- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
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No.502, No.501, No.500, No.499, No.498, No.497, No.496[7件]
永遠のブルー-005-
神奈川県、立海大附属中学の旧校舎に、跡部はいた。今日は全国大会トーナメント戦の組み合わせ抽選会だ。そこに、樺地を連れて氷帝学園テニス部部長として出席している。
会場を見渡せば、ジュニア選抜などで見知った顔がちらほら。どこの地区もさすがに強豪揃いだなと腕を組む。
――――青学は……大石か。
それでも、跡部がいちばん望んでいた顔はここにはない。
間に合わなかったのかと眉を寄せて目を細め、唇を引き結んだ。
手塚のリハビリが順調ならば、本来は彼がいるべき場所だ。部長代理として大石が来ているのは、つまりそういうことである。
手塚を欠いた状態で関東大会を制した青学は、純粋に称賛したい。立海すら押し退けるとは思わなかったが、個々のモチベーションを保つのも大変だったのではないだろうか。
いや、絶対に手塚を全国に連れていくという一つの意志が作用したのかもしれない。
だがここから先は、気持ち一つでどうにかなるものではない。
部を率いる将がいるのといないのとでは、大きな違いがある。精神的な支えとしてだ。
――――手塚、大会の途中からでも出られねえのか? そんなに……肩の調子、良くねえのか。
結局、手塚がリハビリをしている九州には一度も飛べなかった。逢いたい思いはあったが、合わせられる顔がない。今どんな状態でいるのかも分からない。
調べようか? と滝が声をかけてきたことはあったが、断った。そんなことをしている暇があるなら正レギュラーに戻ってこられるように精進しろと。
だが、いつまでも部員たちに気を遣わせているわけにもいかない。事実、今も隣で樺地が心配そうな瞳で見つめてきている。
この抽選会が終わったら、一度九州へ向かってみよう。万が一手塚と話すことができたなら、さっさと治してこねえと氷帝が全国をもらうぜと発破をかけてでもやろう。そろそろこちらも腹をくくらなければいけない。
進行係から、青学を呼ぶ声がする。よほど緊張しているのか、大石の耳には入っていないようだった。
「青学、東京都青春学園代表、いませんか!?」
「えっ、あ、は、はい! います!」
もう一度呼ばれて、ハッとした大石が顔を赤くやら青くやらしながら席を立つ。周りからは「緊張してやがるぜ」などと囃し立てる声が飛んだ。
抽選会からあの調子でどうするんだと、見ているこちらの方が不安を覚えてしまう。大石に部を任せていて大丈夫なのか? と眉間にしわが寄った。青学には何としても勝ち進んでもらわないといけないというのに。
もし手塚が間に合った時、戦う場所が在るように。
そしてできれば、もう一度相見えたい。個人としては戦えずとも、互いに高みを目指す場所にいたい。
その場所を潰してくれるなよと、責めるようにも、祈るようにも大石の動向を見守る。――はずだった。
「大石、それは俺に引かせてくれないか」
壇上へと向かいかける大石に、一つの声がかかる。
その声に会場の誰もが目を瞠った。無論、跡部もだ。
光の矢が己を貫いたような衝撃を覚え、声がした方を振り向けば、青学のジャージに身を包んだ――手塚国光がいた。
「……てづ、か……」
思わず、小さくその名を呟く。
会場のどよめきも、安堵と歓喜にまみれた大石の声も、跡部の耳には入らない。すうっと、凍り付いていた体が溶けていくような、妙な感覚を味わう。
――――手塚、間に合ったのか。
彼はいつもと変わらない様子でそこにいる。ふてぶてしささえ感じるほどの仏頂面で、無意識に周りを圧倒させるオーラを放ちながら。
ああ、……と、跡部はゆっくり息を吐き出す。それは間違いなく安堵で、自身もそう自覚していた。
ここにいるということは、少なくともテニスができる状態なのだ。良かったと、素直にそう思う。手塚ほどのプレイヤーを失わなくて本当に良かった。
そんな跡部に、ようやく会場内のざわめきが聞こえてくる。
あれが手塚か、プロも注目しているらしいぞ、だが怪我をしているんじゃなかったか、と。そんな中、何も気に留めない様子で手塚は壇上へと向かっていく。
「フン、手塚がなんぼのもんじゃい。ワシのスーパーテニスで――」
「やめとけ。テメェじゃ十五分ももたねえぜ」
身の程を知らないというのは哀れだなと、跡部は笑いながら諌める。同意を求めた樺地も、あまり間を置かずに「ウス」と返してきた。
性懲りもなく手塚の足を引っかけて恥をかかせてやろうとした輩がいたようだが、かわしたどころか「ずいぶん長い脚だな」と狙ってか無意識にか煽るような台詞を吐く手塚に、跡部は肩を震わせて笑った。
元気そうで何よりだと、壇上に上がった手塚を見やる。
ここに来るまでどれだけか辛酸を舐めたかもしれない。リハビリで心が折れかけたかもしれない。それでも手塚は戻ってきた。
また戦える。まだ高みを目指せる。
そうだ、あの男の諦めが悪いのは、跡部だってよく知っていたはずではないか。
気分が高揚してくる。テニスがしたくてウズウズしてくる。抽選会が終わったら即練習に向かいたい。
