- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
オーハッピーデイ
なにがいい?って訊いたのは、確か一週間前だった。
誕生日ってのは、やっぱり恋人としては盛大に祝ってやりたいところ。だから、働いてためた給料もあることだし、休みでもぶんどって旅行でも行こうかななんて思っていたけれど。
「べつにいいよ、そんなもん」
当の恋人様はこんな調子だ。
まったく、早乙女アルトの辞書に、記念日だとかイベントだとかいう言葉はあるんだろうか?
つきあい始めて最初の誕生日なんだぞ? もうちょっとこう、甘えてくれてもいいんじゃないだろうかと、空とベッドの撃墜王と謳われた俺、ミハエル・ブランは思うわけだ。
早乙女アルトとは、かれこれ1年半のつきあいだ。初めて会話らしい会話をしたのは、麗しいジュリエットのドレスを着て航宙科に怒鳴り込んできたとき。
すげえお姫様だ。
そう思ったあの日から、俺はアルトから目が離せなくなって、恋してるんだって気づいて、あからさまにアピールしてたのに気づいてもらえなくて、ヤケに近い気持ちで告白したら、すっっっっげえ驚いた顔してなんで早く言わねえんだって怒られたんだよな。
ああ、懐かしい。
って言ってもまだ半年もつきあってないけどさ。
あの時は本当にびっくりしたよなあ。俺のこと見てたんなら俺の気持ちくらい気づけって胸ぐら掴まれて、なんだか告白の甘い雰囲気なんか全然なくって、傍から見たら殴り合いの喧嘩寸前だっただろう。
「なあアルト、おれお前のこと祝ってやりたいんだけど。だって、生まれる前に消えてく命だってあんのに、俺たちは生まれてきて、この広い銀河の中で出逢えたんだぜ? そういうのって嬉しいとか思わないのか?」
「……ミシェルって思ってたよりロマンチストなんだな。運命とかそういうの信じるタイプか?」
別に、そこまでロマンチストじゃねえけどな。
でも恋人の誕生日を祝いたいって思うのは普通だ。生まれてきてくれたこと、出逢ってくれたこと、好きになってくれたこと、全てに感謝していたいんだよ。
だって奇跡に近いぞ、こんな、こんな恋が叶うなんて思ってなかったし。
「俺はたまたまここに、早乙女家に生まれてきて、たまたま空に興味を持って、たまたま近くにお前がいて、好きになっちゃって悩んでたら、たまたまお前も俺のこと好きでいてくれたってだけだろ」
「たまたま多すぎだろ。誕生日ってのはひとつの節目だ、アルト。今年祝って、来年も祝って、再来年も、ずっと祝ってあげたいよ。アルトはもしかして、俺の誕生日も祝ってくれないのか?」
「そ、それは、祝って……やりたいけど……なんか、ちょっと怖い、な」
「何が? あ、昨夜やり過ぎたのまだ怒ってんのか? あれは謝っただろアルトー」
言った途端、そういうハナシじゃねえって怒鳴られる。……怒ってる顔も可愛いんだけどな、こいつはそういうの知らないんだろうな。
困るよなー全く、自覚のない美人てさ。他のヤツに取られないように、俺が日々どれだけ努力してると思ってんだ。
「あの、さ、えーと……俺、誕生日って祝ってもらった覚えがないんだよ」
「…………は? え、なに? そうなの!?」
アルトが隣でこくんと頷く。びっくりした。驚いた。まさかこのトシまで生きてきて、誕生日を祝ってもらった記憶がないなんて。
「家がほら、ああだからさ。プレゼントとか、ごちそうとか、浮ついたものはなかったような気がするんだ。特に母さまが亡くなってからはな」
俺は、もしかしたら恵まれてたのかも知れない。もうとっくの昔に死んだ両親も、誕生日には休みを取ってくれたり、それが無理でも何かしらのボイスメッセージとプレゼントが贈られてきたもんだ。姉貴だって下手なりに料理作ってくれたし、俺は誕生日ってものが嬉しかったけど。
このお姫様は、知らないのか。
「だから、何がほしいって訊かれても、分からねーんだよ。怖いってのはそういう意味だ。悪いなミシェル」「ほしいもの、何もないか? 物じゃなくてもいいんだぜ、ほらどっか行きたいとかやってみたいとか、何でも」
だったら尚更、俺が祝ってやりたい。おめでとうとありがとうと、愛してるをたくさん言って、来年も祝ってほしいって思わせてやりたい。
「俺は祝いたい。だからアルトの願いを叶えてやりたいんだよ。な? あ、そーだケーキとか買ってくるか。なあ今から出かけようぜ」
「……な、なあ、なんでもいいのか? ほしい物見つけた……っていうか、物じゃないんだけどさ」
「お、なんだ? できれば俺の給料で買える範囲のものにしてくれよな」
陽射しは少し強いけど、姫と出かけるならどんな天気だっていい。さあお姫様、ほしい物買いに行こう。
「お前の全部、よこせ」
喜び勇んで立ち上がった腕を、お姫様が掴んで止める。言われた言葉の意味を一瞬把握できなくて、目を見開いた。
「お前の手のひらも、視線も、声も、キスも、気持ちも、全部だ」
アルトは立ち上がって、手のひらを合わせて繋いでくる。少し下の目線から見上げてきて、ばっちり瞳に映す。
「アルト……」
「俺を呼ぶ声も、……キスも。な?」
ちょん、と触れるだけのキスをしてくる。気持ちも全部、って言ってたことを思い出して、俺は笑った。
「愛してるよアルト、愛してる。誕生日おめでとう」
耳元でそう囁いてやると、くすぐったそうに身をすくめて、それでも嬉しそうに笑ってくれた。
「これがアルトのほしい物?」
「ああ、来年もそれで頼む」
でかけようぜと部屋を出る姫ぎみに、苦笑してから返す。
「無理だって、姫」
「……なんで」
「だってこれ、いつもと一緒。いつだって俺は姫のもんだよ」
「じゃあどうしよう、他にほしい物って、思いつかないんだが……どうしたらいい?」
そんなに真剣に悩まないといけないくらい、俺だけがほしかったのか、アルト。あーもうー可愛いー。
まあ、そういうことなら教えてやらないとな、好きな人の誕生日がどれだけ大事なのかを。ああ久しぶりだな、この感覚。世間知らずなお姫様に、街での遊び方を教えてやってたときみたいだ。
「じゃあとにかく、街に出よう。食べたいもの食べて、やりたいことやって、楽しもうぜ。アルトの生まれた今日この日を、神様に感謝して」
「ミシェルは、俺が生まれてきて嬉しいのか」
「そりゃもちろん。姫を愛してるからな」
へへ、とアルトが嬉しそうに笑う。そうだよ、そういう顔が見たいんだよ。
いつもいつでも大好きだけど、今日は特別。
「なあお前だったら何をほしがる?」
「アルト姫」
そう言ってキスをしたら、呆れたようなため息を吐かれた。
「いつもと同じだろ。人のこと言えねーじゃねーか」
「仕方ないだろ、じゃあ考えとく。ほら行くぞー」
「あ、待てミシェル、ちゃんと手ぇ繋げっ」
「はいはい、お手をどうぞお姫様」
「姫って言うな!」
さあ今日はどこへ行こう。ケーキ屋とアイス屋と、姫のお気の向くままに。
「アルト」
「んー?」
立ち止まって、出かける前の少し長い口づけ。
手のひらも、視線も、声も、キスも、気持ちも、全部あげるよ。まあいつものことなんだけど、今日はいつもの倍くらい、俺をアルトにあげようか。
「帰ってきたら、続きしような」
「……ばぁか」
ハッピーバースデー、親愛なる俺のお姫様。
生まれて出逢って恋してくれて、ホントにどうもありがとう。
#ラブラブ #両想い #誕生日 #ミハアル
有効期限
「もうそろそろいいんじゃないかって思うんだけどさ」
放課後の教室でそう切り出したのは、アルトの方だった。だがそう言いながらも視線は窓の外。独り言なのか話しかけているのかはっきりしてもらいたいねと、ミハエルは苦笑した。
「なにが?」
だけど自席のパソコンでマニューバの調整をしながら、ミハエルもアルトに視線を移しはしない。隣の席ではありながらも、時おりこうした距離が遊ぶ。
「なにがって……あ、やっぱり雨、降ってきた」
「そうだな。ちゃんと傘持ってきたか? アルト姫」
今日はフライトできないな、と拗ねたようなアルトの声に、保護者のような言葉を返す。それは、若干アルトの癇に障ったようだった。
「姫って呼ぶな」
「俺を追い越せたらな」
いつも言ってるだろうと、調整したマニューバを保存して画面を閉じる。それを見越してか、アルトはようやく、青くない空から視線を外して身体ごと振り返った。
「そうやってお前は、すぐはぐらかすんだよな」
「機嫌が悪いねアルト姫。何がそんなに気に入らないんだ?」
言ってみろよ、と挑発したけれど、実のところミハエルだって、彼が何を言いたいのかくらい分かっている。
分かっていても、あえて言わせたい言葉があるのだ。
「ムカつく。すげえムカつくお前っ」
絶対分かってるんだろうっ、とアルトは机を叩いてみるが、ミハエルは涼しい顔で笑っている。自分が折れるしかないのか、と思うが、悔しさが先立った。
「お前が一言言えば、それで済むじゃねえか」
この男はいつも前を歩いていて、上の段にいて、笑っている。自他共に認める女好きのはずなのに、誰よりも優しくて、強い。皆が惹かれるのも分かる気はするのだが。
「それを言うなら、姫が言ったって変わらないと思うけどね」
ミハエルは腕を組みながら、息を吐く。すぐ傍で眉を寄せるお姫様は、たったわずかな時間で次席にまで上ってきてしまった。流されやすいようでいて、……いや、流されやすいのだが、意志は誰よりも強い。
「なんで俺から言わなきゃなんねーんだよ」
「俺から言わなきゃならない理由は何かな」
しばし、沈黙が流れる。
アルトにも、ミハエルにも、そうして苛立ちが芽生え始めてきた頃。
「……友情に、有効期限てあんのかな」
不意に呟いたアルトを、ミハエルの視線が追う。
「……あったとしても、もう切れてると思うぜ」
そう返したミハエルを、アルトの視線が追う。
必然的に重なった視線は、一呼吸置いて意図的に逸らされた。
はああぁぁあ――と大きなため息が教室を支配して、二人ともが頭を抱える。
本当はもっと上手く行くはずだった。きっとこんな教室なんかじゃなくて、きゅんとくるような言葉だって用意して、そして照れくさそうに笑う相手を拝めるはずだったのに。
「お前が、早く言わねえから」
「お前が早く言えばいいんだ」
いったいどこで道を間違ったのだろうか。
もっとときめくシチュエーションの時だってあったのに、タイミングを逃してここまで来てしまった。
「――――付き合おっか、俺たち」
「――――うん、そうだな」
こんな風に始まるはずではなかったのに、と少しだけ泣きたくなったが、いつの間にか重なった手にときめいて、指を絡めてしまう。
「失敗したなあ……」
「情けないなあ……」
「でも、好きだ」
「ああ、好きだ」
ちらりと横目で見やると、意図せず視線がぶつかって驚いた。そうして、お互いの照れくさそうな笑い顔を拝む。
「じゃあ、恋人の有効期限はナシってことで、ヒトツ」
「これからも、よろしく?」
手のひらを合わせて、強く握り合う。
今まではお互い友人同士。たった今から恋人同士。
窓の外で聞こえる、静かな雨の音がやけに心地よく感じられ、ゆっくりと静かにキスをした。
リライト様、恋になる前に十題
#両片想い #お題 #ミハアル
かみなりとお姫様
シュン、とドアを開いて、部屋の中に入る。今日も一日無事に勤務が終わった、とホッとする瞬間だった。
「あー疲れたあ。明日休みならいいのになー」
はあ、とため息を吐きながら、ミハエルはジャケットの前をくつろげる。聞こえてくる激しい雨の音に、まだ降っているのかと意識を向けた。
気象庁で全てが管理されているこのフロンティアの気候。常春であれとは言わないが、こんなに機嫌の悪そうな雨を降らせなくてもいいじゃないかと思ってしまうのは、恐らくミハエルだけじゃないはずだ。
