No.289, No.288, No.287, No.286, No.285, No.284, No.2837件]

(対象画像がありません)

金色の曼珠沙華-006-

金色の曼珠沙華 2017.10.01

#シリーズ物 #ウェブ再録

 周り中が敵だらけだ、と顎を伝ってきた汗を拭う。背中を合わせた男からも、緊張が伝わってきた。生きるか…

金色の曼珠沙華

金色の曼珠沙華-006-

 周り中が敵だらけだ、と顎を伝ってきた汗を拭う。背中を合わせた男からも、緊張が伝わってきた。生きるか、死ぬか。今自分たちはその狭間にいた。
『ランスキー、表はやっぱり固められてるぜ。どうする』
『……どうするもこうするも、突破するしかないだろう。ルチアーノ』
 そう返せば、男は口の端を楽しそうに上げて、弾の装填をした。こんな状況で笑っていられる神経が理解できないと、小さく息を吐く。
『だーな。早いところこんなとこ抜け出して、いい女抱きてーわ』
『生きて帰って美女を抱く者こそが勝利者、か。お前そればっかりだな』
『うるせーよ』
 もう一丁の拳銃にも装填を終えて、セーフティを外す。その小さな仕草が、昨日とは違っていた。
 何げない仕草のはずなのに、少し胸が高鳴ったなんて、とてもじゃないが認めたくない。
 これはそうだ、あれだ、敵の中を突っ切らなければいけない状況で、アドレナリンが放出しているせいだ。そうに決まっている。
『行くぞ』
『うっせ、指図すんな!』
 二人で、同時に床を蹴る。銃身から飛び出していく弾丸は、敵の心臓を貫いた。
 だけど向こうも怯まない。数に物を言わせてこちらを始末する気だ。
 弾にだって限度があると、ランスキーは突破口を探す。その頬の数ミリ横を、ルチアーノの放った弾丸が掠めていった。風圧でか、頬が切れて血が流れ落ちてくる。
 その弾を撃ち放った張本人は、それくらい避けろやとでも言わんばかりに笑っている。ランスキーは仕返しにと、ルチアーノに銃口を向けた。
 それでもルチアーノが慌てることはない。知っているからだ。ランスキーの銃口が狙っているのは自分ではないことを。
『右!』
 ランスキーの声とともに、ルチアーノは頭を右へと傾ける。それと同時かもしくはそれよりも早く、引き金を引いていた。
 ルチアーノの後ろにいた敵が弾丸に倒れ、ルチアーノは避けた勢いで、右側に身を転がして敵からの弾丸を避け、ランスキーの足下を狙った。
 彼が敵を蹴り上げるタイミングに合わせ放った弾丸は、その向こうにいた敵の足を撃ち抜いた。
 素早く身を起こし、タ、タ、タンとまるでダンスでも踊るかのように、床の上でステップを踏む。無防備な背中を、敵を蹴り飛ばしたランスキーが自身の背で守った。もっとも、ルチアーノの背中でランスキーの背も守られているわけだが。
 ルチアーノが左腕をそっと押さえる。言葉にこそしなかったが、打たれたのだろうと推察したランスキーは、そこをさらに狙われたりしないように、庇って体をズラした。
『ランスキー、五秒、援護しな!』
『あァ!? なに言ってやがんだ、ルチアーノ、おいっ!』
 答えも聞かずに、ルチアーノは突破口にできそうな場所を突っ走っていってしまう。
 勝手な男だ、と思いつつも、ランスキーは彼の進路を邪魔する敵たちを撃ち抜いていった。



「なあ、ちょっと休憩挟まねぇ?」
「あ、ああ……ちょっと走りすぎたな……」
 ルチアーノとランスキーから、摂津万里と兵頭十座に戻る。
 熱が入りすぎたのはふたりとも自覚していて、自分に戻った途端汗が不快に感じられた。今すぐここで冷たいシャワーを浴びたいくらいだ。まあそんなことできるわけもなく、シャツの襟でぱたぱた仰ぐくらいしかできないのだけれども。
(足首……やっぱりちょっと痛むな)
 十座はわずかに眉を寄せ、ジクジクと痛む足首に視線をやった。役に集中している間は気にならなかったが、兵頭十座に戻った途端痛みを認識してしまった。
「かっけ~ッス二人とも~!」
「あ? トーゼンだろ」
「ああ、タオル悪いな太一」
 これくらいヨユーだよ、と太一からタオルを受け取る万里を尻目に、十座もまた太一からタオルを受け取り、鏡張りになった壁の傍に腰を下ろす。
 そこにドリンクを置いていたというだけで、別に――左京の傍に腰を下ろしたわけではない。
 十座はそうしてから気がつき、気まずい思いを隠そうとタオルで汗をかいた顔を拭った。
(頭ん中でこの人どうこうしてるなんて……誰にも知られたくねぇ)
 左京をネタに欲を放てば、終わった後は、罪悪感と背徳感と情けなさと、嫌悪感さえ襲ってくる。夜を越えてしまえば、また左京を欲してしまう自分が、なんとも浅ましい。
「随分入り込んでたな、兵頭」
 その左京に声をかけられて、十座は飛びはねそうな心臓をジャージの上から押さえ込んだ。気づかれないように、ゆっくりと左京を振り仰ぐ。
「せ、摂津のヤローがアドリブ入れてくるんで、なりきらないとやってらんねぇんす」
「ああ、切り返しがスムーズだったな。上手くなったじゃねぇか」
 左京の声のトーンが少し上がる。演技指導をしている弟子の成長が嬉しいのだろうか。いくら十座が鈍くても、それがお為ごかしでないことは分かる。
 上手くなった。たったそれだけの言葉が、嬉しい。昇天しそうなほど、嬉しい。
(左京さん……)
 もっと観てもらいたい。もっとアドバイスしてほしい。同じ舞台で、同じ世界で演じていたい。
 一回りも歳が違う自分が、左京とつながっていられるものはこれしかない。だから誰に笑われようと、そしられようと、演劇の世界からは離れたくないのだ。
 たとえ、生涯に一度の恋を押し込めて我慢して、諦めてでも。
「そういやお前、足首は大丈夫なのか?」
「え?」
「さっき左足庇ってただろう」
 十座は、左京を振り仰いで目を瞠る。確かに今日、いつの時点かで足首を痛めたのは事実だが、それは誰にも言ってない。
「俺に休めって言う前に、自分の心配するんだな。足の痛みを甘く見んなよ」
「し、湿布は貼ったんで……多分大丈夫だと思うっす。まだできる」
「まあ言っても聞かねえだろうとは思ってたが……続けるんだったら、殺陣は控えろ」
 左京だけが気づいてくれたのかと思うと、浮かれそうなほど嬉しい。心配してくれる左京が、やっぱり大好きだ。
(我慢しようって決めた直後にこれだ……勘弁してくれ、左京さん)
 胸が締めつけられる。
 左京の気遣いは、純粋に仲間への想いであって、十座のような恋情があるわけではない。
 それは分かっているのに、また左京への想いが大きくなってしまった。


#シリーズ物 #ウェブ再録

(対象画像がありません)

金色の曼珠沙華-005-

金色の曼珠沙華 2017.10.01

#シリーズ物 #ウェブ再録

 違和感に気づいたのは、四限が終わりを迎える頃。 昼食前の体育は空腹感を煽って、体力的にも精神的にも…

金色の曼珠沙華

金色の曼珠沙華-005-


 違和感に気づいたのは、四限が終わりを迎える頃。
 昼食前の体育は空腹感を煽って、体力的にも精神的にも疲弊感が募る。
 チームを組んでのバスケットボールは、いつも十座のいるところが勝ってしまう。というのも、誰もディフェンスに来られないからだ。
 ドリブルをしても、シュートをしても、誰も手を出してこない。パスを受けるチームメイトさえが眼力で怯え、ろくにアシストしてやれない。
 チーム戦が苦手だというのは以前からで、あまり楽しいものでもなかった。それでも体を動かすのは好きで、何とかコート上を走ろうとしたのだが。
「……?」
 足首に時折鈍い痛みが走る。軸足にして体を翻すとき、足を踏み込むとき、ズキリと痛む。
 我慢できないほどではないが、普段にはないせいで、意識がそちらに向かってしまった。
(足、もしかしてどっかでひねったのか……?)
 今の授業でか、それとも朝のランニングの時か。
 十座はほんの少し考え込み、ハーフタイムまで待とうとボールの行方を視線で追う。こちらにパスは回ってきそうにないと、歩調を緩めた。
(稽古までに治るか……? あんまり動かさない方がいいんだよな、多分……)
 体育の授業よりも、断然稽古の方が大事だ。今日は朝の稽古がなかったし、夕食後の稽古に参加できない事態など御免である。
 もっと上手くなりたいと朝思ったばかりなのに、鍛錬を怠ることはできない。
 十座は休憩になったのを機に、チームを抜けた。「先生」と話しかけた教師までもが、ビク、と体を強張らせたのには、思わず苦笑してしまった。
「ぬ、抜けるのか。じゃあ誰か交代……田崎、お前入れ。保健室行かないでいいのか?」
「……平気っす」
 ハーフタイム終了とともに、コート外でプレーを見ていたクラスメイトが、代わりにコートに入っていく。
 それまで十座と組んでいたチームメイトたちの顔が、明らかに安堵したものに変わった。たとえ勝てなくても、のびのびプレーしたいのだろう。
 その気持ちは、十座にもよく分かる。たとえどんなに下手くそでも、のびのびと芝居がしたい。
(秋組の連中は、俺を怖がるとかしねぇもんな……他の組のヤツらも、会話の中に入れてくれっし……)
 十座は体育館の隅に腰を下ろし、どちらのチームを応援するでもなく、再開したゲームを眺めていた。
 ボールが床を叩く音、シューズが床をこする音、ボールを受け止めてゴールネットが音を立て、歓声が上がる。
(殺陣がうまくいくたびに、客席から歓声が上がる。それに気づくのは最初の方だけで、夢中になってくると全然聞こえなくなるけど……幕が下りて、でけぇ拍手が聞こえるんだ。あれは、すげぇ)
 一度知ってしまったあの快感を、忘れることなんてできない。
 誰になんと言われようと、この先何があろうと、芝居を続けていたい。
(似てんな、どれもこれも。一度知ったら、抜け出せねぇ……)
 あんみつの美味しさを知っている。
 芝居の楽しさを知ってしまった。
 恋情を覚えてしまった。
 十座はじっと手を眺め、あんみつを食べるための、芝居の仕草のためのこの手で、左京を抱き締められたらいいのにと眉を寄せて、口唇を噛んだ。
 できるわけもないと、ぎゅっと握りしめてゆっくりと息を吐き出す。
(あのひとを抱き締めたら、どんな感触なんだ……。なんか芝居の役の上でも、そういうのありゃあいいんだが、……って、んなこと考えてるって知られたら、張り倒されるな)
 大好きな芝居を、そんなことのためには使えない。
 そこまで思って、項垂れた。
 そんなことでは済ませられないほど、気持ちは大きくなってしまっている。
 芝居をすることが好き。古市左京が好き。
 芝居をすることで、より深く左京を好きになってしまう。
 左京を好きになることで、より広く芝居に興味が出てしまう。
 それらを切り離して、どちらかを諦めることなどできやしない。もうそんなところまで、想いは成長してしまっていた。
(どうすりゃいいんだ……いっそ言っちまった方が楽になれんのか? 抱き締めたいって、触れてみたいって、……アンタが好きだって?)
 言えるわけねぇ、と大きく息を吐く。
 良くて殴られて終わる。悪くて劇団から追い出される。
 どう考えたって、幸福なことにはなりそうもない。
(今は、傍で見ていられるだけでいい。稽古の時だって一緒だし、時間が空いてりゃ自主練につきあってくれる。……それで、満足してろ)
 いつかそれだけでは満足できなくなるのだとしても、今十座が左京に求めていいのはそこまで。芝居に打ち込んでいれば、少なくとも左京の不興を買うことはないはずだ。
(夜の稽古は……一緒にできればいい……)
 それだけでいい。何度も何度も自分に言い聞かせて、呟きそうになる好きだの三文字を、無理やり飲み込んだ。


#シリーズ物 #ウェブ再録

(対象画像がありません)