いや、その前にやるべきことがあった。
壇上から降りて大石のところへ向かう手塚を見やる。次いで組み合わせ表に視線を移し、青学とは準々決勝で当たることを確認した。
もう一度シングルス1で対決することになるだろうか。再び手塚を振り向いて思案するが、やがて跡部は苦笑した。それは少しばかり難しいかもしれないと。
あの男はふてぶてしくも氷帝に勝つためのオーダーを組んでくるはずだ。自身がシングルス1であることにこだわらずにだ。
それならば、こちらも絶対に勝つためのオーダーを組むだけである。跡部は隣に座る幼なじみをちらりと見やって、あらゆるパターンをシミュレートした。
何にしろ、まずはけじめをつけなければならない。
「樺地、今日は先に帰っていいぜ」
「……跡部、さん」
抽選会が終わって、各校の代表たちは会場を後にしていく。そう言って腰を上げた跡部を、幼なじみである樺地が心配そうに見つめてくる。この後、何をしようとしているのか分かっているのだろう。
「心配すんな。なにもケンカふっかけに行くわけじゃねえ」
ぽんと肩を叩いて笑ってやれば、樺地はこくりと頷いて会場を後にしていく。それでも心配そうに何度か振り向いてきたのは、しょうがないことだっただろうか。
跡部は息を吐き、廊下の壁にもたれる。
大石と何事か話し込んでいた手塚も、そろそろ出てくる頃かと、手持ち無沙汰な両手をポケットに突っ込んだ。
手塚が会場に入ってきて今この時点まで、視線は少しも重なっていない。あの試合の時は、世界で二人だけしかいないかのように視線で会話をしたというのにだ。
やはり良い感情は持たれていないのだなと俯く。
この期に及んで浅はかな期待をしても仕方ないなと、跡部はゆっくりと息を吐いて顔を上げる。
手塚はちょうど上機嫌の大石と出てくるところだった。跡部は壁にもたれていた体をゆっくりと起こす。
「手塚」
声をかければ、二人が足を止めて見やってきた。あの日以来の視線の交錯に、どうしてか跡部の胸が跳ねる。
「話がある。少し、いいか」
手塚は相変わらず表情を崩さないで、じっと見据えてくる。
その唇から拒絶が飛び出してくるかもしれないと思うと、らしくなく足が竦むような気分だ。
「ああ、構わない」
え、と驚愕が小さな音になる。持ちかけておいてなんだが、こうもすんなり受けてくれるとは思っていなかった。
「大石、すまないが竜崎先生への報告を任せてもいいだろうか」
「え、あ、ああ……いいけど、……大丈夫かい? 手塚」
大石の不安そうな視線が向かってくる。彼の懸念の方が、まだ理解ができた。
怪我の原因を作った相手と二人になって言い争いになったりしないだろうか――手塚が誰かと言い争う場面など想像できないが、一歩間違えば選手生命が絶たれていたのだ。心穏やかに話せるわけがないだろう。
「心配は無用だ」
「分かった。何かあったら連絡してくれよ」
こくりと頷いた手塚にどれだけか安心しつつも、大石は心配そうに何度か振り返りながら跡部を通り過ぎていった。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー
永遠のブルー-004-
開催地域枠で、氷帝学園の全国大会出場が決まった。望んだ通りのストーリーではなかったが、上の大会に進めると意気込んでいるレギュラー陣を始め、二百名の部員たちや応援団の気持ちに水を差すわけにもいかない。
目指しているのは、高みだ。一個人のプライドやわだかまりで、潰してしまっていいチャンスなど存在しない。
「どいつもこいつも浮かれやがって」
夏休みだというのにわざわざ垂れ幕まで用意されてしまっては、受け入れるより他にない。跡部はパチンと指を鳴らし、騒がしさを蹴散らした。
「俺様とともに全国へついてきな!」
気分は、どうしても高揚してくる。終わったと思っていた夏の続きが始まるのだ。それは仕方がない。
全国大会は、強敵がたくさんいるだろう。レギュラーの強化やオーダーの相談、時間はあまり多くない。
跡部はすぐさま、練習を開始させた。大会出場が決まってテンションが最高潮にまで達した部員たちは、いつも以上に良い動きをしている。
「楽しみやなあ、全国」
「無様な試合しやがったら承知しねーぞ」
「せえへんわ、そんなん。これでもテンション上がってんねんから。謙也のとこも出るみたいやし」
いつでもわりととローテンションの忍足でさえ、珍しくテンションがだだ上がりらしい。そういうふうには見えないけれど。
「ああ、従兄弟だったか?」
「せや。四天宝寺、強いらしいで」
だが確かに、声のトーンが若干上がっている。眼力インサイトを使わずとも、忍足がわくわくしているらしいことが伝わってきた。従兄弟ということは、プレイスタイルも長所も短所も知っている相手ということだろう。
言うなれば、ライバル、だ。
跡部は、眉間に眉を寄せて目を細めた。
跡部の一方的な感情かもしれないが、彼は――ライバルだと思っているあの男は、間に合うのだろうか。
手塚の肩の状態が良くないという情報は、漏れ聞こえてこない。手塚の状態を気にしているのは跡部だけではなく、どうしてもそこかしこで囁かれているのだ。
リハビリは順調らしい、プロのチームが様子を見にいったらしい、向こうのプレイヤーをのしてしまったらしい、エトセトラ。
