カクテルキッス2ー愛のひとつも囁けないー

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それからというもの、二人は折に触れて体を重ねるようになった。
合図は、カフェオレの缶ひとつ。
休憩中に、外出戻りに、渡されるショート缶。二度目のあの日、きっかけとなったアイテムだ。
どちらかがそうしようと言ったわけでなく、そのひんやりとした感触と視線の交錯。それだけで意味を悟れるくらいには、二人は「大人」だった。
抱きたいも、抱かれたいも、何ひとつ言葉なく交わされる約束。ホテル近くのカフェで相手を待ち、LIMEが入ってくるのを待つ。
そんなことが、何度か続いていた。
今回は、至からの誘いだった。稽古のない金曜日、というのがこの関係の常だったが、たまにどうしようもなくそういう気分になったとき、翌日が平日でもカフェオレがやりとりされる。
あれから生まれた暗黙の了解――寮にはそういうものを一切持ち込まないこと。
密に気づかれ、責めさせ、つけないでいい傷を千景につけさせた。
あれだけは自分を責めたいと、至は今でも思っている。あのとき、どんな目で千景を追っていたか自覚をしていれば、千景が寮であんな暴挙に出ることもなかったのだと思うと、胸が痛む。
(仲良い相手に責められたらね、しんどいでしょ。いくら先輩でも)
本当はあのとき、千景が密をディセンバーと呼んだあたりから話を聞いていた。あの二人の間には、何かがあるのだと知って、最初に感じたのは、情けないかな、やはり嫉妬だった。
どうかすると密とさえ関係しかねない千景の闇を、垣間見てしまった気がしたのに、それよりも衝撃だったのは、〝終わるはずだから〟と千景が口にしたこと。
なぜそうなるのか分からなかった。少し考えれば分かったかもしれないが、あのときの至には、どうすれば千景の近くにいられるのかということの方が、重要だった。
だから二人の前に出て、続きそうだった言い合いを止めて、何でもないふりをしたのだ。
臣の作ってくれた夜食もほとんど喉を通らなかったが、無駄にするわけにもいかず、どうにか腹に収めて戻った部屋で、千景に伝えたつもり。
終わらせないでほしいと。
終わるなら、本当の気持ちを伝えて拒絶してからにしてほしい。そうでなければ終われない。至はずっと、千景を想い続けることになってしまう。恋に慣れているわけでもない至には、そちらの方が地獄だったのだ。
(ペテン師を騙すとかね、いつまでできるか分からないけど……マジ攻略マニュアルはよ)
千景を繫ぎ止めるゲームは、何よりも困難だ。
『今日ご飯いらない』――すっかりご飯係になっている臣に、そんなLIMEを送って、定時を三十分ほど過ぎて職場を出てきた。
千景はまだデスクに残っていたから、『お先に』とだけメッセージを送った。
そうして、いつものカフェで待つこと、二十分。頼んだラテは飲み干してしまって、口が寂しい。だが、もう一杯頼むほど時間もないだろう。
至は携帯端末でアプリを立ち上げて、ゲーム画面にログインした。
途中で千景が来ても、クリアするくらいまでは待ってくれる。何しろ職場でのエリートっぷりを知っていながら、寮での姿を見てもさほど驚かなかった千景だ。ゲームの一つや二つで、うるさく言ったりはしないだろう。
これからの目的を考えて、職場に近いところで待ち合わせるようなヘマはしていないし、幸い店内はほどよい客数でざわついていた。
とはいえ、エキサイトしすぎても、万が一知り合いがいたら「完璧なエリート」が台無しである。
時間潰しに、さほど盛り上がりもしない、見られても構わないパズル系のアプリを選んだ。落ちてくるアイテムを並べ替え、消し、ポイントやボーナスアイテムをもらう。時間制限つきのものならば、切り上げやすい。
至は端末の画面に指を滑らせながら、千景を待った。
いつだか、〝器用な指先だな〟なんて言われたことを思い出して、頬が染まったような気がする。
(先輩に言われたくないよな、アレ)
千景は指先が器用だ。咲也とのコイン勝負も、真澄に教える手品も、器用でなければできないことだ。
そうして至には、他の団員とは違う〝快楽〟を教えてくれた。
(惚れてなくても、たぶん先輩とのこれにハマってたわ)
もう何度、千景の毒に触れたのか分からない。何度、その毒を注がれたのか分からない。
指先から、唇から、猛る雄から、千景の毒をもらった。たぶんもう、他の誰とも性的快楽は得られないだろうと思うほど。
(……遅いな、先輩。まだ仕事終わってない?)
