カクテルキッス2ー愛のひとつも囁けないー

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数十分ほどして、至がシャワーから上がってくる。髪くらい乾かしてこいと呆れると、人の家でドライヤーの場所なんか分かるわけないと、反論された。
持ってきてやると、シャワーでさっぱりしたのか、至は上機嫌で温風を当てる。
まるで何でもない日常のようで、千景は苦笑した。
そんな日常はありはしないのにと。
「ねえ、もしかして、先輩が作ってくれてるんですか」
「他に誰がいるんだ」
「料理できたんですね。ほんとチートすぎ……」
呆れも諦めも混じらせて、至のため息がドライヤーの温風とともに空気を揺らす。
「大したものじゃないぞ」
「とか言いながら、なんか肉出てきたんですけど」
至はドライヤーをカチリと止めて、テーブルの方へやってくる。冷凍肉を使ったただのサフランチキンだが、千景とこういった料理のイメージが、どうも結びつかないらしく、口許はおかしそうにゆがんでいた。
確かに、作ることが特別好きというわけではない。が、スパイスの調合や買い込みは好きだ。そんなところを見るに、食べることは嫌いではないし、作るのもそれなりに楽しいのだろう。
「一時期、食べられないときが続いたけどな。こういうのは、嫌いじゃない」
至がテーブルに着くのを待って、トマトのファルシも追加して並べた。
オーガストの死と、ディセンバーの裏切りを知らされた頃、本当に何も喉を通らなかった。口に入れても、嘔吐感がこみ上げてきて、飲み込むことさえできなかった時期がある。
激しい怒りと、悔しさと、孤独。
それら全てが、生きることを拒絶しているかのようで、このまま死ぬかもしれないと思ったことさえ。
「……今は、そんなことないんですか?」
「そうだな……食べるのを忘れることはあるけどね」
「あー俺もたまに。ネトゲとか時間経つの早いんですよ。今は、臣の作ってくれる飯がうますぎて、食いっぱぐれたくないけど。まあ、あと、監督さんのもね」
至は胸の前で手を合わせ、小さくいただきますと呟いている。何だかんだで一般的なしつけを施されている彼を、羨ましいと感じてしまった。
ゲームに没頭して食べるのを忘れる、と何でもないように返してくる気安さに、笑える自分がいる。
千景が食べられなかった理由は、そんな軽いものではないのに、さほど重要なものでもないように受け止めてしまう彼が、憎らしくて、恨めしくて、眩しくて――愛しい。
「茅ヶ崎、何か飲む?」
「何があるんですか」
「日本酒と、ビール以外なら」
「マジか。……なら、この料理に合うもの、先輩のおすすめで」
「俺の?」
ん、と至が頷くのが見える。そう返されるとは思っていなくて、並ぶボトル類を眺め、そうして目蓋を伏せた。
「……何が出ても文句言うなよ」
「おk」
千景は、バカルディとコアントローを、シェイカーに量り入れ、レモンジュースを少し多めに入れる。
トップをはめて振ると、中の氷が音を立てた。押し上げて引き戻し、下げ、引き上げる。少しずつ速さを加えていくと、至の視線が、じっとこちらを見つめているのに気がついた。
「なに」
「いや、チートっぷりに驚いてるだけですよ。さすがにそれは予想してなかった」
「たまに作るだけだ。好みの味は、自分で作った方が早くてね」
シェイクし終えて、ショートグラスに中身を注ぐ。白いスモークのような色は、千景を満足させた。
そのグラスを、至の前に差し出す。
「初めて見ますけど、何ていうカクテルなんですか?」
至はそれをじっと眺め、千景を振り仰いでくる。どこかで、ホッとした。
そのカクテルの意味を、彼が知っていたらどうしようかと、期待と不安でいっぱいだったのだ。
気づいてほしくない、気づいてほしい。
自分でも、もうどちらの思いが大きいのか分からなくなっていた。
千景は眼鏡を押し上げて、レシピから話す。
「ホワイト・ラムと、コアントローっていうリキュール。あとはレモンジュース。レモンは少し多めにしておいたから、さっぱりしてると思うけど」
「へぇ……」
「カクテル名はXYZ」
「え」
至の体が、分かりやすく強張ったのが見て取れる。どういう意味で捉えたのだろうか。その反応を見るに、千景が込めた真実の意味には気づいていないのだろう。
それならそれでいいと、その方がいいと、千景は付け加えた。
「さすがに分かるか? それが、〝最後の〟って意味を持っていることくらい」
XYZはアルファベットの最後の三文字。噓偽りのない意味だ。
「あー、はい、さすがに。何だっけ、漫画でもありましたよね。もう後がないとか、助けを求める意味だとかって」
至の視線は、千景からずっと逸らされない。まっすぐに見つめてくるその瞳に、怯えはひと欠片もないように見えた。
「先輩。ひょっとして俺、知りすぎましたか?」
「……そうだな。お前の存在は、危険だよ」
「……ですよね」
至の存在に、心が乱れる。
鼓動が、分かりやすく跳ねる。本当に、危険な存在だと思った。
「茅ヶ崎、俺が怖いか?」
「はい」
迷いのひとつもなく肯定したにもかかわらず、至はようやくカクテルに視線を戻して、ためらいもなくグラスに口をつける。
その液体が至の唇を濡らし、口の中に流れ込むのを、千景はじっと眺めていた。
「え……な、に、これ、せんぱっ……」
至の手からグラスが落ちて、床で割れ、彼の体が傾いで倒れ込むのさえ。
どさり。
抱き留める資格はないだろうなと、彼の意識がないことを確認してから抱き上げる。
「……まったく、馬鹿な男だ……」
ひとまずリビングのソファに彼を寝かせ、食卓と割れたグラスを片付ける。ポケットに入れた小瓶の中身も、洗い流した。

 

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