カクテルキッス2ー愛のひとつも囁けないー

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ぶつかるかぶつからないかの震えで、時折歯がカチカチと音を立てる。
「茅ヶ崎さん? どうしたんですか? ちょっと、ねえ、顔真っ白ですよ!?」
デスクの傍を通りがかった女性社員に声をかけられ、至はハッと我に返った。
「えっ、あ、ご、ごめん何でもない……」
「何でもないわけなくないです!?」
「おい茅ヶ崎、お前ほんと顔色悪いぞ? 体調悪いのか、早く帰った方がいいんじゃ」
「タクシー呼びます? あ、でも茅ヶ崎さんマイカー出勤でしたっけ」
誰か送っていった方が、と続けられる会話のテンポに、思考がついていかない。
正直、仕事が続けられる状態でないのは本当だ。この動揺ではまともに〝エリート〟の茅ヶ崎至を保っていられない。
「あ、だ、大丈夫ですよ……でも、ちょっと、早退させてもらってもいいですかね……出社早々で申し訳ないんですけど」
こんなとき、外面だけは良くしてきた甲斐があると、実感する。誰も、何も、疑ってこない。
「一人で大丈夫か? 半休扱いにしておいてやるから、ゆっくり休め」
「すみません、ありがとうございます」
ちゃっかり上長の許可を取り、至は帰り支度を調える。
心配そうな顔の同僚たちに見送られ、エレベーターに逃れた。
髪をくしゃりとかき上げながら端末を見返すも、やはり既読がついていない。誰もいないエレベーターで、至はあからさまに舌を打った。
自分の車に乗り込んで、LIMEの無料通話をタップする。相手は、もちろん千景だ。
呼び出し音を鳴らす端末を、いつも千景が乗る助手席に乱暴に放り投げて、アクセルを踏み込んだ。
「出ろよ……出ろよ、先輩!」
メッセージには気づかなくても、コールには気づくだろう。どうか声を聞かせてほしい。そうでなければ、嫌な予感ばかりが頭を巡ってしまう。
「先輩……っ」
きっと千景は、あの火災に関わりがある。
そう思うのは、彼が時折自分に対して見せてきた態度のせいだ。他の団員には三本ほど引いているラインを、自分だけは、千景の方から引き寄せられているような、そんな感覚があった。自惚れではないと思う。体を重ねているせいもあると思う。
他人に対して張っている膜が、ほんの少し、薄いような気がするのだ。
だが、端末は呼び出し音を鳴らし続けるばかり。応答は一切ない。
赤信号で車を止め、握りしめた拳でガッとステアリングを叩きつけた。
「くそっ!」
至は端末を持ち上げて通話を諦め、ポケットにしまい込む。
千景のすべてを受け止められるなんて、自惚れることはできない。実際、どれだけも受け止められないと思う。
受け止めるつもりなんてない。
ただ、千景の目を見て話したい。今はそれだけしか頭になかった。
(どっかで、分かってた。あの人が……普通の世界には生きてなかったこと)
悔しさがこみ上げてくる。焦りで渇く喉をミネラルウォーターで潤し、乱暴に唇を拭う。信号が変わると同時に車を再発進させた。
気づかないふりをしていたような気がする。分かっていて、目を背けてきたような気さえする。
千景は平気で噓をつく。
それを知っていたから、千景の真実さえ、噓なのだと逃れさせてもらってきた。
(密なら……きっと先輩の居場所を知ってる)
千景のことを思うと、どうしても密の存在が浮き彫りになる。
彼らの間に何があったのかは知らないし、探ろうとは思っていない。きっと、嫉妬する自分に胸くそが悪くなるだけだ。
だが、密は千景をよく知っている。千景も密のことをよく知っている。それは事実であり、至には割り込むことのできない領域だ。
自分はただ、互いの合意と気まぐれで、体を重ねるだけの間柄であり、それ以上を望んでしまったのは至の方だけだと、ちゃんと自覚している。
踏み込んでほしくないのなら、線引きはするつもりだ。至にだって、踏み込んでほしくない領域という物はあるのだから、お互い様だ。
それでも、今回だけは逢って顔が見たい。
あの火災が、千景の引き起こしたものだとは思っていない。
火災の混乱に乗じて、データだの何だのを破壊しただけなら、すぐに戻ってこられる。任務が長引くようなものなら、千景はもっとうまく噓をつく。今までの出張が、そうだったのだろうから。
至が恐れているのは、千景があの火災に巻き込まれて、怪我をしているのではないかということだ。
会社に来られないくらい、寮に戻れないくらいの、怪我でもしているのだとしたら。LIMEも見られない、電話にも出られない状態なのだとしたら。
ざわりと背筋が震えた。
千景がどんな世界で生きていようと、MANKAIカンパニーの大事な一員なのだ。無事でいてほしい。
至は、法定速度をギリギリオーバーしない程度に抑え、MANKAI寮に向かった。
 

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