右手に殺意を 左手に祈りを

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至から車のキィを受け取って、ドアを開けた。
定時を大幅に過ぎていれば、駐車場に車は少ない。人もまばら。
千景は助手席に乗り込んできた至のネクタイを摑み、ぐいと引き寄せた。
「あ」
ちょっと、と諫めかける至の口を塞いで、ちゅっと音を立てて吸い上げ、指先で首筋をくすぐってやる。
「先輩、ここまだ職場……」
「平気だろ、周りに誰もいない」
言葉ではそう諫めていても、至の頬は真っ赤に染まっている。千景はふっと口の端を上げた。
「じゃ、行こうか。いつものホテルでいいだろ」
「あ、はい……。すみません、遅くなっちゃって」
「別に構わないよ。プレゼンの資料頑張ってたな。お疲れ様」
ぽんぽんと至の頭を撫でてエンジンをかければ、照れくさそうに視線が泳ぐ。可愛い後輩だ、と思う。こうまで都合のいい相手が身近にいたのは僥倖で、千景は再度目を細めて笑った。
ディセンバーが、今どんなふうに過ごしているのか探るには、見張るよりも至に探りを入れた方がいい。他人から見たディセンバーを知ることができる。
「劇団の方は、どう? 今日は稽古なかったのか?」
「あ、今日は夏組と冬組がレッスン室使う日なので。っていうか今ちょっとややこしいことになってて……」
「ややこしい?」
「デカい劇団に目をつけられてるみたいで、劇団の存続を賭けた勝負挑まれてるんですよ」
そういえば、団員たちとそんな話をしているログもあったなと、千景はひとつ瞬いた。
「改めて……自分が結構芝居にのめり込んでるなって思いました。なくなってほしくない」
寂しそうに呟く至を横目で見やる。千景としても、今あの劇団がなくなることはありがたくない。ディセンバーが苦しむのはいいが、それに自分が関わっていないのでは意味がない。
それに、劇団がなくなれば、ディセンバーとの接点が消えてしまうだろう。
「芝居、好きなんだな」
「いや、自分では意外でしたけどね」
「そうなの? もともとなのかと思ったけど。猫かぶってるだろ? 職場で」
「えっ?」
至が驚いて、慌てた様子で振り向いてくる。至の素の姿は知っているけれど、その事実を至は知らないのだ。
「ベッドの中の茅ヶ崎が、あんなに色っぽいなんて、誰も知らないよな」
「え、あ、そっちか、良かっ……色っぽくないです」
つんとそっぽを向く仕種は、可愛いなと思わなくもないが、攻略するべきはそこではない。
少しでも情報を引き出して、こちらの有利になるように進めたいのだ。
笑う顔の奥で、千景は焼けただれそうなほど熱い殺意を抱いていた。
「勝負を挑まれたのは、冬組? メンバー集まったばっかりなんじゃないのか」
「そうなんですよね……勝負挑んできた劇団の元団員とか、ブランクありでも経験あるのはいるんですけど、あとは素人だし。まあ俺のとこも素人ばっかだったので、稽古次第でなんとか……」
「へえ……大変そうだな」
他の組はどんな演目だったのか、普段どんな稽古をするのか、ホテルに着くまでの道のりで収集する。職場から離れた場所を逢瀬に選んでいたのは好都合だったなと、千景はフロントガラスを睨みながら考えた。
「どこでも寝ちゃうって人もいるんだっけ? それで芝居とかできるのか」
「エチュード、あ、即興劇なんですけど、それは何度か観ましたよ。上手いんですよね、これが。結構な拾いものです。あ、その人記憶喪失で。行き倒れてたとこ、数あわせに勧誘したっぽいんですけどね……ウチの監督さんも節操ないっていうか」
さりげなくディセンバーの話題を出すと、驚く言葉が返ってきた。
(記憶喪失……? ふん、いい手だな、何も覚えていないと言えば、詮索されることはない。お人好しばかりの劇団で、アイツはっ……!)
信号待ちで停まった千景は、耐えきれずにステアリングへと突っ伏す。ぎゅうと強く握りしめる手に力がこもり、どうかすると壊しかねない。
「先輩? ちょ、どうしたんですか」
そんな千景を、心配そうに覗き込んでくる男。千景はゆっくりと至を振り向いて、視界に認める。ぼんやりとぼやけた視界の中で、至だけがはっきりと見えた。
(ディセンバー、お前……、なんでこんなヤツの傍にいるんだ? 記憶を失ったふりまでして、そんなに生きたかったのか?)
すうっと目を細め、憎悪さえ込めて至を見つめ返す。びく、と強張った体は、さすがに何かを察したのだろうか。
「悪い、少し頭痛がしただけだ」
「え、あの、具合が悪いなら帰りません?」
「大丈夫だよ、茅ヶ崎」
「だ、大丈夫じゃな――」
襟を引っ張り、無理やり唇を塞ぐ。
(こんな、唐突なことに対処もできないヤツの傍で!)
吸って、舐めて、その先に入り込もうとしたところで、信号が青に変わる。名残惜しいふうを装って、唇を放して至の体を助手席へと押し戻した。
「お前を抱けば治る」
「そっ……んなわけ、ないでしょ、馬鹿なんですか……」
至は何も気づかないで、頬を染めるだけで大人しくなってしまう。
千景にはそれが、余計に腹立たしかった。
身を寄せるにしても、もっと考えられなかったのか。体術に長けた人物がいるだとか、武器に詳しいとか、コネクションが強力だとか。
茅ヶ崎至には、そんな力どこにも見受けられない。もちろん個性派ぞろいという劇団全員が、こんな男ではないのだろうが、どうしても許し難い。
(男に抱かれてよがってるようなヤツの傍で、お前も笑っているのか、ディセンバー)
恥ずかしそうに、悔しそうに口を押さえる至を横目で見やり、ギリと歯を食いしばった。

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