金色の曼珠沙華-004-

金色の曼珠沙華 2017.10.01

#十左 #シリーズ物 #ウェブ再録

 ランニングの途中、お気に入りの店に差しかかる。お気に入りといっても、入ったことはない。いつも店の前…

金色の曼珠沙華

金色の曼珠沙華-004-


 ランニングの途中、お気に入りの店に差しかかる。お気に入りといっても、入ったことはない。いつも店の前で立ち止まって、精巧な造りのメニューサンプルを眺めているだけの、甘味屋だ。
 学校帰りや休日に店の前を通ると、いつも賑やかなほど客が入っている。その大半が女性客で、同じ年頃から年配まで、層は幅広いようだ。
 あまり言いたくはないが、十座は甘い物が好きだ。
 特に、あんこたっぷりのあんみつなんかは大好物なのだが、強面であることが邪魔をして、店でそういう物を食べたことがない。
 通販を行っている店であれば、取り寄せてこっそり食べられるのだが、実店舗となるとそうもいかないのだ。
 強面の高校男子が、ひとりであんみつなど、果たしていいものかどうか。
 いや、悪いわけではないのだが、注文をする時に、怖がられたらどうすればいいのか。
 オーダーを運んでくる店員を怖がらせたら、どうすればいいのか。
 怖がられることは今まで多々あったけれど、怖がられたくないときにどう対処すればいいのか、十座には分からない。
 だからこうして、早朝誰もいない店先のサンプルを眺めるくらいしかできないのだ。
 以前、勇気を出して入ってみようかと店先でうろうろして、失敗したこともあった。誰もいなければ、迷惑をかけることもない。
(怖がられることは、怖い)
 十座はひとしきりサンプルを堪能して、またランニングを再開する。
 こんな時に浮かんでくるのは、左京に言われた言葉だった。
『怖がられることには慣れてるって、強がるな。怖がられることを怖がったって、なんにもおかしいことはねぇんだぞ。まあな、俺は怖がられてなんぼだが、お前はただ強面ってだけで、一般人なんだから』
 いつだか、学校の帰り偶然に出逢った時だ。
 誰もが友人たちと連れ立って下校している中、十座はたった独りだった。天馬も太一も用があるとかで、時間が合わなかった時。
 足を踏み出すごとに、周りの人間が十座を避けていく。怯えは充分に伝わってきた。
 それを、いつから左京に見られていたのか分からない。けれど、学校を離れて少ししてから声をかけられた。恐らくは自分の職業を気にして、すぐには声をかけてこなかったのだろうことが窺える。
 自販機の前、左京の指から離れて投入口に入っていく硬貨の音が、やけに大きく響いたことを覚えている。
 何がいい、と訊ねられて、思わずミルクセーキを頼んでしまったのだが、左京は特に不思議に思うこともなく、ボタンを押してくれたのだ。あざす、と受け取った缶は程よい温度で、ささくれた心を癒やしてくれた。
 別に、逃げ出したいほど辛いわけでも、泣き出したいほど悲しいことでもなかったのだが、左京に指摘されて初めて、自分が考えているよりも、重く心にのしかかっていることに気がついた。
 そして、怖がられてなんぼだと言った左京の横顔が、寂しそうだったことにも。
 怖がられることが、嬉しいはずはない。
 左京はそれでも、左京の世界で生きていくために必要なことだと受け入れている。
 抱き締めたいと思ったのが、多分最初の感情。
 それからずっと、左京を目で追ってしまっていた。
 それを恋情と自覚して、劣情を自覚して、左京への態度が少しぎこちなくなったこともあったが、幸いにも旗揚げ公演とかぶっていたせいか、全員が全員、気づく余裕もなかった。
 旗揚げ公演の千秋楽、左京の迫真の演技は本当にすごかった。
 何度も飲み込まれそうになって、ラストのアドリブが、それまでの気迫を殺すほど優しさに満ちていて、また、古市左京というひとを好きになった。
 少しでも近づきたい。同じ舞台で演じていたい。できることなら、あの時味わった感覚を#十左 左京に味わわせたい。
 自分以外の誰かになれる――その憧れで始めてしまった芝居に、理由が新たに付加された。
 芝居をしていれば、どこかで左京とつながっていられる。
 まるで絶望的な想いでも、その小さな幸福は誰にも阻ませたくない。
(もっと、うまくなりてぇ。もっと……もっとだ……!)
 鍛錬は、裏切らない結果をくれる。十座は気を引き締めて、ぐっと地面を蹴った。


#シリーズ物 #ウェブ再録

(対象画像がありません)

