カクテルキッス4-ふたりの約束-

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「へえ、散歩ですか。人が必死で仕事してる間に、優雅なもんですね」
至が仕事を終えて帰ってきたのは、夜の八時頃。残業でもしていたのだろう彼からは、とげとげしい嫌みが返ってきた。
「……ごめん」
「いや冗談ですよ。先輩は休暇中なんですから、好きなことしててください」
素直に謝ったら、決まりの悪そうな顔でそっぽを向かれて、気分が沈んだ。以前はそんな冗談もすぐに分かっていたのだろうなと思うと、寂しくてしょうがない。
「で、どこ行ってきたんです?」
「えっと、このお店。なんかタブレットの方にブックマークしてあったから、よく行ってたのかと思って」
「あ??、なる。お気に入りのとこでしたね、そこ」
至がひょいとタブレットを覗き込んできて、呆れたように呟く。不意に香ってきたのは、彼のつけている香水だろうか。
思わず息を飲んで、顔を背けた。近い、と心の中で呟いて、視線をあちらこちらに泳がせる。
「じゃあ俺、ご飯食べてきますね~」
そんな千景の挙動には気づかずに、ひらひらと手を振って、至は一〇三号室を出ていく。ホッと胸をなで下ろし、彼が持って帰ってきてくれたお見舞いの品を確認することにした。
「甘そうなお菓子……これはそういう好意が含まれてるのかな」
どんな人からもらったのか分からないが、その気持ちには応えられそうにない。
(……至のこと、好きみたいだし)
困ったように眉を寄せて、千景は考え込む。この気持ちは、以前からあったものなのか、それともこの数日で生まれたものなのか。
だがこの安堵感を考えると、以前の自分も至に好意を抱いていたと考える方が自然だ。
病院にいる間、ずっと至の顔が見たかった。至に傍にいてほしかった。加えて、手を伸ばしたがるこの衝動。拒まれる未来が見えないのは、もしかしたら恋人同士として過ごしていたからなのではないか。
(そう考えれば、ぜんぶ説明がつくんだけど。なんで至は平気な顔して俺の隣にいられるんだろう? やっぱり違うのかな……まさか、俺の片想いだった?)
以前から、至に好意を抱いていたのは認識できた。そうでなければ、ずっと彼を視線で追いかけてしまう理由がない。密の言った言葉の意味も理解ができる。
〝至のことまで忘れるなんて〟
少なくとも密は、千景の想いに気づいていたはずだ。あの様子では、万里も知っていたに違いない。
問題は、至がそれを知っていたのか、どう思っていたのかだ。
千景はソファの上で頭を抱え、ぐるぐると思考を巡らせる。
b普通に考えれば、同性からの好意など煩わしいに決まっている。だけど、至は優しくしてくれた。同じ想いでいてくれたのか、それとも憐れみだったのか。
同じ部屋で、どうやってこの想いをコントロールしていたのか、以前の自分に訊いてみたい。
?がったロフトベッド、本当に手の届く位置で好きな相手が眠っている状況を、どうやって乗り切ってきたのか。
「至に……訊いてみてもいいのかな、これは……」
以前の自分が至とどうやって過ごしていたのか、気持ちを知っていたのかどうか、今また、好きになってもいいかどうか。
タブレットで、劇団の公式サイトを眺める。いや、正確には劇団員紹介ページ。もっと詳しく言うのなら、至のページだ。
個人の携帯端末に、写真は保存されていなかった。消えてしまったのか、もともと写真を撮らないタチだったのかは分からないけれど、至の顔をじっくり見ようと思えば、このページか実物か、だった。
(……触れたい、な)
つ、と指先で髪に触れる。もちろん画面越しでは感触は伝わってこない。冷たくて硬い画面が、千景を拒んでいるかのようだった。
至が部屋に戻ってきたら、勇気を出して聞いてみようと心に決める。思い出せなくても、傍にいたいのだと、千景はそっと目を閉じた。

至が夕食を済ませて部屋に戻ってくる。食事が済んだばかりで話題にするのもどうかと思ったが、至の希望だった宅配ピザのオーダーを開始した。
「あ、これサラミ追加で。あとイカも。チーズ増しで」
「そんなに追加するの? 具だくさんだな……」
「先輩の金だし、こういう時に贅沢しとかないと」
「なるほど」
千景はタブレットに指を滑らせながら、肩を震わせて笑う。こんなふうに甘えられるのは心地がいいと。以前もこんなふうに過ごしていたのだろうか。
「あ、これ美味しそう。俺も頼もう」
「えええまさかの便乗。先輩がこういうの頼むのは珍し……あ、すみません」
サイドメニューとしてポテトやチキンナゲット、デザートが並んでいる。千景はその中からアップルパイをチョイスして、カートに入れた。
それを至が珍しがったが、以前とは違うのだと気がついたようで、気まずそうに謝罪をしてきた。
「別に構わないよ。至とどう過ごしていたか、まだ思い出せないのは俺のせいだし。前はこんなことしなかった?」
「……はい、どっちかっていうと俺がこういうの頼むのに呆れてるみたいでしたけど」
「ふぅん。それなら、もしかしたら本当は至と一緒に食べたかったのかもね? 前の俺は素直じゃなかったっぽいから」
「そうですね。じゃあ一緒に食べましょ。コーラ追加してください」
至の希望通りにトッピングを追加したピザと、アップルパイとコーラと緑茶。割といい額になったが、千景は気にせずオーダーを通した。届くまでの間に、至は入浴を済ませるようだった。
こんなに楽しく過ごせるならば、思い出せなくてもいいかなんて考え始める。
至と特別な関係だったかどうかはまだ分からないが、宙ぶらりんを楽しむのも悪くない。以前がそうだったのならば、遅かれ早かれいずれ恋人同士になれるだろう。
それまでは、至をいちばん近くで見られる幸福に甘んじておこうと、彼が脱ぎ捨てていたスーツをハンガーに掛けて整えた。
そうして宅配のピザを受け取って至を待ち、部屋に戻ってきた彼がピザの箱を開けて、パッと華やいだその笑顔に心臓を撃ち抜かれる。
頭を抱えながらも、二切れほどピザを分けてもらい、二つ入っていた小さなアップルパイを二人で分けて、ドリンクで喉を潤した。
至はゲームが好きらしく、合間に食べる仕種がどうしても可愛らしい。途中でガチャというものをやらされて、なんだかよく分からないが至が喜んでいたのでよしとした。
贅沢な夜食を終えて、幸せな気分で就寝の準備をする。千景がこの寮で迎える二度目の夜は、とても充実したものだった。

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