カクテルキッス2ー愛のひとつも囁けないー

この記事は約6分で読めます。

「あれ、至さんまだ寝てるんですか?」
夕食の時間にも、至の姿はなかった。食事当番である臣が、心配そうに呟く。
至のルームメイトである以上、現状を確認されるのが千景だというのは仕方のないことだが、部屋割りを恨みがましく思った。
「ああ、さっき声はかけたんだけどね。寝ているみたいだったから」
「そうですか……消化いいもの作っておいた方がいいですかね、夜食にでも」
「いいと思うよ。まったく、茅ヶ崎はここでも甘やかされているな」
千景も食卓につき、ペスカトーレに自前のスパイスを掛けて口を運ぶ。
「ここでもって、職場でも?」
「甘やかされている至か……ふふ、可愛いね」
紬と東が、会話の中に入ってくる。千景は当たり障りがない言葉を選び、答えた。
「甘やかされてるというか、あの顔利用して自分の仕事を最小限にしているというか。周りが手伝ってしまう感じかな。もちろん、茅ヶ崎の能力が低いわけじゃない」
「ハハッ、至さん顔だけはいいもんなぁ。寮じゃあんななのによ」
「この劇団で、いちばん裏表が激しいのはアイツだろうな。まったく……二十二時就寝だって、何度言ったら分かるんだ」
至とゲーム仲間である万里が、節制を謳う左京が、それぞれに思ったことを口にする。
何だかんだ言いつつ、劇団の全員が〝茅ヶ崎至〟という人間を、ありのままに受け入れている。
それがどうしてか、嬉しい。
無意識に、口の端が上がった。
ふと視線を感じて顔を上げれば、御影密がじっとこちらを見ていた。怪訝に思って眉を寄せ、首を傾げた。
「密? なんだ」
「……別に」
それはすぐにふいと逸らされて、密の内面を見ることはできない。
不審に思いつつも、千景は目の前の食事を片付けることにした。
そうして、臣が至の夜食にと、冷製野菜ポタージュを作ったり、明日の朝食の下ごしらえをしている傍ら、リビングで劇団のメンバーと過ごす。
以前はあの家で過ごしていたが、公演を終えてからは、この場所を心地よく思うようになった。チャンネル争いをする賑やかさ、晩酌をする気楽さ、時折レッスン室の方から聞こえてくる、稽古の熱気。
改めて、自分のすべてを懸け、この劇団を守ろうと思った。
必要ならば、法に触れる罪を犯しても。
実際今、ディセンバーの生存については、情報を操作して気づかれないようにしている。
組織には〝恐らく死亡〟と報告しているし、表立った捜索は打ち切られた。
密が落ちたあの海は、潮の流れの関係で、自殺者がいても遺体はめったに上がらないとされている。生きて流れついた密は、よほど運が良かったのだろう。
自分がこの劇団にいることは、危険なことでもあるが、外にいるよりは守ることができる。
そうして、左京の決めた就寝時刻を大幅に回って、日付を越えてから、千景は一〇三号室に戻ることにした。
至は一度も顔を出さず、さすがに心配になってくる。まさか、あのまま眠ってしまったのではないだろうかと。風邪を引いてしまう。
だが途中の廊下で、背後から呼び止められた。
「千景」
ひゅ、と息を飲む。千景は背後を振り返った。
声をかけられるまで気配に気づかなかったのは、至のことに気を取られていたからか、相手が密だったからか。どちらであっても不覚である。
「なんだ、密。お前は相変わらず、気配を消すのがうまいな」
すっと目を細め、ほの暗い廊下で密と向き合った。
大人組も未成年組も、さすがに自分の部屋で、思い思いに過ごしている時間帯だ。余計に静かで、千景は声を潜める。
「どういう、つもり」
「……なにがだ?」
密の静かな声の中、ほんの少し怒りが込められているようで、不審に思った。
いつも眠そうにして、多くを語らないこの男は、千景以上に感情を出すのが不得手に思うのに。
「至に何をしたの」
ぎくりと、体が強張った。
まさか、至とのことを気づかれていたのか。血の気が引いていく。
怒りは責めに変わり、遠慮なく突き刺してくる。指先がすうっと冷えていくような感覚を味わった。
「千景、至はお前じゃ無理だし、至にもお前は無理だと思う」
ドクンドクンと心臓が鳴る。密はやはり気がついているのだ。夕食時のあの視線は、そういうことだったに違いない。
「至は駄目……」
「うるさい」
「千景」
「うるさいぞ、ディセンバー!」
ダン、と傍の壁を叩く。思わずコードネームの方で呼んでしまってから、ハッと口をつぐんだ。今はその名で呼ぶべきではない。彼は、ここで、御影密という名を受け入れて受け止めて、自分のものにしているのだから。
「……何を勘違いしているか知らないが、合意の上の関係だ。別に薬を盛ったわけでもないし、もっと言えば誘ってきたのは向こうだぞ」
やはり御影密という男は厄介だと、千景は震えそうな顎を隠すために口を覆う。気づかれているのだとしても、否定をしなければいけない。この毒で茅ヶ崎至を冒す男は、恋なんてしていてはいけないのだ。
「お前はどうか知らないが、俺にも性欲はあるんだよ。合意の上で近場で処理するのに、どうしてお前の許可がいる? アイツが駄目だって言うなら、お前が相手をしてくれるのか?」
く、と喉を鳴らして笑う。指先で密の顎を撫でれば、すぐさま払われた。
「オーガストみたいにすればいいの? 絶対に無理」
ハッと目を瞠る。返り討ちに遭った気分だ。
あの頃、たわむれにオーガストと関係を持っていたことも、密は知っていたのかと。
「密、俺は」
「別に怒ってるわけじゃない。オーガストとお前がそれでよかったんなら、俺が口出すことじゃない」
唇を引き結んで、ぐっと噛みしめた。
彼に対して恋情があったかというと、そうでもない。彼の方もそうだろう。
「でも、至は違う……何がしたいの」
責めて突き刺してくる視線に、不安と、不満が見え隠れする。遊びの相手にするなと責める奥、怯えが見えるような気がした。
「お前の都合だけで、至を傷つけないで、千景。ここは俺の居場所なんだ……あと、お前の居場所でもある。心地が良い場所。でも、俺たちがここにいることの危険性は、分かってるんでしょ……エイプリル」
千景はこらえきれず、密の胸ぐらを摑み壁に強く押しつけた。
密なら避けられただろうに、あえて受けてみせた彼に、腹の底から声を絞り出した。
「俺がなんのためにここにいると思ってる……! 守るって言っただろ、密……ッ」
危険なことは分かっている。だけど守るためにも、ここにいるしかない。眼鏡のレンズ越しに、共犯者たちの視線が重なる。
「劇団を壊すつもりなんてない。お前の、……俺の家族を巻き込むつもりも、もうさらさらない。お前が気をもむ必要はないんだ。守りたいなら、黙ってろ……!」
胸ぐらを摑む拳に力を込めて、摑めない自分の心臓の痛みをごまかした。
「それに、茅ヶ崎がどうこうという話なら、それこそ無駄な心配だ。アイツとはもう、……終わる、はず、だから」
声が沈んでいくのが自分でも分かる。心臓の痛みが増すのが煩わしい。
あんなことをしてしまったのだ、至が次を望むとは思えない。お互いの気まぐれと事故で始まった関係が、そんなに長く続くわけもない。
壊してしまったのは、千景の恋心。
「……千景……? お前、……あ」
密の声に、驚愕が混じった気がしたその瞬間、視線が左にそれる。
「至」
密が呼んだその声に、千景はさっと血の気が引いていく音を聞いた。
慌てて密の視線の先を振り向けば、気まずそうに顔を引きつらせた茅ヶ崎至が佇んでいた。
「うーわー……ナニコレ、もしかして俺、超修羅場に遭遇したかな」
「ち、が、さき」
声が震える。千景はパッと密の胸ぐらを放し、至へと素早く歩み寄った。
「お前、どこから聞いてた?」
「あの、先輩」
「どこからだと言ってるんだよ」
どこからでもまずいことには変わりないが、至への想いに気づかれでもしたら、どうしたらいいのか分からない。
「……俺がなんのためにここにいると思ってる、あたり……ですかね」
至は目を逸らし、静かにその部分を口にする。
千景はホッとした。いや、安堵できる部分でもないが、オーガストとのことや、至への感情を悟られそうなところでなかったのには、心の底から安堵した。
 

コメント

タイトルとURLをコピーしました