カクテルキッス3ーたった一度のI love youー

この記事は約5分で読めます。

「言っとくけど、この状況だと確実に守れる保証はできないからな」
「おk」
なんでもないことのように、軽い口調で返してみたけれど、目だけはまっすぐに千景を見据えた。千景も、まっすぐに見つめ返してくれた。
「覚悟の上、ってことか……お前、そんなキャラだったか?」
「それはお互い様でしょ」
それもそうだな、と肩を竦めて、千景はすっと目を伏せる。そして目を開いた時には、それまでの彼と随分違って見えた。
「茅ヶ崎」
「はい」
少し低めの声は、集中力を高めるためなのか、彼なりに日常を切り離すためなのか。千景は腕を腰の辺りにやり、何かを取り出した。
「護身用だ、持ってろ」
「……ナイフ?」
それは、そう大きくもないナイフ。
ちゃんと鞘には収められていたが、どうやって持ち込んだのだろう。
深く考えることはせずに、至は受け取った。
「扱える自信ないんですけど」
「いいんだよ、お前は、それで。期待してない」
「ナイフの意味とは」
「自分の身を守るためだけに使え。相手を脅すためでも、傷つけるためでも駄目だ。ましてや、俺の力になろうとかは、一切考えるな」
ナイフを受け取った至の手を、千景がぐっと握りしめてくる。心の底からの思いなのだと、至は頷いた。彼が守りたいものの中に、至自身も入っていることは、理解している。
「行くぞ」
「了解」
至は受け取ったナイフをひとまずポケットに入れ、千景のあとについた。ポケットの中で、ナイフと何かがぶつかる。
(なんだ? あ……持ってきちゃってたのか)
荷物を整理していた時に、ひとまずとポケットに入れてそのままだったものがある。
片付けの際に、場所を変えるだけ変えて、何も解決していない癖をどうにかしないとな、とこの場にふさわしくない、しかも改善しそうにないことを考えた。
しばらく王宮内をうろつけば、やはり兵士に見つかってしまう。千景が、なんともうさんくさい仕種で、ザフラ語を話しているのを横で聞く至だが、まあ交渉がうまくいっていないのだろうことは、言葉が分からなくても理解できた。
(綴兄、感謝。あと、俺の雑な性格GJ)
まさかこんなところで、本当に役に立つなんて。間違ってナイフの方を出さないように、細心の注意を払って、にこやかに出してみた。
それを見た瞬間の兵士の顔と、ツンデレっぽい態度に、人間どこでも同じだなと、ひらひら手を振ってみせる。
「何渡したんだ?」
「綴兄秘伝の日本酒ミニボトル。あれですね、そちも悪よのうってヤツ」
「……そちは悪、って言いたいな。でもまさか、本当に役に立つとはな」
「ひとりだけ善人になるの禁止で。連れてきて良かったでしょ」
「まぐれ当たりが、何を言っ――」
難関を突破したと喜んだのもつかの間、千景が言葉を途切れさせ、至の腕を引いた。
「こっち。隠れるぞ」
「え?」
「静かに」
狭い――と言っても三車線くらいありそうな通路に、ぐいと引っ張り込まれる。千景の体に覆われるように、背中が壁に当たった。
壁より柱が出っ張る建築のおかげで、隠れるのには苦労しないのだが、相手が相手だからなのか、千景の警戒には余念がなかった。
「向こうから人が来る。気配消せるか」
「無理に決まってんでしょ」
気配を消すなんてやったことがない。そんな、目玉焼きを綺麗にひっくり返せるか、みたいなノリで言わないでほしいと、至は千景を睨みつけた。
「静かにって言ったよな」
「う……」
口許に、千景の手のひらが押しつけられる。瞬時に、いつだかこうして口を塞がれて、無理に?がったことを思い起こしてしまう。
「……悪い」
それに気づいたのか、千景が手の力を緩めてくれる。至はふるふると首を横に振り、あの時とは違う、想いも近さも状況も、と自分を戒めた。
そんなことを考えている場合ではないのに、密着している千景の体温が、至を落ち着かなくさせた。
(落ち着け心臓。頼むから。けど、どうしよう……何をすればいいわけ?)
気配を消すなんて高度な技、こんな状態でできるわけがない。千景の足を引っ張ってしまう、と思うと、そちらの方が怖かった。
「茅ヶ崎、息、して……俺に合わせて。できるだろ?」
耳元でそう囁かれ、別の熱が上がってくる。だけど、千景の呼吸のタイミングなんか、とっくに知っていた。
「……そう、落ち着いて……ゆっくり、何も考えないで」
すうーと千景の呼吸が聞こえる。それに合わせてゆっくりと息を吸い、そして吐く。
トクトクと千景の心音が聞こえる。心音のコントロールなどできやしないが、いつの間にか呼吸と一緒に音が合わさっている。
その音が気にならなくなったと思ったら、千景がそっと髪を撫でてくれていた。
(気配……消せてんのかな)
心なしか抱きしめられているような気もするけれど、それはこの場を切り抜けるための手段だろうと、ゆっくり千景に身を預けた。
やがて、足音と、声が聞こえる。どうやら兵士のようだが、千景はこの気配を察知していたのかと、改めて彼のスキルを思い知らされた。
緊迫した様子の声と、慌ただしい足音。話し声は一人分だ。電話か何かで、誰かと連絡を取っているらしい、ということしか至には分からない。
ただ、抱きしめてくる千景の腕が、少しだけ強くなったことから、あまり良い情報ではなかったのだとうかがい知れた。
「な、なんの連絡だ……? 先輩、まさかシトロンに何かあったんですか?」
兵士が行ってしまってから、千景の体が離れたのをきっかけに、至は状況の説明を求めた。まさか、すでに最悪の事態になってしまっているのか。
「大丈夫だ、まだ。行くぞ。シトロンは奈落にいる」
「奈落っ?」
千景が踵を返す。至も慌てて後を追う。走るのは、というか運動全般苦手なのだが、そんなことを言っている場合ではない。
(あれ、でも、なんか……いつもより楽?)
いつもならすでに現れる疲労と、息切れが、ない。緊急事態だということもあるのか、恐らくあとでどっと疲弊するだろう。
「こっちだ、茅ヶ崎」
ぐい、と手を引かれる。それで気がついた。千景の呼吸とペース、進もうとしている方向が分かる。先ほど気配を消すために合わせたタイミングが、まだ、二人の間に存在しているのかと。
そうだ、そう考えなければ、至が千景についていくことなどできないはずだ。
この手を握り返してしまいたい。指を絡めて、放したくないと言ってしまいたい。
(馬鹿かよ、そんなこと考えてる場合じゃないのに)
シトロンの身が危ないという時に、何を考えていいるのだろう。自分が嫌になってくる。
こんなことしか考えていられない自分を、千景が好きになってくれるわけがない。
今はシトロンのことだけを考えようと、触れた手から目を背けた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました