右手に殺意を 左手に祈りを

この記事は約9分で読めます。

話をするのに普通のホテルの部屋を選んだことに、下心はなかった。バーやレストランでは他人に聞かれるし、周りのノイズも煩わしい。自分たちが慣れた場所、というだけだ。
「……シャワー、してきますね」
沈んだ声で、至はいつもと同じ行動を選択する。拒否権はないと言ったのは千景自身だが、そんなに嫌なことならば振り切って逃げればいいものをと、至の腕を掴んで止めた。
「いいよ、今日はそういうことしに来たわけじゃない。話があるって言っただろ」
「え?」
「こういうの、もうやめようかって話」
ひとつ瞬かれた後、至の目は大きく見開かれる。
言葉の意味が分からないほど、頭の悪い男ではないはずだ。
「な、んで、いきなり」
「いきなりかな? ちょっと前から思ってたんだけど、茅ヶ崎――好きなヤツいるんだろ。俺に抱かれる時、ものすごく辛そうな顔してたしね」
は、と至の唇から小さな息が吐かれる。それが分かるくらいの至近距離で、明らかな動揺を感じ取った。
「当ててあげようか。万里」
「なっ――何を言って……馬鹿なことを!」
「だから、解放してあげるよって言ってるんだ。その方がいいだろ? 俺だって、万里の代わりにされてるのは気分良くないし」
ぐるりと胃が回るようだった。
叶わない想いを、自分との行為で疑似体験していたのかと思うと、腹立たしい。性欲処理に利用していたのはお互い様なのだから、そこをこれ以上責めるつもりもなかったけれど。
「そろそろ潮時かなと思ってたんだよね。同じ職場ってだけでもアレなのに、同じ劇団内でこんなただれた関係、褒められたものじゃないし」
終わりを告げる言葉を発するたびに、至の腕を掴む指に力がこもっていく。言葉とは裏腹の指先に、千景自身が戸惑った。
至の顔が悔しそうに歪んでいく。
「正直に言ったらどうですか……」
「え?」
「ごまかさないで言えば良いでしょう、密に逢えたから俺はもう用済みなんだって!」
千景は目を瞠って息を止めた。なぜ至が、密の名前を出してくるのか。
密がディセンバーだと言った覚えはない。ましてや、密の懐に入り込むために、至を利用したことなど、口にしていないはずなのに。
「茅ヶ崎ッ……」
気がつけば、右手を至の喉元に当てていた。
「う……」
それに気がついても、放すことができない。動揺があったことも事実だが、これは後々面倒なことになってくるかもしれないのだ。
なぜ至が密のことを持ち出してくるのか、どこまで知られているのか、探らないといけない。
「何を見た、茅ヶ崎……!」
喉を締め上げる右手に力を込める。抵抗を予測していたが、至の手どころか、指先さえ、その手を外そうとはしてこない。ただ悲しそうに、寂しそうに見つめてくる瞳があるだけだった。
視線が至近距離で重なる。
至との関係を終わらせるのに、いい時期だとは思っていたが、これは少し考え直した方がいいかもしれない。この関係をネタに脅迫するか、懐柔するか、手元に置いておいた方が安全だ。
密への接触はできたが、記憶がないという状況を考えると、まだあの劇団を辞める時期ではない。
まだ近くで見ていたいのだ。密がすべてを思い出して、苦しむのを。
今まで自分が苦しんできた分くらいは、望んだっていいはずだ。
「不用心、ですよね……知られたくないなら、中庭であんな話しするもんじゃないですよ」
苦しそうな声で、至が答える。
確かに、密に最後通牒を突きつけたのは中庭だった。焦りがあったのかもしれない。歓迎会の騒がしさで、かき消されるだろうと思っていた、千景の落ち度だ。
「先輩、取り引きしましょう」
至は喉を締め上げる手に怯えるでも、呆れるでもなく、そう告げてくる。
千景は自身の落ち度があったこともあり、ゆっくりと手を離し、至を解放した。
「取り引き? 俺相手に、随分と怖い物知らずだな」
「ハハ、俺が先輩のことで知ってる部分なんて、たった一部でしょう。それも、会社での仮面かぶったのと、ベッドの中でのあなたしか知らない。怖がらなきゃいけないような人なんですか?」
「揚げ足を取るな。金か? それとも」
「……誰にも言わないでください、俺に、好きな人がいること」