どれもこれもが噂の域を出ないものだが、その中には不思議とネガティブなものが存在しなかった。
誰も彼もが、手塚国光の復帰を願っている。
「跡部、今のうちに言うとくけどな」
「あん?」
「手塚が間に合わんかったら自分も試合には出えへんなんてのは、ナシやで」
少し高いところから降ってきた声に目を瞠り、忍足を振り仰いだ。彼は肩を竦めて半分冗談のように言っているけれど、九割が本心なのだろう。跡部はゆっくりと瞬いて、顔を正面に戻した。
「んなわけねえだろ、俺が出ねえでどうするんだ」
跡部としても、出場するなら狙うのは優勝のみだ。それは全校同じことで、他のレギュラー陣に任せっきりというわけにはいかない。頂点に君臨するキングとして、勝ちを見せてやるのも務めの一つだ。
「開催地枠だろうと関係ねえ。勝ちに行くぜ、忍足」
「当然や。誰が相手でもなあ」
跡部は太腿の横でぐっと拳を握る。目指すのは高み。そこに手塚がいようといまいと、強敵を打ち倒して君臨するのだ。
――――キングたれ、跡部景吾。
そう自らを鼓舞して、青い空を見上げる。
それでもあの日見た空ほど鮮やかではなかったけれど。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー
永遠のブルー-003-
過去を振り返るのはあまり好きじゃない。
だけど、何をしていてもあの男が浮かんでくる。
トスを上げるときも、ラケットを振り抜く時も、走り込む足を踏み出す時でさえ、ネットの向こうにあの男がいるかのようだ。
何度ラケットを握っても、気がつけばあの日の試合をリプレイしてしまう。
ドロップショット、ドライブボレー、ジャックナイフ、いくつものリターンを経て、返し得ない零式。手塚の右手がトスを上げる。力強い左腕がラケットを振り下ろす。重い打球を受け止めて返す。
手塚の左を抜いて、ボールは地面を転がった。
跡部は息を吐いて体を翻し、ベンチに置いていたタオルで汗を拭う。
自分が見るべきものは未来のはずで、上の上の上、さらにその上を目指すべきなのだ。
記憶というものが美化されてしまうこともある。
あまりにあの試合が衝撃的で、刺激的で、美化されているせいで、いつまでも執着してしまうのではないか。
無二の試合だったことは認めるが、この先あれ以上の試合がないとは言えない。強く巧いプレイヤーと戦うことなど、テニスを続けていればたくさんあるだろう。
だけど、どうしようもなく手塚なのだ。いつも、いつでも、手塚国光が浮かんでくる。
あの男ならどう打ってくるか。あの男はこのラインをどう返してくるか。あの日の手塚だけではない。あのテンションを保った手塚が浮かんでくる。
これはもう、記憶を再生しているというレベルではない。
跡部にとってあの日戦った手塚というプレイヤーは、過去であり現在であり、未来でもあった。この先絶対に出逢えないだろう、最高のプレイヤーになってしまった。
それでも、氷帝としての夏はあの日で終わってしまった。全国を制するという高みの一つは、もう追えない。勝利は青学のものだ。
中学最後の夏――もう手塚と戦う舞台はない。
公式でないものなら可能かもしれないが、手塚が受けてくれるとは思えない。
そもそも、……そもそも、彼の左肩は今どんな状態なのか。テニスを続けることはできるのか? あの真摯なプレイが失われるなんてことがあれば、テニス界にとっても大きな損失だ。
そればかりが気にかかる。
状況を訊きたくても手塚の連絡先など知らないし、青学の連中のもだ。手塚の肩を壊した張本人に良い感情など持っていないはずで、たとえ今の手塚の状態を知っていたとしても跡部には教えてくれないだろう。
跡部家の誰かに頼めば、すぐさまつぶさに手塚の状態が報告されるだろうが、もしも酷い結果だったら、手塚はそれを知られたくないのではないだろうか。特に、戦った相手には。
訊ける相手がいない。その上悔しいことに、怪我で足踏みしている状態など知られたくないだろうことが、理解できてしまう。
もっと親しい相手ならば、怪我の具合はどうなんだと直接訊けていたかもしれない。だが手塚とは親しくしてなどいなかった。
ぐる、ぐる、と思考が巡る。
忍足の言う通り、気になっているなら確認すればいい。連絡先くらい調べればすぐに分かる。いや個人情報なのだからそれは良くない。他の人間に確認させるか。自分のために動いてくれる人材はたくさんいる。駄目だ、貴重な時間をこんなことに使わせるべきではない。
やはり自分が直接九州に行くか。駄目だ。見られたくないだろう。……見せられないほどの状態なのか。
繰り返し、思考がループする。
跡部は唇を引き結び、どさりとベンチに腰をかける。
そこからじっとコートを眺めた。
――――駄目だ。何度リプレイしても、俺は手塚の弱点を攻めたし、アイツが諦めるっていう選択をすることがねえ。俺たちはお互い、自分の部を勝たせるために戦った。諦めも妥協も存在しねえんだよ! それは分かってる! 分かってるがッ……!
なぜあの時、お互いが最高のゲームを望んでしまったのか。どちらかが一歩でも退いていれば、こんなことにはならなかったのに。
だが何度思い返しても、幾度思い描いても、手塚は食らいついて球を打ち返してくる。返せないだろうと踏んで打ったボールを打ち返してくれるのだ。
――――アイツが欠片も諦めねえことが、なんでこんなにも嬉しいんだよ……!
