カクテルキッス3ーたった一度のI love youー

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 どう切り抜けたらいいのか、と少し振り向いた時、追ってきていたらしい警官とパトカーが、至と男の間に割り込んだ。
「うわあっ!」
「ナイフは危ないだろう、捨てるんだ、いいか!?」
「退け、邪魔だ! 俺はアイツをっ!」
「大丈夫ですか、こっちへ!」
「下がって、下がってください!」
 駆けつけた警官に取り押さえられ、男は地面に突っ伏した。手からナイフがはたき落とされて、危険な状態は脱したようだ。
「放せ、放せえっ! アイツがいる限り駄目なんだ、生きてちゃいけない!」
 男はまだ錯乱しながら、至への攻撃を諦めていない。しかし、警官に視界を遮られ、至がそれ以上男を見ていることはできなかった。
「大丈夫ですか? 怪我は」
「え、あ……ちょっと、切られただけなんで」
 訊ねられて、自分の状態を確認してみれば、右腕にじわりとにじんだ血の跡。最初の攻撃で避けきれなかったのかと、自覚したら痛みが襲ってきた。
「病院へ送ります」
「いえ、そこまでじゃ。血もすぐ止まりそうですし、平気です」
「ところで、あの男はお知り合いで?」
 ああこれが事情聴取というヤツかと、初めての経験に気分が高揚する。そんな場合ではないというのに、安堵したことも手伝ってか、心臓がドクドクと大きな音を立てているようだった。
「いえ……見覚え、ないです。たぶん、あの人の好きな子に、俺がプレゼントもらっちゃったからだと……俺がいなければ戻ってきてくれるーみたいなこと、言ってました」
 ちらり、と警官の横から、取り押さえられた男を見直すも、やっぱり覚えがない。仕事柄、人の顔というか、特徴を覚えるのは得意な方だと思っているのだが、さっぱりかすりもしない。
「そうですか……災難なことでしたね。今日は、お一人ですか?」
 ここはホテル街だ、一人で通りすがっただけだと言ってもおかしくはないが、至は一瞬動揺する。二人分の鞄を持っているのは気づかれているだろうし、下手にごまかすのは良くないと判断した。
「いえ、一応、……恋人、と。急用が入って行っちゃいましたけど」
 さすがにセフレとは言えない。恋人、と口にする時に声が震えてしまったけれど、気づかれていないといい。
 恋人。
 千景とそんなものになれたら、どんなに幸せだろうか。ひとり放置されていくこともなく、あの腕に包まれて朝を迎え――そこまで思って、ないな、と考えを改めた。
 たとえ恋人になったとしても、千景は何も変わらないはずだ。仕事が入れば平気で放置していくし、ひとりでシャワーを済ませて身支度を調えているだろう。
 いっそ潔い、と卯木千景という男に、心の中で褒め言葉のような悪態をついた。
「そうですか。現行犯逮捕になりますから――」
 警官に状況の説明を終えれば、今後の対応について説明をされる。身辺に気をつけてだの被害届がどうたらこうたら、イケメンは大変ですね何やかや、世間話も交えて、少し探られるような気配を感じながらも、至は被害者として終始した。千景のことを除けば、後ろめたいことなど何もない。
 見回りもかねてお送りしますと言われ、至はその言葉に甘えた。どうせ終電はもうないし、この状態で車を運転していく気力はない。
 そうして寮の近くまで送ってもらい、当然連絡先を渡して別れた。
 パトカーに乗るという貴重な体験もできたし、ナイフで切りつけられるという、日々を平穏に過ごしていれば、なかなか体験できないことまでしてしまった。なかなか濃い一日だったなと、息を吐く。
(さてこの傷をどうするか。シャツだけでよかった……捨てなきゃな)
 切りつけられた腕は、シャツに穴が空いて、血がにじんでいる。とても使いものにならない。まあたかが数千円のものでよかったと、部屋の前で胸をなで下ろした。
(えーと、ひとまず消毒とー回復魔法ー。ねーわ)
 部屋に入り一息ついて、傷の状態を確認した。思っていたより浅そうでホッとしたが、痕にならなければいいなと、役者魂がむくりと起き上がる。
「こういうの慣れてないし、どうやりゃいいんだろ。ひとまず洗ってこよ」
 傷口の洗浄は鉄則だろう、と部屋を出て、洗面所へ向かう。誰にも逢いませんようにと願ったけれど、祈りもむなしく出くわしてしまった。
「至さん、何それ」
「タイミング悪すぎワロ」
 洗面所の手前、コーヒーでも入れにきたらしい万里と。
 とっさに右腕を隠したが、万里の視界にはしっかりと映ってしまったようだ。
「え、なに、怪我? してんすか? なんで!?」
「し、ちょっと、声デカい。あんまりみんなに知られたくない」
 そう言って唇の前に人差し指を立ててみれば、万里もハッとしたようで寮の中を振り向く。幸いにも、どの部屋にも聞こえていなかったようで安堵した。
「で、何それ。転んだとか言わねーよな?」
「転んだ」
「馬鹿か」
 テヘペロなんて舌を出しても、余計にわざとらしい。万里をごまかせるわけもなくて、左腕を引かれた。

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