カクテルキッス4-ふたりの約束-

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キィを叩く音と冷蔵庫の音だけが響く、生活感のあまりない部屋。コンクリート打ち出しのままの壁は寒さを感じさせるけれど、今の千景にはそれ以上の悪寒を感じさせるものがあった。
愛機のキィを押して、千景はチッと舌を打つ。この作戦でも駄目だと。
ここ数日でいくつもシミュレートしたのに、成功するものがひとつもない。
「くそっ……」
焦りが生まれ始めているのには、自身でも気がついていた。
苛立ちがじわじわとわき上がってくるのを、ミネラルウォーターを飲むことでどうにかやり過ごしていたが、それももう効かなくなってきている。
千景は愛機をつけたままソファにごろりと寝転がり、ぎり、と歯を食いしばった。
「どうすれば……」
どうすれば、茅ヶ崎至を守り抜けるのか。
千景にとって大切な存在になってしまった以上、避けられない問題だ。
外にはもちろん、内にも敵はいる。むしろ、内の方が多いかもしれない。エイプリルという男を知っているからこそ厄介だ。
(四六時中一緒にいられるわけじゃない。あの寮には一応侵入者の検知システムつけてるし、会社でもめったなことにはならないだろう。いや、でも茅ヶ崎の感じていた視線が、組織のヤツらのものなら、会社だって危険だ)
敵の弱みにつけ込むのは、常套手段だ。実際千景――いや、エイプリルだって、何度もそうして命じられた〝敵〟を排除してきた。金銭、色事、暴力。時には殺人という罪を犯してもだ。
寝転んだまま、両手を翳す。こんな手で触れるべきではなかったと、後悔してももう遅い。
一度知ってしまった温もりを、感情を、なかったことにはできない。したくない。させたくない。
「茅ヶ崎……」
軽く握りしめた拳で目元を覆えば、浮かんでくるのは至の姿。
眠そうな顔だったり、ちょんまげ姿で夢中になってゲームをしていたり、よそ行きの顔で笑っていたり、真剣な顔で脚本を読んでいたり。心地よさそうに身をすり寄せてくる無防備さは、今は胸に苦しい。
(どうする……アイツを守るには、何をしたらいいんだ。密には頼めない。部下に頼むか? いや、私事で使ったりしたら、絶対にバレる。金をどれだけ積んだって、信用なんかできるか。やっぱり茅ヶ崎を閉じ込めるか? ゲーム環境とネット完備して、ケータリングの業者は徹底的に調べて――馬鹿か、稽古はどうするんだ。アイツは役者なんだぞ)
何をどうしても、どこかでほころびが出る。自分以外に信頼できるものなんかない。信頼していても、巻き込める相手ではない。
八方塞がりだ。
ひとつ。
ひとつだけ、すべてを解決する方法がある。至を守り、劇団の誰も巻き込まない方法が。
ただ、今の千景にそれを選ぶ勇気がないだけだ。
胃液が逆流してくる。ぐり、とひねり上げられてでもいるかのように、内臓がうごめく。
その方法を考えただけでこんなふうになるのに、実行に移してしまったらいったいどうなるのか。
至を何よりも大切にしたいのに、至のためにそれを選ぶことができない。
自分の臆病さを初めて知って、千景は目元を覆った拳を強く握りしめ、唇を噛んだ。

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