右手に殺意を 左手に祈りを

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至の頬を撫でる指先が、ほんの少し震えているように感じた。千景がひとつ深呼吸をすれば、そっと目を開けた至に呼ばれる。
「……先輩? どうしたんですか」
「え、あ、いや」
「じらしてるつもりですかね」
いつものホテルで、これからすることも、いつもと変わらないはずなのに、心臓が波打って、上手く呼吸ができない。
「そうじゃなくて……今までどうやってお前を抱いてたのかと思って」
「は? 大丈夫ですかそれ」
「違う、覚えてないわけじゃない。どうして、こんなに好きな気持ちを抑えていられたのかって意味だ」
「先輩……、俺のこと大好き過ぎです?」
うん、と頷けば、至がおかしそうに笑う。
本当に、気づいてしまえば、受け入れられてしまえば、こんなにも体中からあふれてくる。なのに、どうしてあの頃は、平気で触れていられたのか。
「ほら、分かるだろ、震えてるの……こんなのおかしい」
指の背で頬を撫でてみれば、至は目を瞬いて、ふっと優しく笑ってくれた。
「俺のこと大事にしたいんですね」
「そうだな……」
震えていた手に指を絡められ、至の唇がそこかしこに触れてくる。そこから温かみが伝わって、震えが止まっていくようだった。
「大丈夫ですよ。俺はどんな先輩でも受け入れてみせますから。あ、物理的な意味でも」
最後を茶化してみせたのは、至の照れ隠しだろう。
千景が何者でも、どんな過去を持っていても、何に許しを求めていても、受け入れる。そうやって両腕を伸ばしてきた。
「こんなの、叶わないと思ってました。手に入らない、俺なんか見てくれないって思ってたんですよ。実感、させてください……」
実感したいのは千景も同じだ。千景はゆっくりと至に覆い被さった。
「あ、でも待って、ひとつだけお願い聞いてくれます?」
「……なに。いつだか言ってたお願い?」
「うん、まああの時とは違うお願いになっちゃうんですけど。あの頃は、ただ先輩に幸福になってくださいって言いたかった」
至は諦めにも似た喜びで、笑う。幸福は今この腕の中にあるのだから、お願いされなくても実現している。
そのお願いを、至は何に変えたのだろうか。
「俺にできることなら」
千景は促すように至近距離で呟いた。
「……千景さんって、呼んでもいいですか」
懇願するようにも、気まずそうにも見上げてくる至の視線に、千景は息を止める。
「前……俺は駄目だって言われたから、いけないのかって思ってて。あ……先輩が覚えてない、あの日のこと、なんですけど」
確かに千景には、記憶がない夜があった。監視していた時のログで何があったかは知っているが、それを至は知らないのだ。
まさか、本当にあの時のことを、律儀に守っていたなんて。
ぎゅう、と胸が締めつけられた。もしあの時も好きでいてくれたのなら、なんてことをしたのだろうと、また後悔の念が襲ってくる。
同時に、それでも、いや、だからこそだったのか、受け入れてくれた至を愛しく思った。
「……呼んで。悪い、傷つけて」
そう告げると、至はホッとしたように、千景を抱き寄せる腕にぎゅっと力を込める。
「千景さん……千景さん、好きです」
どうしようもない心音は、きっと伝わってしまっているだろう。
千景は至の髪を撫でながらそっと体を離させ、ゆっくりとキスをした。
触れて、離れて、触れて、舐めて、吸う。
「至」
初めて彼を名の方で呼んだ。ひとつひとつの音を、心から大切に操る。
言霊とでも言えばいいのだろうか。口にするたび、音にするたび、千景の中で確かな形となっていく。
「愛しいっていうのは、こんな気持ちなのか、至」
「え、何それ先輩だけずるい。俺にもその感情教えてくださいよ」
「千景。教えるから、傍にいろ」
「……はい、千景さん」
再び、唇が重なっていく。それは最初からもう深くて、互いに奥へ奥へと入り込みたがって、舌が口の中で絡み合う。時にはそれを邪魔にさえ思い、食らうように口づけ合った。
「んっ、ん、ふっ……う」
「……っ、う、ん……んんぅ」
湿った吐息と、気持ちよさそうに喘ぐ声。千景の手は至の喉を撫で、鎖骨をたどり、平たい胸を滑る。手のひらを伝って感じる心音が、自身と同じほどの速度で安心してしまった。
「んっ……や」
千景の指先が胸の突起を探り当てれば、至がもったいぶるように身をよじる。
「こら、触らせろ」
「た、楽しいです?」
「お前の反応は前から好きだけど」
「……エロ」
ベッドの中でこんなことをしている状況で、エロいも何もない。
なだめるように唇にキスをして、至を抱え込むように抱く。耳元に息を吹きかけて、油断をした隙に指先で乳首をつまみ上げた。
「あ、や、めっ……やだ」
「気持ちいいから?」
「……そうですよ、馬鹿っ」
「可愛いな、馬鹿」
抱え込んだ左手で胸を弄り、右手を脇腹に滑らせる。ラインを確かめて腰骨を通り過ぎ、太腿を撫でる。やんわりと肉を掴んで愛撫すれば、それだけでも感じるのか、至の吐息が甘ったるくなった。
「あっ……あ、は……」
そうして勃ち上がりかけた雄を握り込む。ふるりと体を震わせて、至はのけぞった。
自分自身が気持ちよくなりたいという思いより、至を気持ちよくしてやりたい思いが強い。
そんな感情も初めてのもので、千景は柄にもなく心臓を高鳴らせながら、至をしごき上げた。
「ちか、千景さん、や、いや……手、駄目、いやだ、なんかっ……」
