カクテルキッス2ー愛のひとつも囁けないー

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高鳴る心臓に気がつかれないためには、どうしたらいいだろう。
チェックインした部屋のドアが開けられる直前まで、至はそんなふうに考えていた気がする。
だけど実際は、視線を重ねるより吐息を交わらせる方が先で、心音より先に衣擦れの音を聞いた。
「ぁ……っんぅ」
千景の左手が至の右肩を壁に押しつけるのと、至の左腕が千景の右肩に回されるのも、ほぼ同時。
誘うように唇を開けば、そのタイミングを逃さず千景の舌が入り込んでくる。ん、と鼻から抜けていくような息をして、奥まで奪わせた。
「ん、ッン……は」
舌を絡め合い、吸う。ちゅ、ぢゅっ、と立てられる水音は、至の耳を容赦なく刺激した。
千景の指先が、ジャケット越しに腕を撫でてくる。感じさせられる曖昧な熱がじれったくて、責めるように両手で千景のスーツを撫でた。
「茅ヶ崎」
唇を離した隙に吐息と一緒に呼ばれ、ぞくりと背筋を震わせた。声にさえ欲情してしまうなんて、気づかれたくない。そう思うのに、至の手のひらは応えるように千景の脇腹を撫で、胸を這い上がり、ジャケットのボタンを外していく。
「あ、待っ……んんぅっ」
千景の手が同じように至のジャケットを剥ぎ、熱のこもった手で腰を撫でていく。しゅ、とシャツを引き出され、素肌に触れられたときには、思わず肩を揺らした。
「は、……っはぁ、ん、待って、せんぱ……ちょっと、こんなとこで」
部屋に入るなり、壁に押しつけられたままだ。数歩先のベッドに倒れ込むこともできないなんて、いささか性急すぎないだろうか。
「物欲しそうに俺のスーツを脱がせておいて、何を言ってる」
「なっ、そ、……んなことっ」
してない、とは言えなかった。床に落ちた千景のジャケットは、間違いなく至が脱がせたものだ。カアッ、と頬の熱が上がる。誘いを受けてこんなところまで来たものの、怖くてしょうがない。
いつまで気がつかれずにいられるだろう。
至は決して、同性と性行為をするのが好きなわけではない。卯木千景というひとりの男に、どうしようもなく惚れてしまっているだけだ。
だけどこの想いに気づかれてしまったら、千景は容赦なく突き放してくるだろう。元々そういう恋愛絡みが煩わしくて、一夜限りでしか関係を持たなかったようなのだ。二度目の今日があったことさえ、至自身が驚いている。
心はきっともらえない。
体だけもらえればいい。
そう割り切るには、育ち始めた恋心は幼い気もするけれど、今はただこの男が欲しいのだ。
「先輩が……あんなキスするからでしょう」
至近距離の千景を見やって、瞬きひとつ。そうして視線を泳がせる。キスひとつでも舞い上がってしまったのが悔しい。快感と歓喜が混ざり合って、余計に欲望のレベルが上がるのだ。
「はは、そんなに気持ちよかったか?」
「分かってるくせに。そういうの、卑怯ですよ」
「褒め言葉かな」
「褒めてません」
ふ、と笑った千景の指先が、唾液で濡れた唇をなぞる。妙に艶っぽい視線に、ぞわりと肌があわ立った。
「キスする唇は素直なのに、ここから出てくる言葉はちっともだな。まあ、嫌いじゃないけど」
指先の軌道をたどって、舌先が通る。驚愕と期待で思わず顎を突き出せば、がしりと捕らえられ、深く、奥まで奪われた。
「んうっ、う……」
千景の口内へと連れ込まれ、強く舌を吸われる。じぃんとしびれるような熱に浮かされて、まともな呼吸も忘れるくらいにむさぼった。
「あ、先輩っ……ん」
ベルトが外されたせいで、スラックスが足を滑り落ちていく。バックルが床にぶつかって、カツンと音を立てた。まさか本当にこんなところで、と思っているうちに再び口が塞がれ、抗議はおろか、訊ねることさえできない。
「んっ、ん、ふ……んう」
千景の悪戯好きな指先は、わざわざゆっくりと背骨をなぞり、至の感度を上げていく。
パンツのゴムを押しやって入り込んできた手のひらに、ゆっくりと尻を撫でられた。びく、と体が震える。
足にうまく力が入らなくて、千景にもたれかかるようによろめけば、責めるように肉に指を食い込まされた。
