右手に殺意を 左手に祈りを

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「とても傷つけたと思う。アイツも……オーガストも」
今でも泣き出してしまいそうなくらい、恐ろしいほどの後悔が残っている。密に向いていた憎しみが、ぜんぶ自分に返ってきているかのようだった。
「お前は俺の幸せなんて祈ってくれてるみたいだけど、そういう俺が、そんなもの望んでいいのかな」
膝に置かれた手に、至の指先が触れてくる。
(あ……)
憎しみが、触れた箇所を通って彼に流れ込んでいってしまうような錯覚に捕らわれて、千景は手を引こうとした。だけどそれを察知したのか、引くよりも早く至が握りしめる。
「先輩。そういう考え、良くないですよ。密も、オーガストさんも、先輩が幸せになって恨み言を言うような人じゃないでしょう。オーガストさんを知らない俺が言えることじゃないですけど、今度こそ、信じきってあげてくださいよ」
じんわりと汗が浮き出ていた体から、すっと力が抜けていく。
(今度こそ……、か……。知らない俺が言えることじゃないって、……こんなの、お前にしか言えないことだぞ、茅ヶ崎)
密に言われても、たとえオーガストに言われても、千景は受け入れきれないだろう。信じきれなかった自責の念を知っている、数少ない無関係の人間だからこそ、耳を傾けられるのか。
千景は運転席のシートにもたれ、ひとつ深呼吸をした。
「今……好きな人がいるんだ」
手を握ってくれていた至の手が揺れて、動揺がダイレクトに伝わってくる。
「へ、……え、先輩にも、そういう感情、あったんです、ね」
「だから、戸惑ってるって言っただろう……こんなふうになるなんて思わなかったんだ」
至が握ってくれていた手を、今度は千景の方が握り締めて、顔を背けてしまった彼をじっと見つめた。
「俺は、もうお前を抱けない」
「そ、そりゃそうでしょうね、好きな人って、男ですか? そいつの代わりにされるなんて、まっぴらですよ」
「そういう意味じゃない。好きなヤツと、欲の処理だけのセックスなんてしたくないって言ってるんだ」
今まで散々体を重ねてきた。乱暴な行為もあったのに、今さら何を言っているのだろう。千景は、自分自身でも呆れてしまった。
だけど、それは、本音だ。
「……は……?」
「茅ヶ崎に好きな相手がいるのは分かってる。だけど、こっちもどうしようもないんだ。だから……茅ヶ崎、できれば好きな相手と上手くいく努力をしてくれないか」
「え、……え? う、うまくって、あの」
「欲の処理がしたいなら、他に適当な男を捜せなんて、言いたくない」
至が、どうして千景とのセックスに甘んじていたのか分からない。
代わりにされるのはまっぴらだという彼こそ、その人の代わりにしているに違いないのに、どうしても責める気になれなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください、何でいきなりそんなことになって」
「急なことで驚くのは分かる。でも昨夜言ったことは本当だ。お前の幸せを、心の底から祈ってる」
好きな相手というのが、男であろうと女であろうと、彼に好意を持たれて悪い気などしないだろう。
叶わないなどと諦めていないで、叶える努力をしてほしかった。
「茅ヶ崎なら、きっとOKもらえるんじゃない?」
握り締めていた手をそこで離そうとした時、ぐんと引かれて体が助手席の方へと傾いだ。
「じゃあOKくださいよ!」
「え、……っん、ぅ?」
唇がぶつかる。触れるなんて可愛らしいものではなかった。
勢いだけでぶつかって、離れて、千景がそこで目にしたものは、泣き出したいのを我慢した至のマゼンタ。
「言ったら、OKくれるんですよね?」
「ち、が、さき?」
「好き、です……から、先輩」
もう一度、至の唇が触れてくる。
OKが欲しいとねだっておきながら、告げるべき唇を塞いでくるのはどういうことか。
いや、そんなことを考えている場合ではない。千景はそっと至から体を離し、訊ねた。
「……俺?」
視線はそこで絡まって、ほどけない。
思ってもみなかったことで、千景は動揺した。
いつからなのか、どうしてあんなひどい仕打ちをした自分をなのか、なぜ先に言ってくれなかったのか。いや、言える状況でなかったことは理解できるのに、理不尽に彼を責めたい気にさえなった。
「全然気づかなかったんですか? 本当に? にぶ……」
「待ってくれ」
「やです」
「いやそうじゃなくて、混乱してて」
「俺の方が混乱してます。何それ、いつからそうなってんですか。詐欺師」
「仕方ないだろう、分からなかったんだ。恋なんてしたことないし、突然っ――」
突然気がつかされたんだから、と改めて至の顔を確認して、ボッと顔が赤らむのを自覚した。
「突然……?」
「……突然、好きだと、気づきました」
「ふはっ、なんで敬語」
まだ頭が混乱しているせいだと言いたい。しかし、上手く言葉が出てこなかった。こんなことがあっていいものかと。
「先輩……俺、今すごく、幸せですよ」
それでも、至が嬉しそうに、本当に幸福そうに笑ってくれる。
「俺の幸せ祈ってくれるんでしょう? 俺の幸せには、先輩が必要不可欠なんで。そこんとこよろしく」
「……俺の幸せにも茅ヶ崎が絶対に必要なんだけど、そういうことでいいのかな?」
「おk」
「OKは俺が言うんじゃないのか」
ふ、と二人で笑う。互いの真ん中で手を握り合って、はじめて・・・・のキスをした。

 

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