カクテルキッス2ー愛のひとつも囁けないー

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そうして何事もなく木曜が終わり、金曜日が過ぎ、至は土日のほとんどを部屋にこもって過ごした。
というのも、ここ最近千景と過ごしていたせいで、大分ゲームの方がお留守になってしまっている。
もちろんランクを大幅に落とすことはないのだが、一時期のように、何が何でも最大限の熱を入れて、ということはなくなったような気がする。
春組に入って、他のメンバーの熱意に気が引けて、辞めようとしたところを引き留められて、もう少し真面目に取り組んでみようと思い始めた、あの頃とよく似ていた。
(ゲームより熱くなるものなんか、ないと思ってたわ。ましてや、真面目に恋愛なんてな。クソほど一方通行だけど)
コントローラーを握る手も、できれば千景に触れていたい。画面を追う目にも、できれば千景を映したい。
明日になれば会社で逢える。出先から直(チョク)で行く予定だと言っていたし、そうなるとあと十時間ほどだ。
月曜日が待ち遠しいなんて、人生で初めてではないだろうか。
初めての男は、こんな些細な初めてまでをも持っていく。
勘弁してくれと、至はコントローラーを放り投げてソファに寝転んだ。
「マジ疲れる、ないわー……」
もしも次があるのなら、もっと楽な恋がしたい。
そう思う傍から、早く千景の顔を見たいと思ってしまうのだから、まったく始末に負えない。
気づかれてはいけないという後ろめたさとスリルが、余計に思いを増幅させているかのようだった。

