カクテルキッス3ーたった一度のI love youー

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疲れ果てたのか、隣に寝転び髪を撫でても、至は目を閉じたままだ。
千景にはそれが好都合で、珍しくゆっくりと彼の寝顔を眺めた。
いや、ゆっくりも何も、こんなただれた関係になってから、こうして寝顔を眺めたことなんて、片手で足りるのではないだろうか。
いつも、翌日も仕事だったり稽古があったりと、なんだかんだで寮まで戻っている。そうすると当然ベッドは別々で、隣で眺めるなんてことはない。
「うーん……やっぱり顔は好みだな……」
「体は?」
「……起きてたのか。たぬきめ」
「今覚めたんですよ。誰かさんが無茶してくれるから」
「へぇ、誰だろうな」
ホテルのこの部屋には当然二人きり。誰だろうなも何もないのだが、千景はあえてとぼけてみせる。
無茶をしてしまうほど至に溺れていたとは、認められないのだ。
「言っておくけど、もう一回っておねだりしてきたのは、茅ヶ崎だぞ」
「覚えてませーん」
「無意識に男を誘うのか、危険だな」
「誰とでも寝るみたいなこと言わないでください、腹立つんで」
眉がつり上がって、キッと睨みつけられる。そういうつもりで言ったわけではないのだけどな、と苦笑して、簡単に誘われてしまう自分の浅ましさを、喉の奥へと飲み込んだ。
「それより、あの、先輩、包帯直してください」
「え?」
「終わるまで寝てるんで」
「……あぁ、悪いな」
至は千景から顔を背けながら、そう呟く。千景が自分の体を確認してみると、確かに緩んでほどけた包帯。隠れていた素肌もちらちらと見えていて、至はそれから視線を逸らしたらしい。
千景はベッドの上で体を起こし、包帯を外して傷口を確認した。
痛みは感じないし、傷も塞がっている。目を背けたくなるような痕というわけでもないが、少し残るかもしれないなと苦笑した。
「お前は、本当に何も訊かないな」
「楽しい話じゃないでしょ、それくらい分かります」
この怪我を負ったのは、先週水曜の夜だ。至との約束を反故にしてまで就いた任務先で、仕掛けられていた爆弾の爆発に巻き込まれた。
とは言っても、人を攻撃するためのものではなく、侵入した痕跡を消すためのものだったせいか、規模としては大きなものではなかった。不運にも、組んでいたエージェントは破片に貫かれて犠牲になり、千景――いや、エイプリルも怪我を負ったのだ。
そのため、しばらく寮には帰らず治療していたのだが、ついた?に気づいた至が、隠れ家アジトの方まで来てしまった。
だけど経緯を訊くでもなく、ただ、手当ては済んでいるのか、食事は取れているのかと確認してきた。
(そうか、あれ、心配してくれてたのか……)
千景は、今になって初めて気がつく。彼が密を問い詰めてまであの隠れ家へ来たのは、ただ心配してくれたからなのだと。昨夜は動揺した上に頭に血が上っていて、そんなことにも気づけなかった。
今も、見られたくないのだろうと体ごと顔を背けてくれている。
昨夜も、彼はこの包帯を気にしていたなと、千景は思い出す。密には手当てさせるのにと爪を立ててきたことも。
気にならないわけはないだろうが、千景はどうしても、彼には傷口に触れてほしくなかった。至はそれを、「見られるのも嫌」なのだと解釈したようで、思考がすれ違う。
(これは、エイプリルの負ったものだ。これ以上茅ヶ崎をエイプリルに触れさせたくない)
卯木千景として負った怪我であれば、別に見られようが触れられようが構わなかった。
だけどこれは、至とは違う世界のモノだ。
触れられたくない。触れさせたくない。
(いくら俺が止めても、茅ヶ崎はたぶん、エイプリルさえ受け入れてしまう。そんなこと、させられるわけがないだろ)
受け入れてほしいなんて、思うことさえおこがましいと感じているのに、茅ヶ崎至という男は、深く考えることもせずに〝アガる〟などと言ってしまうのだろう。
それで、赦されたと思ってしまいそうな自分がいることが、何よりも赦せない。
罪がそんなに簡単に赦されるわけもないのに、拒絶されなかったら、それだけで安堵してしまう。ずるずると心地よさに流されて、罪を忘れてしまう。
そんなことが赦されるはずもない。茅ヶ崎至を、そのきっかけにしたくない。
だから、彼にこれ以上踏み込ませてはいけないのだ。
千景は痕がひどい部分にだけ包帯を巻き直して、シャツを羽織った。
「先輩、そこらへんに俺のスマホ落ちてません?」
「は? スマホが恋人の茅ヶ崎が、手元に置いておかないなんて、今日は雪でも降るかな」
「いやー、さすがに彼氏、こ……恋人は生きたものがいいです」
何を言い直したのだろうと思いつつ探してやると、脱ぎ散らかしたジャケットの傍に、見慣れてしまった彼の端末が見えた。それを拾い上げた瞬間、言い直した理由に気づく。
(今アイツ、彼氏って言ったのか。彼女じゃなくて)
千景は、恋人とだけ言った。それを至は、うっかり彼氏と言い、気がついて言い直したらしい。
彼の中で、恋人イコール同性の彼氏になってしまっていることに、さっと血の気が引いていく思いだった。
対価に関係の継続を望んできたことからも窺えるが、至の性的対象が明らかに変わってしまっている。
(俺とのことで慣れたってのは分かる……でも、そんなにすぐに彼氏って出てくるってことは……)
「茅ヶ崎……もしかして、好きなヤツでもできた?」
千景は端末を片手にベッドに舞い戻ると、無意識に音にして訊ねていた。言ってから、しまったと口を押さえるけれど、びくりと肩が揺れたのを見てしまった。
「なっ、なんでそんな」
「……彼氏って出てくるってことは、そうなりたい相手がいるんじゃないのか? まあ、今のお前が女を抱けるとは思わないから、そういう意味で言ったんだとしても、理解はできるけど」
至は背けていた顔を振り向かせてくるが、肯定はしていないが否定もしてくれない。
「好きなヤツがいるなら、なんで俺とのこと継続させたいの。今の茅ヶ崎だったら、ノンケの男だって転ぶと思うけどね。最初の頃に比べたら、色気が半端ないぞ」
自覚しているのかいないのか、至の頬が赤い。
これは本当に、好きな相手ができてしまったのかもしれないと、千景の体が冷えていく。
至は普通の世界の人間なのだから、普通の世界の、普通の人と結ばれるべきなのだと思っておきながら、いざそういう現実を突きつけられると、相手をひねり潰したい衝動に駆られる。

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