カクテルキッス2ー愛のひとつも囁けないー

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「あれ、至? どうしたの……随分と早いお帰りだね」
「東さん、ちょっと、……忘れ物ですよ。密います?」
慌ただしく玄関を開けると、冬組の雪白東の姿。
最初に見つかったのが彼で良かったと思う。東なら、何も聞かずにやり過ごしてくれるはずだ。それは冷たさとは違うもの。
「密なら、さっき中庭で猫とお昼寝していたよ。良い天気だからね」
「ありがとうございます」
挨拶もそこそこに、至は中庭へと向かった。なるほど東の言ったとおり、中庭のベンチの上に一人の男が丸まっている。密だ。
「密っ」
至は駆け寄り、密を揺り起こす。のんびり昼寝しているところを申し訳ないが、それどころではない。
「……ん……至……?」
「密、先輩がどこにいるか知ってるだろ? 教えて」
ゆっくり目を開けてくれた密を、正面から覗き込んで、単刀直入に訊ねた。
「……千景?」
「そう、卯木千景……っていうより、たぶん、……エイプリル?」
密が、はたりと目を瞬く。
少し逸らされた視線は、動揺なのか、それとも享受なのか。
「会社に来てないんだ。取引先にトラブルがあったって話になってるけど、違うと思う。木曜あたりからニュースになってる、製薬会社の火災……密もちょっと気にしてたアレ、先輩が関わってる?」
至の中の確信を、ひとまずの疑問符で飾って、密の表情をじっと観察した。どれだけも変わらなかったように思うが、密がそっと口を開く。
「火事は、エイプリルじゃない……たぶん、違うヤツ」
至はひとつ瞬いた。そこを疑っているように聞こえてしまっただろうかと。
「分かってる、そんなの」
ためらいもなく答えた。
〝エイプリル〟としての彼は一切知らない。だけど、今ここの劇団員をして、そんな馬鹿な真似をする男だとは思っていない。もっと言えば、自分の仕掛けたトラップで怪我をするような、馬鹿な男でもない。そう思っている。
「だから余計に怖いんだよ。先輩、怪我してるかもしれない。帰ってこない理由がそれしか思いつかないんだ。任務とかそういうのが残ってるなら、噓をついても連絡くらいしてくれる。それもないなんて」
きゅっと唇を引き結んで、こくりと唾を飲む。
血にまみれた千景を想像してしまって、胃がぐるりと回るようだった。
「至。千景を好き?」
怪我をしているならせめて程度が知りたい。そう思って眉を寄せる至に、密の声が降る。至は目を見開いた。
「密、今はそういうこと言ってる場合じゃ」
千景とのただれた関係は知られている。千景が大事にしている彼も、きっと千景のことが大事に違いない。その千景に関わるというのなら、ある程度の覚悟をしろということだろうか。
「……好きだよ」
自分の想いも言えないような覚悟で、卯木千景に近づくなと。
(好きだよ。危ないって分かってても、先輩がそれを良く思わなくても……どうしようもない)
「先輩には、言わないで。お願いだ、密……」
自分の想いは認めるけれど、千景には知られたくない。きっと何もかも終わってしまう。
「……住所、覚えて。あと、扉を叩く強さと回数、タイミング」
密の口から、住所らしき地名と番地、恐らく部屋の番号が発せられる。至はそれを一度で覚えて、頷いた。どうもノックの仕方にも、二人の間で決まりがあるようだ。手の甲でそれを覚えさせられて、ぐっと拳を握った。
「ありがと、密」
礼もそこそこに、至は中庭を離れて車に戻る。
カーナビに住所を入れようと、手を伸ばしたそこで、思いとどまった。千景が身を隠しているのなら、その場所は秘密の隠れ家のはずなのだ。ナビに入力したら履歴に残ってしまう。
こんなときばかりは、自分の記憶力と状況判断の良さに感謝した。
アクセルを踏み込んで、覚えた住所の方面へと車を走らせる。窓の外を流れる景色は、少し速いような気がした。
 

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