「茅ヶ崎さん、おはようございます。何だか嬉しそうですね? いいことでもあったんですか?」
職場のエレベーターで一緒になった同僚に、そう声をかけられる。
「おはよう。そう見える?」
「見えます~月曜なのに、なんか羨ましい」
「ははっ、だけど別に、何があったってわけでもないんだよね~」
至は職場用の顔と声でそう答えた。内心で、危ない危ないと冷や汗をかきながら。
(やっべー、そんなに浮かれて見えんのか。気をつけないとな)
ようやく千景の顔が見られる――それだけで浮かれてしまえる、お手軽な恋。
誰にも言えないけれど、本人に伝えられもしないけれど、些細なことで幸福になれるのだ。
困った。相当溺れてしまっている。
至はきゅっと唇を引き結んで、ニヤけそうになる口許を戒めた。
そうして自分のデスクがある島に着いたが、千景の姿はまだない。寂しいような、心の準備をする時間ができてホッとしたような。
(心の準備って。ワロス。相手は先輩だぞ。……いるわ、準備)
はあ〰〰と大きなため息をついて、慣れたチェアに腰を下ろす。
千景に逢うには、心の準備がいる。恋心がダダ漏れにならないように、細心の注意を払わなければいけないのだ。
自分は同僚かつ後輩で、劇団員としては先輩で、ルームメイトでセフレ。何とも面倒な関係である。
ドキドキと胸が鳴る。
小学生じゃあるまいし、そんな初々しい想いだけではないのに、逸る鼓動が治まってくれない。
もう四日も逢えていない。寮で毎日逢えるようになってしまったからこそ、たった数日が長いのだ。
至はパソコンの電源を入れ、今日のタスクを確認しながら、どうにかして落ち着こうと、ゆっくり深呼吸を繰り返した。
だが就業時刻になっても、千景は出社してこない。
(……あれ?)
遅刻だろうか。出先から、直接出社すると聞いていたのに、定刻を三十分過ぎても姿を現さない。電車の遅延かもしれない。始めはそう思っていた。
だがさすがに一時間も来ないとなると、そんなものではないと思い始める。
至は携帯端末を覗き込むも、連絡は来ていない。
千景のデスクがある島をちらりと見やるも、誰かが慌てている様子はない。
みんな自分の仕事に精一杯なのか、それとも向こうのチームには、何かしらの連絡が入っているのか。
『先輩、どうしたんですか? 今日は出社予定でしょう』
至はそわそわとドキドキを抑えきれなくなって、個人LIMEにそうメッセージを落とした。
既読がつかない。もともと即レスをしてくるような相手ではないから、それは別にいいのだが、何の連絡もないのが気にかかる。
至は、思い切って向こうのチームに状況を聞いてこようと、腰を上げた。そのときちょうど、一人の社員が声を上げる。
「なあ、そういや今日卯木さんは?」
ピタリと動きを止めて、至はその場できゅっと拳を握った。
(それな。つかそっちにも連絡ないのか?)
「あれ、えーと……」
「ああ、卯木ならちょっとトラブルだって連絡あったぞ。なんでも製品に不具合があったとかでな。検証作業に立ち会い頼まれたらしい」
「えええマジですか」
(マジでか。つか何それ。それならそれで、連絡くらいくれたって……)
端末を見返すも、返信どころか、やっぱり既読もついていない。
トラブルがあったというのは本当らしいと、釈然としない思いを抱えつつも、椅子に座り直した。
「あーあ。今日の交渉、ついてきてもらおうと思ってたのになぁ」
「一人で行け。俺だって助っ人欲しかったわ」
千景は職場でも評価が高い。好きな相手の評価が高いというのは嬉しくて、じんわりと熱くなってくる胸を押さえた。
「そういや三課の拡販ルート広げるってヤツ、どこまで進んでんの?」
「あれしばらく無理でしょ。メインコラボの二次取引先、今大変なことになってんじゃん」
「……えっ、あっ、もしかして先週のニュースのとこ? うわー、キッツ~」
そんな会話が聞こえてくる。どうも別の課で展開していた拡販企画が、ストップするようだ。年度予算の計画に盛り込まれていたはずなのに、大きな痛手となるのだろう。
(先週のニュース? ……ああ、やっぱりあれ、取引先絡んでたのか……)
製薬会社が火災になったというニュースは、まだ覚えている。爆発があったなどという情報もあったし、火元の特定と原因の調査に入っていると報道されていたが、どうなったのだろう。社を挙げての新薬開発がなされていたのなら、損害はどれほどのものになるのか。考えたくもない。
今はそちらの対応に追われるのだろうし、生産ラインや研究がストップしてしまうのも仕方ない。
「だってさあ、研究室ほぼ燃えちゃったんだろ?」
「なんか研究データも全滅って聞いたわ。死ぬ」
(データ?)
「作ってた薬のサンプルもなくなっちゃったんでしょ? 怖いよねえ~」
「データのバックアップは? 危機管理とかどうなってんだろ」
(……サンプルもなくなった? 燃えた、……消えた?)
聞こえてくる会話の端々が、どうしてか至の頭に引っかかる。わりと最近、どこかで聞いたことがあるような気がした。
(待っ……いや、いやいやいや、ないわ。ない)
そういえば、と端末の画面をスワイプして、アプリを立ち上げる。
LIMEの履歴をたどる相手は、千景だ。
逢えなかった水曜日のログ。
『とある企業への非合法な侵入と、データの窃盗ってとこかな』
裏のお仕事ですか、と冗談十割で入れたメッセージに対して、千景が返してきたものだ。
もちろん冗談だと思った。今だって、そう思っている。思いたい。
あの火災のニュースが入ってきたのは、木曜の朝。つまりはこのメッセージがあった深夜、あの製薬会社で火災とデータの消失があった。
(待って……待て、馬鹿、そんなわけないだろ、ないわ!)
あの火災で、逃げ遅れた人たちがいなかったのは聞いている。避難経路や物の置き方に関して、消防法に違反していたという報道もされていない。
もし――もしあれが人為的な火災だったとしたら。人的被害が出ないよう、逃げられる時間を計算して起こされた火災だったのだとしたら。
本当の目的が、データの消失あるいは窃盗だったのだとしたら。
(先輩、侵入はいった、……の、か?)
嫌な仮定が、頭の中を廻る。
あの日からろくに連絡の取れない千景。トラブルに巻き込まれたというあやふやな情報。度々会話に織り交ぜられてきた、〝組織〟の香り。
ぞわ、と全身に鳥肌が立った。
(トラブルって、まさか……)
至は瞬きも忘れて小さく顎を震わせた。
 

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