右手に殺意を 左手に祈りを

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「茅ヶ崎も、何かお願い事とかある?」
「ひとつ訊きたいことがあるだけです」
「……そう、じゃあお互いひとつの質問を賭けようか」
至が正面に座る。テーブルを隔てた間隔が余計に距離を実感させて、心をざわつかせた。
だがそれよりも心臓を跳ねさせるのは、至が手元でなく目をじっと見つめてくることだ。以前なら、こんなもの気にも留めなかっただろうに。
(この感情は、いろいろと面倒なんだな……)
探るためでも、挑むためでもないその視線が、千景の手元を狂わせる。
「左」
「……」
至は迷いもなく口にして、千景は口を引き結んだ。それは確かに、コインを隠した方の手だったからだ。
「……俺の負けだね」
両手を開いて見せれば、周りがどよめいた。
それはそうだろう、入団してからのコイン勝負で、負けてしまったのは、咲也に連れ戻されたあの一回を除けば初めてだ。
「至さんすっげ、なに、コツでもあんの?」
「すごいです至さん! オレ右だと思ってました!」
「Oh~チカゲついに白墨ネ~」
「敗北な」
「惜しい、一文字違い」
「いや惜しくないだろ」
周りはそんなふうにはやし立てるが、勝った当人はそれほど浮かれてもいない。ホッとした表情だけで、勝ち誇った雰囲気はどこにもなかった。
「じゃあ茅ヶ崎、ご要望通り質問どうぞ」
しかし負けは負けだ。千景は潔く受け入れて、至を促した。彼はほんの少しためらうように視線を泳がせ、ソファから腰を上げた。
「先輩、ちょっと」
「え?」
そうして、至に腕を引かれ、千景も腰を上げざるを得なかった。
他のメンバーには聞かれたくないことなのかと察して、大人しく至についていく。
万里のことが関わっているのだろうと推察して、気分が重くなった。
玄関を出て、そこで立ち止まる。至が踵を返して、正面から向き合った。
「じゃあ、質問します、けど」
「ああ」
「正直に言ってくれます?」
「できるだけ」
「……今、幸せですか? 先輩」
「え……?」
千景は目を瞠った。
至には驚かされることばかりだが、また予想を裏切られる。万里が絡むどころか、至には関わりのなさそうなことだった。
「前に比べて、馴染んできたかなって思ってるんですけど……ここ、居心地いいですか」
以前は、団員に囲まれて笑っていても、うわべだけだった。事情を知っていた至には、うわべにすらも思えなかったのか、気にかかっていたらしい。
ざわりと肌があわ立った。
(茅ヶ崎……!)
まさか、幸福を願ってくれているなんて思わなかった。万里のことで、いや、それを抜いても、ひどく犯して彼を傷つけただろうに、どうしてそんな言葉が出てくるのか分からない。
愛しい。
恋より大きな感情が、体に染み渡っていくようだ。
「……幸せ、だよ。心からそう思ってる。壊してしまわなくてよかったと」
正直に、胸の内を伝えた。
居心地がいいどころではなく、ついのすみかにしたいとさえ思う。
本音なのだということは至にも伝わったのか、彼は安堵して頬の緊張を緩めてくれた。この劇団の連中は、どこまでお人好しなのかと、呆れる思いも降り積もる。
千景は右手で至の左手を持ち上げた。
「え」
「茅ヶ崎」
「は、はい?」
「俺は、お前の幸福を祈ってる。以前お前を脅したことがあるよな。あれは、解除するよ。この劇団のヤツらには、誰にも手を出させない」
いつだか、殺意を込めて至の喉を絞めたことがある。その右手で、今度は彼の幸福を祈るなど、おこがましいかもしれない。だけどどうしても、そうせずにはいられなかった。
「殺意さえ祈りに変えてくれるお前の幸福を、心の底から祈るよ」
そうして、もう痕など少しも残っていない手首に口づけた。
