カクテルキッス3ーたった一度のI love youー

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まさか、こんなことになるとは思っていなかった。
海外公演という名目で、シトロンの気持ちを確かめにザフラ王国まで来るなんて。
引き留められなかった相手を、連れ戻すことができるのか。しかも、一国の運命を左右する、大切な戴冠式があるというのにだ。
そんなことがなければ、純粋に海外公演と旅行を楽しむこともできただろう。
(どう、なるのかな……)
シトロンの本当の気持ちを聞いて、連れ戻せるものなら連れ戻したい。
それが駄目でも、せめてガイが――シトロンが置いていった自称アンドロイドだった彼が、納得できる別れになればいい。
至は、綴の兄にもらった日本酒のミニボトルを眺めながら、グラスのカクテルを飲み干した。
「追加、頼むか?」
そんな至に、声をかけてくる男がいる。千景だ。
ふと振り向けば、テーブルに乗っていた大量の料理は、ほとんど平らげられていた。時差ボケとかないのかねと、他のメンバーを見て苦笑する。
「先輩好みの料理だったでしょう。いいんですか?」
「たくさん食べてきたよ。さすがにもう入らない」
肩を竦める千景にふっと笑い、至はミニボトルを鞄にしまい込んだ。
「さて、何にしようかなあ。茅ヶ崎は今何を飲んでたんだ?」
「え、あ……どれだっけ、これだ。美味しかったです」
「ベルモット・カシス? 茅ヶ崎にしては珍しいな」
「そうですか? たまにはこういう可愛いのもいいかなと思って」
ベルモット・カシスは、度数が高くない。フレンチベルモットとクレーム・ド・カシス、ソーダをステアし、オレンジとチェリーで飾るものだ。見た目がとても可愛らしいカクテルである。
「お前らしくないね。あと、それの意味はあんまり可愛くもないかな」
「海外に来た時くらい、いいでしょうが。意味、って?」
「〝あなたのためなら危険も怖くない〟」
至は目を瞠った。
こんなに可愛らしいカクテルに、そんな意味が込められているなんて。いや、考えようによっては可愛らしいのかもしれないが、危険を顧みないというのは、恐ろしいことでもある。
「シトロンのことが心配なのは分かるけどな。めったなことするんじゃないぞ、茅ヶ崎」
言って、千景は店員にザフラ語らしき言語でカクテルを注文する。
至はひとつ瞬く。さすがにこの状況では、シトロンのためなら危険でも構わないと取られかねない。そもそも至は意味を知って飲んでいたわけではないのだが、そうする要素はあるだろうなと思うのだ。
誰かのためになら、危険さえいとわずに、足を踏み入れる。
(あり得るからねホント……他の相手じゃ現実的じゃないけど、先輩じゃなあ……リアル過ぎるわ)
想う相手が、危険な組織に身を置いている。至が考えるより数倍、危険な目にも遭っているのだろう。つらい目にも、悲しい目にも。
いつか、密に訊かれたことがある。千景を好きかと。
あの時も、それなりに覚悟をして、好きだと答えたはずだ。
だけど今、あの時より数倍、千景のための覚悟がある。
(先輩が家族を守りたいと思うのとおんなじで、俺だって先輩を守りたい。そのためなら別に、……って、ないわーマジでないわ、俺のキャラじゃないっていうか、鼻で笑われそうだし)
らしくないというのは、自覚している。
体力も知略知慮もない自分が、千景を守りたいなどと思うのはおこがましいだろう。それでも、千景の傷が少しでも浅くなるのなら、たとえ危険があっても構わないから、何かしたい。
思うだけで、現実は厳しいけれど。
そう思って再度息を吐けば、目の前に新しいカクテルが置かれた。
「え?」
「茅ヶ崎に。フローズン・マルガリータ。食前に飲むことが多いんだけど、ま、いいよね」
クラッシュドアイスが使われた、見た目にも涼しげなものだ。
「あ、ありがとうございます。あの、これって……」
きっとこれにも意味があるのだろうと、ちらりと千景を見やるも、彼は素知らぬふりで自分のカクテルを受け取っている。
絶対にわざとだろ、と思いつつ、携帯端末でカクテルの意味を検索した。
〝元気を出して〟
目に飛び込んできた言葉に口許を引きつらせ、言葉をなくした。頬が赤くなっているのは自覚できて、千景から顔を背ける。
(意味が分からん! いや意味ってそういう意味じゃなくて、人の気も知らないで軽率にこんなことしやがって!)
また想いが大きくなってしまう。至は口許を抑え、深呼吸をした。今でさえ、体からあふれてしまいそうなほどに好きなのに、これ以上惚れさせてどうするつもりだ、と千景を憎たらしくも思う。
(元気出してって……先輩だって、元気なかったじゃないか……)
シトロンがいなくなって、みんな普通に振る舞ってはいたけれど、寂しさは誰も彼もが隠し通せていなかった。
特に千景は、シトロンに最後に逢ったメンバーだ。
シトロンの願いだったとはいえ、手を貸してしまった後悔や、後ろめたさもあったかもしれない。〝国に帰してほしい〟ではなく〝国に逃がしてほしい〟という、どこかちぐはぐな願いを受けて。
「美味しい、ですね」
テキーラやキュラソーとブレンドされた、冷たいカクテル。すっと喉を通っていく感触は、さっぱりとしていた。
「そう? 良かった」
「先輩のは? それ、何ですか?」
「……俺のはキャロルだよ。ちょっと、ブランデーベースが飲みたくてね。深い意味はない」
「この期に及んで、もったいぶるとかワロス。まあ検索すればすぐ出て――」
「〝この想いを君に捧げる〟……だったと思う」
端末に伸ばした手に、千景の手が触れてくる。操作を止めるつもりだったのだろうが、その言葉も相俟って、至の頬はボッと染まった。
「だから、深い意味はないって言っただろう」
「わ、分かってますよ。ただ、そういう気がなくてもね、ちょっとドキッとするでしょ」
?をついた。ちょっとドキッどころではない。心臓が飛び出るかと思ったのに。
「先輩、いつもそういう手口で口説いてるんですか」
「人聞きが悪いことを言うな。そもそも誰かを口説いた経験なんかない」
「イケメンおつ」
「つっかかるなよ。お前だってそうなくせに」
確かに至にも、誰かを口説いた経験なんてないけれど、それにしても千景はずるいと思う。
至は頭を抱え、無駄にときめいた心を落ち着けようと、深呼吸を繰り返した。
「でも、困りますよねある意味。口説きたい相手ができたとき、なんて言えばいいのか分からない」
「それはあるね。どう言えば落ちてくれるのか、どうすれば、他のヤツらより脳に残るのか。まあ俺の場合、そもそも同性という壁を乗り越えなきゃいけないんだが」
「あー。っていうか先輩でもそういうこと思うんですね」
「ん? 組織にいるうちは大事な相手作らない、とか?」
至は無言でいることで、肯定を返す。
いつか千景にも、そういう相手ができるのかと思うと、心臓が張り裂けそうに痛む。何度も想像してきたことだけれども、そのたびに胸が痛んで、胃が重くなる。千景の口から聞いたことで、余計に加算された。
「作らないよ。弱点になりかねないからな」
「ですよね……」
「それでも人肌が恋しくなる、正常な成人男子だからね。正直、茅ヶ崎が傍にいてくれて……嬉しいよ?」
「……俺じゃなきゃ殴られてますよ、それ。クズ発言」
ハハ、と千景は笑う。
線を引かれた気がした。至とは、何があっても特別な関係にはなり得ないのだと。
至は、千景のくれたフローズン・マルガリータを、涙と一緒に無理やり飲み込んだ。

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