「せ、先輩……ねえ、ベッド、すぐそこじゃないですか」
はあ、と湿った息とともにそう提案するのに、千景は聞いてくれそうにない。
「遠い」
「……んなわけっ……あ、ああっ」
肩を摑まれ、体がひっくり返される。とっさに手をついて、額が壁にぶつかるのだけは避けられた。
パンツを尻の下まで引き下げられて、素肌がひやりと外気に触れる。トントンと窄まりを指先で遊ばれて、思わず息を呑んだ。
「心配しなくても、ちゃんと慣らすよ。そう怯えるな」
「お、びえてなんかないですよ……!」
初めてじゃあるまいしと抗議しかけたが、二度目程度ではそう変わらない気もして、口をつぐむ。
あらかじめ用意していたのか、千景の手に使い切りタイプの潤滑油。ぬめる感触でそれを悟って、至は壁についた両手をきゅっと握った。
「は、うっ……く」
「茅ヶ崎、覚えてる? この間ここで散々よがったこと」
ぐ、と千景が指を進めてくる。それと同じ速度で背中にのしかかる重みと、シャツ越しに感じるベストの感触が、どうにも生々しい。
先週のことは確かによく覚えている。そこで散々啼かされたことも分かっているが、覚えているとも言いたくなかった。
「あぁっ……んぅ」
千景の指がどんどん無遠慮に入り込み、中を押し広げていく。
恐らくわざと立てているのであろう湿った音が、至の理性をむしばんでいった。
「茅ヶ崎、いやらしいな……この間ので、目覚めちゃったのか?」
「んぅっ! ん、あ、あぁ……」
引き抜かれていった指は、数を増やして再び突き立てられる。びくりと背をしならせて、至は壁に爪を立てた。ふるふると小さく首を振る。
痛みよりも快感が勝るのは、千景のせいだ。目覚めたというのなら、それはどう考えても千景の責任である。
「気をつけた方がいいよ、茅ヶ崎。ノンケがここで男の味覚えると、後戻りできないって聞くし」
耳元で囁く吐息。それは毒のようにじんわりと体の中に染み込んできて、指の先まで、髪の先まで侵されているような気分に陥った。
千景の吐息が、千景の声が、千景の指が、至を支配していく。それがどうしようもなく気持ちよくて、荒い息で喘いだ。
「はぁっ、あ……先、輩っ、先輩、いや……いやだ、こんな」
「……そそるね、どうにも。会社じゃあんなに完璧なエリート面してる茅ヶ崎が、俺の指でこんなに淫らになるなんて」
「ゆび、抜いて……くださ……あっ、あ、だ、め、いや……っ」
「慣らさずに突っ込まれたいのか? それとも、指じゃもう足りないっていう意味?」
千景の熱が欲しいとも、こんなところで求めたくないとも、どちらだとも言えないで、至はただ快楽を耐え首を振る。
だけど耐える傍から、ぬぢゅ、じゅぷりと聞こえる水音で、どんどん熱が上がっていった。
「せ……ん、ぱいっ、も……いい」
「なにが?」
その熱に耐えきれず、吐く息とともに訴えてみるのに、千景は相変わらず指を抜き差しするだけだ。至は恥ずかしさに奥歯を噛みしめ、だがどれだけも経たないうちに、与えられる快楽に負けた。
「奥、ついて、ください……もっと、ずっと奥が、いいっ……」
ドキンドキンと胸が早鐘を打つ。
これで聞き入れてくれなかったら、どうしたらいいのだろうかと思っていたが、千景が髪を撫でてくれたのに気がついた。
「手遅れだな、茅ヶ崎。お前もう、男の味を覚えてる。いつ物足りなくなって、男を誘うようになるか、ある意味見物だ」
その手の優しさとは裏腹に、低くて冷たい声が耳元で囁いてくる。至はぞわりと背筋を震わせ、思い切り首を横に振った。
「先輩だけで、いい、ですよ、こんなの……っ」
気持ちがいいのは当然だ。千景のテクニックもあるのだろうが、多分に恋心が加算されて、至はもちろん、千景にも予想外なほど、反応してしまっているにすぎない。
他の男なんて欲しくない。千景だけが欲しい。
そう言えたらいいのに、言ったら終わってしまう。
ズキンズキンと心臓が痛んで、泣き出してしまいそうだった。
「そう……だったら、したくなったらいつでも言えばいいよ、茅ヶ崎。お前が満足するまで、中……かき回してやるから」
「ひっう、ああっ……!」