「うわーまだカミナリまで鳴ってる。いくら地球の自然を取り入れたいからって、ここまでしなくてもいいと思わないか?」
肩を竦め、同室の恋人・アルトを振り向く。
「そっ、そうだな」
上ずった声を不審に思って、首を傾げた。普段なら彼は、季節が感じられていいじゃないかとでも返してくるのに、なぜ今日に限って同意なのだろう。EX-ギアでフライトができないから、雨があまり好きでないことは知っているが、それでもこんな風に、天候の否定をしたことはなかったはず。
そうしてミハエルは、アルトの肩がびくっと震えるのを見てしまった。
「あ、そっか。アルト、もしかしてお前、カミナリ怖いのか?」
肩が震えたのは、大きなカミナリの音とほぼ同時。理由を紐づけるのは、さして難しいことではなかった。
「バッ、怖いんじゃねえよ! に、苦手っていうか好きじゃねえだけだっ!」
苦手なのと好きじゃないのはどう違うのだろうと思うが、きっと聞いたところで明瞭な答えは返ってこないだろう。
「うわっ!」
ふうんと頷きかけたところで、ゴォンと大きな音。それに驚いて、アルトは身をかがめてしまった。らしい、とも、意外、とも思える新発見に、ミハエルは嬉しくなってしまう。
また、アルトを知ることができた、と。
「ふうんそっかあ。アルトはカミナリが怖い、と。ちゃんと覚えておくよ」
「だ、だから怖いわけじゃねえって言ってんだろうがっ、……っ!」
立て続けに聞こえるカミナリの音に、アルトは首を引っ込めて耐える。その姿を可愛らしく思い、ミハエルはもっと鳴れ、と心に祈った。
「抱きしめててあげようか、アルト姫? ちょっとは安心しない?」
「するか馬鹿!」
「即答かよ。……じゃあさ、耳塞いじゃえばいいだろ? 聞こえないように、ね、あの時みたいに、…さ」
そっと耳元に落とす、からかいを含んだ声音。
あの時、の意味を瞬時に理解して、アルトの頬が真っ赤に染まった。誰がするかとこぶしを振り上げて、だけどミハエルには難なくかわされてしまう。
「だって音聞くの嫌なんだろう? あの時だってお前、いやらしい音聞きたくないからって耳塞ぐじゃないか」
いくら俺が頑張ってもカミナリの音は止められないよと肩を竦めるミハエルを、憎らしげに睨みつけてみた。それでもやっぱり効果はなくて、
「まあ、してる最中に、耳塞いでる余裕なんかなくなっちゃうみたいだけどね」
反論できない。事実なだけにアルトは反論できないが、なんでこんな意地の悪い男を好きになったんだ!と、八つ当たりで手近なものを投げつける。
「わっ」
「馬鹿ミシェル! 」
「なにすんだよ姫ー。せっかく買ってあげたヒュドラの特大ぬいぐるみ、粗末にしないでくれるかな」
「知るか! お前が勝手に買ったんだろ!」
律儀にベッドに置いててくれるくせにねえ、と抱き枕仕様のヒュドラを撫でる。時々これをちゃんと抱きしめて眠っていることくらい、お見通し。ポンポンと軽くはたいて、アルトのベッドへ戻してやった。
「ハイハイごめんね。たまにはさー、こうほら、ミシェルーって抱きついてくる姫が見たかったんだけどなー」
「ぜっ、絶対しな……うわっ!!」
しない、と言いかけたところへ、特大のカミナリ。思わず耳を塞いで身をかがめる。さすがの轟音に、ミハエルも首を竦めた。
「これいつまで続くのかなあ。ちゃんと眠れるといいんだが。大丈夫かアルト?」
「あ……」
無意識に肩を抱いてくれるミハエルの両手に嬉しくなってしまう。
「もう、……嫌だミシェル」
きゅ、と彼のジャケットを握って、トンと額を預けた。
「え、なにが」
「カミナリ」
「え、あ、うん?」
「…………しろよ」
その言葉の意味は理解したがにわかには信じられなくて、ミハエルは踏み込めないでいる。それを感知したのか、アルトはバッと顔を上げて口唇を奪った。
「カミナリ気にしてる余裕、なくさせろって言ってんだ!」
真っ赤になって叫ぶお姫様を、何よりも愛しいと思ってミハエルは抱きしめる。
キスをして、背中をさすってやって、ゆっくりとベッドに倒れ込む。カミナリはまだ鳴っていたけど、そんなもの気にしていられなくさせてやろうと、深く口づけた。
口唇を離したら、無邪気な顔をしたヒュドラのぬいぐるみに気がついて苦笑する。邪魔をしないでくれよなと笑って、そっとベッドの下に追いやった。
#ミハアル #ラブラブ
逃げ道
ふうーとアルトは息を吐いた。泣かずにはおられなくて、ソファの背に頭を乗せて目を押さえる。男なんだからと我慢しても、溢れてくる涙が止まらなかった。
玄関の方で、鍵を開ける音がしてハッとする。流れた涙を拭って、アルトはソファから立ち上がった。リビングを抜けて、玄関までの数歩を駆ける。今は少しでも早く、その人の顔を見たかった。
「ただいまー」
「ミシェル!」
勤務を終えて帰ってきた恋人に、触れたくて抱きしめる。
熱烈な歓迎を受けて、ミハエルは不思議に思った。今日は何か特別なことでもあっただろうか?とおみやげに買ってきた娘々の天津飯を片手に腕を広げる。ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、う~ん?と考えながらも、ぎゅうっと抱き返してみた。
「アルト、どうしたんだ?」
何かあった?と耳元で囁いてやると、ふるふると首を振って答えるアルト。なんでもないんだ、とようやく身体を離し、正面から顔を眺める。
「ただ、お前に触れたかったんだ」
おかえり、と続けると、ミハエルは優しいキスをしてくれた。
「メシ、すぐに用意するから」
「ん、頼むわ。着替えてくるから」
そうしてあるとはキッチンに向かい、ミハエルは自室へと入っていく。
ふたりで暮らし始めて、どれくらい経つのだろう。
出逢って、恋に落ちて、キスをして、身体を繋げて、一緒に暮らそうと言い出すまでに、さほど時間はかからなかったように思う。
軍事プロバイダーなんて職に就いてはいるものの、世界は至って平和。表向きの運送業と、要人の航行護衛、くらいしかすることがないくらいだった。
「チビー、いい子にしてたか~?」
着替え終わったミハエルはリビングのソファに腰をかけ、いつだか拾った飼い猫を抱き上げる。拾った頃は手のひらに乗っかってしまいそうだった子猫も、今では両手でないと持ち上げられない。
にゃあんと声を立てて擦り寄る猫の、首輪についた鈴が鳴った。
「ミシェルー、テーブルの上片付けてくれ」
「おう任せろ」
ミハエルは言われるままにテーブルを片付け始める。アルトが飲んでいたらしい紅茶のカップと、戦闘機の月刊誌数冊、テレビのリモコン、そして、一冊の文庫本。
「あ、献本来たのかこれ」
目に馴染みのあるタイトルに、ミハエルはその文庫本を手に取って眺める。
「あ、ああ、お前にも来てたぞ。そっちの封筒」
プレートに料理を乗せて運んできたアルトが、少しだけ動揺した様子で奥のソファを顎で指した。宅配便で送られてきたらしい封筒が目に入り、ミハエルは苦笑した。
「アルトのと一緒に送ってくれてもいいのにねえ」
くすくすと笑いながら、拭いたテーブルの上に料理を並べる。いい匂いだ、とミハエルは鼻を鳴らした。
カーペットの上に二人で向かい合って座り、本日の夕食開始。夕食というには若干遅い時間帯だが、そろって食事をしようという、いつのまにか出来上がっていた暗黙の了解が、二人にそうさせていた。
「どうだった? 読んだんだろ?」
温かなご飯を口に運びながら、ミハエルは訊ねる。アルトの肩が、少しだけ強張った。
本日二人に届いた物は、あるドラマを小説化したものだ。売り出し中のアイドルたちをメインに、このマクロス・フロンティアを舞台とした大掛かりなドラマ。それにはアルトを始め、ミハエルや同僚のルカ、歌姫ランカの兄であり、アルトたちの上司であるオズマなども出演していた。ドラマの世界の人物と現実世界をリンクさせ、間柄や名前、社名など、ほとんどがそのまま使われている。
ランカ・リー、シェリル・ノームの歌も然ることながら、戦闘シーンには絶大な人気が集中し、カラオケブームの到来・新統合軍への志願者急増など、ちょっとした社会現象になってしまったことは、まだ記憶に新しい。
その人気を受けて、コミカライズやノベライズが行われたというわけだ。
「これ確か最終巻だろ? ちゃんと新しい星に行けたのか?」
アルトは、箸を止めてしまう。ミハエルはそれに気づいて、何か悪いことでも言ったかな、と首を傾げた。
あ、と思い当たる。
恋人関係を続けて珍しい、熱烈なお出迎え。
「アルト、もしかして泣いてた?」
「べ、別に泣いてない」
この愛しい人は嘘が下手だなあと、いつも思う。嘘をつくときは、いつも視線が右にずれるのだ。
ミハエルは箸を置き、ぽんぽんと自分の膝を叩いて、
「アルト、おいで」
そう、呼んでみる。アルトはふと顔を上げ目線を合わせ、困ったように眉を下げて、自分の器と箸を片手に移動した。
器と箸をテーブルに置き、膝の間にちょこんと座り込む。それでも素直に背中を預けようとしないアルトを、ミハエルは強く胸に抱き寄せた。
「悲しい結末だった?」
「……別に、そういうんじゃない。基本的にテレビのとおんなじだし」
「でも泣いてたんだろう?」
泣いてない、とは今度は返ってこなかった。やきもちを焼いて身を寄せてきた猫を抱き、アルトは先ほどまで読んでいた小説の内容を思い出す。
戦争は終結した。新天地に降り立って、あの後は街の建設や何やらで忙しくなるのだろう。悲しい結末ではなかった。
「俺がいないから寂しい? 俺は三巻で退場しちゃったからなあ」
悲しい結末でなかったのなら、あとは何だろう、とミハエルは考えて、冗談混じりに呟いてみせる。
アルトからの返答はなくて、図星だったのだと悟った。
――――またこのお姫様は、余計なこと考えちゃったのか
ミハエルの演じた役は、幼馴染であり密かに想っていた女を守り死して退場した。そのシーンを撮影した時は、アルトの目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれていて、宥めるのに何度も何度もキスをしたのだ。
現実じゃないだろ、と言って、頬に、目蓋に、キスをして、大丈夫だと抱きしめた。
出番がなくなってからも、ミハエルは何かと理由をつけて撮影現場に出向いていたけど、本当は自分だって怖くてたまらなかったのだ。死というものが、あんなにも恐ろしいものだとは思わなかった。
「姫、もう何度も言ったけど、俺はここにいるだろ?」
ぎゅう、と抱きしめる。猫の鈴が鳴る。
自分はここにこうしているのだと、アルトに教え、ミハエル自身にも証明する。
「分かってるけど、しんどい」
せめて役名が違うものだったら、こんな思いはせずに済んだかも知れない。いや、それでも姿かたちはミハエルなのだから、どれだけも変わらないだろうか。
「でも、出てきたぞ、お前。いないけど、出てきた」
「……何それ、ちょっと意味が分からないんだが」
怪訝な声を出したミハエルにアルトはやっと笑い、夢の中だよ、と続けてやった。
「夢?」
「ああ、夢だ。最終決戦の時、すげー幸せな夢見てた」
学園の校庭で寝入ってしまった自分をミハエルが揺り起こし、あたしも探してあげたのよと見下ろすシェリルや、見つかってよかったと笑うランカたちと教室に戻り、仏頂面のブレラとすれ違って、ランカの崇拝者であるナナセや、そのナナセに若干報われそうにない恋心を抱いているルカを眺めては、自分のいた世界がこんなにも美しかったことを知ったのだ。
そうして学園の背景は消え、ミハエルとふたりになる。
ミハエルの存在と彼の死が、アルトに教えてくれた。大切なもの、というのがいったい何であるのか。
夢で見た彼の笑い顔を、アルトはきっと忘れないのだろう、とアルトは思う。
夢から醒めて、ふと横切った紙切れ。
ミハエルの残した遺書。たった一言、走り書きのように綴られていた。
Show must go on.