至はチラリと時計を見やる。定時からもう一時間も経っていた。連絡も入らないところをみるに、まだ職場なのだろう。何事もそつなくこなす千景にしては、珍しいことだった。残業している姿なんて、ほとんど見たことがないのに。いや、そもそも海外出張が多くて、あまり交流さえなかった相手だ。
しかしさすがに心配になってきた。案件を無理に片付けて、疲れているだろう彼に、ベッドの相手まで頼むのはどうにも気が引ける。
至はゲームを中断して、じっと待ち受け画面を見下ろした。
『今日はやめておきませんか』――そうLIMEを送ろうと、アプリを立ち上げようとしたところへ、ピロンッと小さな音を立てて、小さなメッセージがポップアップしてきた。
『悪い、急な出張が入った』
は? と目を瞠る。
慌ててアプリを立ち上げて、メッセージを読み直すけれど、先ほどと一言一句変わっていない。
(出張? このタイミングで? ……んな馬鹿な)
仕事はもう終えていいはずの時刻に、なぜ出張なんか決まるのか。上長の承認は取れているのか。邪魔してくれやがって、と至は眉を寄せて歯を食いしばる。
『やっとアポが取れた客がいる。これから逢ってくれるそうだ』
続けて入ったメッセージに、至は分かりやすく不機嫌に目を細めた。
(翌営業日におかけ直しください)
抱えていた案件が進むというのが、どれだけストレス回避に繫がるのか、至にも分かっている。それでも、よりによって今日でなくてもいいだろうと、どこだか知らないがその取引先の担当とやらを恨んでみた。
「……」
だが至は、千景いわく器用な指先で、返信のメッセージを打ち込んでいく。
『お疲れ様です。気をつけて』
送信してから、クソがと小さく呟いた。こちらの先約を優先しろとは言えない。恋人でもないのに、いや、恋人であったとしても、そんなことを吐いた途端に冷たく見下ろされるはずだ。
(めんどくさいの嫌いだもんなあの人。俺だってごめんだわ)
だけど、心臓が痛むことくらいは許してほしい。至は手の甲に額を預け、はあーと大きく息を吐いた。
(大丈夫、何でもない。そういう気分だっただけに、落差激しいだけだ)
逢えると思っていた。千景の熱を、毒を感じられると思っていた。
その期待が、ふしゅうと萎んでしまっただけだ。
寂しいだとか、担当との会合が終わってからでも逢いたいだとか、そんなこと言えない。
『正直、先輩がその案件に手こずってるの見ると、メシウマ』
『おい茅ヶ崎』
言えない分、からかい混じりの言葉で遊ぶ。
『それとも、裏のお仕事の方ですか? どんな取り引きなんだか』
少し間を置いてそんなメッセージを送っても、すぐに既読マークがつく。手は空いているらしく、それで安心できた。
『とある企業への非合法な侵入と、データの窃盗ってとこかな』
『なんかガチっぽいやつキタコレ』
そう打ち返すものの、千景のこんな噓にはもう慣れた。
怪しいと思うことは多々あるものの、危険な組織とやらに身を置いている人間が、こんなにのんびり劇団員をしているものか。
そう思うからこそ、言葉遊びを楽しめる。
『じゃあ気をつけて、先輩。俺帰りますね。あ、口止め料は魔法のカードでよろ』
『金額いちばん低くしてやる。茅ヶ崎も、気をつけて』
返ってきたメッセージに、思わず笑ってしまう。気をつけてと気遣ってもらえた。そんな些細なことに浮かれてしまうなんて、随分安い恋だ。
約束を反故にされたというのに、気分がいい。
至はにやける口許を端末で覆い隠し、空いた時間を有意義に使おうと、もう少しジャンクな店へと移動していくのだった。
 

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