右手に殺意を 左手に祈りを

この記事は約5分で読めます。

この男をどうしてやろうかという凶悪な思いで、ホテルのドアを開ける。
この男はディセンバーに近づくための大事な切り札だ。下手なことをして警戒されてしまっては、ディセンバーに気づかれてしまう。
準備が整うまでは、至に気づかれるわけにはいかない。
千景は吐き出しそうな闇を必死で抑え、ジャケットを脱ぎ捨てた。
「あ、やっぱり今日もカレーだったんだ……回避できてよかった」
鞄をテーブルに置いた至が、恐らくLIMEの画面を覗いて笑う。
劇団では、よくカレーが出るのかと、辛い物が好きな千景としては気になるところだが、甘いもの――というかマシュマロが大好きなあの男も、文句ひとつ言わずにカレーを食べるのだろうかと、違和感が襲ってくる。
「寮では、カレーが多いのか?」
「そうですね。多いときは週五ですよ」
「……多いな」
「ははっ、驚きますよねやっぱり。美味しいからいいんですけど」
「楽しそうで何よりだ。……劇団の写真とか、ある?」
至もジャケットを脱いで、椅子の背にかける。ハンガーに掛けろといつも言うのに、聞いたためしがない。彼は寮でもそうなのだろうかと、さりげなく探りを入れた。
御影密――ディセンバーのことは、盗聴した声で分かったが、姿は見ていない。まだそれほど親しくなれていないのか、ディセンバーが至の部屋に来ることはなかったし、活動時間が違っているようで、至の携帯端末に映ることはなかったのだ。
「ありますよ。俺はそれほど撮る方じゃないですけど、カメラマンの臣とか、インステやってる一成とかは、いっぱい撮ってて。あ、これなんかいい写真ですよ。冬組がようやくまとまってきた感じの」
至は笑いながら端末を操作する。過敏に反応しないようにするのがとても大変だったが、至に気づかれるほどではないだろう。
はい、と手渡された端末の画面に、五人の男。
衣装合わせなのか、普段着とは思えない服に身を包んでいて、天使らしき羽根まで見えた。
千景は、愕然とした。血の気が引いていく。
そこには、あの任務の時に別れて以来の、ディセンバーの姿。
少しも変わらない姿で、そこにいた。
相変わらず眠そうにしながらも、合わせられる衣装に従順に腕を広げていた。
「他の写真も……見ていい?」
「えーと、あー……、そのフォルダなら構いませんよ。エロいものとかないし」
至はそう言って笑う。茶化したつもりなのだろうが、それに乗ってやれる余裕などない。千景はゆっくりと画面をスワイプした。
知らない男、知らない女、知らない男、知らない男、――知っている男。
足の先まで引いた血が、沸騰するかのごとく心臓に戻ってくる。そんな感覚を味わった。
「あ、先輩、俺先にシャワーしてきま――」
千景の手から、至の端末が落ちる。それはカーペットの上に転がって、ゴトリと鈍い音を立てた。千景の手は至の腕を引き摑み、傍のベッドへと放り投げる。どさ、と重い音が部屋に響いた。
「せ、先輩っ?」
両腕を押さえつけ、膝を腹の上に乗せる。身動きが取れなくなって慌てたのか、至の声が震えていた。
「――んで……なんで笑ってるんだ……?」
だけど、千景の唇が奏でる音は、掠れて、もっと震えていた。
「先輩……?」
「なんで笑ってるんだ! どうしてそんなにのうのうと生きていられる!」
目の前が真っ暗になって、真っ白になって、そして真っ赤になったような気がする。
端末の中で、〝彼〟が密と名付けた男は、笑っていた。柔らかく、安心しきって、笑っていた。
体中の血が沸騰する。ぐつぐつと腸が煮えくりかえるようだ。
「俺を……俺たちを裏切ってまで生き延びて! なんでそんなところで笑っていられるんだ、ディセンバー!」
ぐらぐらと視界が揺れる。なんという裏切りだ。
〝彼〟を殺したことを悔いて、泣き暮らしていればまだ可愛げもあったものを、記憶をなくしたと噓をついてまで、そこにいたかったのだろうか。
「アイツを殺したお前がっ……そんなところにいていいはずないだろう!」
「先輩、ちょっと、なに、ねえ、放してくださいっ」
組み敷いた男が、生意気にも逃れようと身をよじる。何かを訴えているようだが、やかましいノイズにしか聞こえなかった。
「うるさい……うるさい、黙れ」
頭の中で、ノイズに混じって声がこだまする。
その幼い声は、笑い混じりの、涙混じりの、怒りと、寂しさと、諦め。その他にも、いろいろな声が混ざり合っているようだ。
ややあって鮮明になっていくそれは、一人の男の声になり、二人の男の声になり、溶けて、重なって、ノイズを擁していく。
――か……げ。
……かげ。
ちかげ。
「千景さん!!」
突然鮮明になった音に、千景はハッとした。
不安そうに見上げてくるふたつの瞳。茅ヶ崎至だ。
視線が互いの間で重なって、彼は安堵したように見えた。
「千景さん、ねえやっぱやめましょ、今日。おかしいですよ?」
なだめるような声音と視線が、千景には煩わしい。
(よぶな……呼ぶな、アイツらでもないくせに)
ちかげ、と。
その名をつけてくれた男はもういない。呼びづらいと眠そうに言った男ももういない。
千景はすと目を細め、ぐいとネクタイのノットを引き乱す。ごろりと裏返した至の背中で、彼の手をひとつにまとめて掴んだ。
「えっ? な、なに……千景さん、どうしてッ」
突然のことに思考がついていかないのか、至は千景の下で無理に振り向く。反応が鈍いなと、千景は忌ま忌ましげに見下ろした。
「俺の名を呼ぶな。お前には許可してない」
目を瞠る至の手首を、引き抜いた自身のネクタイで縛り上げる。
不愉快で仕方がなかった。ただ体を繫げるだけの男に、呼ばれたくない。
特別な能力があるわけでもないのに、彼らのことを知っているわけでもないのに、その音を口にするなんて。
至の首を上から押さえつけ、腰を高く上げさせる。そうして耳元で囁いた。
「お前はただ、ここで俺を満足させろ」

コメント

タイトルとURLをコピーしました