右手に殺意を 左手に祈りを

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『オズ様……大魔法使い、オズ様!』
咲也の声が、レッスン室に響く。数日稽古に出ていなかったが、以前より彼が、彼らが輝いて見えた。
「卯木、そこはもう少し動きを大きくした方がいい。手を……こっちだ、そう」
「真澄くん、立ち位置もう少し右にずらせる? その方が見栄えがいい」
「分かった。監督、アンタもその方がいい?」
「うん、そうだね、紬さんの言う通りだと思うよ」
「ならそうする」
「綴くん、ここって台詞このままでいい?」
「やっぱ言いづらいか? 柔らかめに直そうか」
明後日が初日だというのに、メンバーはより良いものを観てもらおうと必死になっている。
せめてそれに応えたいとは思うのだが、感情がついていかない。なぜ誰も怒りをあらわにしないのか。舞台の上では、あんなにも様々な感情を披露してみせる彼らなのに。
「せーんぱい。こいつらはね、感情をそこに向けるより芝居していたいんですよ。明後日が初日じゃなければ、フルボッコにしてましたけど」
そんな心情を読み取ったのか、衣装をまとった至が声をかけてくる。
ざわ、と胸がざわついた。衣装合わせで見ているのに、何を驚くことがあったのだろう。
「期待してますよ、先輩のペテン師」
至はそう言って、彼こそ何事もなかったかのように舞台のシーンへ入り込んでいく。至も彼らに負けず劣らず、芝居が好きなのだろうと見て取れた。
〝ひとりにしないで〟
そう祈ってくれた至に、胸が鳴る。足下からせり上がってくる、悪寒に似た何かを不思議に思いながら、せめて台詞を間違わないようにするので精一杯だった。
「じゃあ、ひとまずここまでにしましょう! 明日舞台の方で合わせて、また直していこうか」
いづみが、パンと手を合わせて稽古の打ち切りを指示する。
正直、どれだけ合わせても足りないような気がしたが、休息も必要である。
「監督、どうだった、オレの演技」
「うん、すごく良くなってたよ!」
「アンタに褒めてもらうために頑張った……結婚して」
「真澄飛躍しすぎだろ」
「Oh~抜け道は駄目ダヨ~」
「えっと、抜け駆け? ですか?」
緊張感もなく、笑い合う春組のメンバーたち。稽古に付き合ってくれた丞や紬も、いつも通りの態度だった。
「おなかすいたネ~」
「さっきいっぱい食べたよね? うーん、臣くんにおねだりとか」
「紬、伏見の仕事を増やすな。……まあ、夜食はちょっと魅力的だが」
そんなふうに笑い合いながら、団員たちはレッスン室を出ていく。だけど千景は、それに着いていくことができなかった。
「千景さん?」
気がついたいづみが、不思議そうに声をかけてくる。しかしどうしても、足が動かない。まだ笑い合えるような気分にはならないし、そんな資格は持ち合わせていない。
「監督さん、少しだけここにいてもいいかな。遅れた分、取り戻さないと」
「えっ、それならオレたちも付き合いま――」
咲也も足を止めてそう言うが、それを止めたのは至だった。
「こーら、休むのも役者の大事な仕事だぞ、咲也。疲れて公演ボロボロなんて、お客さんが許さないでしょ」
「至さん……」
「先輩がみんなに遅れてんのは事実だし、自業自得だし、正直俺はデイリー回収したい」
「至さんほんとブレないっすよね……」
そう言って至は、レッスン室からやんわりと追い出しにかかってしまう。ゲームがしたいのも事実なのだろうが、心情を読んだのもあるのだろうと思うと、やるせない。
「じゃあ先輩、ひとりで頑張ってくださいね」
最後にレッスン室を出る前、至は嫌みのようにも言い放つ。ここに戻って唯一、やんわりとだが責めるような言葉をくれた。

 

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