千景の方こそが満足そうにそう呟いて、熱を打ち付けてきた。当然ながらまだ慣れきっていない衝撃に、至は声を上げ、ぎゅっと拳を強く握りしめる。えぐられる感覚に息を止め、一気に吐き出し、吸い込むのと同時に、千景が奥まで入り込んできた。
「きつ……」
熱い吐息が、耳元にかかる。欲情したその声音が嬉しくて、至はゆっくりと拳の力を抜いていく。
「もっと奥か……? 欲しいなら、力抜いて、茅ヶ崎」
「あ、あぅ……あ、で、でもっ」
欲しいのは事実だが、この状態でどうやったら力が抜けていくのか、もう分からない。力を抜けば、自分の体なんて支えていられない。
「ほんの少しでいい。ほら……」
「あっ、先輩……!」
今の今まで放っておかれた性器に、千景の手が伸びてくる。先端から垂れ流された先走りをなすりつけるように、包み込まれた。
千景を受け入れながら、千景に責め立てられる。逃げ出したいくらいの快感に包まれて、至は首を振る。
「い……いや、いやだ、先輩っ、そこ、さわら、な……ああっ」
だけど逃げ出そうにも目の前は壁だし、背後には千景がいるし、身をよじっても、えぐられる場所が変わってしまって、余計に墓穴を掘ってしまう。
「ああ、いい感じだ、茅ヶ崎……もっと奥に行こうか」
「いいっ、も、そこ、で……っ」
「へぇ、ここを、もっと……って意味かな? すごく絡みついてくるけど」
「ち、がっ、あ……ん、んんッ」
至を握り込んだまま、腰を引き寄せる千景の手。そのまま上下に揺すられて、目の前がチカチカと白く光った。
押しやられ、突き戻されて、ゆらゆらと胸元でネクタイが揺れ動く。散々に乱されている下半身と、喉元まできっちりと隙のない上半身。至はそれに気がついて、薄笑いを浮かべた。
(あー……ほんとこれ、ガチでヤるだけって感じだわ。いやまあそうなんだけど)
浅く、緩く、深く、速く使われる腰の動きにも、至を高めるための運指のひとつひとつにも、千景の荒い息づかいにさえ、こんなときあって然るべき、愛情の欠片も感じられない。
「……っ」
至は息を呑んで、両方の拳をぎゅっと握りしめる。
この男に惚れながらこうして抱かれるということは、それ相応の覚悟がいるということだ。
今の今まで、少しもできていなかった。
そっと目を開け、自分の体の下でゆらりゆらゆら揺れるネクタイを、じっと見下ろす。
乱れないままで、千景に乱されることができるのか。
「……先輩……っ」
とん、と奥をつかれてのけぞる。その顎を取られて振り向かされ、濡れた吐息が唇の手前で混ざり合う。レンズ越しに千景の瞳と出逢って、余すことなく暴いてやろうという意志の見え隠れするそれに、身震いした。
ちゅ……と唇が吸われる。ん、と喘いで吸い返す。
そのキスひとつで、至の心は決まってしまった。
(ヤバい、もう戻れないわ、これ)
覚悟などしておらずとも、千景の毒にはすでに全身が冒されている。ならば、この男からその毒を搾り取ってやりたい。
千景が今まで、どれだけの男を相手にしてきたのかはしれない。
だが、まだこんなにも毒を残しているということは、これまでの誰ひとりとして、千景の毒を受け止め切れなかったのだろう。
(我こそが、……なんてつもりはないけど。絞り取ってなくさないと、いつまでも溺れるままじゃん)
千景の毒が、千景の闇が、どこから生まれるのか分からない。増え続けるのか、どこかに捨てられる物なのかも、分からない。
「あっ、あぁ、だめ、そんなに、動かさ、ない、で」
「気持ちいいくせに……」
「やぁっ……あ」
だけどその毒にお互いが酔っているうちは、心の底など暴けないだろう。
(負けっぱなしはね、俺の名が廃るっていうか)
ゲームの世界とはいえ、至はそれなりに名を馳せているプレイヤーだ。ランキングは常にトップの勝利者である。その〝たるち〟が、こんな毒を搾り取れないとあってはいい笑いもの。
(あー……イイね、燃えてきたわ。セックスじゃなくて、いやセックスだけど)
至はすっと目を細め、ニィと口の端を上げる。
それは、ゲームに興じるときの顔とおんなじだった。
「茅ヶ崎、何考えてるんだ? やけに楽しそうだな」
それに気がついたのか、千景が横から覗き込んでくる。至はその鼻先に、唇を寄せた。
「先輩のことですよ」
「……へぇ、それはそれは。光栄だな」