思い出して、また泣いてしまう。
死して退場する役は、ミハエルでなければならなかったのだと、今さら実感する。あの役が他の誰かであったら、アルトは大切なものさえ気づかずに、ずっと頼りっぱなしで過ごしていたに違いない。
「ドラマん時は俺、演じることで精一杯だったけど……こうして文字で見ると全然違うっていうか……」
「演技なんてしたことなかったしな、俺ら。それは俺も思ったよ。どんだけアルトに入れ込んでんだ、って」
ちょっと恥ずかしいな、とミハエルは笑う。ミハエルの役どころはアルトの親友で、しかしそれにしては構いすぎである。読みながら、何度苦笑を漏らしたことか。
製作側も、アルトとミハエルが恋人同士であることは知っているから、そういう要素を取り入れたのだろう。
「どんな世界で出逢っても、俺はきっとお前に惹かれてくんだろうな」
そう言って、ミハエルは目を閉じる。たとえそれが恋と名づけるべきではない感情でも、ミハエル・ブランという男は早乙女アルトに惹かれるだろう。
例えばこの先の未来で出逢っても、本物の空がある地球という星で出逢っても。宇宙の存在がまだ遠かったような過去でも、進化しすぎた未来でも。
「俺もだ。同じ時代に生まれて、その世界の端と端にいても、絶対出逢っちまうんだぜ」
普通の学校に通って、部活動にも参加して、帰りには手を繋いで歩いたり、普通の企業に勤めて一緒に暮らしたりするのだ。
「今度制服でデートしようか?」
「休み合わねーよ」
「ああ、そうだなあ……今オズマ隊長が新婚旅行行っちまってるおかげで、俺にお鉢が回ってきてるしね」
先日、ついに結婚式を挙げたオズマ・リーは、現在L.A.I系列のリゾートで新婚気分を満喫中だ。あの無精ひげの男がリゾート施設になんて不審極まりないが、新妻であるキャシーは喜んでいるようだった。
その間の仕事は、ミハエルが引き継いでいる。デスクワークは嫌いじゃないが、できれば身体を動かしたい。
「旅行土産、なんだろうな」
ちょっと楽しみ、と喉を鳴らしたアルトに、あの隊長がそんなに気の利いた品を買ってくるとは思えないけどねと返してやった。
「今度一緒の休暇取れたら、ふたりでどっか行こうか」
「そうだな、取れたら」
「ご機嫌上昇した? まったく俺のお姫様は単純なんだからな」
横向かせた頬にちゅっとキスを贈ると、ぶん、とこぶしが飛んでくる。もちろんそれは避けてみせて、ホールド・アップ。
「単純って言うなっ、あと姫って言うのもやめろッ」
「似合ってるんだからいいじゃないかー」
「似合ってない! もう、てめえにメシなんか作ってやんねーからな!」
顔を真っ赤にして膝の間から抜け出し、頬を膨らませて隣に移動する。では私が、とでも言うように、愛猫が空いた膝へと乗り上げた。
「仕方ないな、じゃあ明日は俺が作るよ」
一緒に暮らし始めた頃は、確か食事も洗濯も掃除も当番制だった気がする。
いつの頃からか食事はもっぱらアルトの役割となり、レパートリーもかなり増えてしまった。
「久しぶりのような気がする。ミシェルの作ったもん食べるの」
「最近アルトに任せっぱなしだからなあ」
中断してしまった食事を再開して、ほんの少し冷めた料理を口に運ぶ。向かい合って食べるより、こうして隣り合って食べる方が、声がすぐ近くで聞こえて心地良い。
「俺はアルトの料理大好きだから嬉しいけど、しんどいなら前みたいにきっちり当番制にするか? 仕事だってあるんだし、負担になるだろ」
「別に、負担になんてなってない。誰かのために作るのって、結構好きみたいだ。ちゃんと感想言ってくれるし、そういうのは、その、やっぱり嬉しいと思ってる」
俯き加減に呟くアルトを見下ろして、思わず可愛いなんて思ってしまう。気に入らないことには素直に感情を表すが、嬉しいという言葉をあまり発さなかった恋人が、こうして心の内を話してくれるようになったのは、やはりあのドラマに出演してからだった。
「姫の作るもんは何でも好きだけど、あれ食べたいな、カボチャ煮たやつ。甘辛くって美味しかった」
店で買うと何か違う、と口唇を尖らせるミハエルを少し見上げて、思わず可愛いなんて思ってしまう。なんでも一人でこなせてしまう恋人が、こんな風に甘えてくるようになったのは、あのドラマに出演してからだった。
似た環境でありながら全く違う生活を体験して、あんな世界もあったんだ、と思うと、今こうしてここにふたりでいられることが、奇跡のようにさえ感じられたのだ。
星の数ほどいる人類の中で、こうして無事に大切なひとを見つけられた。自分が相手を想うのと同じく、相手も自分を想ってくれた。
外敵もおらず、物語の中でしか凄惨な戦いを知らない。軍人として物足りないと思った日もあったが、とんでもないことだ。
こっちが現実で良かった、と、シナリオを読んで、演じて、公開されたドラマを見て、小説を読んで、その度に思う。
共に寝起きして、食事をして、愛猫を撫でる余裕さえあるこの世界。
キスをしたいなと思って見やったら、お互いがそう思っていたようで視線がぶつかった。面食らって、笑って、口づける。
愛しい人とこんな風にキスができる、この世界を愛してる。
片づけくらい俺がするよとキッチンへ向かうミハエルを追い、アルトも食器を持って向かう。手伝う、と微笑んだら、ありがとうと返ってきた。
リビングでは愛猫がふわふわのおもちゃとじゃれあい、時おり耳に心地良い鈴の音が聞こえてくる。食器を洗う水音と相まって、歌のようにさえ感じられた。
歌――そういえば歌姫たちは元気にしているだろうか。活躍はよく耳にするが、全銀河規模のアイドルになってしまったかつての級友には、気軽に連絡も取れやしない。
作中でこそアルトに恋する女の子たちだったが、現実はクラスメイトで、友人。普通だったら今度みんなで飲みに行こうとでも誘えるのに、そうもいかないのだ。
「ランカちゃんは、隊長の結婚式んときに見たけど、ゆっくり話す暇もなかったなあ」
「ウェディングドレスには目ぇきらきらさせてたな。女ってやっぱりああいうの憧れなんだろうか」
「そりゃ憧れるだろ、純白のドレス着てバージンロードって、普通は一生に一度だし」
「特別ってヤツか」
特別というものに心を惹かれる気持ちはよく分かる。アルトにはミハエルが、ミハエルにはアルトが、まさに特別なのだから。
「はあ、しかしやっと最終巻かぁ。長かったような、短かったような」
片づけを終えてソファにどさりと腰を下ろし、ミハエルは小さな文庫を手に取った。
「こっちの世界とごっちゃにするなってお前には言ったけどさ。正直俺、結構嫉妬したんだぜ」
アルトは小さな猫を抱き上げて、ふわふわの毛を撫でながらなんでと訊ねる。
「シェリルもランカちゃんも、堂々とお前にアピールできていいなーって」
「…………お前も結構してると思うけど」
「これの中の俺はお前に恋してな……う~ん……ないと……思うけど」
自信ないなと目を細めて息を吐く。本棚に並べた既刊を眺めて、思い返してはみたものの、親友というには少し近すぎるポジションをどう説明づけようか悩むところだ。
「俺はあんなに気にかけてたのに、姫の方はさっぱりだったしなー。三巻じゃとうとうシェリル抱いちまって、嫉妬でどうにかなるかと思ったのに」
「ばっ、バカあれはっ……!」
アルトは真っ赤になってから思い出す。そういえば三巻が出てからしばらく、ミハエルの機嫌が悪かったことに。
三巻でのミハエルの退場に、アルト自身も気遣う余裕などなくて、空いている時間にはずっとくっついていたけれど。
「勘弁しろよミシェル。そのことはさんざんシェリルにも言われたんだぜ。なんでアンタがあたしの初体験の相手なのよ!ってさ」
ドラマの方ではぼかされていた部分も、結果として描かれていて、今思うと赤面してしまう。
確かに女を知る前にミハエルに出逢ってしまったおかげで、現実でも女性の柔らかさなど知らないが、ミハエル以外の誰かに触れたいとは思っていない。
「ミシェル」
アルトは気づいた。そういえばまだ一度も言ってやっていなかったことに。
「アルト? どう……」
どうした?と顔を上げたミハエルに、ちゅ、と口唇を寄せる。惚けたような彼に、笑ってみせた。
「俺は、ここにいるからな」
いつも、ミハエルがアルトに言ってくれた言葉。そっくりそのまま返して、告げる。
「お前の俺は、ここだ」
だからお前まで違う世界に行ってくれるな、と。
ミハエルは数秒アルトを眺め、嬉しそうに笑った。
「そうだな、俺の早乙女アルトは、ここにいる」
「俺のミハエル・ブランも、ここにいる」
間違ってないよな、と訊ねると、間違ってないねと返ってくる。違う世界、なんてのも子供の頃に夢を見たけど、やっぱりこの世界がいい。
このひとがいる世界が、いちばん大好き。
「余計なこと、考えるなよ」
「アルトに言われたくないな」
「う、うるさい」
ぺし、と頭をはたいてやったら、イテ、と少しも痛くなさそうな声が返ってきた。
「あれ? アルトもう寝るのか?」
「んー、だってお前それ読むだろ」
背中を向けて寝室に向かっていくアルトに声をかけると、アルトは少しだけ振り向いて答える。それ、と彼が指すのはミハエルの手にした小説。本を読む時、他人が傍にいて気が散る方ではないのに、今日に限ってなぜそんな気を遣うのだろう?と首を傾げた。
「俺がいたら、お前が泣けない」
したり顔で笑うアルトに、カクンと肘を折る。確かに人前で泣いたことなんて、赤ん坊の頃を除けば数えても両手に足りる。
「泣かねーよ」
「ふん、どうだかな」
おやすみ、と笑いながらアルトは背を向ける。泣いていた理由を当てられた仕返しか、とも思いながら、ミハエルは本の表紙をめくった。
はた、と裏表紙を合わせて本を閉じる。ふうーと大きく息を吐いて、それから苦笑いをもらした。
アルトのことをとやかく言えない。
ミハエルは本をテーブルに置き、寝室のドアを振り向く。そこには家族と言える愛しいひとと愛猫がいるはずで、立ち上がってそこに向かう。
愛猫はお気に入りのクッションの上に、恋人はベッドの上に、気持ち良さそうに身体を横たえていた。
「アルト」
静かに声をかけても、小さすぎたのか彼には届かない。ピクリとも動かないアルトに、ミハエルはもう一度だけ声をかけた。
「アルト、もう寝ちゃった?」
愛しいひとは、二度瞬いて、そうしてしっかりと瞳に映してくれた。
「ごめん、起こして」
「いいよ、別に。そんなに眠かったわけじゃないから」
頬に手を寄せると、まるで猫のように擦り寄ってくる。ミハエルは微笑んで、髪を撫でた。
ベッドの端にぎしりと座り込んで、膝の上で指を組む。こんなに情けないところを見られたくなくて、アルトには背を向けてしまった。
「ねえ、俺……泣いちゃったよ」
絶対大丈夫だと思ったのになと続けると、後ろの方でミシェルと呼ぶ声が聞こえる。
「新しい星に行けて良かったなって思いと、やっぱりあそこに居たかったって気持ちがごっちゃになった。ホレた女守って、ってのが間違ってたとは思わないし、現実の俺だってクランのこと大事に思ってる。だから、それはいいんだけどさ」
ミシェル、と名を呼んでアルトは起き上がる。
「やっぱり、お前の隣にいたかったな」
「ミシェル……!」
悲しいのか辛いのか、ミハエルの声が痛い。アルトはミハエルを背中から抱きしめて、力の限りに腕を絡めた。
「でもそればっかりじゃなくてな。死んでいなくなる役目は、俺じゃなきゃダメだったんだって、改めて思ったよ。お前にいちばん近かった、俺じゃなきゃダメだったんだ。アルトにとって特別だったんだなって思うと嬉しいっていうか……なんだろうな、上手く言えない」
複雑な気持ちだよと力なく笑うミハエルを、アルトは強く強く抱きしめる。同じことを考えるこの人だから、愛した。
「あの世界の俺はこっちの俺よりお前のこと分かってて、嫉妬したりね。なに、あの遺書。キザなことしやがって」
「でも、泣いたんだろ」
しばしの沈黙のあとに、小さくうんと返ってくる。涙の溜まる瞳を思い描いて、アルトはふふと笑った。
「俺のこととやかく言えねーじゃねえか、お前」
男のクセにと言ってやると、苦笑した顔が振り向いて口唇を奪われた。
「ん」
三度ほど瞬いて、ゆっくりと目を閉じる。入り込んできた熱い舌先を受け入れて、同じように絡めた。
「んん……」
混ざり合った唾液をこくりと飲み込んで、口唇を離す。吐き出す息さえ、愛おしく思ったけれど。
「……キスでごまかした」
口を尖らせて抗議したら、決まりが悪そうにミハエルの視線が泳ぐ。
愛しい。可愛らしい。抱きしめたい。
アルトは、仕方のない男だなと笑う。
「でも、いい。俺もしたい」
そう言って、ミハエルを首から引き寄せた。そのままベッドに背中を静めて誘う。
「いいの? 疲れてないか?」
「お前こそ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
いつも、そうしてキスで始まる。 本当に仕方のない男だと思った。
時々こうして弱いところを見せられて、愛しさが倍ほどに膨れ上がってしまう自分は、本当に仕方のない男だと思った。
#ラブラブ
また今日も抜け出せず
-Alto&Michael-
今日こそ、言おうと思う。
昨日も、言おうと思った。
確かその前も、言おうとしていた。
でも、いつも言えないんだ。
言った後のことを考えると、すげえ怖いんだよな。なにせ俺もあいつも男だし、何言ってんだよ気持ち悪いって突っぱねられんのが関の山だ。そして変なものでも見るような目で見られて、避けられて終わるんだ。
何度も頭に描いたじゃないか、そんなこと。
だから、もうやめてやるって思うのにな。
それでも逢うたびに胸が鳴って、しょうがないよなって、諦めることを忘れちまうんだ。
あの日キスをしてから、どれだけ経ったんだろう。あの後も当然だけどあいつは何も変わらずに、やっぱりドキドキしてたのは自分だけなんだって思った。
まだ感触を思い出せる。ただの【レクチャー】だって分かってんのに、俺の方は熱くなっちまって、夢中になってた。
気持ち良かったな……。もうできないんだろうな。
なあ、気づけよお前。こうしてお前の隣をなんでもないフリして歩くって、結構しんどいんだぜ。
他愛ない会話をわざわざ探して、これからの関係に差し障りないように選んで、たまに横顔を盗み見ながら、必死で好きだって気持ち抑えてんだ。
気づけよ、この鈍感。
「なあ姫、渋谷エリアに新しいケーキ屋ができたんだってさ」
「……また女からの情報か? 相変わらずお盛んだな」
「あれ、そういうこと言うんだ? せっかくオゴッてやろうと思ったのになあ」
少しだけ速まった歩調に、慌てて合わせる。
「マジで? 前言撤回する」
「予定ないだろ? これから行こうぜ。可愛い店員さんいるかな、楽しみだ」
「お前はそれしかないんだな。ああでも、俺も楽しみだ、どんなのあるかな」
そしてまた、互いの歩調がゆっくり同じになるんだ。
気づけって、だから、もう。
楽しみなのはお前とケーキ屋行けることであって、それ以上の楽しみなんかないのに!
もういやだ、こんなじれったい気持ち。
やっぱり言ってしまおうか、お前が好きだと。レクチャーじゃないキスがしたいんだと。本当は笑い合って抱き合って、いちばん初めにおはようって言いたいんだ。
ああくそ、泣きたくなってきた。
情けないな、こんな風になっちまうなんてさ。俺がこんな想いを抱えてるって知ったら、周りのヤツらは笑うだろうか。
いつだって傍にいるせいで諦められなくて、いつでも傍にいるのに言い出せなくて、気づけば長いこと片想いしてる、なんて。
自分でも馬鹿みたいだなって思うよ。せめてもうちょっと楽な相手を好きになればいいものを。
ああ、でも。
あの背中を見るたびに、髪に触れるたびに、声を聞くたびに、どうしようもなく好きなんだなって実感する。この間なんか夢にまで出てきて、目が覚めたとき思わず力なく笑ってしまった。
もう、どれだけ好きになってしまっているんだ。
「どうしたんだ?」
知らないうちに立ち止まってしまっていて、何かあったのかと覗き込んでくる。
ああ、きっと最初に好きになったのはその目なんだろうな。
「別になんでもない。悪いな、行こうぜ」
「悩み事でもあるのか」
深刻そうな顔をしていた、と言われて自嘲気味に笑った。そうだ、深刻な悩みだよ。きっとこの銀河が平和になっても、ずっと続いてく悩みなんだ。
「俺には話せない悩みか? 相談くらいだったら、いつでも乗るぞ」
「ああ、うん、ちょっとお前のことが好き過ぎて」
「あー、俺もあるぜ悩むとき。お前のことが好き過ぎて」
ため息混じりに呟いた。
ため息と一緒に返ってきた。
そうしてからやっと気づいた。
三秒の沈黙と、それから同時に振り向くお互いの顔。
「あ、そ、そうなのか?」
「え、あ、うん、まあ」
なんてことだ。……なんてことだ!
言っちまった、ぽろっと口から出ちまった。
こんな風に言うつもりじゃなかったのに。
あんな風に返される予定はなかったのに。
「あのさ、今の、本気で信じるぞ」
「俺のセリフだ、ばかやろう」
「なんだよもう、そうならそうとちゃんと早く言えってんだ」
「お前こそ、少しはそういう素振り見せろよな」
こっちは見せてたつもりだ。好きでもないのにあんなキス、できてたまるか。
そうだ、あの時言ってくれれば良かったんだよ。そうすればもっと早く、お前と手が繋げたのに。
「じゃあ、改めて言うけど」
「あ、うん」
正面で向き合った。周りの喧騒なんか、耳に入ってこない。あいつの声だけ、聞いていたいんだ。
「好き、だ」
「俺も、好き」
これでやっと両想いだ。念願叶った、神様ありがとう。
手が触れた。指が絡んだ。お互いに握り合って、新しくできたというケーキ屋へと足を向けていく。
でも、でもどうしよう。恋が叶ったらこんなに悩まずにすむと思っていたのに。
「ああ、どうしようアルト。すげえ好きだー」
「知るかよ、俺だってすげえ好きでどうしようって思ってんのに!」
好き過ぎて、また悩む。
ああもうちくしょう、大好きだ。
結局また今日も、【好き】の渦から抜け出せず。
#両片想い #シリーズ物 #ミハアル
グッドモーニング
目覚ましよりも早く起きた朝は、何故だか得したような気分になる。
薄明かりにぱちりと目を開けて、ミハエルは数度瞬きをした。
伸ばした腕の上に、愛しい人の身体がある。いつもの光景に間違いはなかったが、こんなときはひどく幸福だと実感するのだ。
ベッドサイドの時計を見れば、まだ起きなければいけない時間には少し早い。アラームが鳴り響くまでまた眠ろうかと思ったが、愛しい人が身じろいだのをきっかけに、ふとしたイタズラ心が生まれてしまった。
す、と腕が伸びる。
随分と男らしい手のひらが、同居人・早乙女アルトの太ももをすいと撫でた。
彼の太ももは素肌のままで、手触りが良い。これはミハエルのお気に入りのひとつ。まあ、アルトの全てがお気に入りと言ってしまえばそうなのだが。
上から下へ、下から上へなぞり上げ、両脚が合わさった谷間へと移動していくイタズラ好きな手のひら。若干朝が弱いアルトも、その明確な欲望を持ってうごめく手のひらには気がついたようで、ん、と身をよじった。
「こ、こら、ミシェ……っ」
背中からぎゅっと抱きしめたまま、ミハエルは笑んだ。
昨夜つけたキスマークはどこらへんだっただろうかと、探るように指を動かすミハエル。
ここだったろうか。それともここか。
「ミシェル!」
朝っぱらから欲情する恋人に、アルトは怒声を上げる。だけど快楽に弱いアルトにとって、ミハエルの器用な指先は、凶器以外の何物でもなかった。
「んっ……」
太股を撫で、ニットセーターの裾から入り込み脇腹をなぞる。昨夜これでもかというほど開放した熱が、また生まれそうになる。耳元で吹きかけられる吐息は、どうせわざとなのだろう。
「アルト、起きた?」
「お、起きたからもうよせっ……」
「おはよう」
なんて起こし方をするんだ、とアルトはミハエルの手を止めようともがいた。このままではまた昨夜のように流されてしまう。
「ヤダって、ミシェル……っ」
「逃げんなって、ちゃんとよくしてやるからさ」
手のひらがだんだんと上に上がってくる。これ以上はダメだ、と首を振っても、ミハエルの手は止まってくれなかった。
「……っの…!」
朝っぱらからこのままコトに及んでたまるものかと、アルトは息を溜めて左肘を思い切り後ろに振る。
イヤだって言ってんだろ、と叫ぶアルトの声と、身体がぶつかる音と、ミハエルの詰めたような呻きが、全部重なった。
肋骨の辺りに肘を食らったミハエルは、衝撃に少し咳き込み、アルトの身体から手を離してしまう。
「す、少しくらい…手加減、しろ、姫」
「あのなあミシェル、お前、ちょっとそこ座れ!」
鍛えてはいるものの、突然の攻撃には対処しきれない。まさか容赦ない肘が入るとは、思っていなかった。
ミハエルの腕から逃れることに成功したアルトはそのままがばりと起き上がり、ベッドの上に座り込む。そうしてミハエルにもちゃんと座れと自分の前を指差した。
これは従わないとマズイことになりそうだなと、ミハエルも身体を起こしてベッドの上に正座した。この座り方は足が固まってしまいそうで好きじゃないが、反省しているというポーズだけでもしておこう。
「ミシェル、お前な。聞いてる?」
「ハイ聞いてマス」
膝を突き合わせて、ベッドの上で始まる説教。しまったなあと思わざるを得ないミハエルだが、俯いて反省している振りをしても、視線はいつの間にか、空気にさらされたアルトの太股へと移動していた。
下は何も穿いてないし、彼が着ているニットセーターはミハエルのものだ。少し袖が長いのは、そのせいだろう。
男のロマンだよねと心の中でひとりごちる。
裾から伸びた、思わず触りたくなる太股。温かいからこれでいいよと少し大きな服をパジャマ代わりにする恋人は、きっと男のそんな心理は興味もないのだろう。
出逢って7年経つけれど、そんなところはずっと変わらない。お互い昇進もしたし環境も変わったのに、この無防備さはどうにかならないものだろうか。
「だいたいお前はな、我慢が利かなすぎるんだ!」
「うん、ごめん。でも姫に触りたかったんだよね」
我慢を利かなくさせているのはアルトだ、などと言おうものなら、すぐさまこぶしが飛んでくるだろう。アルトとは共に過ごして長い。扱い方はもう心得てきたが、そう思うのも本心だった。
「え、あ、でもな、何も朝っぱらから」
「だって一日の始まりに姫補給しないと、持たない」
「俺は別にお前なんか補給しなくても大丈夫だ。そ、それに昨夜あんなに、っ……」
アルトが口ごもり、ミハエルの目が光る。
長い袖に隠れたアルトの腕を取った。
「ふうん? じゃあ朝ダメならその分夜にしていいってことかな?」
「いやいやいやいや、それおかしいから! 俺は……っ」
