カクテルキッス3ーたった一度のI love youー

この記事は約5分で読めます。

「そ、そういうんじゃないですってば。あの、確かに今の俺じゃ女の子相手にできないだろうし、そういう意味で捉えてください……っていうか色気ってなに、意味が分かりません」
「色気は色気だろ。職場でも、お前のことちらちら見てる子増えてるの気づかないか? たまに男も混じってる」
「知りませんよそんなの」
至は千景から携帯端末を分捕ると、いつものようにゲームアプリを立ち上げたようだった。どうもこの話題から逃れたいらしい。
「好きなヤツできたんだったら、俺はいつでも解放するから、言えよ茅ヶ崎」
自分で言っておいて、ズキンと心臓が痛む。鋭いナイフを突き立てられたかのように、その痛みは深い。
端末を弄る至の手が、ギシリと音がしそうなほど強張ったのにも気がついた。
「お前と寝るのはわりと好きだから、手放すのは惜しいけどね」
「……そういうんじゃないって言ったでしょ。おじいちゃん耳が遠くなったのかな」
「言えない想いってのはあるだろ。例えば……相手が万里だったり、か?」
「はァ!? ――……ふ、っざけんな!」
千景はあえて、身近にいる男の名前を挙げた。
至は万里と仲がいい。それは事実だ。彼らの間に恋愛感情がないのは分かっているけれど、いちばんあり得そうな例え話だ。
「万里とはなんでもない、そういう目で見んな!」
怒りに任せて、ブンと端末が飛んでくる。
千景はそれを難なく受け止めて、ひょいとベッドに放って返した。
「例えばって言っただろう。相手が相手だから、言えない想いを抱えるってのは、しんどいだろうなって思っただけだ」
「それ先輩の方じゃないですか。密相手に」
「なんであの寝太郎が出てくる。そっちこそ、そういう目で見るな」
言えない想いは確かにあるけれど、それは目の前の男相手にだ。
「大体、万里にはつむ――あ、な、なんでもないです」
「……ああ、紬? そういえばそうだったな」
至が言葉を切るけれど、そのあとを千景が引き継ぐ。そうすれば、至は驚いたように勢いよく振り向いてきた。
「先輩、知ってたんですか?」
「万里と紬のことだろ。入団した時から気づいてたよ。あれで気づかないのはよほど鈍……茅ヶ崎、知らなかったのか?」
「すみませんね鈍くて!」
素直に、気づかなかったことを認める至に、千景の方はホッとする。やはり恋愛方面には疎いのだと。
この分なら、うっかり千景の想いに気づいてしまうこともないのだろうなと、感謝さえした。
「じゃあ、もう一組の方にも気づいてないのか」
「へ? あ、そういや万里がもう一組いるって……」
「十座と左京さんだろ」
「はぁぁ――!?」
至からものすごい驚愕の声が上がる。
確かに衝撃的な組み合わせだろうなと思うと、それも無理からぬ話だ。
「え、は、いや、ちょっと待ってマジで? どこからそうなった。全然分からん……あの左京さんが」
「さあ……そこまでは知らないけど、たまに二人で出かけてるみたいだから」
「……セフレって感じじゃ、ない、ですよねー」
「感情が伴ってないセックスを繰り返してるのは、俺たちだけだと思うけど?」
お互いに、とは言えなかった。
少なくともこちらの方には、特別な感情が含まれてしまっているのだから。至の苦笑が、どういう意味なのか分からない。訊ねることもできない。
「キラキラしてますねー。青春て感じ。左京さんはどうだか分からないけど」
「俺とお前じゃ無理があるな、キラキラとか」
「禿同」
本来なら千景は、恋なんかしないつもりだった。できるとも思っていなかった。予定外の、最後の恋だ。
「ま、何にしろ、うまくいってほしいですね。同じ劇団内で問題起こるとやりづらいし」
「あのカンパニーは何か問題があっても、内から外から、力技でなんとかするイメージがあるけど」
「ハハッ、主演と総監督の失踪とか。力技でなんとかされちゃったんですか、ワロス」
「力技と変わらない、あんなの……」
だが力技とはいっても、心の方だ。真実を聞かされたあの瞬間の衝撃は、もう何も上回るものがないだろう。
(オーガスト……)
彼の――彼らのことを思うと、いまだに震えがくるほど自責の念に駆られる。
どうして信じていられなかったのか、何度自分に聞いても明確な答えが返ってこなかった。
「先輩?」
急に静かになった千景を不審に思って、至がベッドの上に体を起こして呼んでくる。
こういう油断と隙が、踏み込ませる要因になっているのだと、千景は気を引き締めた。
「なんでもない。それより、お前だって力技でなんとかされたクチだろう。聞いたぞ、旗揚げ公演の時の脱退騒ぎ」
「げ、誰から」
シトロン、と愉快そうに笑って返してやると、至は途端に凶悪な顔を作ってぶつくさ文句をたれる。
この変わり様さえ面白くて好ましいと思うのだから、もうどうしようもないと千景は苦笑した。
「けど、俺は先輩や真澄と違って、黙っていくことなんてないですからね」
「出ていこうと思う時点で同じだろ」
「全然違うでしょ、心の準備とか」
「そう?」
「……先輩、ねえ、俺に知られたからって、また出ていこうとしてるんじゃないですよね?」
つん、とシャツを引っ張って、至は顔を引きつらせて訊ねてくる。
そういうつもりはなかったが、必要になれば、自分はいつでもあの温かな劇団を抜けていくだろう。
千景にとってあの場所は、もう壊す対象ではなく守る対象に変わっているのだ。あそこに所属しているひとりひとりが、大切な家族だ。
今度こそ、大切にしたい家族だ。
自分があそこにいることが、危険な賭だとは分かっている。
だが、あそこにいることで守ることもできるはずだ。
だから、本当に危険な状態にならない限りは、あそこを出て行けない。
惚れた相手の傍にいたいという、愚かしい思いを除いても、今はその時ではない。
「へえ、お前が、俺の何を知ったって?」
千景は口の端を上げて、至にぐっと身を寄せた。ぐ、と言葉に詰まったような彼にホッとして、それでいいのだと鼻先に口づける。
「お前は俺の何も、知っちゃいないよ、茅ヶ崎。そうだろう?」
「……あーはいはい、その方が都合いいんでしょ、知ってますよ」
至は千景の意図を悟り、両方の手のひらを向けてくる。千景はその手を片方取って、ベッドの方へ押し戻してやった。突然かけられた力に抵抗できず、至の体は千景ごとベッドに沈んでいく。
「は? ちょっ」
「お前が、俺を引き留めたくてしょうがないみたいだったから」
「こういう意味じゃないでしょ! ちょっと、待っ……あの、さすがに無理がある」
「大丈夫、俺もお前も、明日は出張予定ないから」
「そういう問題じゃっ……!」
抗議を続けたがる唇を無理に塞いで、千景は至に触れていく。
すぐに上気する頬にも口づけて、あの時コンソールの上でつなげた手を、今度はベッドの上でつなげて、体の全部でつながった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました