- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.288, No.287, No.286, No.285, No.284, No.283, No.282[7件]
金色の曼珠沙華-004-
ランニングの途中、お気に入りの店に差しかかる。お気に入りといっても、入ったことはない。いつも店の前で立ち止まって、精巧な造りのメニューサンプルを眺めているだけの、甘味屋だ。
学校帰りや休日に店の前を通ると、いつも賑やかなほど客が入っている。その大半が女性客で、同じ年頃から年配まで、層は幅広いようだ。
あまり言いたくはないが、十座は甘い物が好きだ。
特に、あんこたっぷりのあんみつなんかは大好物なのだが、強面であることが邪魔をして、店でそういう物を食べたことがない。
通販を行っている店であれば、取り寄せてこっそり食べられるのだが、実店舗となるとそうもいかないのだ。
強面の高校男子が、ひとりであんみつなど、果たしていいものかどうか。
いや、悪いわけではないのだが、注文をする時に、怖がられたらどうすればいいのか。
オーダーを運んでくる店員を怖がらせたら、どうすればいいのか。
怖がられることは今まで多々あったけれど、怖がられたくないときにどう対処すればいいのか、十座には分からない。
だからこうして、早朝誰もいない店先のサンプルを眺めるくらいしかできないのだ。
以前、勇気を出して入ってみようかと店先でうろうろして、失敗したこともあった。誰もいなければ、迷惑をかけることもない。
(怖がられることは、怖い)
十座はひとしきりサンプルを堪能して、またランニングを再開する。
こんな時に浮かんでくるのは、左京に言われた言葉だった。
『怖がられることには慣れてるって、強がるな。怖がられることを怖がったって、なんにもおかしいことはねぇんだぞ。まあな、俺は怖がられてなんぼだが、お前はただ強面ってだけで、一般人なんだから』
いつだか、学校の帰り偶然に出逢った時だ。
誰もが友人たちと連れ立って下校している中、十座はたった独りだった。天馬も太一も用があるとかで、時間が合わなかった時。
足を踏み出すごとに、周りの人間が十座を避けていく。怯えは充分に伝わってきた。
それを、いつから左京に見られていたのか分からない。けれど、学校を離れて少ししてから声をかけられた。恐らくは自分の職業を気にして、すぐには声をかけてこなかったのだろうことが窺える。
自販機の前、左京の指から離れて投入口に入っていく硬貨の音が、やけに大きく響いたことを覚えている。
何がいい、と訊ねられて、思わずミルクセーキを頼んでしまったのだが、左京は特に不思議に思うこともなく、ボタンを押してくれたのだ。あざす、と受け取った缶は程よい温度で、ささくれた心を癒やしてくれた。
別に、逃げ出したいほど辛いわけでも、泣き出したいほど悲しいことでもなかったのだが、左京に指摘されて初めて、自分が考えているよりも、重く心にのしかかっていることに気がついた。
そして、怖がられてなんぼだと言った左京の横顔が、寂しそうだったことにも。
怖がられることが、嬉しいはずはない。
左京はそれでも、左京の世界で生きていくために必要なことだと受け入れている。
抱き締めたいと思ったのが、多分最初の感情。
それからずっと、左京を目で追ってしまっていた。
それを恋情と自覚して、劣情を自覚して、左京への態度が少しぎこちなくなったこともあったが、幸いにも旗揚げ公演とかぶっていたせいか、全員が全員、気づく余裕もなかった。
旗揚げ公演の千秋楽、左京の迫真の演技は本当にすごかった。
何度も飲み込まれそうになって、ラストのアドリブが、それまでの気迫を殺すほど優しさに満ちていて、また、古市左京というひとを好きになった。
少しでも近づきたい。同じ舞台で演じていたい。できることなら、あの時味わった感覚を#十左 左京に味わわせたい。
自分以外の誰かになれる――その憧れで始めてしまった芝居に、理由が新たに付加された。
芝居をしていれば、どこかで左京とつながっていられる。
まるで絶望的な想いでも、その小さな幸福は誰にも阻ませたくない。
(もっと、うまくなりてぇ。もっと……もっとだ……!)
鍛錬は、裏切らない結果をくれる。十座は気を引き締めて、ぐっと地面を蹴った。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-003-
早起きをするのは、苦手でもないが好きでもない。授業で体育があった日の翌日だけは、どうしても早く起きられないが、それ以外の時なら、こうして目覚ましより早く起きている。
眠りが浅かったというのもあるだろうが、まだ陽の昇りきっていない朝靄を眺めるのは悪くない。
十座は、いつものようにランニングをしてこようと、玄関のドアを開けた。
「うわっ」
その向こう側から、小さな声。十座は驚いて目を瞠った。ドアの向こうに、左京の姿。後少しタイミングがずれていたら、ドアがぶつかっていただろう位置だ。
「さ、左京さん? 悪い……いるとは思ってなくて」
「いや、俺もまさか開くとは思っていなかったからな。すまない」
朝から左京の顔が見られた、と、十座は小さく胸を鳴らす。
早起きは三文の得だと言うが本当だなと、思わず緩んでしまう口許を押さえた。
しかしそこで、あれ、と思う。なぜこんな時間に外にいたのだろうかと。
左京が、早朝にトレーニングをしているところなど、見たことがない。てめーら体力馬鹿どもと一緒にするなと、稽古中に言っていたのを思い起こせば、秘密の特訓というわけでもないだろう。
「なんだ、こんな時間からトレーニングか?」
「……っす」
だがよく見てみれば、左京の顔に疲れが見える。ような気がする。十座は中への道を空けつつも、すれ違う左京の顔色を窺った。
「そうか。熱心なのもいいが、あんまり無茶するなよ。オーバーワークって言葉くらい知ってんだろ」
「左京さん」
ぽん、と背中を叩いていく左京の腕を掴んでしまったのは、とっさだったと想う。
「兵頭?」
「それ、そっくりそのまま返す。アンタまさか、今まで仕事してたんすか」
振り向いた左京の顔色は、やはり良くない。人間が本来睡眠している時間にまで仕事をして、平気なわけがないのだ。その時は大丈夫でも、疲労は必ず蓄積していく。
もしかしたら、今日だけではないのかもしれない。
「組で接待が入ってたんだ。仕方ねぇだろうが」
左京は気づかれたことに眉を寄せ、せっかく掴んだ腕を振り払ってくる。不愉快そうなその声に、十座の方こそ眉間にしわを寄せた。
「アンタらの世界の常識ってヤツは分からねぇが、こんな時間にしか帰ってこられねぇようなとこなのか? そんなに大事な相手だったんすか」
左京の職業は、ヤクザだ。特に違法性が強いことをやっているわけではないと聞いてはいるものの、その世界の具体的な事項は分からない。
稽古の前後で仕事にでかけ、朝まで帰ってこられないなんて、相当体に負担をかけているのではないだろうか。
特に、左京や十座の所属する秋組は、アクション色が強い。今だって殺陣の稽古を強化しているところだ。
「ボスが帰らねぇのに、俺が帰れるわけねーだろ。オトナの世界にはいろいろあるんだよ、ガキ」
呆れたため息を隠しもせずに、左京は睨みつけてくる。十座は接待とやらを経験したこともないし、ボスとやらの立場に相当する相手がいたこともない。畏怖され、いつだって独りだったのだ。
だから左京の言うことは、理屈で理解できても体験として納得ができない。世界の違いもあるし、年齢の差だってある。
ぞわり、と肌があわ立った。
手を伸ばせば届く位置にいるのに、十座にとって左京はとてつもなく遠い存在だ。
住んでいる世界が違う。
年齢が一回りも違う。
ガキ、と音にされたその言葉で、初めて実感してしまった。
(なんで……どうしてアンタなんだ、左京さん)
ズキズキと心臓が痛む。ストレッチのような、気持ちのいい痛みではない。クイで打ち付けられるような物理的な痛みでもない。
どうすればこの痛みが消えていってくれるのか、十座には分からなかった。
「確かに……俺はガキっすけど、左京さんを心配したら駄目なんすか」
「てめーに心配される謂われはねぇ。仮眠したら稽古に出るが、少し遅れるかもしれん。摂津に言っとけ」
煩わしいとでも言わんばかりに、左京は再び背を向けてしまう。十座は腹の底から苛立って、トレーニングシューズを脱いで左京を追いかけ、追い越した。
「今日の朝稽古はナシだ。摂津に言ってくる」
「あァ? 兵頭てめぇ、今俺が言ったこと聞いてなかったのか」
「聞いてたからだ。無茶なことしてんのはアンタの方だろ左京さん。若くねぇんだから、休め」
先ほど左京に言われた「ガキ」という単語に反発するように、十座は語気を強めて言った。
そうやって仕返しをしてしまうところが、曰く、ガキなのだろうけど、左京を心配する想いに、ガキもオトナもない。
「お前な……。旗揚げが成功したからって、気ぃ抜けねぇだろうが。それにはやはり日頃の――」
「左京さん。怒るぞ」
長いうんちくが始まる前に、十座は左京を振り向いて、正面から言葉を投げつけた。
「日頃の稽古が大事だっていう、アンタの言い分はよく分かる。だけど俺には……俺たちには、アンタは大事なひとなんだ。無理をしてほしくない」
うっかり「俺には」と限定しそうになって、言いよどむ。
秋組は、誰が欠けてもいけない。リーダーである摂津万里はもちろんのこと、ムードメーカーである七尾太一、過ぎるほどの気配りで場をまとめる伏見臣、年長者としてアドバイスをする古市左京。
そこに、半端ないほどの情熱を持って芝居に挑む兵頭十座が加わるのだが、十座自身はそれを自覚していない。それはともかく、劇団に左京は必要な人材だ。
それを隠れ蓑にして、一個人としても左京を必要としていることを丸め込む。
「頼むから、朝は休んでてくれ。他のヤツらだって、そう言うに決まってる」
無茶をして、万が一にでも倒れたりしたら、気が気ではない。どうしてもっと強く止めなかったのかと、自身を責める事態に陥るだろう。
この恋が叶わないのは仕方ないが、だからこそその分、古市左京というひとを大切にしたいのだ。
十座のそんな真剣さに驚いたのか呆れたのか、左京がぱちぱちと目を瞬く。そうして、ふっと噴き出した。
「ふっ……は、ははっ……くくく」
「左京さん? ……なに笑ってんすか。俺は真剣にアンタを心配して――」
「いや、すまねぇ、馬鹿にしたわけじゃなくてな。ハハッ……っふ、ヤクザ相手に、【怒るぞ】ってなぁ……なかなか言えねぇもんだぜ」
左京は、どうしても笑いが漏れてしまう口許を押さえながら、噴いてしまった理由を告げてくる。
悪意があって笑ったわけではないのだと安心して、十座は目を瞬いた。
「左京さん、俺……アンタがそういうのだってときどき思い出す。アンタを、そういう意味で怖いとは思ってないっす」
左京の、ヤクザとしての仕事ぶりを見ていないせいもあるのか、どうしても結びつかない。
反社会的な団体への恐怖は、稽古中に怒られるのが怖いという現象とは、まったく違うカテゴリの怖さだ。だがそれを左京に感じたことがない。
「だから俺は、ヤクザのアンタに怒りたいんじゃない。秋組のメンバーとして、だ、大事な相手に、無茶をしてほしくないって言ってるんす」
「兵頭……」
気持ちを言葉にするのは不得手だ。生来の不器用さに加えて、言葉というものを知らない。……いや、伝える術を知らない。今まで、この強面のおかげで、言葉を伝える前に拳が飛んできた。
どう言えば、左京に伝わるのか分からない。
「左京さん、頼む」
分からないなりに、ストレートに伝えてみた。
「…………分かった……」
頷くまでは通さないとばかりに、左京の前に立ちはだかり、十座はついにその言葉を引き出すことができた。
左京は気まずそうに顔を背け、ため息を吐く。不服そうではあるものの、願いを聞き入れてもらえて十座はホッと顔の筋肉を緩めた。
「悪い、そうやって心配されること、あんまりなかったから……」
「え、でも……迫田さんとか」
「アイツはうるせぇ。というか、迫田に本気で心配させるようなことはしてねぇはずだ。お前が大袈裟なんだよ」
「そんな顔色してよく言えるなアンタ……ちゃんと睡眠取ってんすか?」
十座の問いかけに、ぐ、と言葉につまる左京。その様子では、ろくな睡眠も取っていないのだろう。
ヤクザというものはそんなに忙しいものなのか。その世界を知らないことが、こんなにももどかしいと思ったのは初めてだ。
「……ヤクザにガンつけてんじゃねぇ。分かった、ちゃんと寝るから」
「本当っすか」
「信用ねーな」
「信用してないわけじゃない。心配なだけだ。アンタが寝るの見てからじゃねぇと、落ち着いてランニングにも行けやしねぇ」
「ハ、なんだ、子守歌でも歌ってくれんのか」
「寝付きが悪くなるだけだと思うが」
心配しているということを、あまり真剣に受け取ってくれない。そんな左京に、若干のいら立ちを覚えながらも、冗談が言えるうちはまだ大丈夫なのかと、横をすり抜けていく左京の横顔を見送る。
こんな時「劇団仲間」でなく、友人だったり恋人だったりしたら、引きずって部屋に放り込んで、眠るまで見届けていられるのに。
「左京さん、あの、本当に……体、大事にしてくれ」
今の自分では、そう願うことが精一杯だ。
「分かった分かった、ランニング、気をつけていけよ」
「……っす」
振り向かないままで、ひらひらと手を振ってくれる左京の背中をじっと眺め、これ以上は踏み込めないなと踵を返し、当初の目的を果たすことにした。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-002-
は、は、と荒い息がその個室に響く。
べっとりと濡れた手を見下ろし、兵頭十座は焦燥感に襲われた。
カラ……とトイレットペーパーを引き出してちぎり、自身の体液で汚れた手を拭う。それを白い便器の中に投げつけて水を流す頃、ようやく呼吸が整った。
「……笑い話にもならねぇな」
いや、まだギリギリ笑い話ですんでいるのだろうか、と十座は大きく息を吐く。
兵頭十座は古市左京を抱いている。想像の中で、だ。現実の話ではない。ギリギリ笑い話というのは、そういうことだ。
扉にもたれ、ぐしゃりと髪をかき混ぜる。日に日に、渦巻く欲が大きくなっている気がする、と。もちろん測定しているわけではないし、そんなものどうやって測定するのかも分からないが、感覚の問題だ。
「頭冷やしてこねぇと……」
十座はトイレを出て、浴場に向かった。この時間帯、団員は全員風呂の時間を終えて、自室なり談話室なりでそれぞれの時間を過ごしているはずだ。
十座とて、同室の相手がいなければそこで過ごしていたことだろう。だがこの劇団では基本的に二人部屋。悲しいことに、ルームメイトは劇団一いけ好かない相手だ。年頃の男子の生理現象とはいえ、自慰をしているなんて絶対に知られたくない。
しかもオカズにするネタが、あの古市左京だなんて、死んでもだ。
浴場の電気を点けず、十座はスタンドシャワーのブースに向かう。ひねった蛇口は、水の方だった。
ザアッとノズルから降ってくる冷たい水は、とろけてしまった十座の心を固めていってくれる。
「間違って、手ぇ出さねぇようにしねーと……本当に殺される」
ぼそりと呟く。
想像の中で左京を組み敷いて、体を暴き、欲をぶつけるこの行為は、どうにも乱暴だ。
それが現実になってしまわないように、こうして冷やして固めておかねば、世界が変わってしまう。
恋というものが、こんなにも厄介なものだなんて思いもしなかった。
そう、恋だ。
兵頭十座は古市左京に恋をしている。
冷水で頭を冷やす時間が経つにつれ、十座の意識はすっきりと晴れていく。
その分、左京への感情を改めて実感することになってしまって、いたたまれないのも事実だった。
「なんで……あの人なんだ……」
自覚している範囲で、初めての恋だ。
硬派な強面というイメージが、小さな頃から定着しているせいか、女はおろか男の友人さえできなかった十座が、まさかまともに恋なんてできるはずもなく、この歳まで生きてきた。
なんの因果か、初めての恋の相手が年上の男性とは。
叶うわけがない。受け入れてもらえるわけがない。まるで絶望的な恋だ。
混乱しなかったわけじゃない。最初はなんの間違いかと思った。
左京を目で追っているのに気がついた時も、彼の演技に惹かれて、できることなら技を盗みたいと思ってのことだと感じていた。
左京に名を呼ばれるたび胸が跳ねるのも、何か怒られるようなことをしただろうかと、怯えが先立っているのだと感じていた。
だけど、よくやったなと笑顔を向けられたその瞬間。
稽古の熱で、首筋を流れる汗を見たその瞬間。
役の上とはいえ、真剣なまなざしと出逢ったその瞬間。
恋をしているのだと、気がついた。
(言えねぇけど。誰にも。こんなこと……おかしいんだ。左京さんを……あんな風に抱きたいなんて、思ってねぇのに)
触れたいとは思っている。口唇に、肌に、体のすべてに。だけど左京は、想像の中でさえ受け入れようとしてくれない。
そりゃそうだろうなと十座は苦笑して、冷たい水の降ってくるシャワーを止めた。
ふうーと息を吐く。熱は冷ました。どうしても浮かんでくる左京の顔も頭を振って打ち消した。恋心とやらにも蓋をして、押し込めた。
今日はもう眠ってしまおうと、体の水分を拭き取り申し訳程度に髪を拭き、浴場を出ようとしたその時。
「あ?」
なんてことだ。今いちばん顔を見たくない相手と鉢合わせた。
「んだ、てめぇ……」
相手はルームメイトの摂津万里。部屋にいたのではなかったのかと、あからさまに眉を寄せてやった。
「何してんだよ、こんな時間に。風呂の時間過ぎてっだろーが」
万里の言うことは正しくて、さらに言えば入浴は決められた時間内に済ませている。不思議がるのも仕方がないだろう。
だけど、何をしていたかなんて言えるわけもない。左京をネタにトイレで欲を放ち、熱を収めるために冷水を浴びていたなんて、そんなこと。
絶対に軽蔑される。
(別に摂津にどう思われようが関係ねーが、……知られたく、ねぇ)
何かと突っかかってくる相手だ、今さら何をどう思われようと関係はない。だけど、知られたくない。
この劇団は、十座の夢を叶えてくれた。これから先も、もっと色んな役を演じさせてもらえる――自分以外の誰かになれる、大切な場所だ。
そんな大切な場所で、大事な劇団の仲間を相手に、こんな劣情を抱いているなんて知られたら――そう思うと、背筋を悪寒が走る。
(ここにいたいんだ、俺は)
「……っせーな、てめぇには関係ねーだろう」
十座は万里を目の前にして珍しく、挑発を受けずに顔を背け、ふいと体を横に流した。今は万里の相手をする余裕なんてない。ありがたいことに、万里の方もそれ以上の挑発を続けてくることはなく、どことなく様子がおかしい。
だが万里の様子が気にはなっても、てめーの方こそ何かあったのかなんて訊いてやる義理もなければ、そんな余裕もない。十座は万里とすれ違い、そそくさと部屋へ向かっていった。
そうしてベッドに寝転がる。
目を開けていても、閉じていても、浮かんでくるのは左京の顔。不機嫌そうなもの、ケンカを止める時の呆れたもの、アドリブに上手く返せた後の満足そうなもの。
(ああ、駄目だ、やっぱり。心臓がいてぇ……)
想うたび、心臓が締めつけられる。きゅう、と縮んでいくような感覚を味わい、深呼吸をしてどうにか元に戻す。その苦しさを知っているのに、どうして何度も繰り返してしまうのか。
想わなければ苦しまなくてすむと分かっていても、いつも、いつでも、左京が浮かんできてしまう。
(恋ってめんどくせぇな……)
そう思ってため息をつくのに、頭の中は左京でいっぱいだ。せっかく収めた熱が、また蘇ってきてしまう。
違うことを考えようと、大好きなあんみつを思い浮かべた。美味そう、と思ってもうひとつ。もうひとつ。ぽん、ぽん、と浮かび上がってくるあんみつ。黒蜜をたっぷりかけたり、ソフトクリームを乗せたり、ぎゅうひを足したりミカンを足したり。
そんな中でも、ぽん、と左京の顔が浮かんできた。
「ああ、もう……仕方ねぇな……好きなんだ」
大好きなあんみつと、大好きな古市左京。
諦めが悪いのは自覚していた。似合わなくても甘いものは好きだし、どんなに下手くそでも芝居をしたかった。
どんなに望みがなくても、やっぱりあの人が好きなんだと口角を上げて、十座はゆっくりと眠りに落ちていった。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-001-
案外華奢な手を押さえつけて、上から見下ろした。
ドク、と心臓が音を立てたのは自覚していて、その音を静める術など知りやしない。ただ、もっと大きく、もっと速くする方法だけは知っていた。
「兵頭っ……よせっ、こんなことしてただですむと思ってんのかてめぇ……!」
十座はふるりと首を振る。
ただですむとは思っていない。今でさえ、軽蔑ととてつもない怒りがひしひしと感じられるのだ。自分の望みを実現させてしまったら、すべてが壊れていくのも分かっている。
(止められねぇんだ)
触れたい。そう思ってしまった熱情は、自分の意志でももうどうにもできない。
左京さん。
小さく呼ぶ。
この想いが叶うのなら、命をくれてやってもいい。そんな風に思うほど、あの人に触れたい。
口唇を塞いだ。舌に噛みつかれたけれど、それさえも快感に変わっていく。押さえつけて、腕で拘束して、欲をただ、ぶつける。
「兵頭……ッ!」
熱い吐息と一緒に吐かれる自分の名に興奮して、左京の体を乱暴に暴いていった。
肌を滑り、口唇を寄せ、吸い上げて、押し込む。壊れてしまうのではないかと思うほど強く引き寄せて、左京の中に熱を流し込む。
(駄目だ、こんな、ことっ……!)
止めなければと思う心とは裏腹に、欲望だけが先走る。肌をぶつからせ、腰を揺さぶり、涙が左京の睫毛を濡らすのも構わずに、何度も、何度も、打ち付けた。
「左京さん……ッ」
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華
おわりとはじまり
はあ、と止めていた息を吐き出した。自分の下でふるふると体を震わせる恋人を見下ろして、十座は言いようのない幸福に包まれる。
「あ、あ……はあっ……」
部屋に呼んでくれただけではなく、十座が切り出す前に手を伸ばしてくれた左京を、いつもより激しく抱いたような気がする。
乱雑に脱ぎ捨てられた衣服の傍で寝転んだまま、汗で額に張り付く金色の髪を指先で払ってやれば、くすぐったいというように綺麗な紫色の瞳で睨まれた。
もっとも、そんなに頬を紅潮させていては威力は半減するし、それどころか別の威力に変わってしまう。まったく自分というものを分かってないひとだ、と十座はその額に唇を寄せた。
「ん……っ、馬鹿、動くんじゃねぇ……」
まだ入り込んだままだったせいで、左京が反応をしてしまう。悪いと思うよりも先に、また欲が膨れ上がってしまうのは、もうどうしようもなかった。
「左京さん、もう一回……」
そう言って耳元で囁くけれど、左京は十座の体を押しやってくる。
「冗談言うな、ちょっと……休憩くらいさせやがれ……この体力馬鹿が」
ダメなのかとがっかりしかけた十座だが、どうやら時間をおけばいいらしい。それくらいは我慢していようと、十座はゆっくりと左京の中から引き抜いた。
「兵頭、水……取ってくれ……」
「ん、あ、ああ……喉、大丈夫っすか。あんなに声出してたし……」
十座は側のテーブルに置かれていたミネラルウォーターのボトルを左京に手渡す。蓋を開ける力が入らないらしく、十座はカシュリと開けてやった。
「誰のせいだと思ってやがんだ、あんなに……その、しなくても、いいだろ……」
体を起こして水を飲む左京の頬が、赤い。責められているのは分かるが、正直そんな可愛らしい反応をされてもからご褒美にしかなっていない。
水を飲み込んでいく左京の喉が動くたび、十座の中の欲が膨れ上がる。左京にあまり負担をかけたくないのは本音だが、そうそう落ち着いて待ってもいられない。左京に触れたいのだ。
「左京さん」
左京の傍に手をついて、お窺いをたてるように名を呼ぶ。一瞬向けられた視線はすぐにふいと逸らされて、重なってくれない。まだお預けだというサインだろうか。
「なあ……」
耳元に唇を寄せ、吐息と一緒に囁く。左京がこの声に弱いらしいのは気づいていて、わざとだ。耳から顎のラインを鼻先でなぞり、白い肌をちゅっと軽く吸う。抵抗はされていないが、受け入れきってもくれていない。
「待てって、言ってんだろうが、おい……どんだけ堪え性ねえんだお前は」
「全裸のアンタ前にして、堪える理由が分からねぇ」
「俺の体力を考えろ。お前と違ってこっちは三十路なんだよ」
無理に押し倒すことはできたけれど、それをしたら左京が怒るのは目に見えている。三日くらい口を聞いてくれなくなるかもしれなくて、それなら欲を我慢する方がまだマシだ。
十座はおとなしく身を引いて、残念そうに視線を下向けた。
「それにな……」
そんな十座に、左京の手がゆっくりと伸びてくる。優しく髪を撫でられて、十座はぱちぱちと目を瞬いた。
「もう少し待ってろ」
「……左京さん?」
そうして左京は、どうしてか携帯端末を手に取る。大事なメールでもきたのだろうかと思ったが、すぐにテーブルへと戻したあたり、そういうことでもないらしい。
「兵頭」
携帯端末から離れた指先が、顎に触れてくる。それは口唇へ移り、右から左へ、左から右へ、ゆっくりと形をなぞってきた。ひどく官能的な指先の動きに、十座は戸惑い、瞬きさえ忘れてしまう。
「さ、左京さ……」
「キス、していいか」
一通りのコトを終えたあと、この状況で、わざわざ訊ねてくる真意が分からない。だけどよくないわけはなくて、頷くーー前に、左京の口唇を感じていた。
左京からのキスは珍しい。体を重ねてはいても、どうしても自分の方が想いが大きいことは自覚していて、たまに向けられる左京からのこんな優しさには、舞い上がってしまう。
触れるだけ。つい数分前まであんなに情熱的に繋がっていたとは思えないほど、穏やかで静かな口づけだ。左京はもしかしてこういうキスの方が好きなのだろうかと、合わせるように口唇を押し当てる。
両手で頬を包んでくれるその手も優しくて、怒られないようにと祈りながら、左京の案外華奢な体を抱きしめた。
「ん……」
触れるだけのキスが、ゆっくりと深いものに変わっていく。そうしてくれたのは左京の方からで、十座は口を開いて左京を招き入れた。舌を捕われて、絡んだと思ったら、いつのまにか互いの指先も絡んでいて、指先と口唇のキスで遊んだ。
「ふ……ぁ」
「……っん」
触れて、離れるかと思った手前でまた触れて、左京の腕が背中に回されたことに歓喜しながら十座は左京の髪を撫でる。
離れることのない口唇をちゅうと吸い上げて、混ざった唾液を飲み込んだ頃、満足したらしい左京が肩にてを置いて押しやってくる。濡れた口唇と揺れる瞳が煽情的で、もう一回とおねだりしようとしたけれど、口唇に当てられた人差し指で止められた。
「兵頭……誕生日、おめでとう」
そうして囁かれた言葉に、十座は目を瞠った。
「え……、……は?」
誕生日、と左京は言った。おめでとうとも言ってくれた。壁にかけられた時計は午前零時を回っており、九月二十七日。十座がこの世に生を受けた日だ。
瞬きをひとつ。そこでようやく事態を把握して、再度目を瞠った。
「誕生日……」
「おいおい、まさか忘れてたってんじゃねぇだろうな」
「え、あ、いや、そうじゃねえが……だって、まさか左京さんが」
「俺が祝うとは思わなかったって? 色気のねぇこと言いやがるな、若ぇのによ」
コツ、と額を合わせられる。考えていなかったわけではない、付き合い始めてから最初の誕生日だ。できれば左京と一緒に過ごしたかったし、多少のわがままも聞いてもらえるかもしれないと思っていたのは本音である。
だけど、まさか真っ先に祝ってくれるなんて思っていなかった。
「ま、俺もガラじゃねぇけどな、こんなこと。分かってるさ」
だけど、と左京は続ける。
「十七歳最後の瞬間のお前と、十八歳最初の瞬間のお前に、キスをしていたかったんだ」
普段めったに見られない優しい顔つきで、恋人は笑う。たまらなくなって、十座は左京を強く抱きしめ口唇に触れた。
「左京さん……っ」
それは最初から深くて、食らうような激しいものになってしまったけれど、左京が嫌がるそぶりは見られなかった。勢いでそのまま膝の上に乗せてしまった時には、さすがに軽く舌を噛まれたけれど、
「まぁ……存分に楽しめ。お前の上でも下でも、今日は好きなようにしてやるよ」
そんなお許しをいただいて、十座はここぞとばかりに左京を堪能することになるのだった。
はあーと左京は長い息を吐く。まったくらしくないことをしたもんだと。おかげで体がギシギシと音を立てるかのように、痛い。
好きなようにしてやると言ったのを後悔したのは、多分三度目――体を転がされて、後ろから受け入れた頃だ。十代の体力にはついていけないと何度か身をもって知っているはずなのに、立て続けのラウンドを許してしまった。
ーーーー言わねーぞ。他の奴らに祝われる前におめでとう言いたかっただけだなんて、死んでも言わねぇ。
それはひとえに、自身で思っているよりもずっと兵頭十座に心を持っていかれてしまっているからだ。一回りも違う年下の男に、こうまで翻弄されているなんて、誰にも知られたくない。十座にもだ。
「左京さん、水、持ってきたっすけど……起きられるのか?」
「あー……悪い、ちょっと手ぇ貸せ……」
水をくみに行っていた十座が戻ってきて、左京は体を起こそうとする。しかしうまく力が入らなくて、これでは水を飲むのもままならない。
「すんませんほんと……全然抑えきかなくて」
「ちったぁ加減しろ、このエロガキ」
「……努力はする」
十座に手を貸してもらい、体を起こす。自身で支えられない体は十座の胸で支えられて、慣れた体温が左京を安堵させた。
「今日……一緒に出かけようかとも思ってたんだがな……」
「そういうことは早く言ってくれ左京さん。分かってたらセーブ、……いや、できなかったとは思うが……」
「プレゼント用意してねーからな、好きなもん買ってやろうと思ってた。悪い、ちょっとしんどい……」
水で喉を潤し、左京はこてりと床に体を横たえる。そんな左京の体をいたわるように、欲でなく撫でてくる十座の手のひら。今さらながらに、セーブできなかったことを後悔しているのだろう。
「プレゼントなら、充分もらっちまってる」
「あァ?」
「いちばん初めに祝ってくれたの、嬉しいっす。無茶させてすんません」
そんなことでいいのかと、左京は肩を震わせて笑う。ちょっと高めのスイーツでも取り寄せてやろうかと、心配そうに覗き込んでくる十座の髪を撫でた。
「んな顔しなくても、ちょっと寝たら平気だ。しかし安いプレゼントだな。もうちょっとうまくおねだりしてみりゃいいのに 。遠出はできねぇが、何か食いに行くか?」
「いや、いい。むしろこうして部屋でのんびりしてぇ。ベッドは……狭いかもしれねえが」
「スイーツやらなんやらはいいのか。遠慮するな」
左京に気を使っているのか、十座は首を振る。そんなに深刻になるほどの疲労じゃないんだがと、左京は重い腕を上げた。
「兵頭、もうちょっと甘えてくれてもいいんだぞ?」
「……なら、それ、来年欲しいっす。来年、アンタとふたりで出かけたい、左京さん」
その腕をパシリと取り、十座は手のひらに口づけてくる。左京はぱちぱちと目を瞬いた。
来年、と強調した十座の望みを悟ってしまって、口元が緩む。
「分かった、来年。心配しねーでも、ちゃんと祝ってやる。……恋人として、な」
「……っあざす」
十座の顔がパァッと明るくなる。普段からそういう顔をしていれば、強面なんて言われないだろうにと思うが、自分の前でだけそこまで崩れるのも悪くない。
「左京さん、あの、もう一回」
「無理に決まってんだろうが」
「あ、いや、そうじゃなくて、その……お、おめでとうってヤツ……」
そっちか、と左京は恥ずかしい勘違いに頬を赤らめる。まぎらわしい言い方をするなと怒りかけたが、誕生日くらい目一杯優しくしてやろうと息を吐いた。
「……おめでとう、兵頭。あのな、その……お前が思ってるより、ちゃんと……好きだぞ」
そうして十座が何かを言う前に、口唇をキスで塞いでやった。
#両想い #ラブラブ #誕生日
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違和感に気づいたのは、四限が終わりを迎える頃。
昼食前の体育は空腹感を煽って、体力的にも精神的にも疲弊感が募る。
チームを組んでのバスケットボールは、いつも十座のいるところが勝ってしまう。というのも、誰もディフェンスに来られないからだ。
ドリブルをしても、シュートをしても、誰も手を出してこない。パスを受けるチームメイトさえが眼力で怯え、ろくにアシストしてやれない。
チーム戦が苦手だというのは以前からで、あまり楽しいものでもなかった。それでも体を動かすのは好きで、何とかコート上を走ろうとしたのだが。
「……?」
足首に時折鈍い痛みが走る。軸足にして体を翻すとき、足を踏み込むとき、ズキリと痛む。
我慢できないほどではないが、普段にはないせいで、意識がそちらに向かってしまった。
(足、もしかしてどっかでひねったのか……?)
今の授業でか、それとも朝のランニングの時か。
十座はほんの少し考え込み、ハーフタイムまで待とうとボールの行方を視線で追う。こちらにパスは回ってきそうにないと、歩調を緩めた。
(稽古までに治るか……? あんまり動かさない方がいいんだよな、多分……)
体育の授業よりも、断然稽古の方が大事だ。今日は朝の稽古がなかったし、夕食後の稽古に参加できない事態など御免である。
もっと上手くなりたいと朝思ったばかりなのに、鍛錬を怠ることはできない。
十座は休憩になったのを機に、チームを抜けた。「先生」と話しかけた教師までもが、ビク、と体を強張らせたのには、思わず苦笑してしまった。
「ぬ、抜けるのか。じゃあ誰か交代……田崎、お前入れ。保健室行かないでいいのか?」
「……平気っす」
ハーフタイム終了とともに、コート外でプレーを見ていたクラスメイトが、代わりにコートに入っていく。
それまで十座と組んでいたチームメイトたちの顔が、明らかに安堵したものに変わった。たとえ勝てなくても、のびのびプレーしたいのだろう。
その気持ちは、十座にもよく分かる。たとえどんなに下手くそでも、のびのびと芝居がしたい。
(秋組の連中は、俺を怖がるとかしねぇもんな……他の組のヤツらも、会話の中に入れてくれっし……)
十座は体育館の隅に腰を下ろし、どちらのチームを応援するでもなく、再開したゲームを眺めていた。
ボールが床を叩く音、シューズが床をこする音、ボールを受け止めてゴールネットが音を立て、歓声が上がる。
(殺陣がうまくいくたびに、客席から歓声が上がる。それに気づくのは最初の方だけで、夢中になってくると全然聞こえなくなるけど……幕が下りて、でけぇ拍手が聞こえるんだ。あれは、すげぇ)
一度知ってしまったあの快感を、忘れることなんてできない。
誰になんと言われようと、この先何があろうと、芝居を続けていたい。
(似てんな、どれもこれも。一度知ったら、抜け出せねぇ……)
あんみつの美味しさを知っている。
芝居の楽しさを知ってしまった。
恋情を覚えてしまった。
十座はじっと手を眺め、あんみつを食べるための、芝居の仕草のためのこの手で、左京を抱き締められたらいいのにと眉を寄せて、口唇を噛んだ。
できるわけもないと、ぎゅっと握りしめてゆっくりと息を吐き出す。
(あのひとを抱き締めたら、どんな感触なんだ……。なんか芝居の役の上でも、そういうのありゃあいいんだが、……って、んなこと考えてるって知られたら、張り倒されるな)
大好きな芝居を、そんなことのためには使えない。
そこまで思って、項垂れた。
そんなことでは済ませられないほど、気持ちは大きくなってしまっている。
芝居をすることが好き。古市左京が好き。
芝居をすることで、より深く左京を好きになってしまう。
左京を好きになることで、より広く芝居に興味が出てしまう。
それらを切り離して、どちらかを諦めることなどできやしない。もうそんなところまで、想いは成長してしまっていた。
(どうすりゃいいんだ……いっそ言っちまった方が楽になれんのか? 抱き締めたいって、触れてみたいって、……アンタが好きだって?)
言えるわけねぇ、と大きく息を吐く。
良くて殴られて終わる。悪くて劇団から追い出される。
どう考えたって、幸福なことにはなりそうもない。
(今は、傍で見ていられるだけでいい。稽古の時だって一緒だし、時間が空いてりゃ自主練につきあってくれる。……それで、満足してろ)
いつかそれだけでは満足できなくなるのだとしても、今十座が左京に求めていいのはそこまで。芝居に打ち込んでいれば、少なくとも左京の不興を買うことはないはずだ。
(夜の稽古は……一緒にできればいい……)
それだけでいい。何度も何度も自分に言い聞かせて、呟きそうになる好きだの三文字を、無理やり飲み込んだ。
#シリーズ物 #ウェブ再録