カクテルキッス3ーたった一度のI love youー

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「状況、話せるか。何があったんだ」
「え……」
「別に邪魔はされてない。万里から連絡が来たのも、終わってからだったし。大体、……用事中にこっちの端末気にするわけないだろ」
 千景の言うことはもっともだ。集中しないといけない時に、気を奪われるものか。
「何があった、茅ヶ崎」
 真剣な顔で訊ねてくる千景に、黙っているわけにもいかず、至は口を開いた。
「言ったでしょ、今日っていうか昨日、財務の女の子にプレゼントもらっちゃったって。その子の元カレだかストーカーだかが、八つ当たりで襲ってきただけです」
 車に乗り込む直前だったこと、目撃者は結構いたこと、誰かが通報してくれたおかげで、警察がわりと早く着いたこと、怪我はこの右腕のみであったことを話した。
 千景はその間中ずっと、包帯の上から至の右腕を撫でていた。
「……だから、大したことないんですよ」
「お前、これ俺に言わないつもりだっただろう。全部脱がせたら、どうせ分かるのに」
「ははっ、エロす」
 至はそう返して笑うものの、あるひとつの仮定に気がついた。
「……ねえ先輩、もしかして慌てて帰ってきたのって、俺が組織の人間に狙われたのかもって思ったんですか?」
 びくり、と千景の肩が揺れる。珍しく動揺しているようで、真実を悟ってしまった。
 至は千景の真実を知る、数少ない人間だ。刺されたなどと知らされれば、組織が口封じに動き出したのかと思ってしまうのも、当然だろう。
「そんなわけないでしょ。だってあれは全部、俺の妄想なんだし。そんな世界からエージェントが抜け出して、一介の廃人ゲーマーをどうにかするとか、先輩大丈夫ですか? お疲れです?」
 肩を竦め、そんなことはあり得ないと揶揄する。至の妄想を、千景が引き継ぐ必要はない。
「せーんぱい。こんなことで、またやめるとか言い出さないでくださいね。そんなこと言う暇があったら、俺を抱く時の誘い文句でも考えておいてください」
「……どれだけセックス依存してるんだ」
「やだな、俺が依存症なのはゲームだけですよ。まあ先輩限定でなら、セックス依存も悪くないですけど」
 色を含んだ声を吐き出すと、千景はふいと視線を背け、ようやく至の右腕を放した。
「お前の妄想に少し付き合うけど、確かに警告なのかと思った。以前隠れ家アジトの方に来た時、やっぱり顔を見られていたのかもしれないとな。自覚をしろ茅ヶ崎」
 千景は自分のチェアに腰をかけ、至との距離を取る。腕を解放する前に、彼の指先がほんの少し震えていたことには、気がつかなかったふりをした方がいいのだろうと、至は視線だけで先を促した。
「俺の周りには敵が多い。商売敵にしろ、……内部の人間にしろ、だ。そういう俺と深く関わるということは、リスクが高いって、お前なら分かるだろう。体力も俊敏さもないお前が、この先無事でいられる保証はないんだぞ」
 自覚をしろ、と先ほど万里にも言われて、だけど千景の言うカテゴリとはまったく別物で、どちらがより〝平和〟なのだろうかなんて考えた。
「俺も実際、先輩の関係者かなってちらっと頭をよぎりましたけど。昔のお相手かなとか。でも先輩が関わってなくても、あのナイフ……場所が悪ければ危なかった。そういうのを頭に置いて暮らしていけって言うんですか」
 今回のことは、至が知らないうちに、他人からの恨みを買っていた。そうでなくても、命の危険なんて日常にも転がっている。事件であったり事故であったり、自分の意思が介在できないものが。
 だけど千景のことに関しては、少なくとも自分の意思がある。
 危険かもしれないことは分かるが、それを表に出していたくない。危険だと認識して千景と触れ合うのは、それこそ彼に〝非日常〟を感じさせてしまうだろう。
「差し当たって俺が危険だなーって思うのは、先輩に足腰立たなくさせられたらどうしようとか、今日みたいに放置されてったらどうしよう、ってことくらい」
「……外せない用事だったんだ。仕方ないだろう」
「ふふ、男の人っていつもそう、ってとこですかね」
 立てた膝に頬を当て、千景に向かって笑ってみせる。
 別に、今回の情事が中途半端だったことには、それほど怒っているわけではない。無事に戻ってきてくれたのならば、それでいい。
 関係ないところで、至が怪我を負うという事件は起きたわけだが、それさえなければ、今、この瞬間が、互いにとっての日常であってほしかった。
「ねえ、埋め合わせ、おねだりしてもいいですか」
「は?」
 千景が不審げな視線を向けてくる。
 今回の放置の埋め合わせとなれば、普通は行為のやり直しを連想するだろう。寮ではしないという約束なのに、という千景の戸惑いが見えて、至は笑ってしまった。
「期待を裏切って申し訳ないですけど、ちょっと、一緒に……眠りたいなってだけですよ。俺は何もしません。先輩がしたければいいですけど?」
 日常が生まれるこの部屋で、千景の温もりを感じてみたい。それくらいなら、許されてもいいはずだ。
「……ベッド、狭くないか」
「我慢してください、それくらい」
「……一緒に、眠るだけ?」
「そう。先輩とは、そういうのしたことないでしょ。セフレなんだから当たり前だけど」
 千景が、チェアの上を見上げる。そこは千景の使うロフトベッド。百八十センチ前後の男が二人で横になるには、少々狭いだろう空間だ。
「……構わないけど、シャワーしてからでいいか。匂いが残ってる」
 ホテルでもシャワーをしたのに、千景はためらいながら口にする。至はどうぞと促し、自分も腰を上げて、千景のベッドに上がった。
 まさかこんな要望が通るとは思わなかったけどと、ひとりで笑いながら。

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