右手に殺意を 左手に祈りを

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頭が痛い、ととぼとぼ歩く至を見つけて、千景は後ろから腕を引いた。
「茅ヶ崎、見つけた」
「うわっ、……先輩、どうしたんですか」
「どうしたんですかじゃない、お前、体調悪そうだったから」
今朝は至より早く出なければならなくて、気づかなかった。アポ先からランチを挟んで戻ってきてみれば、辛そうに頭を押さえる彼を見たのだ。
横から声をかける同僚に邪魔をされて、千景は声をかけられなかったのだが、あと少しで定時を迎えるというときに、やっと捕まえられた。
「あ~、昨日ちょっと眠れなくて……先輩またどっか違うトコで寝たんでしょ。全然戻ってこなかったから」
「いや、ちょっとやることがあって。……別に待ってたわけじゃないよな?」
「当たり前でしょ。まだあそこで寝られませんか?」
休憩に出てきたのか、至の手には缶コーヒーが握られている。
待っていたのかなんて、期待しても無駄なことを考えて、自爆したように落ち込んだ。
「俺がごまかせてるうちはいいですけど……咲也たち、心配しますよ」
「……努力はする。すぐには生活を変えられない」
「……待ってます」
「で、体調大丈夫なのか? 寝不足ってだけ?」
「大丈夫ですよ」
至はそう言って笑っているが、心配は尽きない。
「今日、帰り待ってろ。放っておけない」
「……そういうとこね、ほんと……」
ぼそりと呟かれて、千景は聞き取れずに訊ね返す。文句を言われたのか、了承をされたのかさえ分からなかった。
「なに?」
「いいえ、なんでも……じゃあ、帰り、LIME入れますね」
至がひらりと手を振って、自身の課の方へ歩いていってしまう。その背中を見送って、こういう時に引き留めたくなるのも、恋心のなせる技なのだろうかと小さく息を吐いた。

 

「茅ヶ崎、鍵よこせ。俺が運転する」
仕事を終えて、二人で駐車場へ向かった。
「先輩に運転させるとか、あんまり好きじゃないんですけど」
「なに言ってるんだ、こんなときに。いいからお前は助手席だ」
体調が悪い時くらい、頼ってほしい。
それともそんなに頼りないのかと、責めたい思いさえあった。
「先輩、急に過保護になりましたね。どういう心境の変化です?」
シートベルトを締めた至が、薄く笑みを浮かべてそう呟く。
ずっと背負っていた闇の真実を知って、少しずつ、少しずつ小さくしていって、密との和解をしてから、自分の中の感情がとてもたくさんになったことは、千景も自覚していた。
後悔、自責、孤独。
それを感じることもまだある。
だけど、人と触れ合っていたい、誰かの声を聞いていたい。そう思うこともあるようになった。
「俺が過保護だとおかしい? 誰かを大事にしたいって思う気持ちは、変かな」
受け入れてくれたカンパニーを、春組を、とりわけいつも傍にいてくれた茅ヶ崎至を、大事にしたい。そう思うこの気持ちは、彼らにしてみたら、急すぎて戸惑うのだろうか。
(まあ、俺自身がまだ戸惑ってるからな……)
「変じゃないですけど……ちょっと、心臓が保たないっていうか……昨日のも、ちょっと」
「昨日って……お前の幸せを祈ってるってヤツ?」
「それです」
至は苦虫を噛みつぶしたような顔をして俯く。
本心で言った言葉なのだが、彼には受け入れ難いものなのか、それとも。
(もしかして、あれで気がついちゃったかな。……いいけど)
千景はエンジンをかけるのをやめ、ステアリングからも手を離した。
「先輩?」
「茅ヶ崎、俺は今でも自分の中の感情に戸惑ってる」
車を発進させないどころか、手を下ろしてしまった千景を不思議に思って、至は振り向いてくる。感じる視線さえ嬉しいと思ってしまう感情があった。
「公演を通して、ないと思ってた感情があったことに驚いてるんだ。ずっと密を誤解していたことも後悔したし、なんであの日傍にいられなかったのか、責めたい思いもたくさんある」
千景がぽつぽつと口にすれば、至は今までそうしてきたように、静かに聞いてくれる。相づちをうつでもなく、何かを訊ねるでもなく、ただ静かに隣にいてくれた。

 

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