「あ、やめ、いやだ、先輩っ、いい……あ、あっ、いく、いいっ」
欠片ほども信用していないような口ぶりで、千景は至を責め立ててくる。千景のことを考えていたのは本当なのにと、至は壁にすがりながら欲を放った。
「あっ、あぁっ、あ……」
達して敏感になった至を揺さぶって、千景も程なく達したようである。ずるり……と引き抜かれていく感覚が心許ない。無理に息を整えようとする千景の呼吸が、とても寂しかった。
「う……」
千景の腕が無責任にも離れていく。支えを失って、至はずるずると壁を伝い崩れ落ちた。
「は、あっ、はあ、はぁ、は……」
へたり込んで息を整えれば、どっと汗が噴き出してくるようだ。千景と対等でいようと思えば、これに慣れなければいけないのかと歯を食いしばる。
「もう、少しくらい、優しくしてくれても、いいんじゃないですかねっ、俺、初心者ですよ?」
「何を言ってるんだ、これ以上ないくらい優しくしてやってるだろう」
必死で息を整える間に、千景は自身の指で袖のボタンを外す。ひょいと二人分のジャケットを拾い上げて、ようやく部屋の中心部に向かっていくようだった。
「アレで優しいんだ……」
ド、ド、と音を立てていた心臓が、少し大人しくなってから、至は汗に湿る髪をかき上げて、怠い腰を足の力で押し上げた。
「本当だぞ、茅ヶ崎。普段あんなに丁寧に前戯してやることなんてない」
椅子の背にジャケットを掛けて、千景は肩からベストとシャツを落とす。至はしわののたうつスラックスから足を抜き、ピクリと眉を寄せた。
確かに、痛みのなくなるまで丁寧な施しを受けたのは間違いないが、この状況で今までの相手のことを口にするとは、なんてデリカシーのない男だろうかと。
「面倒かけてすいませんね。嫌なら俺なんか誘わないでください。どうせ、手近で面倒なことが少ないから選んだだけでしょ」
じわりと、腹の底から黒いもやが這い上がってくる。至の方こそ、千景の毒にあてられて、闇を生み出しているかのようだった。
今までの慣れた相手に比べれば、そりゃあ技術もないし千景を楽しませる余裕なんて、全然ない。
「もっと優しくすればいいのかな? 例えばどんなふうに?」
ため息交じりに歩み寄ってきた千景の指先が、ほどかれていない至のネクタイに伸びてくる。
至は何をどうをも答えられない。千景に対して、いったいどこまで望んでいいのか分からない以上、何を言っても本当の望みにはほど遠いのだ。
千景の指がノットにかかる。ぐ、と力を込められて、体が前のめった。そこへすくい上げるようなキスで迎えられる。どき、と胸が高鳴った。
「こうして、全部脱がせてあげれば満足かな。ネクタイをほどいて、ボタンを外して? 茅ヶ崎がそうされると興奮するって言うなら、考えてみるけど」
器用な指が、ひとつひとつボタンを外していく。なだめるというより、あやしてでもいるかのようで、至は悔しさに顔を歪めた。
「服くらい、自分で脱げますよ」
千景の手を覆って止め、絞り出すような声を吐く。
その手を強く引っ張り、すぐ傍のベッドへと放った。どれだけも力が要らなかったのは、千景からの抵抗がなかったせいだろう。ベッドの上で、わずかに跳ねた体をまたいでのしかかり、両腕の横に手をついた。
「二度と俺を他の相手と比べないでください、先輩。殺しますよ、マジで」
本当は優しくなくていい。体だけ重ねる間柄でも構わない。
ただそうする間は、誰のことも思い出さないでほしいのだ。
千景の毒にあてられたこの体は、限りなく殺意に近い思いさえ孕んでしまう。
まさか自分が、嫉妬なんて厄介なものを持ち合わせているとは思わなかった。至は、千景の横についた手でぎゅっとシーツを握りしめ、訴える。
「……比べたつもりもないけど、構わないよ。こうしている間は、お前のことしか考えない」
千景は二度ほど目を瞬いて、ゆっくりと眼鏡を外す。眼鏡をコンソールに置いたそのあとに、至の頬へと手を伸ばしてきた。
「おいで、茅ヶ崎。満足できてないだろう、お前も、……俺もね」
唇をなぞっていく指先に誘われて、至はゆっくりと身を寄せ、千景にそっとキスをした。

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