「なに、本当にいや?」
「そうじゃ、な、手が、いつもと、違う、からあっ」
ふるふると首を振り続ける至に不安がこみ上げてきて、思わず訊ねる。
至の望んでいないことはしたくないと思ったら、振り向いた彼の瞳は、とろんと気持ちよさそうにとろけていて、把握して笑ってしまった。
「そりゃ、はじめての夜だしね」
「な、に言って」
「はじめてだろ、気持ちが繫がってからの夜は。優しくしたいんだ。……いや?」
至とはこれまで何度も繫がってきた。恋されているとも知らず、恋しているとも気づかず。
自分が気持ちよければそれでよくて、密に繫がる駒だと思って懐に入り込んだだけと、思い込んでいた。
「償う気持ちというより、ただ……気持ちよくなってくれたらいいなと思って。いやなら、考えるけど」
「いやじゃないです、そうじゃなくて、あの、もうすでに、気持ち、よくて……引かれないかって、我慢、してたっていうか」
ほんの少し沈んだ気分は、恥ずかしそうな至の顔と言葉で一気に浮上する。千景は口許を緩めて、至の頬にキスをした。
「大丈夫、どんなお前でも受け入れてみせるから」
至が言ってくれた言葉を真似て、我慢する必要はないと告げる。至はぱちぱちと目を瞬いて、呟いた。
「男前ですね」
「お前それ自画自賛にしかならないぞ」
そうやって笑い合い、唇を重ねる。
千景は今までにないくらい優しく至に触れ、ゆっくりと体を暴いていく。至も今までにないくらい素直に身を預けて、音にしてくれた。
「い、い……千景さ……もっと、そこ、いじめて……」
侵入させた指がいいところを突いているらしくて、脚を揺らして誘い込んでくる。
ここ好きなところだっけ? と思い起こすが、もっと別なところだったように思う。変わったのかと、確かめるために、いつものところを撫でてみれば、そちらでも敏感に反応を返してくれた。
「あぁっ、あ、やだ、いや……やだ、なんでっ……あ、っあ、いやっ……こんな、うそ」
その反応からして、変わったのではないようだ。増えたと言えばいいのか、気持ちが繫がったことで解放されたとでもいうのか。
千景は嬉しくなったが、至はそこかしこで感じてしまうことが恥ずかしいらしく、ふるふると首を振り続けた。
「至。俺の指で感じてるの嬉しいから……正直、もっといやらしくてもいいぞ」
「な、なにを馬鹿なことっ……や、ああっ……ん」
押し広げ、撫で、肉の感触を楽しむ。好きな相手が、自分の与える愛撫で乱れてくれるのが、こんなに嬉しいことだなんて知らなかった。
「いいな、興奮する」
素直にそう吐息と一緒に囁けば、至は照れくさそうにしながらも安堵して、肩の力を抜いたようだった。
「千景さんて、一回落ちたらとことんハマり込むタイプですか……」
「うーん、多分、そうかな?」
言って、指を引き抜き、寂しげに引き留めたそこに、自分自身を突き立てた。
「ああっ……あ、あ」
至は背をしならせてその衝撃と、恐らく快楽に耐え、高い声を上げる。
「奥まで、いかせて」
「んッ、んぁ、千景さん、や、あ……だめ、もっとゆっくり、あぁ……」
望むようにゆっくりはできなくて、脚を抱え込んで腰を押し進めた。至の体に拒まれることはなく、千景はすべてを埋め切る。
「も……駄目だって言ったのに……」
「はは、悪い。抑えきれなくて」
「ずるい、そう言えば俺が許すと思って! ……いいですけど」
欲情されるのは嬉しい、と顔を横向けてしまった至が本当に愛しくて、頬に、目尻に、こめかみに、キスを落としていく。
そうすることでまた愛しさが募って、ゆっくりと腰を引いた。
あ、と息を吐くように喘ぐ至の艶っぽさに、ぞくぞくと背筋を快感が走り抜けた。
「あっ……」
「悪い、動きたい……」
「ん、い……い、からっ……」
今度は許可をもらえて、千景はふっと息を吐いて笑う。千景はそのまま息を吸い込んで、腰を引いた。引いて、止まって、引いて、また押し込んで、至の様子を見ながらも快楽を追う。
至が気持ちよさそうに吐息する姿を見れば、それだけで満たされるような感覚さえあった。
「千景さんっ、ちかげ、さ……あ……っ」
中程を撫でて、奥をついて、のけぞる至の体を抱きしめて、今まで体験したことのない幸福感の中で、千景は達する。
「……ッん、んう……っあ、ぁ」
「あっ、はあ、っはぁ、あ、やだ、いや……」
「……おい、ちょっと、脚、外せ……抜けないだろ……」
「だめ、もう、一回……っ」
すがるように抱きしめてくる腕に、頭を鈍器で殴られたような気分だった。ねだられることが、こんなにも嬉しかったことはない。
「夜は長いんだ、そう焦るな……そして煽るな、馬鹿」
「……ひとりで帰ったりしない……?」
「帰るなら、お前と一緒にだ。あの騒がしい寮にね」
至の髪を撫でてなだめ、至の元へまた体を寄せれば、彼の左手がそっと伸ばされた。
「千景さん、今、幸せですか……?」
大事な利き手で、いつもそう祈ってくれていた。
千景はその左手を右手で取って、甲にキスをする。
あの時確かに込めた殺意を、祈りに変えて。
「ああ、とても」
至が安堵して嬉しそうな顔で笑ってくれる。
守るべきものが増えた。
その事実にさえ、体が震えそうなほど幸福を感じて満たされる。
舌を絡めて、腕を、脚を絡めて、体を繫ぐ。
夜を越えて朝を迎えるまで、そのつながりが途切れることはなかった。

 

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