打ち返されたことに驚愕し、悔しさを覚え、そして――歓喜する。
身も心も震えて、返ってきた球を打ち返してやる時の充足感といったらない。
その興奮を引き連れて何度もゲームをしたが、終えた後は必ず体が急速に冷えていく。
もう想像の中でしか手塚と相見えることができなくなるかもしれない。
プレイヤーとしての生命を絶たれた可能性を考える――その前に、あの日見た炎のように熱い手塚の瞳が、氷のように冷たく突き刺してくるかもしれないと思うと、足が竦む。
怪我の原因を作った相手に良い感情など持てやしない。いくら手塚が他人には興味がなさそうだといっても、これは別だろう。諦めることなく全力でゲームしてくれたことを嬉しく思う人間相手では、なおさらだ。
跡部は項垂れて、組んだ手の上に額を乗せる。重いため息が唇から這い出ていった。
手塚の怪我に責任を感じているのは事実だ。
どうか今後もテニスを続けられるようにと祈っているのも事実だ。
どうしてあの時退かなかったんだと責めたい気持ちと、最後まで全力で戦ってくれて嬉しい気持ちがせめぎ合って、胸をかきむしりたい気分だ。
――――……逢いてぇ……。
手塚に逢いたい。
吐き出す息が熱くなる。
言葉なんて交わしてくれなくていい。蔑んだ瞳で睨んでくれたって構わない。罵ってくれて結構だ。いや、顔を合わせなくてもいいのだ。
ただ、生きていると確認したい。
あの熱い魂はまだそこに生きていると、この目で確かめたい。
「ハ……」
そこまで考えて、跡部は自嘲気味に乾いた笑いを漏らした。
自己満足でしかない。手塚がいったい今どんな気持ちで過ごしているのか知りもせずに、ただ自身の願望だけを優先したがる。手塚国光というプレイヤーはまだ死んでいないと確認して、自分を救いたいだけだ。
こんな愚かしい気持ちのまま、手塚の前に姿は見せられない。
日に日に募って心の底にたまっていく不安なんて、手塚の絶望に比べたら塵みたいなものだ。自分がこんなことを考える資格があるのか! と手の甲に爪を立ててしまう。
だが手塚の痛みはこんなものではなかったはずだ。痕がついたって構いやしない。
彼と同じ傷を負うつもりはない。けれど、今痛みを感じているならすべてこちらに移ってくればいいとは思う。
「手塚……」
胸が痛い。祈るように握りしめた拳が痛い。間違っても逢いたいなんて言葉が音になってしまわないように、唇を噛みしめた。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー
永遠のブルー-002-
「手塚、九州やて?」
手塚が療養のために九州へ向かったことは、人づてに聞いた。
「ああ、そうみたいだな」
跡部はそう返すしかできず、ふいと顔を背ける。
「見舞い、行かへんの」
忖度も何もなく無遠慮にそう訊ねてくるのは忍足で、ある程度予測のできたものだった。
「九州までか?」
「跡部なら金の心配はあらへんやろ。自家用ジェットでも使たらすぐなんとちゃう?」
暗に行かないと答えたつもりなのに、懸念事項はないとばかりに続けてくる。
確かに金銭的な問題はない。ヘリでもジェットでもすぐに使える立場にはある。
生徒会やテニス部のことで時間がないと言っても、この男は「跡部がそんなつまらん言い訳するやなんてなあ」と言ってくるに違いない。そして実際、調整できないわけでもない。
「行って何するってんだ、テニスができるわけでもねえのに」
「よう言うわ。朝から晩まで気にしとるくせに。詫び入れたいんやないんか?」
「詫び、ねえ……」
手塚が療養に行ったのは、跡部との試合で痛めた肩の治療のためだ。
罪悪感は、ある。
弱点を攻めて潰しにかかったのは跡部なのだから。だが跡部にとって誤算だったのは、肩に負担がかかっていると理解しつつも手塚が退かなかったことだ。
なにも、本当に再起不能にしようとしたわけではない。選手生命にも関わる部分だ。およそすべてのプレイヤーが、その先を考えて棄権するか、攻め急いで墓穴を掘るかだと思っていた。今まで相手にしてきたどの選手もそうだった。
それなのにあの男は、肩の不調を抑え込んでまで持久戦を挑んできたのだ。
読み切れなかったことで、手塚の肩を破滅させた。
詫び、で済むのかどうか。
もし今後テニスができなくなったりしたら――どうすればいいのか。あれほどの選手を、自分が死なせてしまうのか。
九州には確か、青学大附属の病院があったはずだ。そこに罹っているのだろう。
これが跡部家の息がかかった施設なら最優先にしろと手を回すところだが、……と思いかけて、踏み留まる。
治療を必要としている人はなにも手塚だけではない。それこそ一生をふいにする怪我を負っている患者だっているだろう。それを押し退けて治療を優先させろなどとは、口が裂けても言えやしない。
「手塚がそんなもの受け入れるかどうか……」
口許に苦笑を浮かべて、忍足に答える。望まれるなら詫びでもこの先の生活補償でもするが、手塚はそれを受け入れないだろう。「必要ない」とにべもなく言ってのける姿が、目に浮かぶようだ。
「お前がそないに苦しそうな顔するんやったら、やっぱりあの時止めといたら良かったわ」
けど、とそこでいったん言葉を止める忍足を振り仰ぎ、そこに苦笑する友人を見つけた。
「なんやあの時は、止められへんかった。あないに必死にボール追う跡部やなんて、そうそう見られるもんとちゃうしなあ。手塚に関しての読み違いはあそこにおる全員がそうやったろうけど、跡部も大概やで。観たかったんや、宿敵同士のまたとない試合。止めへんで、堪忍な」
「……宿敵同士?」
跡部は目を丸くする。何の不思議もなく出てきたその単語が、ストンと自分の中に落ちてきて、じわりと体中に染みこんでいく。
「なんでそこで驚くん、自分。変なこと言うたか?」
「い、いや……そうじゃねえが、アイツが俺を宿敵として認識したように見えたってのか?」
確かに跡部は手塚をライバルとして意識していた。だがあの試合まで彼とはろくに言葉を交わしたこともなかったし、手塚が他人をそう意識しているようには見えなかったのだ。
「俺のことはあくまで敵対校の部長だとしか思っていなかったはずだぜ」
「そないなどーでもいい相手とあないにアツい試合繰り広げるんかいな」
「……手塚だからだろ」
「分からんなら、本人に訊いたらええんとちゃう?」
「連絡先を知ってると思うか?」
「せやから見舞い行って直接訊け言うてんねん。自分やったら、宿敵に見舞い来られたら嬉し……いや、ちゃうな、跡部の場合は。発破かけにきたんかってテンション上がって、それまで以上にリハビリ頑張んのやろな」
忍足は、どうしても跡部を見舞いに行かせたいらしい。
一度くらいは顔を出すべきだと思うが、それでテンションが上がる手塚など想像もできない。本当に宿敵と思ってくれているなら悪くない気分だが、当の手塚はそれどころではないだろう。
「男らしゅうないで、跡部」
「アーン?」
「あの試合からずっと手塚のこと考えとるくせに」
男らしくないとは聞き捨てならねぇなと煽るようにすごんでみたが、次に忍足が発した言葉に瞠目し、息を呑んだ。
ずっと手塚のことを考えている――それは、事実だ。その事実に今気がつかされただけで。
「…………それは、仕方ねえだろ」
肩の怪我は。治療はどのくらい進んでいるのか。今も痛むのか。次の試合には間に合うわけがない。青学はどうしているんだ。この先テニスはできるのか。
日がな一日、考えるのはそんなことばかりだ。
手塚がどう思っていようと、跡部が怪我のきっかけを作り一因になったのは間違いない。その跡部が手塚のことを心配するのは、なんらおかしなことではないはずだ。
「気にかかることがあるのに、行動に移さんてのは男らしゅうないて言うてるやん。毎日そないに眉間にしわ寄せられてたら敵わんで」
「眉間にしわだと?」
「自覚しとらんのか、跡部。部室になんか来とらんと、はよ見舞いに行きや」
言いながら自身の眉間を揉む忍足に、跡部の眉根が寄る。それに気がついて舌を打ち、顔を背けた。
手塚のことを考えている時、いい気分でないのは仕方がないにしても、周りに悟らせたどころか気を遣わせていることを不甲斐なく思った。
跡部はふうーと盛大にあからさまなため息をつき、ジャケットを脱いでネクタイを緩め、着替えを始めた。それを見て、忍足の方こそあからさまにため息を吐いた。
「ジャージで行ったかて、手塚とテニスはできんで」
「自主トレだ、バァカ。これ以上てめぇのたわごとなんざ聞いていられるか」
制服の替わりにバサリとジャージの上着を羽織って、跡部は更衣室を後にしようとする。ドアを開ける直前、口許に笑みを浮かべて振り向いた。
「気を遣わせてすまねえな、忍足。今この瞬間からは、そんな気遣いは捨てな」
体を翻したこの瞬間からは、もう周りに心配をかけるようなことはないと暗に含み、足を前へと踏み出す。それは氷帝のキングとしての一歩だ。
キングの背に、忍足のため息は届かなかっただろう。
「あの日で氷帝の夏は終わったのに、お前の夏はあの日に始まってもうたんやな、跡部。なんちゅう皮肉や」
そんな呟きさえも。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー
永遠のブルー-001-
忘れられない色がある。
十四歳の夏、それを知ってしまった。
それはどこまでも高く突き抜けるような、透き通った――青。
なぜお前が膝をついているんだ。
跡部景吾は、瞬きをするのも忘れてその男をネット越しに見つめた。
中学生男子テニス・関東大会。初戦の試合だった。シングルス1、多くの学校が部長を据えるこのゲームは、跡部と手塚の初対決でもあった。
手塚国光は、青春学園テニス部部長だ。
国内の中学生プレイヤーならば誰もがその存在を知っていると言っても過言ではない。寡黙ながらも正確で冷静なプレイスタイルには跡部も一目置いていて、戦いたい相手ではあった。当然ながら自分の力を見せつけて圧勝するものとして。
だがその認識は誤っていた。
冷静に状況を判断して時には妥協もするだろうと思っていた男は、ただチームを勝利に導くために自分の腕さえ懸けるような、とんでもない男だった。
分かりやすく弱点を攻める跡部に、『遠慮するな、本気でこい』などと煽るようなことまで言って、実際本気でやらなければこちらがやられると思わせる。『それでも俺が勝つ』とでも言いたげな球筋が腹立たしくて、跡部も全力で返した。
いつしか、弱点を攻めていたことなど忘れていた。
手塚が激痛に顔を歪めて肩を押さえ、膝をついた瞬間に沸き上がってきたのは、怒りと焦燥感。
自分が弱点を攻めていたにもかかわらず、なぜだ、と思った。なぜ今この瞬間なのだと、身勝手にもだ。
もう少し早ければここまで心技ともに昂ぶっていなかっただろう。もっと遅ければ、必ず自身の勝ちという結末を迎えていたはず。
そもそも持久戦など受けて立たずに退いていてくれれば、所詮その程度かと嗤わらってやれたのに。
攻め立てたのは跡部で、選んだのは手塚だ。
互いの間にあった糸が、ぷつりと切られたような気がした。
青学のベンチで、他の部員たちに棄権を促されている中、跡部はただコートで待った。
納得できない。
――――こんな形で終われるわけがねえ。俺たちがこんなところで終わっていいはずがないだろう!
ぐっと強くラケットを握る。燃え上がった心はあの男でなければ鎮められない。
――――出てこいよ、手塚。手塚。……――手塚ァ!
祈り、怒り、信じて待った。こんな終わり方では納得できないのはお互い同じだと根拠なく思って。
いや、根拠はあった。手塚が打った球のひとつひとつにだ。
果たして、手塚は部員たちの反対を聞き入れず、親友と生意気な後輩の後押しを受けてコートに戻ってきた。
「待たせたな、跡部。決着をつけようぜ」
背筋を、何かが駆け抜けていったような気がした。武者震いに似た歓喜。
やはり同じ気持ちだったと、ラケットを握り直す。
決着をつけなければ前に進めない。いや前ではない、上だ。お互い部長同士で、チームを率いている以上責任がある。勝って次の試合に進むのは自分たちだと、それぞれ思っていたはずだ。負けるつもりでコートに立つプレイヤーなどいやしない。
だがこの時ばかりは、個人としての闘志が渦巻いていた。お互いにしか分からない機微だったとしても、それは事実だった。
「なんだ手塚ァ! このサーブは!」
球を打ち返す。激痛に顔を歪め、肩も充分に上がりきらない相手のボールを、容赦なく打ち返すなんて非情だと責める者もいるだろう。始めのリターンエースを見ていてそれを言うならば、眼科に行けと言ってやりたい。
そもそも、手を抜くべき場面ではない。それは手塚に礼を欠く。手塚は激痛に耐えてまで、勝つためにコートに戻ってきた。容赦がないのは手塚の方だ。あのボールを受けてみれば分かる。この期に及んで、負けるつもりなど毛頭ないことに。
手塚の息が上がっている。跡部の息も乱れている。
どちらも引くということを知らない男だ。その事実を、観戦している誰もが初めて知った。相対しているお互いさえも。
こんなにがむしゃらで熱いプレイをする男だったなんて。こんなアイツは見たことがない――近しい相手すらそう言うのだ。今までろくに言葉を交わすこともなかった状態では、当人たちだって同じ思いを抱いているだろう。
自分の中にもこんな必死さがあったのかと、自分自身に驚いてさえいるかもしれない。
跡部はそれを自覚していた。幼い頃イギリスで同年代の少年たちに負け続けていた時だって、ここまで必死になった覚えはない。
自分自身の未熟さに腹を立てて技術を磨いたが、あの時とは全然違う。己の内にあるすべてのもので挑まなければならない相手だ。
間違いなく、この先の人生で無二の試合になる。直感でそう感じた。
体も、心も、魂も、比べるもののない試合になると分かる。
だからこそ打ち込む球に最高の力を込める。誰になんとそしられようと構わない。
この球を受ける相手に――手塚には分かっているはずだ。
トスを上げる直前に交錯した視線で、手塚がわずかにグリップを握り直したことで、それが自分の独りよがりではないと確信ができた。
たとえこのタイブレークがどれほど続いたとしても、自分を――そして、手塚がテニスに懸ける想いを裏切ることのないように、すべての力をもってプレイをしよう。
――――手塚、ありがとよ。今ここでお前と戦っていなければ、お前が全力で挑んできたりしなければ、俺は俺の進化を自分で止めていた。
一瞬たりとも気など抜けない。全神経をボールと手塚の動作に集中させているのに、それでも横を抜かれる。仕返しに足元を撃ち抜いてやっても、すぐ次の手に備えなければならない。
一ポイント取っても、次は取られる。全力で打っているのに、向こうも全力で打ち返してくる。
だが不思議と腹が立たない。悔しくはあるが、余計に気分が高揚した。魂が吼ほえたような気分を味わう。
いつしか、審判のカウントの声も聞こえなくなっていた。
聞こえるのは、コートを踏みしめる音と、強烈なインパクト音。互いの咆哮と、荒れた吐息。それだけだった。
いつまで続いたっていい。
日が暮れたって構わない。
ずっとこうして、球を交わしていたい。
だが終わりというのはいつかくるもので、ポイントを取るために打った手塚の零式は彼の思惑に反した軌道を描き、跡部のラケットがそのボールを拾い返す。その際に倒れ込んだ跡部の反応が遅れる。
手塚が打ち返してポイントを取られ、まだタイブレーク状態が続くものと思われた。だが手塚の打った球が跡部のテリトリーにまで届くことはなく、ネットに捕らえられて――落ちた。
ゲームセット! という審判の声で、周囲の音が戻ってきたように思う。
ああ終わったのか。終わってしまったのか。
跡部は立ち上がって、ネット際に歩んできた手塚の顔を見た。相変わらず表情は読みづらく、この勝敗をどう思っているのか分からない。
跡部はじっと手塚を見据え、彼の背負うものに思いを巡らせた。
勝ちは、勝ちだ。そして、負けは負けだ。
だがそれでも、差し出された右手を握り返して、高く掲げてみせる。
お互いが勝者で、お互いが敗者だと。
周りが驚いているのが空気で分かる。手塚すら驚いているようなのが手のひらを通して伝わってくる。
他にどうもできなかったのだと、跡部自身らしくないことを理解していて、長くはそうしていられない。
ゆっくりと手を放せば、「跡部」と小さく呼ばれる。だが何も聞くつもりはなくて、揃って審判への礼を終わらせ自陣へと戻った。
ベンチに腰をかけ、息を整える。
ここまでとは思わなかった。手塚という男が。跡部景吾じぶんという男が。
満たされた気分だ。そう思う傍から、まだ足りないと思う自分がいる。
