カクテルキッス3ーたった一度のI love youー

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 眠るだけ。他人と、そんなに狭いところで眠れるだろうかと、千景はシャワーを終えて部屋に戻ってきた。
 もともと、他人と同じ空間で眠るのは苦手な方だ。春組に入ってそれも緩和されたが、好んでそういうことをしようとは思わなかった。
 だが今回、中途半端なところで放置していってしまった彼に、埋め合わせはしなければと思う。
 どうでもいい一夜限りの相手ならばそれで構わないが、相手は惚れた男である。
 まさか、一緒に眠りたいなんて言い出すとは思わなかったが、至自身が思っているよりも、今回の事件は不安を駆り立てるのだろう。
 突然の〝非日常〟に、人肌を感じて安心したいに違いない。それだけだ、と千景は自分に言い聞かせて、ベッドを見上げた。
 千景は、それでもなんでもないと言い張る、茅ヶ崎至という男をいじらしく思う。
 彼のストレスにならないと良いが、と思いつつ千景は梯子を登り、背を向けて横たわる至を見つけて、思わず笑ってしまった。
「一緒に寝たいとか大胆なこと言っておきながら、照れてないか? 茅ヶ崎」
「そんなんじゃないですよ! ただ、ちょっと、先輩とベッドの上で……何もしないのって、落ち着かないなって、恥ずかしいだけで」
「それを世間では照れてるって言うんだと思うけど……」
「うるさいですよ」
 はいはい、と適当にあしらうふりをして、至の隣に横たわり、互いの体に布団をかぶせる。
 当然ながら呼吸の音が聞こえてきて、心音が聞こえないように、気持ちを落ち着けるのに必死になった。
「茅ヶ崎、それ利き腕じゃないよな。生活に問題はないか?」
「え、あ、はい……痛みはまだあるけど、動くし」
 気持ちを落ち着けるためにと、心配するのとで、千景は訊ねかける。そうすれば至が体の向きを変えて、怪我をした腕を互いの胸の間に置いた。
「あれ、こっち利き腕じゃないって言いましたっけ。分かるんですか?」
「いや普通に分かるだろ。利き腕っていうか、左の方が使いやすいって程度なんだろうけど、会社のデスクとか、重要なものは左に置いてあるし。寮ではもう少し顕著に出てるぞ」
「そっ、そうですか? でも本当に浅いんで……」
 至の声が少しうわずったような気がしたけれど、まずいことを言ったのかもしれないと思うと、突っ込むことはできなかった。
 至に恋をしていると自覚してから、本当に急激に、急速に、転がり落ちていってしまっている。
 視線が彼を追ってしまう。
 耳が彼の声を探してしまう。
 指先が、彼の肌に触れたがってしまう。
「茅ヶ崎、お前……」
「え?」
「…………いや、なんでもない。おやすみ」
 何を言おうとしたのだろう。もし誰かの恋心を向けられたらどうするか、なんて、今日散々な目に遭った彼に言うべきではない。
 人を傷つけたがる恋心もあるなんて実感した夜に聞いても、好感のある言葉は返ってこないだろう。
 そもそも、自分の恋心は隠さなければいけないのに。
「はい……おやすみなさい、先輩」
 どうして茅ヶ崎至という男は、こうもことごとく、心を持っていくのだろう。
 思い出してしまった。ホテルで自分勝手に処理だけして出ていく直前に、至に言われた言葉を。
(組織からの任務だって分かってただろうに、出てきた言葉が〝おやすみなさい〟ってなぁ……普通ないだろ。気をつけてとか、どんな仕事なのか、もなく、ただおやすみなさい、って……)
 小さな呼吸をしながら目を閉じた至を、至近距離で眺めながら、千景は胸が締めつけられる思いだった。
 茅ヶ崎至は、千景の中の闇に気づきながらも、なんでもないように日々を共に過ごしてくれる。危険だということも認識しているのだろうに、それを表に出してこない。
 守るべき、馬鹿な男。
 千景は思わず腕を上げ、ふわふわした至の髪を撫でた。手のひらにじんわりと伝わってくる温かみが、また胸を締めつける。
 誰かとともに眠るだけというのが、こんなにも幸福で、こんなにも温かで、こんなにも苦しいものだったなんて思わなかった。
 抱き寄せてしまいたい衝動を必死に抑え、千景は唇を引き結ぶ。
(巻き込めない――茅ヶ崎の体に包帯が巻かれてるところなんて、もう……見たくないんだ)
 巻き込もうと思えば、簡単に巻き込める。至は、巻き込まれてくれてしまう。
 だけどそれは駄目なんだと、抱きしめたがる手を、至の背後でぎゅっと握りしめた。
(茅ヶ崎の日常を壊せない。……誰にも、壊させない)
 もし自分がそれを壊してしまうなら、いつでも離れる覚悟はしている。たぶん最後になるだろう恋よりも、彼の日常の方が重要で、重大で、大切だ。
(茅ヶ崎……頼むから、俺の傍でそう無防備に寝息をたてないでくれ)
 心臓が痛む。切なさに、歓喜に。
 こんな気分で目を閉じたのは、恐らく生まれて初めてだった。

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