腰が引けているのは、ミハエルからでも充分に見て取れる。さすがにこのままどうこうしようという気はないが、補給しなくても大丈夫などと言われてしまっては、面白くない。
こんなところはまだ、10代の少年のようだった。
「ごめんねアルト姫。俺のこと嫌いになった?」
「なってねーよばーか」
すぐに否定を返してくれて、分かっていたことだがミハエルはやはりホッとしてしまう。
「じゃあ、補給な」
触って、と掴んだ腕を持ち上げて、手のひらをこちらに向けさせる。逃げ出す前に、胸に押し当てた。びくりとアルトの肩が揺れて、困ったような表情に変わってゆく。
アルトにとって、しらふで恋人の肌に触れるという行為が、どうにも恥ずかしいものらしい。ミハエルはそれを知っていて、わざとゆっくりと触れさせた。
胸に、鎖骨に、腕に、脇腹に、掴んだアルトの手首を移動させていく。
「む、昔よりはその、筋肉が綺麗についた、な」
恥ずかしさを払拭しようと、アルトはミハエルに声をかける。上気した頬は、彼の胸の内をよく表しているなと口の端を上げた。
「アルト姫に追いつかれちゃ敵わないからな。ちゃーんとトレーニングしてるんだよ」
「お、俺だってしてるさ! ……なんでこんなに違うんだよ、ちくしょう、お前なんか……」
眉を寄せて口を尖らせて、アルトはミハエルの肌から手を離させる。その手を無理に引き止めることはせず、膝の上に収まったそれをそっと覆う。
「俺なんか、なに? 好き? 大好き? 愛してる?」
嫌い、の選択肢がないあたり、ミハエルも相当の自信家だ。だけどその自信は、これまでの二人での生活がそうさせるのであって、幸福、と胸を張って言えること。
アルトは考え込むように瞬いて、
「め、目ぇ閉じたら教えてやる」
「ん、こう?」
目を閉じたミハエルの眼前で手を振って、本当に閉じているか確認してから、自らも目を閉じて、近づいていく。ターゲットはその微笑む口唇。
「…………ぜんぶ」
口唇に触れる寸前、小さく小さく、囁いた。
好き、大好き、愛してる、ぜんぶ。
「補給、したか?」
「した。おはようアルト姫」
「おはようミシェル」
今日も、ここから始まる。
#両想い #ラブラブ #ミハアル
アナタノオト
アルト、アルト。
呼びかけても、あーとかうーとか、曖昧な返事しか返ってこなかった。ミハエルは苦笑して、今度は違う呼び名で呼んでみる。
「ひーめ、姫」
「んー、なんだよさっきからー」
やっと次に繋がりそうな返事が聞こえたが、なんだよ、はこちらの台詞だ。ふう、とため息をついて、
「ちょっと重いんだけどね」
胸の上に乗る、彼の頭をぽんぽんと叩いてみた。
素肌同士のままこうして、どれだけ時間が経ったのだろうか。時計を見る余裕などなかったから、どれだけそうしていたのか分からない。それどころか、今現在の時刻さえ分からない。
「我慢しろよ」
「そうは言ってもさ、寝返り打てないってちょっとしんどいぞ」
「うるさいミシェル。ちょっと黙ってろ」
素肌が触れ合うことは別に厭うことなどないし、むしろ嬉しくて幸せ。実際さっきまでずっと、これでもかというほど触れ合って入り込んで、お互いの境界線がどこなのかも分からないほど抱き合っていた。
だけど、何度目かの開放を終えてからずっと、アルトはミハエルの胸の上を陣取って、気持ちよさそうに惰眠を貪っている。
彼にとって安心できる場所なのだろうかと考えると嬉しくもあるが、この体勢ではロクに顔も見られない。どうせなら、正面から抱き合って眠りたいものだ。
「うるさいって、お前ね。奇跡の生還を遂げた恋人に対してそれはちょっとないんじゃない?」
無理やりにでも起きてしまおうと、ベッドに肘をついて上体を起こすと、不満そうにしがみつきながら、アルトもそれについてくる。
「うーごーくーなーよ、ちゃんと聞こえねえだろっ」
下から見上げられ、ミハエルは起こそうとしていた身体をそこで止めた。アルトの様子を見る限り、それはとても重要で重大なことのように思える。仕方なく身体をベッドに沈ませ、彼の好きなようにさせてみた。
ミハエルがおとなしく身体を横たえたのを、満足、とアルトは再度胸に頭を乗せる。揺らめく髪の毛が、ミハエルには少しくすぐったかった。
「聞こえないって、なに?」
髪を、優しく撫でる。それを嬉しく思ったのか、アルトは強く、ミハエルの胸に耳を押し付ける。
「お前の音」
その一語を大切そうに呟くアルトに、ミハエルはやっと合点がいった。
心臓の音を聴いていたのか。
「お前の生きてる音だ」
うん、とミハエルも静かに呟く。
ドクンドクンドクン。
「ミシェルの、音だ」
いつの間にか心音が重なって、呼吸も重なる。
ふたりでそっと目を閉じる。
ミハエルが助かったのは、奇跡といえばいいのか、偶然が重なっただけといえばいいのか。
宇宙空間に投げ出された彼は、仮死状態のまま何日かをそこで過ごした。ゼントラーディの血を引いていたのが幸いしてか、常人では有り得ない程存命率の高い状態で発見され、医療用カプセルに放り込まれ、それから数週間。
初期発見だったV型感染症も、ワクチンが間に合い、最悪の状態には至らなかった。
幼馴染の少女は泣きじゃくり、彼が目覚めるまでずっと傍についていた。
目を覚ました、と連絡をもらって駆けつけたときにはもう、ベッドの上に身体を起こし、たくさんの同僚に囲まれていて。
ごめんとありがとうを一生分言った気分だ、と笑っていたミハエルを見て、やっと現実なんだと思ったけれど、それでもまだ、不安が残る。
本当に生きているのか。幻ではないのか。
他の見舞い客がいなくなって、次の検査は明日の午後から、と看護士に告げられたミハエルが、アルトに向かって手を伸ばす。その瞬間さえ、夢なのではないかと疑った。
言葉を交わすより先に、キスを交わした。
熱い、と思った舌が絡み合って、ベッドが悲鳴を上げる。素肌を、と衣服に手を伸ばしたのはどちらが先だっただろうか。
「聞こえる? 姫」
「ああ、聞こえる」
ドクンドクンドクン。
抱き合うよりもっと、楽で体力も失わない方法もあっただろう。
「姫の音も聴きたい」
「あぁ、こら、バカ……もう無理だろ……」
伸びてくる腕を払いのけもせずに、アルトは言葉だけで拒絶してみせる。
抱き合う他にも、きっと方法はあるのに。若さと愚かさと愛しさで、全部投げ捨てる。
「聞かせろよ、お前の音」
「生きてる音?」
この人が愛しいのだと、笑って全てを投げ捨てる。
後で身体が言うことを聞かなくなっても、今はただこの人の音を聞いていたい。
「アルトの音、全部ちょうだい」
「欲張りだよお前」
「なんとでも」
アナタノオト。
生きてる音。
ドクンドクンドクン。
「生きててくれてありがとう、ミシェル」
「待っててくれてありがとう、アルト姫」
口唇からも伝わってくる、アナタノオト。
あなたの生きてる音を、愛してる。
ドクン、ドクン、ドクン。
#両想い #ラブラブ #ミハアル
on your names
有・人。
ミハエルは手のひらにそう文字を書き、ふうんと手をかざしてみせた。
「アルトの字ってこんな風に書くのか」
なんでテストの記名とかカタカナなんだ?と訊ねたら、面倒だからと返ってくる。確かに画数的には、……いや、そんなに変わりない。
カタカナの方が書きやすい、というのも確かに理由の一つなのだろうが、きっと父親に与えられた漢字だからと思ってでもいるのだろう。
反発できる父親がいるというのは羨ましいがねと、ミハエルは口に出さずに笑った。
「アルト、あると、有人」
「なんだよ、そんな呼ばなくても聞こえてる」
アルトはうつ伏せていた身体を起こして、アルトと動くミハエルの口唇をなぞる。
狭いベッドの上で、こんなにも密着していれば、何度も呼ばなくても耳に届くだろう。名を呼ばずにさえ、きっと視線だけでも伝わってしまう。
「他には? アルト。お前の名前に使える漢字」
「え? ……なんだろうな」
お互い、語学は一通り習得している。フロンティアでいちばんよく使われ、全銀河共通語とされているのは英語だったが、それでも船団によっては言語が違うのだ。こんなところは、人類が地球という星で生きていた頃と何ら変わりはない。
アルトもミハエルと同じように仰向けに寝転がり、手のひらを見上げた。
「こっちの"在る"でも読めるな。在人」
「"ト"を斗にするとか?」
「三文字にするとウザイし」
二文字でよかった、とアルトは、"アルト"と読めそうな文字を挙げていく。バリエーションはさまざまで、そういえばこんなことは考えたことがなかったと感心してしまった。
「……なんでこの漢字なんだ? 何か由来とか、あるのか?」
ミハエルはもう一度手のひらに有人と書いて、首を傾げる。こんなにたくさん文字があるなら、他の漢字だって良いではないかと。
「さあな。そんなん聞いたことねーよ」
そしてこれからも、訊く機会はないだろうとアルトは目を伏せる。
父に反発して家は出てきてしまったし、名付けられた時そこにいたであろう母は、もう他界してしまっている。
「有人、有人、有人。……ふうん?」
「なんだよ、気持ち悪いな」
何度も手のひらに書くミハエルを訝しんで振り向くと、ミハエルもこちらを振り向いて、視線が重なった。
「日本名……漢字っておもしろいな。読み方はひとつなのに、文字がいくつもある」
興味深げに漢字を書き比べてみては、ミハエルは笑う。
画数も違えば、雰囲気も違って見える。発音はすべて同じなのに、こんなにも違うのかと思って、何度も何度も書き比べた。
「有人、俺この漢字がいちばん好きだ」
普段は見せないような真剣な表情に、アルトは思わず肩を震わせてしまう。
そんな些細なことに、何をマジメな顔をしているんだと。
だけどその字が好きだといってくれた彼のおかげで、自分の方こそその字が好きになってくる。
「姫、何笑ってるんだ」
「だ、だってお前、ハハ、そんなんお前だって一緒だろ」
ついには身体を折ってまで笑い出したアルトに、ミハエルは不機嫌そうに眉を寄せる。アルトの言っている意味が分からない。
スペルはMichaelでしかなくて、それ以外には書けないというのに。
「姫、なんで俺とお前が一緒なんだ。スペル一通りしかないだろ」
「知ってるよ、そんなん。でもほら、俺とは逆に、読み方が違うだろ?」
覗きこんだミハエルは、アルトの答えに目を瞬いた。
アルトは手のひらにミハエルの名をなぞり、口に出して名を呼ぶ。
「ミハエル、ミヒャエル、ミシェル、ミカエル、マイケル……ほら」
ミハエルは参ったなと息を吐いた。自分の名前など、さして気にしていなかったことに今さら気がつく。両親が付けてくれた大切な、自分の名前。
改めて、この名前で良かったと思った。
「おんなじ、だろ」
「おんなじ、だな」
確かめ合って笑った。
何がそんなに面白くておかしくて幸福なのかも口にできないまま、抱き合って笑う。
「お前はどれで呼んでほしい?」
「どれでも。姫が呼んでくれるなら、どれでも嬉しいな」
アルトは一つずつ違う発音で呼びながら、彼の額に頬に鼻先に目蓋に口唇にキスを贈った。
「お前はどの字がいちばん良い?」
「どれでも。お前の指が俺の名をなぞるなら、どれでも嬉しい」
ミハエルはさまざまな漢字を書きながら、アルトの肌に触れていく。
ふたりは何度も名前を呼び合いながら、白いシーツに沈んでいった。
#両想い #ラブラブ
また今日も言い出せず
-Alto-
キミは誰とキスをする?
