カクテルキッス3ーたった一度のI love youー

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「は? シトロンが王太子?」
それは突然のできごとだった。
シトロン――シトロニアは、生まれた時からザフラ王国の王になるさだめ。戴冠式のために帰国しなければならないという。
劇団の誰も想像していなかっただろう。こんなに突然、別れが来るなんてこと。
いつまでもずっと一緒に、なんて子供じみたことを考えている者はいないだろうが、願望としてはおかしなものでもない。
それが、突然に崩れ去っていく。
寂しい、驚いた、信じられない――そんなふうに口々に呟く団員たち。翌朝も、みんな――特に春組の面々は沈んだ顔をしていて、胸が痛んだ。
しかし、沈んでいてはもったいない、とリーダーである咲也が呟いたのをきっかけに、寂しいながらも、いつものように過ごすことに決めたようだった。
「俺の負担がものすごい」
「ハハッ、王子様の舌を納得させられるかな?」
「いやぁ、でもシトロンは高級料理っていうより珍味……庶民料理好きそうなんですよね」
至は巻物を眺めながら、はあ、とため息をついた。シトロンがいなくなってしまうのは寂しい。だけど彼が納得したものなら、受け入れなければならない。
ソファの上からそっと千景を見やると、彼も渡された巻物を眺めて眉間にしわを寄せていた。よほど難しい内容だったのだろうか。
千景なら、何でもこなしてしまえそうだけれど、と感じたが、千景は他のメンバーよりもシトロンといた期間が短い。望みを汲み取りきれないのだろうかとも思う。
「先輩? 願い事、そんなに難しいんですか。手伝えます?」
「え? あ、ああ……いや、そうじゃないよ。別れって、突然だなって思って」
「ああ……そうですね。卒業とか、引っ越しとか、自分の意思も汲まれるのは心の準備もできますけど。シトロンの場合、外の意思が多いし……しかも俺たちみたいな普通の劇団員なんかじゃ、どうにもできないこと」
進学や婚姻などで、友人と離れてしまうのとはわけが違う。一国を背負う男を、小さな劇団の望みで引き留めておくわけにはいかない。
「……そうだな、自分の意思じゃどうにもならない、強大な力というものは、案外多い」
千景の声が沈む。あ、と至は気がついた。千景自身、得体の知れない組織に属しているのだったと。彼も、どうにもならない強大な力というものを、体験したことがあるのだろうか。
ぞわ、と背筋を悪寒が走る。
もしこの先、劇団に何かしらの攻撃をされたら。物理的なものでも、社会的なものでも、怖くない。いや、怖いことは怖いが、違う。
もしそれが起こる前に、千景が自らこの劇団を離れてしまったら――そう思うと、怖くて仕方がない。
千景のことだ、同時に職場も離れるはずで、消息を完全に途絶えさせるだろう。密にさえ、黙って。
(あり得るから怖い。……家族を守るために、この人は平気で自分を傷つけて、犠牲にしそうで)
その時、何もできないだろう自分が悔しい。終わってから気がついて、千景を恨んで、千景を恋しがって、千景の名を呼ぶだけ。
(……あり得るから、怖い)
繰り返す、心の声。至は耐えきれずに、千景に声をかけた。
「せーんぱい。ねえ、セックスしませんか?」
「は?」
「これから、どこか行きましょうよ」
「お前ね……こんな時にそんな気分になるか?」
「こんな時だから、人肌恋しくなるんでしょうが」
言って、チェアに座る千景の正面に立ち、両頬を包んで口づけた。そこから伝わってくる体温しか、今は考えていられない。唇をぐっと押しつければ、千景からも応えるように唇を押しつけられた。
「運転、俺がしようか。今お前に任せるの危険だし」
「信用なさすぎワロ」
言いながらも、至は車のキーを投げてよこす。寂しがっていることを隠しても、不安定になっていることを隠しても、千景には気づかれてしまうんだなと苦笑した。

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