カクテルキッス4-ふたりの約束-

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「いらっしゃいませ」
店のドアを開けると、そう広くはないスペースにぎっしりと商品が並んでいた。
千景以外にも客はいて、思い思いのものを買い物かごに放り込んでいる。居づらい雰囲気は少しもなく、千景は少し店内を見て回ることにした。
そこは、タブレットにブックマークされていたスパイス専門店。品名を見ても、手に取ってみても、何に使うものなのかさっぱり分からない。
レシピ本も販売されており、値札にもちゃっかりとオススメされている。
ここでは常連の立場にあるのか、店員が軽く会釈をしてくる。千景の方は覚えてもいないが、当たり障りなくにこりと笑って会釈だけしておいた。
(そんなにスパイス好きだったのか……そういえば、監督さんとお店に出掛けたりってこともあったって、至が言ってたな)
至、と彼を思い起こして、ハッとする。万里が、千景は以前彼のことを、茅ヶ崎と呼んでいたと言っていたことを思いだした。
(茅ヶ崎って呼んだ方がいいのかな……でも、何も言わなかったし、覚えてない俺にそう呼ばれるのが苦痛なのかもしれない……)
至とは、今までどんなふうに過ごしていたのだろう。覚えていないのが悲しい。思い出せないのが悔しい。
自分のことより先に、彼と過ごしていた時間のことを思い出したい。
(職場が一緒ってことは、通勤も? 車……どっちが運転してたんだろう。お昼とか、一緒に行ってたんだろうか)
千景は商品を手に取り眺めながらも、頭の中に思い描くのは至の顔だった。
(なんでだろうな、至のこと考えると、毎回後ろめたさというか……気まずさがあるのは)
至を初めて見たときから感じていたのは、泣きたくなるような切なさと、胸を突き刺すような贖罪の思い。
(何かあったのかな、俺たち)
忘れてしまいたくなるような、重大な事件でもあったのだろうかと、ため息を吐く。
至の態度は冷たくないし、他のメンバーと変わらないように思う。喧嘩をしていただとか、そんなことはなさそうだ。
そもそも事故に遭ったのは夜遅くまで仕事をしていた彼を、迎えに行った時だというのだから。
(とっさだっただろうに、至をかばうほど……大事にしてたはずなんだけどな)
どうしてそんな相手を忘れてしまったのだろう。千景はだんだん気分が沈んできて、結局何も買わずに店を出た。記憶に?がりそうなこともなく、寮を出たときとは裏腹に憂鬱な気分だった。
その時。
ピロン、と可愛らしい音が聞こえた。ポケットにしまっていた携帯端末からだ。
(あ……)
それは、LIMEの受信音。至からのものだった。
『せーんぱい、なんかまたお見舞いもらっちゃったんで、持って帰りますね』
というメッセージの後、律儀に写真が送信されてくる。どこだかのブランドの焼き菓子のようだが、千景の好物というわけでもなさそうだ。
『モテんのも大概にしてくださいね、重いんですけど』
そして、怒っているような、キャラクターのスタンプが届く。
千景は思わず笑ってしまった。
『ごめん、至。受け取ってくれてありがとう。早く復帰できるようにするよ』
そう返して、ごめんねと謝るウサギのスタンプを送る。こういうスタンプが購入されてるとは思わなかったが、普段から使っていたのだろうか。
(卯木の卯ってことかな。お茶目さんだな、俺)
『運送のお礼は何がいいかな』
『別にいいですけど、そんなの。あ、やっぱピザとコーラで。夜食に食べる』
『分かった、宅配のヤツでいいんだよね? 欲しいの言ってくれれば、頼んでおくよ』
『えー食べたいのありすぎて決められませーん。帰ったらメニュー見ながら選ぶんでよろ~』
高いの頼もう、と追記され、千景は思わず目を細めた。不愉快さにではなく、胸の辺りがむずがゆくて、くすぐったかったからだ。
(可愛い……)
千景は目を見開いた。
(え、今……俺、なんて)
端末の画面から顔を上げて、再度見直す。
音にこそならなかったものの、他愛のないメッセージを可愛いと思った。メッセージそのものではない、メニューを見て悩むだろう至を想像して、なんの不思議もなくそう感じたのだ。
(可愛いって、至は男だぞ。何を考えてるんだ)
男性に対して、それは褒め言葉ではないかもしれない。千景自身、可愛いなんて言われたら顔をしかめてしまうだろう。至だって、姿形は整っていても〝イケメン〟の部類に入るはずで、可愛いという形容は合っていない。
合っていないはずなのに、違和感が仕事をしてくれないのだ。
至の仕種を、言動を、可愛いと思ってしまう自分に、違和感がない。
(……なんでだ)
そういえば、至が見舞いに来てくれなくて寂しかったことを思い出す。至の声や寝息に安堵していたことを想い起こす。
千景は頭を抱えた。
浮かび上がってきたひとつの可能性を、否定――しきれなくて。
(いや、違うだろ。違う。……はず。違うと思うけど)
もしかして、と考えてしまったその瞬間から、鼓動が速くなる。不愉快な高鳴りではないのが困りもの。
(だって俺が至を好きだなんて)
浮かんでしまった可能性が、体の中にすとんと落ちてくる。
好き、というのは、恐らく恋愛感情でだ。
それを肯定する理由はいくらでも浮かんでくるのに、否定できる理由がひとつも見つからない。強いて言えば同性だということくらい。
千景はあてもなく歩きながら、ガンガンと痛む頭を押さえた。
同性ということで、上手くいかない可能性は高い。最初から諦めたい気持ちはよく分かる。こんなことは誰にも言えないし、受け入れてもらえるとも思えない。
(あんまり、よろしくないだろ、中学生だっているんだし……多感な時期だ。あぁ……でも、万里と紬は、たぶんそうなんだよな。みんなが知ってるかは分からないけど)
朝、万里と紬の間に流れていた空気のことを思い出す。親密な様子は特別な関係を匂わせていて、隠す素振りもなかった。公認の仲なのかもしれないなと、千景は少し頭を休めるために近くのコンビニへと足を踏み入れた。
コーヒーでも買おうとドリンクコーナーへ向かって、目に入ったのはコーヒーでなくコーラ。色は似たようなものだが全然違う。
きっとさっき至が「ピザとコーラ」とLIMEしてきたからに違いない。千景はそれを認識して、自覚できるくらいカッと?を紅潮させた。
(違う違う、そうじゃない。そうじゃないけど。……違わない、気が、して……きた)
些細なことでも彼を思い出してしまうなんて。それが嬉しいなんて。
小さくうなりながら、ドリンク棚から無事に缶コーヒーを手に取り、レジへと向かう。
レジ傍のフードケースに、美味しそうなピザまんが誰かに買われるのを待っていた。それにまた反応して、挙動不審になってしまう。無糖と間違えて微糖を買ってしまったことなんて、小さな悩み事になった。

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