そんな出だしの歌を、最近よく耳にする。ヒットチャートの上位に入ったとかなんとか補足されているのを聞いたことがあるが、本来そんなことに興味はない。
ズ、とストローでレモネードを啜りながら、俺はガラス越しに見える人の波を眺めていた。
そうだ、この曲がどれだけ世間に注目されているかなんて、俺には興味がない。
興味があるのは、隣に座っている男はいったい誰とキスをするのかということ。
ガラス越しにイイ女が通るのを待っているかのように上機嫌なミハエルを横目で盗み見て、はあ、といささか大仰にため息をついた。
「どうしたんだ姫、そんな大きなため息をついて。……好みの女の子、通らない?」
それに気づいてミハエルは俺の方を振り向いてくる。そうしてほしくてため息をついたのだから、作戦が成功したとここは喜ぶべきなんだろうが。
「うるせぇよ、てめぇと一緒にすんな」
お前が隣にいるのに、女を物色しているわけがないだろう。
人の気も知らないでこの男は!
……言ってないんだから、しょうがないけど。
「機嫌悪いな。お姫さまは気まぐれだ」
「姫って言うな!」
ああ、もう、複雑だ。
女を形容されるのは大嫌いなんだが、【姫】って呼び出したのがお前だって考えると、嬉しいようなくすぐったいような感覚でそわそわしてしまう。
好きだ。好きだよミハエル。もうどーしようもない。
ノーマルどころか女好きで通ってるお前にホレたって無駄なんだろうけど、そう簡単に諦められねぇんだよなあ。
俺だって何度か諦めようとしたんだぜ、ミハエル。
今日だってもうやめるって思ったのにさ、お前が声かけてくれて。何か悩んでるんだったらいちばん最初に俺に言えって言われて、気にかけてくれているんだと思ったら嬉しくて、また諦められなかった。
お前はそんなつもりなかったかも知れないけど、本当に嬉しかったんだ。
買物付き合ってって言われて、今日は女とデートじゃないのかと喜んで、だけど明日はデートだとカウンターを食らって落ち込んで。
そいつとのデートに着けていくんだろうか、数十分前までふたりでアクセサリーを見ていたけど。ミハエルは俺が選んだものを持って、嬉しそうにレジへ持っていっていた。
せっかく姫が選んでくれたからねぇ、と軽い口調だったけど、それも嬉しかったんだ。
そんなこと、お前は知りもしないんだろ。
「お、あの子イイなあ」
お礼に奢るよと言ったミハエルとカフェに入ったけれど、当然男女のデートみたいに甘い雰囲気になんかならない。所詮【友人同士】だ。
人の気も知らないで、ミハエルは通行人の中から好みの女を探しているようだ。見る限りは年上の、華やかな女を。
ミハエルの好みがそういう女だってのは周知の事実。例えば俺が女に生まれてても、きっとこいつの好みからは外れてしまってるんだろう。
ああ、またあの歌だ。
「……なあミハエル、お前は誰とキスをする?」
「…………は?」
外を眺めていたミハエルが、驚いたように俺を振り向いてくる。気分がいいな、お前のそんな顔は滅多に見られない。
「ああ、あの歌のこと?」
「お前には耳が痛いんじゃないのか? いったい何人【お知り合い】がいるんだか」
トゲトゲしく言ってやった。あーそうだよ嫉妬してんだよ、馬鹿みたいに。
ミハエルとは恋人になんかなれないって知ってるから、もう最初っからいろんなことを諦めている。だけど興味がないと言えば嘘になって、ミハエルが誰とどんなキスをするのかは気になってしまう。
「人聞きが悪いな、いつだって一人に絞っているよ。サイクルが早いだけで」
「自慢できるようなことじゃねーだろ。特定のヤツと長く続けるとか、ねぇのかお前は」
よく言う、と俺は心の中で自分を嘲笑った。特定の女ということは、それが本命ということで、そんなひとできてほしくないくせに。
ミハエルはそれに何も返さずに、苦笑した。
なんだ今の顔。呆れたような諦めたような。なんでお前がそんな顔すんだよ、心臓痛くなるだろ。
「姫は? そういう姫は誰とキスをするんだ?」
「えっ……」
まさかそう返されるとは思わずにうろたえた。結局ミハエルの方が一枚上手で、うろたえるのはいつも俺の方。
「ランカちゃんかな、それともシェリル? どっちつかずのお前にぴったりの歌じゃないか」
「なんであいつらが出てくんだよッ! キ、キスとか、そういう関係じゃ……ねぇし」
キスならお前としてみたい。
そんなこと言えないし叶うはずもないって分かってる。いっそ寝てる隙にでもしてやろうか、ミハエル。
でもこいつ、隙がねぇんだよなあ……。
「あれ、もしかして姫はキスしたことないのか?」
からかうようなミハエルの口調に、カアッと顔の熱が上がるのを感じた。
そうだよまだしたことねーよ。
ミハエルは笑うんだろうな。もう、こいつにからかわれることは慣れたけど。
「じゃあ、キスしたらファーストキスになるんだな。できたら言えよ、お祝いでもしてやるから」
ああほら、また。
「うるさいお前。自分が色々済んでるからって」
ミハエルはハハハと笑うだけで、それからは何も言わなかった。あれ?って思って振り向くと、ストローでグラスの中の氷をがしょがしょとかき回していた。こんなミハエルはらしくない。
いったい何を考えている?
「キミは誰とキスをする?……か」
がしょん、と氷が鳴った。
「おい、ミハ」
「姫、俺にしない?」
心配になって呼んだ声が、かき消される。
今なんて言ったこいつ。
【俺にしない?】
って、つまり、キスする相手を、か……?
「……え!?」
つまり、ミハエルとキスすんのか!? なに言ってんだこいつ!
あああ俺もなに本気にしてんだよ。絶対からかってるだけなんだって!
「あ、頭沸いたのか?」
「……いや、ほら、だってさあ、これから先女の子と付き合ってキスするにしたって、やり方知らないってのはちょっとどうよ? 俺らはリードしてやる立場なんだし、これで下手であってみろ、いきなり破局の危機だぜ」
いや、俺としては重要なのそこじゃないんだが。
キ、キスの仕方くらい知ってる。したことはないけど、できるとは思う。でもこの先キスしたいと思える女ができるのか? 今お前とキスをしたくて心臓バクバクいってる俺に。
「レクチャー、してやろうか」
「レクチャーできるようなテクが、お前にあるならな」
「……言うね。出ようぜ姫」
こんなところじゃ何もできない、と席を立ったミハエルに続く。俺の安い挑発に乗ってくれて、感謝するよ。
一度だけでいい。ミハエル、お前とキスをしたい。
「姫、こっち」
人目につかなそうな路地を見つけて、ミハエルは軽く俺の手を引いた。
どうしよう、本当にするのか、キス。こ、怖いわけじゃない、信じられないだけだ。
「楽にしてていいぜ」
「あ、ああ」
ビルの壁に背中をついて、ミハエルを正面から見てみた。やばい、声上ずってる。
だって仕方ないだろ。キスするんだぞ、ミハエルと! 恥ずかしくて死ぬ。
「緊張してんのか? 目くらい閉じろよ」
「め、目ぇ閉じたらお前がどうすんのか見えないだろっ」
目なんて閉じられるか、もったいない。口唇が触れるほど近くでお前の顔見られるのに。
あああ想像するだけで顔から火が出る。
「そうマジマジと見られるとちょっとやりづらいんだけど」
俺の横に手をついて、ミハエルは片眉を上げた。どうしよう、このままじゃキスできない。
「い、いいからさっさとしろよ、百戦錬磨なんだろっ?」
「どうだろうねぇ」
「じ、じゃあ次は目ぇ瞑るから!」
必死になって言葉を探した。目を閉じないままでキスをする理由を探し出して、思わず口に出したけど、言ってから気づいた。
二回もするのか!?
なに言ってんだ俺。
「オーケイ、じゃあそれで」
なに言ってんだミハエル!
ミハエルの手が顎にかかる。
ちょっ……、待てマジで……?