金色の曼珠沙華-003-

金色の曼珠沙華 2017.10.01

#シリーズ物 #ウェブ再録

 早起きをするのは、苦手でもないが好きでもない。授業で体育があった日の翌日だけは、どうしても早く起き…

金色の曼珠沙華

金色の曼珠沙華-003-



 早起きをするのは、苦手でもないが好きでもない。授業で体育があった日の翌日だけは、どうしても早く起きられないが、それ以外の時なら、こうして目覚ましより早く起きている。
 眠りが浅かったというのもあるだろうが、まだ陽の昇りきっていない朝靄を眺めるのは悪くない。
 十座は、いつものようにランニングをしてこようと、玄関のドアを開けた。
「うわっ」
 その向こう側から、小さな声。十座は驚いて目を瞠った。ドアの向こうに、左京の姿。後少しタイミングがずれていたら、ドアがぶつかっていただろう位置だ。
「さ、左京さん? 悪い……いるとは思ってなくて」
「いや、俺もまさか開くとは思っていなかったからな。すまない」
 朝から左京の顔が見られた、と、十座は小さく胸を鳴らす。
 早起きは三文の得だと言うが本当だなと、思わず緩んでしまう口許を押さえた。
 しかしそこで、あれ、と思う。なぜこんな時間に外にいたのだろうかと。
 左京が、早朝にトレーニングをしているところなど、見たことがない。てめーら体力馬鹿どもと一緒にするなと、稽古中に言っていたのを思い起こせば、秘密の特訓というわけでもないだろう。
「なんだ、こんな時間からトレーニングか?」
「……っす」
 だがよく見てみれば、左京の顔に疲れが見える。ような気がする。十座は中への道を空けつつも、すれ違う左京の顔色を窺った。
「そうか。熱心なのもいいが、あんまり無茶するなよ。オーバーワークって言葉くらい知ってんだろ」
「左京さん」
 ぽん、と背中を叩いていく左京の腕を掴んでしまったのは、とっさだったと想う。
「兵頭?」
「それ、そっくりそのまま返す。アンタまさか、今まで仕事してたんすか」
 振り向いた左京の顔色は、やはり良くない。人間が本来睡眠している時間にまで仕事をして、平気なわけがないのだ。その時は大丈夫でも、疲労は必ず蓄積していく。
 もしかしたら、今日だけではないのかもしれない。
「組で接待が入ってたんだ。仕方ねぇだろうが」
 左京は気づかれたことに眉を寄せ、せっかく掴んだ腕を振り払ってくる。不愉快そうなその声に、十座の方こそ眉間にしわを寄せた。
「アンタらの世界の常識ってヤツは分からねぇが、こんな時間にしか帰ってこられねぇようなとこなのか? そんなに大事な相手だったんすか」
 左京の職業は、ヤクザだ。特に違法性が強いことをやっているわけではないと聞いてはいるものの、その世界の具体的な事項は分からない。
 稽古の前後で仕事にでかけ、朝まで帰ってこられないなんて、相当体に負担をかけているのではないだろうか。
 特に、左京や十座の所属する秋組は、アクション色が強い。今だって殺陣の稽古を強化しているところだ。
「ボスが帰らねぇのに、俺が帰れるわけねーだろ。オトナの世界にはいろいろあるんだよ、ガキ」
 呆れたため息を隠しもせずに、左京は睨みつけてくる。十座は接待とやらを経験したこともないし、ボスとやらの立場に相当する相手がいたこともない。畏怖され、いつだって独りだったのだ。
 だから左京の言うことは、理屈で理解できても体験として納得ができない。世界の違いもあるし、年齢の差だってある。
 ぞわり、と肌があわ立った。
 手を伸ばせば届く位置にいるのに、十座にとって左京はとてつもなく遠い存在だ。
 住んでいる世界が違う。
 年齢が一回りも違う。
 ガキ、と音にされたその言葉で、初めて実感してしまった。
(なんで……どうしてアンタなんだ、左京さん)
 ズキズキと心臓が痛む。ストレッチのような、気持ちのいい痛みではない。クイで打ち付けられるような物理的な痛みでもない。
 どうすればこの痛みが消えていってくれるのか、十座には分からなかった。
「確かに……俺はガキっすけど、左京さんを心配したら駄目なんすか」
「てめーに心配される謂われはねぇ。仮眠したら稽古に出るが、少し遅れるかもしれん。摂津に言っとけ」
 煩わしいとでも言わんばかりに、左京は再び背を向けてしまう。十座は腹の底から苛立って、トレーニングシューズを脱いで左京を追いかけ、追い越した。
「今日の朝稽古はナシだ。摂津に言ってくる」
「あァ? 兵頭てめぇ、今俺が言ったこと聞いてなかったのか」
「聞いてたからだ。無茶なことしてんのはアンタの方だろ左京さん。若くねぇんだから、休め」
 先ほど左京に言われた「ガキ」という単語に反発するように、十座は語気を強めて言った。
 そうやって仕返しをしてしまうところが、曰く、ガキなのだろうけど、左京を心配する想いに、ガキもオトナもない。