あとひとつ、自分にできることがある。どうしてか茫然とする至の手を放し、千景は寮の中へと戻った。
「おっ、千景さん戻ってきた。なんだったんスか、至さんの」
「二人でナイショ話、ずるいネ~」
「ふふっ、大人の話かな?」
「う~ん、まあ、危ない取り引きとかね」
「千景さんが言うと冗談に聞こえないッス……」
「それな」
笑い声が談話室に響き渡る。
千景はひとつの決意をして、万里を呼んだ。
「万里、ちょっと来て。さっきのお願い、思いついた」
「マジか。なんか怖ぇわ~」
そうは言うものの、万里は警戒のひとつもせずにソファから立ち上がって、歩んできてくれる。
リーダーというものは、全員器が大きいのだろうかと、千景は短く息を吐いた。
「単刀直入に訊くけど」
人に訊かれてはまずい話題であるため、万里の部屋を貸してもらい、唐突に訊ねる。
「万里は今、誰か好きな相手いる?」
「は? なんすかそれ。別にいねーっすけど」
「じゃあ、茅ヶ崎をどう思ってるのかな。随分仲がいいみたいだけど」
できれば、好意を持っていてほしい。そんな祈りを込めたはずだったが、どうしても嫉妬が混ざった。これでは駄目だと眼鏡を押し上げ、ゆっくりと深呼吸した。
「茅ヶ崎とは、そういうことになれない?」
「……は〰〰? 何言い出すのかと思ったら。ない、ないない。絶対ねぇっすわ」
万里は鳩が豆鉄砲を食らったような表情を一変させて、千景の提案をはねのける。可能性など欠片もないと、きっぱり言われてしまった。
「確かに俺ら、仲はいいっすよ。ゲームしてんのは楽しいし、たま〰〰にそういうファンサすることもあっけど、そういうのじゃないんで」
「茅ヶ崎が、お前のこと好きだとしてもか? 少しも可能性はない?」
ルール違反だとは思った。誰にも言わないと約束した事柄を、あろうことか当人に告げてしまうなんて。
だけど想いを知ることで、意識し出すこともあるのではないかと、こと恋愛に関しては素人なりに考えたつもり。あとで至にどれだけ罵られても、彼の恋を叶えてやりたいのだ。
「至さんがぁ? アンタあの人の何見てんの……」
「何って……きみらより付き合い浅いんだけど……」
「至さん本人からちゃんと聞いたんすか?」
「いや、明確に名前は出さなかったけど、好きな人がいるみたいなのは事実で」
「それで俺を連想すんのかよ。分からなくはないけど、俺らどっちかにでもそういう気持ちがあれば、とっくにどうにかなってるわ。距離も近いし、モノにするチャンスなんてゴロゴロ転がってる。俺だって至さんだってそう鈍い方じゃねーし、どんだけ隠しても気づくっつーの」
「……違うのか……?」
はあ〰〰と面倒そうなため息が吐き出される。千景は戸惑った。万里が言うように、至の思い人は別人なのだろうか?
「退団を賭けてもいいっすよ。至さんに好きなヤツいるのが本当でも、相手は絶対に俺じゃない」
万里にとっても大事な場所である、劇団からの脱退を賭けられるくらい、自信があるようだ。
いちばん傍にいる男がそう言うのだから、信じた方がいいのかもしれない。千景は困った顔をして、唇を引き結んだ。
「悪い……変なことを頼んで」
「や、別にいっすよ。アンタが至さんのことすっげぇ大事に思ってるってだけでしょ。自分の恋心犠牲にしてまで」
う、と言葉に詰まる。万里の楽しそうな顔を直視できずに、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「ハハッ、俺今まで千景さんのこと分かりづれぇって思ってたけど、気のせいだったんすかね。全然そんなことないわ」
上手くやっていけそう、とポンポン腕を叩いてくる万里に、いやそれは気のせいじゃないと思う、とは言わないでおいて、二人で一緒に部屋を出た。

 

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