右手に殺意を 左手に祈りを

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千景は、借りているマンションの一室で、今日も盗聴のログを再生する。
最初はさすがに驚いた。会社ではあんなにエリート面をして、ベッドの中では淫らに乱れて、ふたつの顔を持っているのかと思いきや、もうふたつ。
劇団の稽古中は、会社ともベッドの中とも違う声が聞こえた。インカメラをリモート操作して覗き見てみれば、彼の組のメンバーらしい男が数人見える。どれも知らない顔ばかりで、だけど楽しそうに、それでも真剣に、台本らしきものを手に稽古していた。
そして、もうひとつ。
自室らしいそこではラフな格好になり、前髪を上げて縛り、ゲームに没頭しているようで。パソコンでのネットゲーム、ポータブルゲーム機でのやり込み、そしてスマートフォンでのアプリ。
ゲームが好きらしいというのは分かっていたが、ここまでとは思わなかった。
しかも、それが素なのか、かなりガラが悪い。言葉遣いも、仕種も、今までの茅ヶ崎至からは想像もつかなかった。
それを覆い隠してエリート面をする至には、逆に好感が持てた。自分と同じ種類だと思ったあの直感は、間違いではなかったらしい。
彼を数日〝観察〟して分かったこと。
劇団の名前はMANKAIカンパニーといい、最近再始動したらしい。以前の団員は離れてしまったらしく、一から集めたのだとか。
至が言っていたように、春夏秋冬で四つの組に分かれており、もうすぐ冬組の旗揚げ公演があるらしい。
劇団の公式サイトには、公演ごとのフライヤー画像と、劇団員の紹介が載っている。秋組までは団員個人の写真が載っていたが、冬組のはまだできあがっていないようだ。
だが、名前が掲載されている。
御影密――その名を見た途端、体中の血が沸き上がるようだった。
日本の名前は分からないが、どちらかひとつなら、珍しい名前ではないのかもしれない。だが、〝御影〟〝密〟という組み合わせが、こんなに近くで複数あるとは思えないのだ。
加えて、今日のログ。
『ただい……うおっとお、ちょ、なんでこんなとこで寝てるの』
『そこにいたのか御影。おいメシだぞ』
『風邪引くよ? あ、至くんおかえりなさい』
『んーただいま。今日の夕飯何かな』
『カレーだって』
『またカレー……』
『今日はチキンです! だってさ』
『紬、似てるなそれ……』
『密くん起きたまえ! デザートにはマシュマロを使ってくれたようだよ!』
至が帰宅した際の会話のようだ。
そして、
『マシュマロ……起きる』
この、声。
千景は組んでいた指にぐっと力を入れ、手の甲に爪痕を残す。内出血しようが、切れようが、構わなかった。
(ディセンバー……!!)
間違いなく、探していた憎い相手だ。マシュマロで反応する、あの眠たそうな声。間違えるわけがない。
内臓が全部吐き出されてしまいそうなほど、ぐるりと回る感覚を味わう。ぐぎゅうと締めつけられて、いっそこの胸を裂いて、放り出してしまいたいくらい不愉快だった。
(なんで……どうしてお前がのうのうと生きてるんだ! そんな呑気な声で! アイツを殺したその手で、何を食べるって言うんだ! ふざけるなッ……!!)
急激な嘔吐感。吐き出しそうになるのをぐっと堪え、千景は洗面所に向かった。
吐き出したくない。今ここで吐き出せば、この腹の中にある真っ黒い気持ちも、全部流れていってしまいそうで、恐ろしい。
オーガストの敵を討つ――それだけが、今ここに生きている意味だというのに。
「ぐっ……うぅ、げほっ」
我慢しても、我慢しても、締めつけられる内臓から、消化しきれなかったものが吐き出された。
蛇口をひねって洗い流すが、幸運なことに腹の中の黒い獣はまだいてくれた。こんなことでは、この獣は消えていってくれないらしい。これがいなくなるのは、自分が死ぬときだと、千景は肩を震わせて笑った。
(待っていろディセンバー……俺が必ずこの手で殺してやる……!)

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