「あ」
ミハエルの顔が近づいてくる。心臓がバクバク鳴って、握った拳が汗で湿る。
口唇が、いつの間にか触れていた。
初めて触れる他人の、しかもミハエルの口唇の感触を楽しんでいる余裕なんてない。間近で見るミハエルの頬や睫毛、それから瞳を目に焼き付けるので精一杯だった。
離れていく口唇が寂しい。もっと触れていたかったのに。
でも。
キス、したんだ。ミハエルと。
「……姫、目、……閉じて」
「え、あっ?」
余韻に浸るヒマもなく、次がくる。
ミハエルは俺を抱き寄せて、目を閉じるよう要求してくる。なんだよこの体勢、こ、恋人同士みたいじゃねぇかっ……。
本当に二回目があるなんて思ってなくて、反射的に目を閉じてしまったけど、からかわれてんじゃねーよな?
そう思ったけどミハエルの身体は離れなくて、口唇に触れるものがあった。
今度はちゃんと、口唇の感触を味わう。弾力があって、熱くて、これがミハエルの口唇なんだと思った。
ら。
「んっ」
ぺろりと口唇を舐められたみたいで驚いてしまう。
驚いた拍子に開いた口唇の中へ、何かが入り込んできた。
「んんっ!?」
何これ。なんだ、これ。熱くて、ぬるぬるしてて、……舌? え、まさかこれ、ディープキスってヤツかっ?
「ん、んんっ」
どうしよう、どうしたらいいんだ。こういうとき、普通はどうするんだ? 訊きたくても口唇は塞がってるし、息ができない。
苦しくて恥ずかしくてもがいたら、気がついたようにミハエルが少しだけ口唇を離してくれた。
「ん、ミハエ……っ」
その隙に呼吸をしようとしたけど、上手くいかなくてまた隙間なく塞がれる。
恋人同士のキスって、こんな風なんだろうか。
激しくて情熱的で、若干自分勝手。
ミハエルは、気持ち悪くないのか? 男とこんなことして、気持ち悪いって思わないのかな。それとも、誰か好きなヤツと重ねてたりするんだろうか。
「ん、ぁ」
角度を変えては口づけてくるミハエル。舌を合わせられ強く吸われ、俺の中には次第に独占欲という厄介なものが居つき始める。
キスしてんの、俺だぞミハエル。ちゃんと分かってんのかお前。
……腕回しても、平気かな。しがみついてもおかしくないか? TVの中ではよくある光景だよな。
俺はゆっくりと、力の入っていないような腕を持ち上げてミハエルの肩に置き、そのまま首に回して引き寄せた。
ミハエル、お前は今【俺】とキスをしてる。
その事実を、押し付けるように。
はぁ、と息を吐いた。
長かったような短かったようなキスが終わりを告げて、力が抜けてしまった俺はミハエルの肩にもたれかかる。
あーもーすげぇこいつ。上手いとか上手くないとかわかんねぇけど、こんなキスされたら大抵の女は落ちるだろう。
……ん? あれ? 俺、今抱きしめられてねぇ? 気のせいか?
でも、ミハエルの腕が背中に回ってて……なんかぎゅってされてる気がする。
「……大丈夫か? アルト姫」
「え、あ、うん」
ほんの少しの間だけだった。それでも確かに、今。
なんだこれ。死ぬ。恥ずかしくて嬉しくて、幸せで死ねる。
今好きだって言っても、きっと【そういう流れだった】で済ませられる。今しかないかも知れない。冗談だよなに本気にしてんだ、って笑って済ませられるこんなチャンス、きっともうない。
好きだって言ってみたい。世の恋人たちがしているように、俺だって好きなヤツに好きだって言ってみたい。
ミハエル、お前に、一度だけでも。
「あ、あのさ」
声が、言葉が、ミハエルと重なった。
視線を向けたのも同時で、誰かに仕組まれてでもいるのかと思ったくらい、本当にぴったり重なった。
「あ、な、なに?」
「お、お前こそ」
タイミングを逃した。完全に。もう、【そういう流れ】は切れてしまった。くそ、恨むぞミハエル。
「俺はいいよ、なんだよ?」
「俺もいいよ、大したことじゃない」
重なった視線は、ため息とともに同時に離れてく。
少しの沈黙のあとに、帰るかと呟いたミハエルに、ああと返す。
「そういや明日の飛行コース、どうしようか」
「今日とは違うとこ」
歩きながら交わす会話の題は完全に普通の友人同士に戻ってしまっている。俺はミハエルから顔を背けてため息をついた。
また今日も、お前が好きだと言い出せず。
-Michael-
キミは誰とキスをする?
そんな出だしの歌を、最近よく耳にする。ヒットチャートの上位に入ったとかなんとか補足されているのを聞いたことがあるが、本来そんなことに興味はない。
ズ、とストローでアイスコーヒーを啜りながら、俺はガラス越しに見える人の波を眺めていた。
あー、そうなんだよな。俺にとっては、この歌が何位になろうが興味がない。流行の歌くらいは知っておこうと思うけど、それだけだ。
興味があるのは、今隣に座っている男が、いったい誰とキスをするのかということ。
恋愛方面にあまり興味がないのは、見ててもよく分かる。アルトが興味あるのはバルキリーと空くらいなもんだろう。
ほら、今だってため息なんかついて。俺の方はお姫様とデートができて幸せだっていうのにさ。
「どうしたんだ姫、そんな大きなため息をついて。……好みの女の子、通らない?」
アルトの好みに適いそうな女の子は、窓の外を通っただろうか。こいつの好みなんか、わかりゃしないんだけど。分かってたら、そういう女は徹底的に排除でもしてやるのにな。
「うるせぇよ、てめぇと一緒にすんな」
俺が窓の外眺めてたからって、いつも女の子物色してると思ってんのか、このお姫様は。
まったく、人の気も知らないで。
……言ってないんだからしょうがないけど。
「機嫌悪いな。お姫さまは気まぐれだ」
「姫って言うな!」
ああ、もう、複雑だ。
からかって【姫】と言い出したのは俺なんだけど、今じゃ学校中に広まってしまっている。俺だけの呼び名でも良かったのに。
こいつを姫と呼び出したあの頃に自分の気持ちに気づいていたら、少しは状況も違ったんだろうか。
好きだ。好きだよアルト。もうどーしようもない。
ノーマルどころか女好きで通ってる俺が、今さらお前に好きだって言っても、冗談だろからかうな、で一蹴されるに決まってる。
俺だって何度か諦めようとしたんだぜ、アルト。
今日だってなあ、こんな鈍感なヤツやめてやるって思ったんだ。時間をおけばまた前みたいに綺麗なお姉さんに興味も向くさと。
だけど、ついさっきまで選んでたアクセサリーを、お前真剣に見てくれてさ。【女よりお前と一緒にいる方が楽】なんてことまで言ってくれちゃって。
お前はそんなつもりなかったかも知れないけど、本当に嬉しかったんだぞ。
俺に似合うアクセサリーを真剣に選んでくれたことも、他の誰より俺といる時間を選んでくれたことも。今だって制服の下に、さっき買ってきたネックレス着けちまうくらいに。
そんなこと、お前は知りもしないんだろうけど。
「お、あの子イイなあ」
報われない想いを払拭しようと、ガラス越しに見える通行人を適当に眺める。確かに好みに近い女性ではあったけど、今はアルトより惹かれる女なんて、いやしねぇのに。
いっそ、誰か面倒のない女と付き合った方がいいんだろうか。
「……なあミハエル、お前は誰とキスをする?」
ぼんやりとそんなことを考えていたら、アルトの口からとんでもない言葉が出てきた。
「…………は?」
思わずアルトを振り向いて、もう一度言ってくれと返そうとしたが、聞こえてきた歌のフレーズに納得してしまう。
「ああ、あの歌のこと?」
「お前には耳が痛いんじゃないのか? いったい何人【お知り合い】がいるんだか」
……お前は俺をどういう男だと思っているんだ。あれか、何人もの女と同時に付き合ってて痴情のもつれも刃傷沙汰も日常茶飯事なんて思っているのか。
「人聞きが悪いな、いつだって一人に絞っているよ。サイクルが早いだけで」
「自慢できるようなことじゃねーだろ。特定のヤツと長く続けるとか、ねぇのかお前は」
まあ、自慢できるようなことではないな。何人とヤッただの吠える男は三流の、いきがったただのガキだ。
俺だってね、できることなら一人に絞りたかったよ。だけどしょうがねぇだろ、飽きちまったまま付き合うのも、本命がいる状態で付き合うのも、相手にとって失礼だ。フェミニストな俺にはできないね、そんなこと。
一応綺麗に別れているつもりだし、付き合っている間は本当にそのひとだけにキスをしてきた。
いちばん最近付き合っていた彼女には、好きな子ができたと打ち明けたら殴られたけどね。片想いだしその子以外とはもう誰とも付き合わないと言ったら、頬にキスをくれたのを覚えている。
誰とキスをするか、なんて。
考えて、苦笑した。
キスをするならアルトがいい。
叶うはずもないのにな。
「姫は? そういう姫は誰とキスをするんだ?」
「えっ……」
最近アルトの周りには中々レベルの高い子がちょろちょろするようになった。あの歌姫たちがアルトに恋をしているのは一目瞭然で、俺に取ってはライバルなんだけど、そんなこと誰にも言えやしない。
「ランカちゃんかな、それともシェリル? どっちつかずのお前にぴったりの歌じゃないか」
可能性があるとしたらこの二人。学校の連中は問題外だな、彼女らはアルトを偶像化してちやほやしたいだけだから。そんなんで姫の口唇を奪おうなんて、俺が許さないさ。
「なんであいつらが出てくんだよッ! キ、キスとか、そういう関係じゃ……ねぇし」
お前はそう思っててもね、向こうは違うかもしれないじゃないか。あれだけあからさまにアピールしている女の子をそんな言葉で片付けられるとは、大物だねお前。
歌姫たちに奪われる前に、いっそ寝ている隙にでも俺が奪ってやろうか、アルト姫。
お前は隙がありすぎて、こっちは理性抑えるのに精一杯だなんて、知らないんだろ。
「あれ、もしかして姫はキスしたことないのか?」
からかうように言ってみたけど、それは確信に近い。女の子と付き合ったということは聞いたこともないし、恥ずかしそうに俯いてる今の反応見たって、アタリだろう。ちくしょう、可愛いんだよこのやろう。
「じゃあ、キスしたらファーストキスになるんだな。できたら言えよ、お祝いでもしてやるから」
馬鹿かよ俺。祝うなんてできるわけねーだろうが。アルトが、勝ち誇ったようにキスしたなんて言ってきたら、嫉妬でどうにかなりそうだ。
「うるさいお前。自分が色々済んでるからって」
想像しただけでももう、震えるくらい我慢できないのに。
そんな風に思って、ごまかすためにハハハと笑う。その次に言葉をつなげることができなくて、グラスの中の氷をストローで弄んだ。
がしょがしょと鳴る氷の音が耳障りで、思考が整理できなかった。
「キミは誰とキスをする?……か」
アルトは誰とキスをするんだろう。俺はこの先、誰とキスをするんだろう。
がしょん、と氷が鳴った。
「おい、ミハ」
「姫、俺にしない?」
俺を呼んだらしいアルトの声を遮って、覗き込むようにアルトを振り向く。
何言ってんだ俺。
こんなこと言ったって、キスできるわけないのに。俺も相当ヤキが回ってんだろうな。そもそも、アルトには俺の言葉の意味が伝わっているのだろうか? 鈍感だからな、このお姫様は。
「……え!?」
少しの沈黙のあとに驚いた声が返ってきて、俺の方こそびっくりしたよ。まさか明確に伝わっていようとは。
「あ、頭沸いたのか?」
伝わらなかったんなら、諦めてまたからかう方向に持っていこうと思ったのに、伝わってしまっているなら、どこまでできるか試してみようかな。
それでキスとかできたら、幸せなんじゃねぇ?
「……いや、ほら、だってさあ、これから先女の子と付き合ってキスするにしたって、やり方知らないってのはちょっとどうよ? 俺らはリードしてやる立場なんだし、これで下手であってみろ、いきなり破局の危機だぜ」
下手な文句だ。経験のない男が好きな女の子だっているし、アルトの魅力は初心なところでもあるのに。
「レクチャー、してやろうか」
いつものように笑ってみせた。上手く笑えていただろうか、アルトに不審がられないくらいには。
ああ俺も必死だね、可愛いじゃないか。こんな一面があったなんて、初めて知ったよ。
「レクチャーできるようなテクが、お前にあるならな」
おっと、まさかそう返されるとは思ってなかった。
「……言うね。出ようぜ姫」
こんなところじゃなにもできない、と笑いながら席を立ったけど、本当は心臓が破裂しそうなんだぜ、アルト。
念願叶ってお前とキスができるんだ。寝ているうちになんてセコいキスじゃなくて、合意を得た上でのキスを。
人目につきにくそうな路地を見つけた。アルトがちゃんと着いてきていることは気配で分かっていたのに、思わず振り向いて手を引く。
「姫、こっち」
まるで借りてきた猫のように大人しいアルト。挑発の延長で合意を得たことに少しだけ罪悪感は感じたけど、それよりももっと大きな感情が俺の中にあった。
信じられなくて怖い。
本当にキスできるのか、アルトと。
「楽にしてていいぜ」
声、震えてねぇか? 言い出した俺がリードしてやるべきなのに、なんだこれ。まるで恋を知ったばかりのガキじゃないか。
「あ、ああ」
アルトが緊張してんのはひしひしと伝わってきたけど、俺だっておんなじだ。こんなにドキドキするのは初めてで、いつもならするりと出てくるセリフも出てこない。
「緊張してんのか? 目くらい閉じろよ」
「め、目ぇ閉じたらお前がどうすんのか見えないだろっ」
ビルの壁を背にしても、いつまでも目を閉じようとしないアルトに、少しだけイラついて言ってやったら、そんな言葉が返ってきた。
ああそうだった、レクチャーしてやるという名目でこんなところまで引っ張ってきたんだった。
「そうマジマジと見られるとちょっとやりづらいんだけど」
困ったな、とアルトの横に手をつく。さすがにじっと見られているのは恥ずかしい。でも【レクチャー】なんだから……やり方見せてやんねーといけないんだろうしなあ……。
「い、いいからさっさとしろよ、百戦錬磨なんだろっ?」
「どうだろうねぇ」
このままじゃキスできないかも、と思って、じゃあそれでいいよと言いかけた時。
「じ、じゃあ次は目ぇ瞑るから!」
…………あ?
今なんて言ったこいつ。
【次は目ぇ瞑るから】?
……って、つまり二回していいってことかよ? 分かって言ってんのかアルト。
「オーケイ、じゃあそれで」
だけどアルトからの申し出を断る理由はない。一度だけしかできないと思っていたキスを、二度もできるなんて、願ったりだね。
戸惑ったようなアルトの顎に手をかける。
「あ」
少しだけ傾けた顔を、アルトに近づけていく。口唇に触れるまで、あとどれくらいの距離だろう。
いつの間にか、口唇は触れていた。
初めて触れるアルトの口唇。思っていたより弾力があって、熱い。
ああ、アルトが俺のこと見てる。初めてのキスに驚いて戸惑って、それでも俺のこと見てくれてる。嬉しくて心臓が破裂しそうだ。
触れているだけのキスでは満足できなくなってくる。もっともっと深いのがいい。そう思って口唇を離したら、俺を見ていたアルトの瞳が寂しそうな色に変わった。
分かっててやってるんなら、相当タチが悪い。
でも。
キス、したんだ。アルトと。
「……姫、目、……閉じて」
「え、あっ?」
もっとしたい、アルト。そういう約束だっただろう?
拒まれる前にアルトを抱き寄せて、口唇を塞ぐ。シャツ越しに感じる体温が、心地良かった。
なあアルト、分かってるか? お前は今、俺とキスをしてるんだ。
「んっ」
俺の存在を主張するように口唇を舐めたら、驚いたのか頑なだったアルトの口唇が開く。俺がその隙を見逃すはずもなく、こじ開けるように舌先を入れた。
「んんっ!?」
入り込んで、歯列の形を確かめる。奥に逃げてしまった舌を宥めるように舐めて絡める。
「ん、んんっ」
その感触が怖いのか気持ち良いのか悪いのか、アルトの声が鼻から抜けていく。そうか、お前そういう声出すんだな。
夢中でキスしていたら、アルトが苦しそうにもがいた。ヤバイ、息できなかったかも知れない。正直、そっちにまで気が回らなかったよ。
「ん、ミハエ……っ」
口唇を少し離してやったら、息をするより俺の名を呼ぶことの方が重要、とでも言うようにアルトの口唇から突いて出た俺の名前。
嬉しくて死にそうだ、アルト。
また隙間なく口唇を塞いだけれど、アルトは呼吸をできたのだろうか? だけどお前が悪いんだよ、そんな可愛いことしてくれるから。
こんな、恋人同士みたいなキスをできるなんて思わなかった。
激しくて情熱的で、若干自分勝手。
アルトは、気持ち悪くないのか? 男とこんなことして、気持ち悪いって思わないのかな。それとも、ランカちゃんやシェリルを重ねてる? それともまだ見ぬ誰か他の女の子?
「ん、ぁ」
今キスしているのは俺だよ、アルト。
角度を変えて、何度も口づける。呼吸さえ奪ってんだ、俺のこと考えてろよ。
……え? なにこれ。アルトの腕?
おいおいちょっと待ってくれお姫様。キスの最中にしがみついて、引き寄せてくれるなんて、どこまで俺を幸せにしてくれるんだ。
絡めたアルトの舌を、強く強く吸う。
アルト、お前は今【俺】とキスをしてる。
その事実を、刻み付けるように。
アルトが大きく息を吐く音が聞こえた。
激しいキスに力を奪われたのか、俺の肩にもたれかかっている。ああもう、可愛いな。
結局、レクチャーするなんてことは俺の頭の中から綺麗サッパリ抜けていて、自分のしたいようにただアルトの口唇を楽しんだ。
このまま恋人同士になれたらいいのに。
離したくない、と思わず両腕に力をこめてしまう。
「……大丈夫か? アルト姫」
「え、あ、うん」
それでもどうにか身体を離し、甘ったるい思考から這い出ようと試みた。だってこのままじゃ、うっかり言ってしまいそうだよ。
好きだって。もっとキスしていたいって。
ああでも、今だったら、好きだって言っても【そういう流れだった】で済ませられるかな。拒絶されても冗談だよなに本気にしてんのって言ってしまえる。
ヤバイな、言っちまおうかな。信じてくれなくていいから。
アルト、お前に、一度だけでも。
「あ、あのさ」
声が、言葉が、アルトと重なった。
視線を向けたのも同時で、誰かに仕組まれてでもいるのかと思ったくらい、本当にぴったり重なった。
「あ、な、なに?」
「お、お前こそ」
タイミングを逃したな、これは完全に。もう、【そういう流れ】は切れてしまった。ああ、恨むぜアルト。
「俺はいいよ、なんだよ?」
「俺もいいよ、大したことじゃない」
重なった視線は、ため息とともに同時に離れてく。
少しの沈黙のあとに、帰るかと呟いたら、アルトがああと返してきた。
「そういや明日の飛行コース、どうしようか」
「今日とは違うとこ」
歩きながら交わす会話の題は完全に普通の友人同士に戻ってしまっている。俺はアルトから顔を背けてため息をついた。
また今日も、お前が好きだと言い出せず。
続編:「また今日も抜け出せず-Alto&Michael-」
#両片想い #シリーズ物

久しぶりに、二人で街を歩いた。どこへ行こう、と決めたわけでもないが、秋の匂いがする街並みを、この人と感じてみたかった。
やっぱり、いいな。私服姿。
美星の制服姿も好きだし、SMSの隊服姿だってイイと思う。パイロットスーツは……そうだな、あの肉体つきがいやらしく見えて、あんまり正視できないんだけど。
そう考える俺がエロいのか。……いや、いーよな恋人同士なんだし。夜には(たまには夜じゃない時間帯にも)そういうことするわけで、イイ肉体してんなーっていっつも思う。
「なあ、どこ行こうか」
「どこにしよう。映画か? 今なにやってんだろ」
「この間プラネタリウム行ったしなー」
「腹ごしらえ、とか」
行き先を決めていないデート!って楽しいけれど、逆に行き先が決まらなくて困ることもある。SMSの宿舎で朝メシは食ったけど、午前中の訓練でハラはもう減っている。その提案に乗ってみたはいいものの、
「何食べる?」
と来たもんだ。お互いを優先しすぎてるんだろうなあ。滅多にできないデートだから、あいつの望みは叶えてやりたいなんて思ったりしちまうんだ。
「前回何食べたっけ?」
「そこらへんのファーストフードだろ。今回こそもう少しちゃんとしたものにしようぜ」
「あんまり高くないものにしてくれよ」
頬を膨らませながら言い合うけれど、本当はこんなやり取りだって嬉しいんだ。新しい惑星に降り立って、街の建設に引っ張り出されて、以前は休む暇もなかった。忙しくて疲れ果ててイライラして、あいつのことを気遣ってやれずにケンカしたことも何度かあった。
その度に、……キスして、抱きしめ合って、ごめんて言ってまたキスをする。傷つけたかったわけじゃないんだと続けると、決まって分かってる俺も悪かったって返ってくるんだ。
そんなこと、何度繰り返したのかな。
「なあ、じゃあ天麩羅屋がいいな。お前あそこのインゲン好きだっただろ?」
「……ハシ使わなきゃなんないよね。ああ、インゲンは好きだけどさ。ねえそこのハンバーガ」
「ダメだ! お前あんなものばっか食ってたら太るだろうが! 絶対身体に良くないんだからな」
「太……その分消費してるぜ。まあ、いいけど。ちょっと歩くぞ、あの店まで」
「いいよ、お前と歩きたい。ダメなんて言わないだろうな」
「まさか。じゃ、行こうか」
一緒に歩きたいってのは、傍にいたいってのもお互いあるんだろう。でも、たぶんそれだけじゃない。
ほら、見える範囲のヤツらの7割が、あいつを見てる。
どうだよ羨ましいだろ。
恋人の欲目ってヤツを抜いても、あいつの風貌は良い意味で目立つ。振り向かずにはいられないんだ。髪も目も、指先まで全部、見惚れるだろ、分かるよ俺もそうだから。
けどな、こうして振り向いてくヤツらがいるのは優越感もあって嬉しいって言えば嬉しいんだけど、それもだんだん嫌になってくる。だめだぞ、これは俺のなんだから。そんな羨ましそうな目で見たって、触らせてなんてやらないぜ。
みんなこいつを見てる。気持ちは分かる。分かるんだけど、その分主張したくなってくる。あああ、だから、これは俺のなんだって。
見せつける様に、手を伸ばして指を絡めてみた。
「……なんだよ?」
「別に。手ぇ繋ぎたくなっただけ」
ただ、お前は俺のだって主張したくなっただけ。
やらないからな、誰にも。
「ちょうど良かった、俺もお前と手ぇ繋ぎたかったんだ」
こいつは、俺の大事な恋人。
#ミハアル #ラブラブ