至の視線が下向いていく。
相手の名前を口にはしなかったが、千景には分かってしまう。
同じ劇団内の男に恋をしているなんて、知られたくないだろう。会社にはもちろん、当の劇団にもだ。
「そうしてくれれば、俺は誰にも言いませんから。密のことも、先輩のことも何も訊かない」
男に恋をしている――それは確かに立派な取り引き材料にはなるだろうが、弱い。
(へぇ……)
こちらを脅迫してくるでなく、交換条件を出してくるあたりは好ましかったが、千景はそれを却下した。
「その材料はいらないよ、茅ヶ崎。俺はお前を脅迫する方を選ばせてもらおう」
「脅迫……?」
「お前が少しでも変な素振りを見せたら、俺はお前の大事な相手を殺すよ。傍にいるんだしね、いい人質だ」
そう言って口の端を上げれば、至の目は驚愕に見開かれていく。
「言わないって言ってるじゃないですか!」
「経験上、他人は信用しないことにしてる」
裏切られた時の絶望も経験した。相手に対する憎しみも育った。簡単に他人を信用するなという教訓も得られた。
そんな状態で、ただのセックスフレンドである茅ヶ崎至の提案を、信用などできるわけがない。
「忘れたいんですよ! 先輩と密のこと……見たくなかった、密が危ないかもしれないのに、俺の都合で先輩を見逃すんですよ、最低でしょう! こんなこと考えてるなんて知られたくない、忘れさせてくださいよ!!」
泣き出しそうな顔をして、至はダンと拳で背後の壁を叩く。ゲーム以外で彼がこんな剣幕になるなんて思わず、千景は目を瞠った。
「確かに、身勝手な取り引き材料だな。ディセンバーの身に危険が及ぶより、自分の気持ちを知られることの方が怖いなんて。……気持ちを打ち明けようとは思わないのか」
「ハッ、言ってどうするんですか、玉砕するのが目に見えてるのに。俺なんか、見てもらえるわけない……」
知られたくない想いを抱えて、至はそれでも、傍にいたいのだろう。
(忘れたいってのは、俺やディセンバーのことっていうより……万里のこと、かな……)
言い出せない恋心を押し込めて、閉じ込めて、得る物などあるのだろうか。だが、そこまでして守り抜きたい想いがあるのかと、胸の奥がざわついた。
「そんなに好きなんだ?」
指の先で顎を持ち上げてやると、至の体は分かりやすく強張り、逸らされる視線が肯定を物語る。
それが、千景の中のスイッチを押してしまったのかもしれない。
千景は乱暴に至の唇を塞いだ。
「んッ……」
すぐに応えてくる辺りは、いつも通りだなと感じたが、心の中で誰を思っていることやら。
どうしてそれが、こんなにもイライラさせるのか分からず、自身も痛みを感じるほどに至の舌を吸い上げる。ジャケットのボタンを外し、肩から落とし、ネクタイをほどいてやった。
「茅ヶ崎、今お前を抱くのは俺だから」
「え……?」
そうして、あの日とは違って自分の意思で、至の手首を胸の前で拘束した。
「先輩」
「お前の大事なアイツは、こんなことしないんだろうね。ちゃんと理解してろ、忘れたいって俺に体を投げ出すのなら――」
そうやってベッドに放り投げ、上から押さえつける。拘束した手首をそのまま頭の上に上げさせ、やっぱり泣き出しそうな顔をした至の唇をむさぼった。
「んっ、んぅ、っはふ、う、んっ」
上顎をなぞり舌を舐り、歯がぶつかる音を楽しんで唾液を流し込む。
指先は先ほど締め上げた喉元を、なだめるように撫で、鎖骨へと移動していった。
シャツのボタンを外すのももどかしく、性急に胸元を探り、愛撫に慣れきった乳首をつまみ上げる。びく、と至の体が震え、気分がいい。
「確かに、こんなの誰にも知られたくないだろうな」
こんな些細な愛撫でも、敏感に反応してしまう体になってしまったなんて、恋をしている相手には特に知られたくないはずだ。
「あ、あっ……」
それでも至は、素直に体を開いていく。
背をしならせ快感に耐え、荒れた吐息で空気を乱す。乳首を口に含んだ時はひときわ淫らな声を漏らし、ねだるように胸を突き出した。
千景はそれに応えてやり、至の喘ぎを楽しむ。体の相性がいいのは分かっていて、欲情もする。淫らな様子に千景はこくりと唾を飲み、拘束した手首をさらに上から押さえつけた。
