カクテルキッス2ー愛のひとつも囁けないー

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「……あのさぁ至さん」
「忘れろ、万里」
気まずそうに声をかけてきた万里を振り向けず、至は押し殺した声でそう呟く。万里が何を言うのか想像できるような、したくないような。
殴られるかもしれない。いつだか密が千景に対して怒っていたように、なんでそんなことしてんだと、怒りをぶつけてくるかもしれない。
「千景さんと付き合ってたんすか」
「付き合ってねーわ! っつーか忘れろ頼むから!」
万里が、ギシリと隣に腰を下ろしてくる。第一声がそれとは、万里は意外と純粋培養だったのかと、自虐的に嗤ってしまった。
「はァ?」
「付き合ってなんかねーわ、つかそれ地味にダメージ食らうから、ほんとやめろ、ガチで……」
付き合ってなどいない。そんな、双方向の想いがないと成し遂げられない、ハードルの高い関係は築けない。今だって、キスをすれば黙らせられると思っていたのだろう。所詮、想っているのはこちらだけなのだと、思い知らされただけだ。
「うわー、マジか、至さんの片想いかよ」
ハハッと万里の笑う声が聞こえる。片想いという単語がむずがゆかったが、至は少し視線を泳がせてからようやく万里を振り向いた。
「……否定はしないけど、引かないの、万里」
「なんで?」
「いや、なんでって……ヤロー同士でこんな」
言いづらい、と頬をかく。
同性愛や性同一性障害は、最近なにかと話題にされがちだが、身近でない限り所詮は他人事だ。
まだまだ偏見も多い中、劇団のみんなに知られたくなかった理由のひとつ。
「付き合ってはねーけど、寝てはいるんだわ、先輩と。落ちたのは俺だけで、ほんと笑えるんだけど」
「セフレってヤツなー。ま、確かに言いづらいか」
「万里のことだから、なに馬鹿なことしてんだって、殴るかと思った」
「俺そんなイメージっすか」
「わりとバイオレンスだろ、秋組」
否定はしない、と万里は笑う。そうして彼は膝の上で手を組んで、声のトーンを落とした。
「アンタが、千景さんのこと何とも思ってないのにそれだったら、確かに殴ってたかもな。でも……好きなら、別にいいんじゃないすか」
「……いや、よくはなくね?」
「なあ至さん」
「ん?」
万里が、膝に肘をついた状態で、覗き込むように振り向いてくる。今度こそ責められるのかと心の準備をしたら、
「俺、今付き合ってる人いるんすよ。劇団(ここ)に」
「は? そりゃおめでと、……って、え? 劇団(ここ)に? えっ、まさか監督さん?」
万里が真剣に交際している相手なんて、想像がつかなかった。しかしこの劇団内ということは、唯一の女性である立花いづみか、と考え、瞬時に真澄のことを思った。
「あ~それはそれで言いづら……」
あれだけいづみにアプローチしている真澄を差し置いて、というのは、確かに至とは違う問題があるのかもしれないと、同情しかけた。
「ちげーって。カントクちゃんは可愛いと思うけど」
「あ? なんだ、違うのかよ。びっくりさせん、な……」
だが至の予想は外れていたようで、苦笑が返ってくる。ホッと胸をなで下ろすと同時に、はたと気がついた。
この劇団内で、監督でない相手と付き合っているということは、つまり。
「え」
つまり、同性とである。
「……ガチで?」
「まあ」
「えええ全然気づかなかったんだけど何だよそれ! いつからっていうか……あの、相手は聞いてもいいもん?」
「紬さん」
「……はァあ!?」
ためらいもなく答えてきた万里に、至は目を瞠って思わずソファから腰を上げた。
「紬って、えええ、紬!?」
「うん」
慌てる様子も隠す様子もない万里に、脱力してソファに座り直す。
まさか紬と付き合っていたなんて、欠片も思わなくて、驚愕と、安堵がどっと押し寄せてくる。
「紬、紬かあ……なるほどねー」
そりゃあ至が千景を好きだと言っても、驚かないわけだと、背もたれに体を預け、天井を見上げた。改めて安堵する。
万里に、誰かに、否定されたり、拒絶されたり、軽蔑されたりしたら、心が折れるところだったと。
いや、叶わない以上、ここで折れていた方がいいのかもしれないが、もう少しだけあがいてみたい。
「あ、ちなみにもう一個カップルいんのな。そっちは俺が言うわけにもいかねーけど」
「はァ――!? なん……何なんだよこの劇団、ホモばっかりかよ……!」
がくりと項垂れて、頭を抱える。一人で、普通じゃないのだと悩んでいたことが馬鹿みたいだと、ひどく複雑な気分だった。
「いや、俺は女もイケっし。つか紬さん以外の男は無理。至さんも、……んー、ねーな」
「俺だってそーだわ、お前に欲情なんかしない」
「千景さんは? ガチなタイプ?」
「ん、あー……そうみたい。前からそういうのは匂わされてたんだけど、ちょっと二人で飲みにいったときに、な。一夜限りのはずが、なんで続いたのか、分かんない」
思えばあの最初のキスがいけなかったのだ。あれがそもそもの間違いで、すべての始まりだ。
それを考えるとやっぱり千景のせいで、悔しくて〝都合のいいオンナ〟には、とてもじゃないがなれやしない。
「惚れるなよって、言われてたのにな……」
自嘲気味に呟いて、いまだに募っていく千景への想いを実感する。
「あんなカクテル飲ませておいて、俺にまたキスするなんて、マジでずるい男……」
「カクテル? ってか、アンタ大丈夫なのか? 会社で倒れたって聞いたけど」
「は? ……あー、そういうことになってたんだ。別に倒れてないって。先輩んとこいただけ」
「仕事しろよ社会人」
「サボリ魔だったお前に言われたくねーわ」
う、と言葉に詰まる万里に、至は笑った。まだ、笑うことができる。
「ちょっとあることでトラブってて、心配だったんだよ、先輩が。でも、たぶん余計なことだったんだろうな、あの人には」
「へー。ま、詳しくは聞かねーけど、摑みどころねーもんなあ、千景さんは……」
「それな。優しく料理なんか作ってくれたと思ったら、XYZなんか出してきやがって」
「は?」
今思い出しても腹が立つ。〝最後〟という意味を持つカクテルに、睡眠薬なんか入れるなんて。あれが最後の触れ合いなのだろうかと考えることもできるが、それにしては先ほどのキスは熱っぽすぎた。
「カクテル、作ってくれたんだよ。意味知ってるだろ、お前なら」
「えっ、と、ちょい、待ち、至さん、それって」
「〝最後〟とか、〝もう後がない〟とか、もう終わりって意味だよな」
余計なことを知ってしまった至とは、これ以上続けていられない。そういう意味なのだろう。
千景の生きている世界のことを詳しく聞こうとも、やめてくれと出しゃばるつもりもないというのに。
「都合のいいオンナでいれば良かったのかね」
「いやいや、ちょっと待って至さん、何言ってんすかアンタ」
「は?」
「それ、意味ちゃんと調べた?」
引きつった笑いを浮かべる万里に、至は首を傾げる。調べるも何も、千景だってそう言っていたのに、他に何の意味があるのか。
「なあ、XYZって、アルファベットの最後じゃん」
「ああ、うん、だから――」
「あった、ほら、これ」
万里は携帯端末で何かを検索していたようで、その画面を至に向けてくる。
飛び込んできた文字を、万里の声が奏でた。
「〝これ以上ない〟〝これほどのものにはもう出逢えない〟――〝最後の恋〟だってさ」
見せられた画面には、確かにそう書いてある。
至は瞬きを忘れて、画面と、その向こうにある万里の顔を凝視した。
「え……?」
後がないというのは、これ以上ないとも捉えられる。最後に飲むカクテルとして、これ以上のものには出逢えないという意味もあるらしい。意中の相手と飲むのであれば、最後の恋にしたいと示すこともあるようで。
「両想いなんじゃねーの?」
鈍すぎ、と付け加えられた万里の苦笑が、数秒遅れて脳に届く。
「……――は?」
耳に慣れないその言葉は、千景の毒より強力に、至の頬を朱に染めていくようだった。

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