。
跡部は、くしゃりと髪をかき混ぜる。
手塚は、僅かに視線を背ける。
どうにもむずがゆい気分だった。何しろ、この男とは特別な関係にある。
ただの戦友というわけではない。好敵手というだけでもない。球を交わす中で生まれた感情は、間違いなく恋情だった。コート上で、日常で、心を通わせあって今に至っている。
「……仕組まれてんじゃねえだろうな?」
「なんの得があるんだ、そんなことをして」
答えられなくて、跡部は気まずそうにチッと舌を打った。
総票数は50万以上あったという。そんな中で上位に食い込んだばかりか、まさか恋人と同率順位とは。
「今年一番の驚きだぜ」
「それは俺もだな。正直、お前はもっと上に行くと思っていた」
跡部の人気が高いのは、国民全ての共通認識だ。その彼が五位というのは手塚にとって驚きだった。
「アーン? 俺様はいつでもトップに決まってるだろうが。順位がどこであろうと俺は俺の中で常に一番だからな」
「いや投票の意味がないだろう。だがまあ……お前らしいとは思うが」
ため息交じりに呟く手塚だが、口許が緩んでいる。いつでも強気な跡部景吾を、とても好ましく思っていた。
「ククッ、でもお前と同率ってのは嬉しいぜ、手塚。なかなかねえだろこんなこと。俺とお前はどこまでいっても同じ目線にいるってことだ」
「そうだな。やはり投票時、お前に票を入れておいてよかった」
「…………は?」
跡部が目を丸くして手塚を振り向く。手塚の言葉をすぐに理解できなかった――わけではない。
「なんでお前が俺に入れてんだよ」
「一番好きな選手、だろう? 間違ってない。俺が参加してはいけないとは書いていなかったしな」
「そうじゃね……っああ、くそ!」
どこか得意げに返してきた手塚に、跡部は悔しげに額を押さえた。若干頬が赤いように見えるが、気のせいではないだろう。
「……どこまで一緒なんだよ……」
「跡部?」
俯いた跡部を、手塚が怪訝そうに覗き込む。
「…………俺も、お前に票入れてた、から」
返された言葉に、手塚はぱちぱちと目を瞬いた。
何のことはない、ただ互いに票を入れていたというだけだ。
「……そうか」
どちらにしろ同票であったことには変わりないだろうが、23182票という数字の中に恋人の票が入っているという事実が、嬉しくて仕方がなかった。
「しょうがねえだろ、俺はあの時の試合からずっとお前が特別だったんだ」
「こちらの台詞だが。決着がつかなかったことに、悔しさも感じるが、やはり嬉しさの方が勝るな」
「テメーとの決着は、やっぱりテニスでしかつかねえってことだろ」
同じ気持ちだったことに、跡部は嬉しそうにパッと顔を上げ、パチンと指を鳴らす。
「コート行くぜ手塚ァ!」
同じ世界で、同じ目線で生きられる幸福を今から形にしようと、ジャージの上着を脱ぎ捨てた。
「望むところだ。来い、跡部」
手塚も力強く頷き、ラケットを握る。
二人でコートへと歩みだしかけたその時、ふと思いついたように跡部が「あ」と声を上げた。そうして手塚の襟元を掴んで引き寄せ、唇の傍で囁く。
「祝いだ、受け取りな」
触れた唇は、永遠に続く熱の架け橋だ。
「おめでとう、手塚」
「お前もだろう跡部。おめでとう」
「ふふ、同率記念、だな。さあ行くぜ」
「ああ」
もう一度軽いキスを交わして、今度こそコートへと向かった。同じ世界で、何度でも恋をするために。
本誌の人気投票、ジャンフェスのステージで発表されました
#両想い #ラブラブ #イベント無配
おそろい
発行物「クリスマスには早いけど」の1エピソード
手塚と二人で店に戻り、並べられたマフラーを手に取る。迷うことなく、深い緑色のマフラーを選んで。
「お前に似合うと思って」
それをレジで綺麗にラッピングしてもらい、手塚に差し出す。自分がもらったものと同じショッパーなのは紛らわしいが、手塚はしっかりと両手で受け取ってくれた。
「ありがとう、跡部。まだ……実感がわかないが」
「こっちの台詞だ。つーかてめぇ勝手にキスまでしといて実感がねえとはどういうことだ、アーン?」
手塚はぐっと言葉につまったようだった。両想いだったことが判明して、ついうっかりあふれ出してしまった情動が、二人の唇を触れ合わさせた。跡部も別に嫌ではなかったが、場所を考えろとは言ってやりたい。
「……お前があんまりにも可愛かったものだから」
気まずそうに口にされた言葉に、カッと頬が染まり、今度は跡部が言葉に詰まる。
この男の審美眼はいったいどうなっているのだろう。可愛い? と首を傾げてみるが、さっぱり分からない。手塚がそう思っているならいるでそれで構わないが、どうにもむずがゆかった。
「お前本当に俺のこと好きなんだな……」
「お前も俺のことが好きなんだろう? おあいこだ」
「まあそうなんだが」
まさか、手塚の想う相手が自分だなんて思わなかった。
叶わないのだと思って涙を呑んだのに、こんな奇跡があるなんて。
ちらりと見やると、手塚の方も同じことを思っているらしく、どことなく落ち着かない様子だ。それがなぜか可愛らしく思えてハッとする。可愛いとはこういうことなのかと。手塚もあの時、こういう感覚を味わっていたのかと思うと、恥ずかしくて嬉しい。
指先がそわそわとして、胸が鳴る。跡部景吾ともあろう者が、こんな些細なことで心を揺さぶられるとは。それも手塚相手ならしょうがないと思ってしまうあたり、相当重症だった。
「手塚、なあ……クリスマス……空いてんのか?」
「特に予定はない。夕食は家族と共にするが」
「じゃあ、それまでデートしようぜ。テニスもいいが、もう少し恋人らしいことしようじゃねーの」
「デートか、そうか……これからはお前と逢うとなると、そう言えるのだな」
手塚の口許がふっと緩む。こんな些細なことでと思うと、途端に愛しさが増した。
「手塚、ちょっと来い」
袖をつんとつまんで、傍の通路に引っ張り込む。不思議そうに小首を傾げる手塚に身を寄せて、頬にそっと口づけた。
「……っ跡部」
「何照れてんだよ、つられるだろうが」
「いや、その、突然で驚いて」
「俺はもっと驚いたんだぜ」
反論できずにいる手塚にもう一度唇を寄せ、今度は頬でなく唇に触れる。
あの時は感触を味わう暇もなかったから、今度こそと思った。案外に柔らかなそれは心地良くて、本当に恋人同士になれたのだとじわじわ温かみが広がってくる。
だがしかしここはどうしても人目がある。名残惜しいが体を離して、愛しそうに見つめてくる手塚にまた恋をした。
恋をしてもいいのだと思うと、嬉しくて仕方がない。右肩に額を乗せれば、手塚がそっと抱いてくれた。
「跡部、クリスマスにはもう少し長いキスがしたい」
「デートの行き先よりもキスの長さか」
「俺はお前といられるならどこでもいいが」
「可愛いこと言ってんじゃねえ」
「俺は可愛くないだろう」
言いながら、左手と右手が重なり、指が絡んでいく。
そんなことをしていたら、心配した友人たちからことの成り行きを訊ねるメッセージを受信した。
説明をしに行くかと、二人は待ち合わせの場所へと歩き出す。空いた手に、揃いのショッパーを提げながら。
#両想い #BOOST🎄 #クリスマス
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「向こうに話は通しておいた。しっかり治して戻ってくるんだね」
竜崎スミレがわずかに険しい顔でそう呟くのに、手塚は頭を下げた。こんなつもりではなかったが、致し方ない。
明日から、手塚は九州に赴く。関東大会の最中ではあるが、手塚は今戦力外だ。アドレナリンが切れたせいなのか、またズキンズキンと痛み出した肩では、どうやっても試合などできやしない。
この肩の治療のため、青春学園付属の大学病院へと行くのだ。リハビリの施設が整っているらしい。何よりも、身内だ。なにかと融通が利く。
「お前さんも無茶をしたもんだねえ。アタシがもう少し早くコートに戻ってれば、張っ倒して止めてたよ」
彼女はそうは言うものの、実際手塚を止められたかどうか。たとえ指導者の指示だとしても、手塚はあの時棄権するつもりは毛頭なかったのだから。
「必ず、全国大会までに戻ってきます。それまで、部をよろしくお願いします」
「ああ、そうだね。勝ち進んで待ってるよ」
背中をぽんと叩かれ、わずかに安堵した。勝ち進んで全国大会への切符を手に入れること前提か、と笑い飛ばされることがないのは、竜崎がそれだけ青学の力を信じているからだ。
部長という柱を失ったチームは士気を削がれるかもしれないが、あの連中なら大丈夫だろう。そう信じたい。
「ひとまずまあ、気分転換だね」
普通、試合が終わった後は反省会ではないのだろうかと手塚は思うが、青学テニス部一行は今、ボーリング場へと向かっていた。
初戦を勝ち抜いただけで浮かれ気分とは、と思うものの、竜崎が言い出したものだから従う他にない。これが部員たちの発案ならば、いつものように「グラウンド二十周だ!」とでも言ってやれるのだが。
「それにしても、もう少し平和に穏やかに傷一つなく試合できないもんかねえ……。河村の手も心配だよアタシは」
「病院ではなんと?」
「骨や神経に異常はないそうだ。ただ、無茶をするなと言われたよ。アタシはあんたたちを預かってる責任があるんだけどねえ。手塚、お前さんも全国では無傷で勝ってくれよ」
やれやれといったふうに首を横に振り、念を押すように右肩に手を置かれる。手塚とて怪我は控えたいが、状況によっては叶わないかもしれない。
激闘ボーリングが終わっておのおの帰途につく前に、メンバーには手塚が九州に治療に向かうことが周知された。その時の驚きようは、まだ関東大会の会期中だということを考えれば当然のことだろう。
だがもはや決定事項だ、勝った嬉しさも半減しかねない肩の落としように手塚は何も言えない。竜崎がそんなメンバーたちの背中を叩き、発破をかけていた。メンタルを鍛える良い機会でもあるのだろう。
「そういえば、氷帝の跡部くんなんだが」
そんなメンバーたちを見送って竜崎が口にした名に、手塚は息を止めた。表情には出なかっただろうが、何かあったのかと平静を装って先を促してみる。氷帝コールを背負ってコートを後にした跡部の姿が、頭に浮かんだ。
「跡部が、どうかしましたか」
「ん、いや、あんなナリでワンマン気取っちゃいるが、礼儀正しい子だと思ってね。樺地くんを一緒に病院につれていったことに礼を言われたよ。向こうさんも大したことなくて良かった。先入観に囚われるとは、アタシもまだまださ」
越前の口癖と重なっていて、口許が緩みそうになった。しかし、ほんの二言三言交わしただけだろう竜崎でさえそう思うのだ、手塚が跡部に対して抱いていた先入観が崩れ去ってもおかしくないのだと安堵した。
「俺も……彼に対する認識を改めなければと思いました。できればもう一度…………いえ、なんでもありません。では、失礼します」
「ああ、気をつけて」
竜崎に会釈をして、手塚は帰途につく。バッグをうっかり左肩に担ごうとして思い留まった。癖というものは恐ろしい。
ゆっくりと右肩に担ぐも、違和感が拭えない。だが左肩にこれ以上負担をかけるわけにはいかないのだ。違和感は諦めて足を踏み出す。
家に着くと、母がいつもと変わりなく出迎えてくれた。
「おかえりなさい、国光」
「ただいま帰りました」
母・彩菜のその様子は手塚の緊張を解かせる。内心ではどう思っているか分からないが、気を遣いすぎるのは逆に息子の負担になると分かっていてのことならば、相変わらず聡明な人だと尊敬もした。
「心配をかけてすみません」
「私より、国春さんがね。お仕事大丈夫かしら。お義父さんも、お気に入りの湯飲み落として割っちゃったのよ。今度一緒に買いに行きましょうかって言っておいたの」
その光景が目に浮かぶようで、どうにもむずがゆい。
一人息子だということもあって、厳しくも愛情を注いで育ててくれた家族だ。こんな時はそれを顕著に感じることができ、申し訳なくなった。
「でもね、私も怒ってはいるのよ国光。大切な試合だったのは分かるけど、自分の体をちゃんと愛してあげてね。お母さん、頑張って産んだんだから」
「……はい」
敵わないと思う。仲間に止められても、指導者に止められても、試合には出ただろう。だが、家族だったらどうだっただろうか。この人たちを振り切って、それでも跡部景吾との試合を望んだだろうか。
考えて、三割か、と胸の中で考えた。
「あ、向こうの病院で必要そうなものは買ってきたのよ。お部屋に置いてるから、後で見ておいて。荷造りお手伝いする?」
「ありがとうございます。自分でできますが……助けが必要な時にはお願いしてもいいですか」
「もちろんよ。さあ着替えてお夕飯にしましょう。もうすぐ国春さんも帰ってくるわ」
はい、と頷いて、手塚は自室へと向かった。背中でドアを閉めて、目を閉じて下を向く。
三割だ。三割、傾いて――それでも試合に出ることを望んだと思う。親不孝なことかもしれないと分かっていつつも、跡部とは決着をつけたがっただろう。
それほどに、大切な試合だった。
これは自分の我が儘だなと思い、だからこそしっかりと肩を治さなければと、着替えて食卓へと向かった。肩が上がらないことには、気づかなかったふりをして。
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