「お前な……。旗揚げが成功したからって、気ぃ抜けねぇだろうが。それにはやはり日頃の――」
「左京さん。怒るぞ」
 長いうんちくが始まる前に、十座は左京を振り向いて、正面から言葉を投げつけた。
「日頃の稽古が大事だっていう、アンタの言い分はよく分かる。だけど俺には……俺たちには、アンタは大事なひとなんだ。無理をしてほしくない」
 うっかり「俺には」と限定しそうになって、言いよどむ。
 秋組は、誰が欠けてもいけない。リーダーである摂津万里はもちろんのこと、ムードメーカーである七尾太一、過ぎるほどの気配りで場をまとめる伏見臣、年長者としてアドバイスをする古市左京。
 そこに、半端ないほどの情熱を持って芝居に挑む兵頭十座が加わるのだが、十座自身はそれを自覚していない。それはともかく、劇団に左京は必要な人材だ。
 それを隠れ蓑にして、一個人としても左京を必要としていることを丸め込む。
「頼むから、朝は休んでてくれ。他のヤツらだって、そう言うに決まってる」
 無茶をして、万が一にでも倒れたりしたら、気が気ではない。どうしてもっと強く止めなかったのかと、自身を責める事態に陥るだろう。
 この恋が叶わないのは仕方ないが、だからこそその分、古市左京というひとを大切にしたいのだ。
 十座のそんな真剣さに驚いたのか呆れたのか、左京がぱちぱちと目を瞬く。そうして、ふっと噴き出した。
「ふっ……は、ははっ……くくく」
「左京さん? ……なに笑ってんすか。俺は真剣にアンタを心配して――」
「いや、すまねぇ、馬鹿にしたわけじゃなくてな。ハハッ……っふ、ヤクザ相手に、【怒るぞ】ってなぁ……なかなか言えねぇもんだぜ」
 左京は、どうしても笑いが漏れてしまう口許を押さえながら、噴いてしまった理由を告げてくる。
 悪意があって笑ったわけではないのだと安心して、十座は目を瞬いた。
「左京さん、俺……アンタがそういうのだってときどき思い出す。アンタを、そういう意味で怖いとは思ってないっす」
 左京の、ヤクザとしての仕事ぶりを見ていないせいもあるのか、どうしても結びつかない。
 反社会的な団体への恐怖は、稽古中に怒られるのが怖いという現象とは、まったく違うカテゴリの怖さだ。だがそれを左京に感じたことがない。
「だから俺は、ヤクザのアンタに怒りたいんじゃない。秋組のメンバーとして、だ、大事な相手に、無茶をしてほしくないって言ってるんす」
「兵頭……」
 気持ちを言葉にするのは不得手だ。生来の不器用さに加えて、言葉というものを知らない。……いや、伝える術を知らない。今まで、この強面のおかげで、言葉を伝える前に拳が飛んできた。
 どう言えば、左京に伝わるのか分からない。
「左京さん、頼む」
 分からないなりに、ストレートに伝えてみた。
「…………分かった……」
 頷くまでは通さないとばかりに、左京の前に立ちはだかり、十座はついにその言葉を引き出すことができた。
 左京は気まずそうに顔を背け、ため息を吐く。不服そうではあるものの、願いを聞き入れてもらえて十座はホッと顔の筋肉を緩めた。
「悪い、そうやって心配されること、あんまりなかったから……」
「え、でも……迫田さんとか」
「アイツはうるせぇ。というか、迫田に本気で心配させるようなことはしてねぇはずだ。お前が大袈裟なんだよ」
「そんな顔色してよく言えるなアンタ……ちゃんと睡眠取ってんすか?」
 十座の問いかけに、ぐ、と言葉につまる左京。その様子では、ろくな睡眠も取っていないのだろう。
 ヤクザというものはそんなに忙しいものなのか。その世界を知らないことが、こんなにももどかしいと思ったのは初めてだ。
「……ヤクザにガンつけてんじゃねぇ。分かった、ちゃんと寝るから」
「本当っすか」
「信用ねーな」
「信用してないわけじゃない。心配なだけだ。アンタが寝るの見てからじゃねぇと、落ち着いてランニングにも行けやしねぇ」
「ハ、なんだ、子守歌でも歌ってくれんのか」
「寝付きが悪くなるだけだと思うが」
 心配しているということを、あまり真剣に受け取ってくれない。そんな左京に、若干のいら立ちを覚えながらも、冗談が言えるうちはまだ大丈夫なのかと、横をすり抜けていく左京の横顔を見送る。
 こんな時「劇団仲間」でなく、友人だったり恋人だったりしたら、引きずって部屋に放り込んで、眠るまで見届けていられるのに。
「左京さん、あの、本当に……体、大事にしてくれ」
 今の自分では、そう願うことが精一杯だ。
「分かった分かった、ランニング、気をつけていけよ」
「……っす」
 振り向かないままで、ひらひらと手を振ってくれる左京の背中をじっと眺め、これ以上は踏み込めないなと踵を返し、当初の目的を果たすことにした。

#シリーズ物 #ウェブ再録

(対象画像がありません)

金色の曼珠沙華-002-

金色の曼珠沙華 2017.10.01

#シリーズ物 #ウェブ再録

 は、は、と荒い息がその個室に響く。 べっとりと濡れた手を見下ろし、兵頭十座は焦燥感に襲われた。 カ…

金色の曼珠沙華

金色の曼珠沙華-002-


 は、は、と荒い息がその個室に響く。
 べっとりと濡れた手を見下ろし、兵頭十座は焦燥感に襲われた。
 カラ……とトイレットペーパーを引き出してちぎり、自身の体液で汚れた手を拭う。それを白い便器の中に投げつけて水を流す頃、ようやく呼吸が整った。
「……笑い話にもならねぇな」
 いや、まだギリギリ笑い話ですんでいるのだろうか、と十座は大きく息を吐く。
 兵頭十座は古市左京を抱いている。想像の中で、だ。現実の話ではない。ギリギリ笑い話というのは、そういうことだ。
 扉にもたれ、ぐしゃりと髪をかき混ぜる。日に日に、渦巻く欲が大きくなっている気がする、と。もちろん測定しているわけではないし、そんなものどうやって測定するのかも分からないが、感覚の問題だ。
「頭冷やしてこねぇと……」
 十座はトイレを出て、浴場に向かった。この時間帯、団員は全員風呂の時間を終えて、自室なり談話室なりでそれぞれの時間を過ごしているはずだ。
 十座とて、同室の相手がいなければそこで過ごしていたことだろう。だがこの劇団では基本的に二人部屋。悲しいことに、ルームメイトは劇団一いけ好かない相手だ。年頃の男子の生理現象とはいえ、自慰をしているなんて絶対に知られたくない。
 しかもオカズにするネタが、あの古市左京だなんて、死んでもだ。
 浴場の電気を点けず、十座はスタンドシャワーのブースに向かう。ひねった蛇口は、水の方だった。
 ザアッとノズルから降ってくる冷たい水は、とろけてしまった十座の心を固めていってくれる。
「間違って、手ぇ出さねぇようにしねーと……本当に殺される」
 ぼそりと呟く。
 想像の中で左京を組み敷いて、体を暴き、欲をぶつけるこの行為は、どうにも乱暴だ。
 それが現実になってしまわないように、こうして冷やして固めておかねば、世界が変わってしまう。
 恋というものが、こんなにも厄介なものだなんて思いもしなかった。
 そう、恋だ。
 兵頭十座は古市左京に恋をしている。
 冷水で頭を冷やす時間が経つにつれ、十座の意識はすっきりと晴れていく。
 その分、左京への感情を改めて実感することになってしまって、いたたまれないのも事実だった。
「なんで……あの人なんだ……」
 自覚している範囲で、初めての恋だ。
 硬派な強面というイメージが、小さな頃から定着しているせいか、女はおろか男の友人さえできなかった十座が、まさかまともに恋なんてできるはずもなく、この歳まで生きてきた。
 なんの因果か、初めての恋の相手が年上の男性とは。
 叶うわけがない。受け入れてもらえるわけがない。まるで絶望的な恋だ。
 混乱しなかったわけじゃない。最初はなんの間違いかと思った。
 左京を目で追っているのに気がついた時も、彼の演技に惹かれて、できることなら技を盗みたいと思ってのことだと感じていた。
 左京に名を呼ばれるたび胸が跳ねるのも、何か怒られるようなことをしただろうかと、怯えが先立っているのだと感じていた。
 だけど、よくやったなと笑顔を向けられたその瞬間。
 稽古の熱で、首筋を流れる汗を見たその瞬間。
 役の上とはいえ、真剣なまなざしと出逢ったその瞬間。
 恋をしているのだと、気がついた。
(言えねぇけど。誰にも。こんなこと……おかしいんだ。左京さんを……あんな風に抱きたいなんて、思ってねぇのに)
 触れたいとは思っている。口唇に、肌に、体のすべてに。だけど左京は、想像の中でさえ受け入れようとしてくれない。
 そりゃそうだろうなと十座は苦笑して、冷たい水の降ってくるシャワーを止めた。
 ふうーと息を吐く。熱は冷ました。どうしても浮かんでくる左京の顔も頭を振って打ち消した。恋心とやらにも蓋をして、押し込めた。
 今日はもう眠ってしまおうと、体の水分を拭き取り申し訳程度に髪を拭き、浴場を出ようとしたその時。
「あ?」
 なんてことだ。今いちばん顔を見たくない相手と鉢合わせた。
「んだ、てめぇ……」
 相手はルームメイトの摂津万里。部屋にいたのではなかったのかと、あからさまに眉を寄せてやった。
「何してんだよ、こんな時間に。風呂の時間過ぎてっだろーが」
 万里の言うことは正しくて、さらに言えば入浴は決められた時間内に済ませている。不思議がるのも仕方がないだろう。
 だけど、何をしていたかなんて言えるわけもない。左京をネタにトイレで欲を放ち、熱を収めるために冷水を浴びていたなんて、そんなこと。
 絶対に軽蔑される。
(別に摂津にどう思われようが関係ねーが、……知られたく、ねぇ)
 何かと突っかかってくる相手だ、今さら何をどう思われようと関係はない。だけど、知られたくない。
 この劇団は、十座の夢を叶えてくれた。これから先も、もっと色んな役を演じさせてもらえる――自分以外の誰かになれる、大切な場所だ。
 そんな大切な場所で、大事な劇団の仲間を相手に、こんな劣情を抱いているなんて知られたら――そう思うと、背筋を悪寒が走る。
(ここにいたいんだ、俺は)
「……っせーな、てめぇには関係ねーだろう」
 十座は万里を目の前にして珍しく、挑発を受けずに顔を背け、ふいと体を横に流した。今は万里の相手をする余裕なんてない。ありがたいことに、万里の方もそれ以上の挑発を続けてくることはなく、どことなく様子がおかしい。
 だが万里の様子が気にはなっても、てめーの方こそ何かあったのかなんて訊いてやる義理もなければ、そんな余裕もない。十座は万里とすれ違い、そそくさと部屋へ向かっていった。
 そうしてベッドに寝転がる。
 目を開けていても、閉じていても、浮かんでくるのは左京の顔。不機嫌そうなもの、ケンカを止める時の呆れたもの、アドリブに上手く返せた後の満足そうなもの。
(ああ、駄目だ、やっぱり。心臓がいてぇ……)
 想うたび、心臓が締めつけられる。きゅう、と縮んでいくような感覚を味わい、深呼吸をしてどうにか元に戻す。その苦しさを知っているのに、どうして何度も繰り返してしまうのか。
 想わなければ苦しまなくてすむと分かっていても、いつも、いつでも、左京が浮かんできてしまう。
(恋ってめんどくせぇな……)
 そう思ってため息をつくのに、頭の中は左京でいっぱいだ。せっかく収めた熱が、また蘇ってきてしまう。
 違うことを考えようと、大好きなあんみつを思い浮かべた。美味そう、と思ってもうひとつ。もうひとつ。ぽん、ぽん、と浮かび上がってくるあんみつ。黒蜜をたっぷりかけたり、ソフトクリームを乗せたり、ぎゅうひを足したりミカンを足したり。
 そんな中でも、ぽん、と左京の顔が浮かんできた。
「ああ、もう……仕方ねぇな……好きなんだ」
 大好きなあんみつと、大好きな古市左京。
 諦めが悪いのは自覚していた。似合わなくても甘いものは好きだし、どんなに下手くそでも芝居をしたかった。
 どんなに望みがなくても、やっぱりあの人が好きなんだと口角を上げて、十座はゆっくりと眠りに落ちていった。