まだ、もっと、高みへ行ける。恐らく同じ思いを抱えている男がいるから。
だが、と跡部は吐き出した息を飲み込んで止めた。
――――次の補欠戦、恐らく負ける。手塚が目をかけている新人だってえんだから、相当な腕の持ち主だろう。日吉まで回ることを想定していなかった俺のミスか。
日吉も二年の中では優秀なプレイヤーだが、まだメンタル面に未熟なところがある。次代の氷帝を背負うには、ここを乗り越えられるかどうかにかかっている。
ふと顔を上げると青学ベンチの手塚が目に入った。何をしていやがる、と眉間にしわが寄る。早く病院に行けと叩き出してやりたい。
ネット際で握手をした時だって、わずかながら左手が震えていただろう。その肩はすぐに治療をしなければいけないのではないのか。周りの連中も、いったい何を悠長に構えているのだ。
「おい、てづ……」
思わず腰を上げかけた時、気づく。手塚がじっとコートを見据えていることに。
後輩である越前の試合を、余すところなく見届けなければならないと。その勝利を信じ、熱望して。
跡部は上げかけた腰を下ろし、ふっと口許を緩めた。
そうだ、信じて観ないでどうするのだと。これは個人戦ではなく団体戦なのだ。率いているキングが周りを信じなければ、誰もついてこない。
自分がするべきことはした。自分自身も想定外に熱くなった試合は日吉の闘志を刺激しただろうし、準レギュラーですらない部員たちにも、何か響くものがあったはずだ。そして自分のペースで心技ともに磨いていくきっかけになっただろう。それでいい。後はここでどっしりと構えているべきだ。
それがキングたりうる者の使命。
――――勝ってこい、日吉。今お前の持てるすべてでぶつかってこいよ。
信じてここで待っている。
跡部はいつものしたたかな笑みをたたえ、ちらりと手塚を見やった。
周りを信じられるかどうか――自分たちの勝負はまだ続いている。青学と氷帝の勝負であり、頂点同士の勝負でもある。
――――同じなんだろ、手塚。背負うものは俺もお前も変わらねえ。てめぇとの決着は、まだついちゃいねぇぜ!
どよめきやインパクト音が響く中、跡部はふっと視線を上げて目を細めた。
まだ昇っていける。あの高みへ。あの瞬間の快感を忘れることなどできやしない。
――――ああ、なんて……鮮やかな青をしてやがる。
夏に向かう色だ。
日吉の――氷帝の敗北がきまったのは、それからしばらくの後だった。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー
永遠のブルー

2022/04/10
【あらすじ】
手塚の怪我について負い目を感じている跡部だが、「お前とテニスがしたい」と言われ自分の中の厄介な想いに気づく。こんな勝手な感情は告げられるわけがないと必死で心を押し殺しながら、好敵手として接していた。けれどそれは、手塚の一言で崩れてしまう――。
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手塚サイド:「情熱のブルー」もあわせてどうぞ。
※作中にリョ桜表現が含まれます。ご注意ください。
#片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー
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手塚が歩み寄ってきて、互いの間にあった距離が縮まる。跡部はじっと見つめてくる手塚の強い瞳を見つめ返して、口を開いた。
「肩、どうなんだ」
「治療は終わった。もともとそんなに酷いものではなかったのでな」
「どの口が言いやがる」
あんな試合をしておいて、と跡部は目を伏せて顔を背け、小さく舌を打つ。激痛に耐える表情を正面から見た跡部に、そんなごまかしは通用しない。
「いや、本当のことだ。どうも、心の方が重症だったようだが……イップスも克服してきた」
イップスと聞いて、跡部は目を瞠った。
肩が上がらないかもしれない。またあの激痛を味わうのかもしれない。ボールが打てなかったら、どうしたらいいのだろう。
早い話が、心的障害トラウマだ。跡部は愕然とした。手塚ほどの男が、恐れたというのか。あんなに強い心を持っていながら。
そんな恐れを味わわせたのは自分だと、唇を引き結んだ。
そうして、ゆっくりと頭を下げる。
「悪かった」
自己満足だろうと何だろうと、そんな思いをさせたことは詫びたい。
「何の謝罪だ?」
少しの沈黙の後、手塚の声が降ってくる。
嫌みでなく、心底分からないといったような口調に、跡部は思わず顔を上げた。珍しく引きつった顔をだ。
「あぁ?」
「……跡部、まさかとは思うが、気にかけてくれていたのか。ずっと」
「なっ……てめ……、気にかけるだろうが、普通は! テメェの怪我は、元は俺がっ……」
あり得ないとでも言いたいのだろうか、この男は。腹が立って声が荒れる。行儀が悪いとは思いつつ手塚の左肩を指さしたが、手塚は強い瞳で押し返してきた。
「跡部、言っておくがこの怪我は俺の責任だ。俺が選択した結果だろう。お前には関係ない」
「――」
跡部の体が硬直した。関係ない――これは明確な拒絶だ。関わらせてもくれないのかと、全身が凍りつく。
「いや、関係ないというのは語弊があるな。お前に責任はないと言いたかった」
