カクテルキッス2ー愛のひとつも囁けないー

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「解除できるか、メイ」
「十秒くれれば」
「任せる」
エイプリルはメイを背中にし、辺りを警戒した。組織で一通りの知識と技術を叩き込まれたとはいえ、電子機器に関しては彼に任せた方がいい。
しかし、この火事はいったいどういうことだろうか。謀ったかのかのようなタイミングで、こちらとしてはありがたいのだが、発火しやすい物でもあったのか。
いや、研究施設をしてそれは、あまりにも危機管理ができていない。実験用のマウスたちもいるのだろうに、火の管理がずさんなわけは――と思考を巡らせているうちに、メイがドアのロックを解除する。
「エイプリル」
呼ばれ、頷いて階段を駆け下りる。二人とも足音を立てないのは、組織での教育のたまものだ。
地下一階、四ブロック。そこに、今回組織が欲しがる機密情報があるはず。この火事騒ぎのせいで、警備員さえいなかった。
「指紋認証……強制解除、くそっ、面倒なアルゴリズムだな!」
「メイ、あまり時間をかけられないぞ」
「分かってる!」
さすがにこのフロアのセキュリティは強力らしい。語気が強まるのは、焦りか、むしろ好戦的になっているのか。
電子音が響く。アルゴリズムの解読に時間がかかれば、その先に使える時間が少なくなっていく。
エイプリルはグラスと端末をコードで繫ぎ、サーチシステムを最大限に活用した。
別の棟で発生している火災が、どんどん広がっていっている。ワンフロア延焼はまぬかれないなと思うと、駆けつけるであろう消防車の数と、見物人、固唾を呑んで見守る研究員たちの目から、どうやって逃れるべきか。
ルートを確保しておかなければ、こちらの命が危うくなる。火事でという意味でなく、誰かの目に触れたら、組織からの制裁があるからだ。どちらかというとそちらの方が危ない。
(上に行くのは危険だな。かといって、地下じゃ……)
元々のルートは、三階の連絡通路を渡って別棟に行き、そこから階下へ降りて東方面から逃げるはずだった。
だが上のフロアは、消火活動で人が出入りする可能性が高くなってきた。不用意に上がるわけにはいかない。
(地下からの避難経路……向こうか。カメラが近くにあるな。そこのカメラにも細工してる時間があるかどうか……やっぱりあまり使いたくないが……仕方ないだろう)
見取り図と、サーチシステムを重ね合わせる。数十メートル先に、非常口があるはずだ。使えるかどうか、グラスのモニタを拡大した。
おかしなことに気づく。
非常口の扉が、開いているように見えた。
いや、たった今、閉まった。
ということは、誰かが今使ったのだ。普通に考えたらここの研究員たちだろう。しかしそれにしては、自分もメイも、気配に気づかなかったなんて。
(気配がなかった――?)
ぞく、と背筋を何かが這い上がってくる。嫌な予感がした。
「よし、開いた! 来いエイプリル!」
非常口から出ていったのが、何者なのか確認しようとしたところへ、メイの声がかかる。
「モニターの映像は? 痕跡を残すわけにはいかないぞ」
「待て、今やって……どういうことだ、アクセスできない!」
「アクセスできないってなんだ!? 現地でやるって言ったのはお前だろう!」
「よそからの干渉があるんだよ! くそっ……」
研究室内のモニター映像を、一秒前の正常な室内動画に切り替えようとするものの、その回線にアクセスができない。それを行わないと、カメラに自分たちの姿が映ってしまう。犯行の一部始終が、残ってしまうというのに。
(よそからの干渉……?)
焦るメイの手元を眺め、エイプリルは先ほど閉まった非常口の方を振り向く。
まさか、と思った。
向き直りドアをそっと開け、中の様子を確認する。
人の気配はやはりない。全員が避難しているのだろう。
「メイ。アクセスできないなら、壊すかあとで消すかしかない。現物を確認してくる」
「エイプリル、待て! 指示は俺がっ……」
待ってなどいられないと、エイプリルはどれだけかの確信を持って中へと踏み込んだ。
ご立派な最新設備の整った室内が、足下の間接照明でぼんやりと浮かび上がる。新薬の保管庫は、このフロアを突っ切った奥のはずだ。素早く駆け寄ったが、ロックのかかっていない扉が、それを知らしめていた。
(やっぱり、ない)
厳重なはずの保管庫の中、それらしき物体は見当たらない。エイプリルは踵を返し、メイのところへと戻った。
「盗られてる」
「はぁ!? なんだよそれ!」
「どこのどいつかは知らないが、俺たちの前に侵入はいったヤツがいたみたいだ。たぶん、データやなんかも、根こそぎやられてる」
「……どけっ!」
エイプリルを押しのけて、メイも室内に入った。保管庫へ一直線に駆けるも、ややあって「なんでだよ!」という悲鳴にも近い叫び声が聞こえた。
「どういうことだよ! あったはずだろ!」
上から指示されたミッションは、現物とデータの確保。
現物どころかデータもないのでは、示しがつかない。早い話が、失敗だ。
「データも全部抜かれているな。手遅れだ」
エイプリルは、近くにあったパソコンの内部を確認してみる。この施設に似つかわしくない、まっさらな機械ガラクタでしかなかった。
恐らく、先ほど非常口から出ていった輩が、エイプリルたちより先に監視カメラに細工をし、データをコピーし新薬を持ち出して、痕跡をすべて消していったのだろう。
火災を発生させたのも、作戦のうちに違いなかった。研究員や警備員たちが避難して、ここを離れた隙の犯行を、計画していたようなのだ。
「メイ、引き上げるぞ。本部の指示を仰いだ方がいい」
「ふざけるな、出し抜かれたままで退けるか! 何か痕跡が残ってるはずだ、そいつらの情報探り出して、叩き潰してやる……!」
「メイ! 深追いはよせ!」
メイはエイプリルの制止も聞かず、自身用にカスタマイズを加えた端末をデスクに広げる。
もうどれだけもしない内に消防隊がやってくるはずだ。発見されるわけにはいかないのに、メイは頭に血が上っているのかと舌を打った。
確かに、失敗したとなれば何らかの罰則は下されるだろう。これまでの成績が悪ければ、放逐も考えられる。
組織の制裁に対する怯えと、出し抜いてくれた連中への怒りと、自身のプライドが、メイの正常な判断力を奪っているように思えた。
メイの指先は、端末やカメラへのアクセスから、どうにか痕跡を探り出そうとキィを叩く。いくつもの画面を同時に操作して、必死で挽回しようとする彼を、普段であればサポートしていただろう。
組織の制裁は、確かに恐ろしい。だが今のエイプリルには、それよりもっと恐ろしいものがある。
自分を受け入れてくれたあの劇団の生活が、壊れてしまうこと。
こんなとこで下手を打って、民間人に見咎められ、組織の不利益になるようなことをしでかせば、〝エイプリル〟に監視がつきかねない。それは即ち、卯木千景としての生活の崩壊である。
さらに、所属団体への調査が入るだろう。今は何の興味も持っていない組織も、エイプリルの隠れ蓑としてふさわしいのかどうか、調べるはずだ。
そうなったら、ディセンバーの生存が知られてしまう。それだけは避けなければ。
「メイ! 深追いするなって言っ――」
ひとまずここを離れた方がいいと、メイに手を伸ばしたその先で、ピ、ピ、という嫌な電子音を聞いた。
その、直後。
ドオオォォォオン!!
爆発音とともに、体が吹っ飛んだ。
「ガハッ……」
壁に叩き付けられ、飛んできた何かの破片が腕に突き刺さる。
痛みより先に、驚愕が襲ってくる。いや、何かしらの予感はあったような気がする。ざわざわと足下からせり上がってきていた不快感。あれは、エイプリルの危機本能を刺激していたに違いない。
爆弾が仕掛けられていたのかと、エイプリルは目眩の残る頭を振って、意識をはっきりさせる。衝撃でグラスはどこかに飛んでいったようだ。
しかしこの爆発は、こちらへの攻撃というより、自分たちの犯行の痕跡を消すためのものに思える。運悪く、ターゲットが被ってしまったのだろう。あからさまに敵対勢力がいたなら、あらかじめ対処もできたのに、おかげで予測ができなかった。
「くそっ……メイ! 無事かっ! メ――」
エイプリルは目を瞠る。そうして、細めた。
眼前で、ごうごうと燃え上がる炎。爆破されたいくつもの端末は、熱で溶けかけており、どこが元なのかも分からない。
そんな中で、爆発で破壊された機材の欠片に貫かれたメイの姿。
恐らく爆発物の間近にいたのだろう。確認するまでもなく、彼は絶命していた。
く、と喉を詰まらせる。もっと早く気づいて、彼を無理にでもここから撤退させていたら。そう思うと、後悔ばかりがエイプリルを襲う。
(勘が鈍ってる……平和ボケしやがって……!)
そう頻繁に組んでいたわけでもないし、個人的な交流はなかったものの、組織に属する意味では仲間でもあった。
その死は悼みたいが、ゆっくりしている場合ではない。まだ爆弾が仕掛けられているかもしれないのだ。早くここを離れなければ。
エイプリルは支給されている端末で、組織司令部へのアクセスを試みた。
「エージェント・エイプリル。ミッションコード668。本部、ミッションは失敗に終わりました」
『声紋及びコード確認しました。詳細を』
部屋を出て、非常口へと向かいながら呼び出せば、端末の向こうから抑揚のない声が返ってくる。
失敗したというのに、相変わらず感情を動かさないオペがいたものだと、妙なところに苦笑した。
「ターゲットがブッキングしていたようで、我々の前に侵入した者がいた。現物もデータも確認できなかった。仕掛けられていた爆発物でメイがロスト。痕跡が残る。至急処理班を向かわせてくれ」
『エージェント・メイがロスト・・・、了解しました。遺体の処理と情報の操作はこちらに任せてもらいます。エージェント・エイプリル、理由の如何問わず、任務の失敗はランクダウンになります。すぐにそこを離れて、次のミッションに備えてください』
「イエスサー」
抱えていたエージェントがロストしてさえ、あの組織はいつもの通りだと、いっそ安堵さえする。安心して、嫌悪することができる。
あとの処置は組織の専用部隊に任せようと、エイプリルは痛む半身を引きずって非常口へと向かい、商売敵が使ったであろう逃走ルートをたどった。
もちろん痕跡などなかったが、そこを使ったということは、ある程度安全が確保されているはずだと。
「……っつ、う」
腕に突き刺さる金属片。傷が疼いて、今になって痛みを自覚し始める。だがここで抜くわけにはいかないと、唇を噛んで足を踏み出した。
こんな任務がなければ今頃は、茅ヶ崎至を抱いていたのになと、この期に及んで恋い焦がれる。
この怪我では、しばらく寮に帰ることもできないかと、腹の中を不甲斐なさが這い回った。

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