#シリーズ物 #ウェブ再録

(対象画像がありません)

金色の曼珠沙華-001-

金色の曼珠沙華 2017.10.01

#シリーズ物 #ウェブ再録

 案外華奢な手を押さえつけて、上から見下ろした。 ドク、と心臓が音を立てたのは自覚していて、その音を…

金色の曼珠沙華

金色の曼珠沙華-001-


 案外華奢な手を押さえつけて、上から見下ろした。
 ドク、と心臓が音を立てたのは自覚していて、その音を静める術など知りやしない。ただ、もっと大きく、もっと速くする方法だけは知っていた。
「兵頭っ……よせっ、こんなことしてただですむと思ってんのかてめぇ……!」
 十座はふるりと首を振る。
 ただですむとは思っていない。今でさえ、軽蔑ととてつもない怒りがひしひしと感じられるのだ。自分の望みを実現させてしまったら、すべてが壊れていくのも分かっている。
(止められねぇんだ)
 触れたい。そう思ってしまった熱情は、自分の意志でももうどうにもできない。
 左京さん。
 小さく呼ぶ。
 この想いが叶うのなら、命をくれてやってもいい。そんな風に思うほど、あの人に触れたい。
 口唇を塞いだ。舌に噛みつかれたけれど、それさえも快感に変わっていく。押さえつけて、腕で拘束して、欲をただ、ぶつける。
「兵頭……ッ!」
 熱い吐息と一緒に吐かれる自分の名に興奮して、左京の体を乱暴に暴いていった。
 肌を滑り、口唇を寄せ、吸い上げて、押し込む。壊れてしまうのではないかと思うほど強く引き寄せて、左京の中に熱を流し込む。
(駄目だ、こんな、ことっ……!)
 止めなければと思う心とは裏腹に、欲望だけが先走る。肌をぶつからせ、腰を揺さぶり、涙が左京の睫毛を濡らすのも構わずに、何度も、何度も、打ち付けた。
「左京さん……ッ」


#シリーズ物 #ウェブ再録

kinniro.jpg

金色の曼珠沙華

NOVEL,A3!,十左,金色の曼珠沙華 2017.10.01

#片想い #ウェブ再録

(画像省略)表紙:みやび様2017/10/01【あらすじ】少し前から左京への恋心を自覚していた十座だ…

NOVEL,A3!,十左,金色の曼珠沙華

金色の曼珠沙華
kinniro.jpg

表紙:みやび様
2017/10/01
【あらすじ】少し前から左京への恋心を自覚していた十座だが、言わないでおこうと決めていた。だがある日、稽古あとの自主練につきあってもらった際に、止めきれず想いを告げてしまった。
※作中に万紬表現を含みます

001002003004005006007008009010011012013014015016017018019020021022023024025026027028029030031032

#片想い #ウェブ再録