そんな跡部に気がついたのか、手塚がそう続けてくる。凍てつきが溶けた瞳で、跡部は手塚を見やった。
「……責任がねえわけねえだろ」
「ないと思うが」
「あるんだよ」
「ないと言っている」
同じ意味のことを繰り返し、平行線だ。跡部は得心がいかない様子で片眉を上げる。
「テメェ、そんなに頑固なヤツだったのかよ。いや……あのプレイからすりゃ分かるような気もするが。ともかくだ、テメェのその怪我は」
「お前が直接俺に何かしたわけではないだろう。もともとこれは俺が無意識に肘をかばっていたせいだ。そしてその肘の怪我にお前は関わっていない」
手塚は頑なだ。確かに直接敵には関わりがないかもしれないが、間接的には充分関わりがある。
償いもさせてくれないほど嫌われてしまったのだろうかと、気分が沈む。それでもプライドが、顔を背けることを許さなかった。
「……俺がテメェに対してできることはねえのか」
「肩はもう治っている」
「だが、リハビリのせいで練習時間は奪われただろう」
「それは仕方がない。跡部、本当に気にしないでくれ」
視線はお互いの真ん中で重なり合ったままだというのに、心が少しも重ならない。
それがもどかしくて、伝わらないことに腹が立つ。苛立たしげに目を細め、跡部は口にした。
「逆の立場だったら、テメェは気にせずにいられるのかよ」
その問いかけに手塚はわずかに目を瞠り、次いで眉を寄せた。それはそのまま答えとなったけれど、向けた瞳と同じほどの力を持った瞳が見返してくる。
「では逆の立場なら、お前は気に病んでほしいのか」
質問に質問で返してくるのはずるいと、跡部は舌を打つ。手塚もそれを答えと捉えたようだった。
逆の立場なら確かに、気にかけてくれるだけならまだしも、それを気に病まれるのは本意ではない。
「しかし跡部。そんなに心配したのなら、一度くらい顔を出してくれても良かったんじゃないか?」
「……アーン? 俺様が見舞いに行ってやらなかったからって拗ねてやがんのか、手塚ぁ?」
ため息交じりにやんわりと責められて、跡部は困惑する。
見舞いに行っても良かったのか――来てほしかったのか? と。
そんな困惑を隠すために、いつものようにふんぞり返って煽ってみせた。跳ねた胸のことは気に留めないようにして。
「……」
予想通り、手塚は面白くなさそうにわずかに眉を寄せる。そんなわけがないだろうという声が聞こえてきそうで、跡部はその愉快な光景にようやく自分を取り戻した。
「まあ、テメェがそう言うんだったら気にしねえようにしてやる。できるだけな。けど力になれることがあるようならいつでも言ってこいよ。何でもいいから」
「何でも……その方がお前の気持ちが軽くなるのなら」
「だから、俺のことがどうこうより、自分のためにって考えろよ」
「分かった。だがそれを要求しようにも、お前の連絡先を知らないのだが。個人的なことで氷帝に電話をかけるわけにもいかないだろう。都合が悪くなければ、何かしらの連絡先を交換しないか」
そういえばそうだったと跡部も思い出す。散々悩んだことだったのに、こうして直接話せたことで頭から抜け落ちてしまっていた。「構わないぜ」と跡部はポケットから携帯端末を取り出す。幸いにも、今日持ってきているのは友人用の端末だ。今日からここに手塚が加わるのかと思うと気持ちが落ち着かない。
ふと前を見やると、同じように携帯端末を手にした手塚が、困ったように画面を覗き込んでいた。
「……跡部、すまない。やり方が分からないんだが」
まるで世界の終わりとでも言うような声で呟く手塚に、跡部は目をぱちぱちと瞬いた。連絡先を交換したいと言いながらやり方が分からないとは、何とも間抜けなものである。跡部は肩を震わせて笑った。
きっとそこには家族や青学のメンバーの連絡先くらいは登録されているのだろうが、相手主導でやってもらったに違いない。
それほどに慣れていないのだろうなと思うと、その数少ない登録先に自分を加えてもらえるというのが、やはりどうにも気分を落ち着かなくさせた。
「貸してみな」
バツが悪そうにしている手塚から端末を受け取る。画面もデフォルトのままのそれが手塚らしいと、口許に笑みが浮かぶ。背景を氷帝の校旗にでもしてやったら面白いだろうなと思いつつも、大人しく連絡先の相互登録だけにしておいた。
「ほらよ」
「ああ、すまないな。ありがとう」
「手塚、本当に……試合、出られるんだよな」
手塚に端末を返しながら、跡部は再度確かめる。
激痛を耐えた男は、勝つためなら不調を隠してでも試合に臨むかもしれない。
手塚の率いる青学と勝負したいのは確かに本音だが、この先のテニスをつつがなくできるようにと祈っているのも心の底からの本音だ。
「肩は治ったと言っただろう。全国大会に支障はない。氷帝とも、準々決勝で当たるな」
当たる前に敗退するとは欠片も考えていない手塚に、跡部はホッとした。
「楽しみだ」
そう続けた手塚に、目を見開く。言葉と表情が少しも一致していないが、こんなことで嘘を吐く男ではないと思いたい。本当に全国大会に出られることを嬉しく思い、そして楽しみにしているらしい。
氷帝の出場についてまだ少しプライドが邪魔をして、純粋に喜べていなかった跡部は苦笑した。
気持ちの上で手塚に負けたくはない。自分も高みを目指して力を付けようと、拳を握りしめた。
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