「いっ……」
「痛いのなら、抵抗しなよ。その余地は残してるはずだけど」
そう提案してやるが、至はふいと顔を背けた。もちろん抵抗させるつもりもなかったが、体を投げ出されたような感覚が面白くない。
好きな相手がいるくせに、こんなことをしてまで守り抜きたいのかと思うと、じわりと凶悪な気分になってくる。
「茅ヶ崎は、痛いのが好きだったのか? それならそうと言えばよかったのに。ひどくしてあげたよ?」
「べ、つに……好きじゃ、ないですけど……いい、です」
「ふぅん?」
「忘れたいって言ったでしょう、先輩。何も考えたくない、ひどくても……いいです……」
涙の浮かぶ瞳で、じっと見つめ返される。上気した頬とその潤んだ瞳、そしてその言葉では、煽っているのも同じだ。
千景は、手首を押さえていた右手を少し上にずらして、至の指と絡める。軽く握れば、彼はほんの少し驚いたあとに仕種でキスをねだってきて、求められるままに唇を重ねた。
「ん……ふっ、う……」
舌を絡め、吸い上げる。ぬらりとした感触を楽しんで舐り、軽く歯を立てた。気持ちのよさそうな声が漏れて、千景の気分も高揚した。
「茅ヶ崎、濡らせ」
濡れた唇の傍に指先を持っていくと、意図を察したようですぐに舌を伸ばしてくる。指に舌を絡め、唾液で潤し、ぴちゃぴちゃと音を立ててしゃぶりつく姿に、嘲笑と情欲を込めて視線を投げてやった。
至自身に濡らさせた指を入り込ませる。のけぞった姿が逃げているように思えて、追って唇を塞いだ。
「んっ、んぅ、んん、ぁう」
上も、下も、自分の一部で塞ぎきってしまうという行為が、支配欲のようなものをかき立てる。至もそれを受け入れてしまう。
押し広げたそこに自身の雄を突き立てて、至の体を気遣うこともなく突き進んでも、彼はほんの少し震えて受け止めてくれた。
「茅ヶ崎……いやらしいな、こんなふうにされても感じるんだ?」
「だっ……て、先輩がっ、こんな、ふ……に、あっ、あぅ……」
唇を放して笑えば、強気に抗議しながらも、快楽に勝てずに喘ぐ。
確かに至の体は初物だったが、ここまで素質があるとは思っていなかった。千景は苦笑にも似た笑みを浮かべて、乱暴にした分至の気持ちいいところをつく。
「や、いや、っねえ、駄目……いやだ」
「そんなことないだろ。茅ヶ崎のいいとこ全部知ってるのに……こんなことしか、知らないけどね」
「っひ、あ、駄目、待っていやだっ、いや……」
折り曲げた足をぐいと押し広げ、膝がベッドに付くまで開かせる。そのまま腰を押し進めて、ゆっくりと引き、また押し込めば、至はさらに溺れていくのを知っている。
貪婪どんらんにねだり、時には自ら腰を振って、高い声を上げて達する。その時の壮絶な色香を、他の誰が知っているだろう。
あのまま手放していれば、いつか恋を叶えて、他の男に抱かれていたのかもしれない。
そう思うと、忘れたいとすがってきた至を、突き放さないでよかったのかとも考えた。
(惚れてる相手を狙うと言ってやれば、充分脅しになるみたいだしな……いいか、これは、これで……監視はできるし、欲の処理だって面倒じゃない)
千景が何者なのか、密が何者だったのか、至は一度も訊ねてきていない。
まだそこまで頭が回らないのだとしても、大人としての逃げ方を知っている男だと思った。
何も言わないでいれば、何も探ろうとしなければ、平和な日常が在るのだと知っている。
(憂さ晴らしにもなるし、隠さなくていい分、楽になるかも……?)
この腹の中をのたうちまわる、どす黒い闇を誰にも言わないまま、仮面を被って生きるのは、案外に疲れるのだ。欠片を知ってしまった至には、そうしないでいられる。
千景は目を細めてふっと笑い、至が気持ちいいように腰を動かした。
「茅ヶ崎、忘れさせてあげるから、ここにいなよ」
そう言ってやれば、ちゃんと聞こえていたらしい至の目が瞬かれ、視線が重なった。
「……うそつき」
この時の、諦めたような笑い顔の理由は、いくら考えても分からなかった。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました