No.35

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逃げ道

NOVEL,マクロスF,ミハアル 2009.03.15

#ラブラブ

 ふうーとアルトは息を吐いた。泣かずにはおられなくて、ソファの背に頭を乗せて目を押さえる。男なんだか…

NOVEL,マクロスF,ミハアル

逃げ道



 ふうーとアルトは息を吐いた。泣かずにはおられなくて、ソファの背に頭を乗せて目を押さえる。男なんだからと我慢しても、溢れてくる涙が止まらなかった。
 玄関の方で、鍵を開ける音がしてハッとする。流れた涙を拭って、アルトはソファから立ち上がった。リビングを抜けて、玄関までの数歩を駆ける。今は少しでも早く、その人の顔を見たかった。
「ただいまー」
「ミシェル!」
 勤務を終えて帰ってきた恋人に、触れたくて抱きしめる。
 熱烈な歓迎を受けて、ミハエルは不思議に思った。今日は何か特別なことでもあっただろうか?とおみやげに買ってきた娘々の天津飯を片手に腕を広げる。ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、う~ん?と考えながらも、ぎゅうっと抱き返してみた。
「アルト、どうしたんだ?」
 何かあった?と耳元で囁いてやると、ふるふると首を振って答えるアルト。なんでもないんだ、とようやく身体を離し、正面から顔を眺める。
「ただ、お前に触れたかったんだ」
 おかえり、と続けると、ミハエルは優しいキスをしてくれた。
「メシ、すぐに用意するから」
「ん、頼むわ。着替えてくるから」
 そうしてあるとはキッチンに向かい、ミハエルは自室へと入っていく。
 ふたりで暮らし始めて、どれくらい経つのだろう。
 出逢って、恋に落ちて、キスをして、身体を繋げて、一緒に暮らそうと言い出すまでに、さほど時間はかからなかったように思う。
 軍事プロバイダーなんて職に就いてはいるものの、世界は至って平和。表向きの運送業と、要人の航行護衛、くらいしかすることがないくらいだった。
「チビー、いい子にしてたか~?」
 着替え終わったミハエルはリビングのソファに腰をかけ、いつだか拾った飼い猫を抱き上げる。拾った頃は手のひらに乗っかってしまいそうだった子猫も、今では両手でないと持ち上げられない。
 にゃあんと声を立てて擦り寄る猫の、首輪についた鈴が鳴った。
「ミシェルー、テーブルの上片付けてくれ」
「おう任せろ」
 ミハエルは言われるままにテーブルを片付け始める。アルトが飲んでいたらしい紅茶のカップと、戦闘機の月刊誌数冊、テレビのリモコン、そして、一冊の文庫本。
「あ、献本来たのかこれ」
 目に馴染みのあるタイトルに、ミハエルはその文庫本を手に取って眺める。
「あ、ああ、お前にも来てたぞ。そっちの封筒」
 プレートに料理を乗せて運んできたアルトが、少しだけ動揺した様子で奥のソファを顎で指した。宅配便で送られてきたらしい封筒が目に入り、ミハエルは苦笑した。
「アルトのと一緒に送ってくれてもいいのにねえ」
 くすくすと笑いながら、拭いたテーブルの上に料理を並べる。いい匂いだ、とミハエルは鼻を鳴らした。
 カーペットの上に二人で向かい合って座り、本日の夕食開始。夕食というには若干遅い時間帯だが、そろって食事をしようという、いつのまにか出来上がっていた暗黙の了解が、二人にそうさせていた。
「どうだった? 読んだんだろ?」
 温かなご飯を口に運びながら、ミハエルは訊ねる。アルトの肩が、少しだけ強張った。
 本日二人に届いた物は、あるドラマを小説化したものだ。売り出し中のアイドルたちをメインに、このマクロス・フロンティアを舞台とした大掛かりなドラマ。それにはアルトを始め、ミハエルや同僚のルカ、歌姫ランカの兄であり、アルトたちの上司であるオズマなども出演していた。ドラマの世界の人物と現実世界をリンクさせ、間柄や名前、社名など、ほとんどがそのまま使われている。
 ランカ・リー、シェリル・ノームの歌も然ることながら、戦闘シーンには絶大な人気が集中し、カラオケブームの到来・新統合軍への志願者急増など、ちょっとした社会現象になってしまったことは、まだ記憶に新しい。
 その人気を受けて、コミカライズやノベライズが行われたというわけだ。
「これ確か最終巻だろ? ちゃんと新しい星に行けたのか?」
 アルトは、箸を止めてしまう。ミハエルはそれに気づいて、何か悪いことでも言ったかな、と首を傾げた。
 あ、と思い当たる。
 恋人関係を続けて珍しい、熱烈なお出迎え。
「アルト、もしかして泣いてた?」
「べ、別に泣いてない」
 この愛しい人は嘘が下手だなあと、いつも思う。嘘をつくときは、いつも視線が右にずれるのだ。
 ミハエルは箸を置き、ぽんぽんと自分の膝を叩いて、
「アルト、おいで」
 そう、呼んでみる。アルトはふと顔を上げ目線を合わせ、困ったように眉を下げて、自分の器と箸を片手に移動した。
 器と箸をテーブルに置き、膝の間にちょこんと座り込む。それでも素直に背中を預けようとしないアルトを、ミハエルは強く胸に抱き寄せた。
「悲しい結末だった?」
「……別に、そういうんじゃない。基本的にテレビのとおんなじだし」
「でも泣いてたんだろう?」
 泣いてない、とは今度は返ってこなかった。やきもちを焼いて身を寄せてきた猫を抱き、アルトは先ほどまで読んでいた小説の内容を思い出す。
 戦争は終結した。新天地に降り立って、あの後は街の建設や何やらで忙しくなるのだろう。悲しい結末ではなかった。
「俺がいないから寂しい? 俺は三巻で退場しちゃったからなあ」
 悲しい結末でなかったのなら、あとは何だろう、とミハエルは考えて、冗談混じりに呟いてみせる。
 アルトからの返答はなくて、図星だったのだと悟った。
 ――――またこのお姫様は、余計なこと考えちゃったのか
 ミハエルの演じた役は、幼馴染であり密かに想っていた女を守り死して退場した。そのシーンを撮影した時は、アルトの目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれていて、宥めるのに何度も何度もキスをしたのだ。
 現実じゃないだろ、と言って、頬に、目蓋に、キスをして、大丈夫だと抱きしめた。
 出番がなくなってからも、ミハエルは何かと理由をつけて撮影現場に出向いていたけど、本当は自分だって怖くてたまらなかったのだ。死というものが、あんなにも恐ろしいものだとは思わなかった。
「姫、もう何度も言ったけど、俺はここにいるだろ?」
 ぎゅう、と抱きしめる。猫の鈴が鳴る。
 自分はここにこうしているのだと、アルトに教え、ミハエル自身にも証明する。
「分かってるけど、しんどい」
 せめて役名が違うものだったら、こんな思いはせずに済んだかも知れない。いや、それでも姿かたちはミハエルなのだから、どれだけも変わらないだろうか。
「でも、出てきたぞ、お前。いないけど、出てきた」
「……何それ、ちょっと意味が分からないんだが」
 怪訝な声を出したミハエルにアルトはやっと笑い、夢の中だよ、と続けてやった。
「夢?」
「ああ、夢だ。最終決戦の時、すげー幸せな夢見てた」
 学園の校庭で寝入ってしまった自分をミハエルが揺り起こし、あたしも探してあげたのよと見下ろすシェリルや、見つかってよかったと笑うランカたちと教室に戻り、仏頂面のブレラとすれ違って、ランカの崇拝者であるナナセや、そのナナセに若干報われそうにない恋心を抱いているルカを眺めては、自分のいた世界がこんなにも美しかったことを知ったのだ。
 そうして学園の背景は消え、ミハエルとふたりになる。
 ミハエルの存在と彼の死が、アルトに教えてくれた。大切なもの、というのがいったい何であるのか。
 夢で見た彼の笑い顔を、アルトはきっと忘れないのだろう、とアルトは思う。
 夢から醒めて、ふと横切った紙切れ。
 ミハエルの残した遺書。たった一言、走り書きのように綴られていた。
 Show must go on.
 思い出して、また泣いてしまう。
 死して退場する役は、ミハエルでなければならなかったのだと、今さら実感する。あの役が他の誰かであったら、アルトは大切なものさえ気づかずに、ずっと頼りっぱなしで過ごしていたに違いない。
「ドラマん時は俺、演じることで精一杯だったけど……こうして文字で見ると全然違うっていうか……」
「演技なんてしたことなかったしな、俺ら。それは俺も思ったよ。どんだけアルトに入れ込んでんだ、って」
 ちょっと恥ずかしいな、とミハエルは笑う。ミハエルの役どころはアルトの親友で、しかしそれにしては構いすぎである。読みながら、何度苦笑を漏らしたことか。
 製作側も、アルトとミハエルが恋人同士であることは知っているから、そういう要素を取り入れたのだろう。
「どんな世界で出逢っても、俺はきっとお前に惹かれてくんだろうな」
 そう言って、ミハエルは目を閉じる。たとえそれが恋と名づけるべきではない感情でも、ミハエル・ブランという男は早乙女アルトに惹かれるだろう。
 例えばこの先の未来で出逢っても、本物の空がある地球という星で出逢っても。宇宙の存在がまだ遠かったような過去でも、進化しすぎた未来でも。
「俺もだ。同じ時代に生まれて、その世界の端と端にいても、絶対出逢っちまうんだぜ」
 普通の学校に通って、部活動にも参加して、帰りには手を繋いで歩いたり、普通の企業に勤めて一緒に暮らしたりするのだ。
「今度制服でデートしようか?」
「休み合わねーよ」
「ああ、そうだなあ……今オズマ隊長が新婚旅行行っちまってるおかげで、俺にお鉢が回ってきてるしね」
 先日、ついに結婚式を挙げたオズマ・リーは、現在L.A.I系列のリゾートで新婚気分を満喫中だ。あの無精ひげの男がリゾート施設になんて不審極まりないが、新妻であるキャシーは喜んでいるようだった。
 その間の仕事は、ミハエルが引き継いでいる。デスクワークは嫌いじゃないが、できれば身体を動かしたい。
「旅行土産、なんだろうな」
 ちょっと楽しみ、と喉を鳴らしたアルトに、あの隊長がそんなに気の利いた品を買ってくるとは思えないけどねと返してやった。
「今度一緒の休暇取れたら、ふたりでどっか行こうか」
「そうだな、取れたら」
「ご機嫌上昇した? まったく俺のお姫様は単純なんだからな」
 横向かせた頬にちゅっとキスを贈ると、ぶん、とこぶしが飛んでくる。もちろんそれは避けてみせて、ホールド・アップ。
「単純って言うなっ、あと姫って言うのもやめろッ」
「似合ってるんだからいいじゃないかー」
「似合ってない! もう、てめえにメシなんか作ってやんねーからな!」
 顔を真っ赤にして膝の間から抜け出し、頬を膨らませて隣に移動する。では私が、とでも言うように、愛猫が空いた膝へと乗り上げた。
「仕方ないな、じゃあ明日は俺が作るよ」
 一緒に暮らし始めた頃は、確か食事も洗濯も掃除も当番制だった気がする。
 いつの頃からか食事はもっぱらアルトの役割となり、レパートリーもかなり増えてしまった。
「久しぶりのような気がする。ミシェルの作ったもん食べるの」
「最近アルトに任せっぱなしだからなあ」
 中断してしまった食事を再開して、ほんの少し冷めた料理を口に運ぶ。向かい合って食べるより、こうして隣り合って食べる方が、声がすぐ近くで聞こえて心地良い。
「俺はアルトの料理大好きだから嬉しいけど、しんどいなら前みたいにきっちり当番制にするか? 仕事だってあるんだし、負担になるだろ」
「別に、負担になんてなってない。誰かのために作るのって、結構好きみたいだ。ちゃんと感想言ってくれるし、そういうのは、その、やっぱり嬉しいと思ってる」
 俯き加減に呟くアルトを見下ろして、思わず可愛いなんて思ってしまう。気に入らないことには素直に感情を表すが、嬉しいという言葉をあまり発さなかった恋人が、こうして心の内を話してくれるようになったのは、やはりあのドラマに出演してからだった。
「姫の作るもんは何でも好きだけど、あれ食べたいな、カボチャ煮たやつ。甘辛くって美味しかった」
 店で買うと何か違う、と口唇を尖らせるミハエルを少し見上げて、思わず可愛いなんて思ってしまう。なんでも一人でこなせてしまう恋人が、こんな風に甘えてくるようになったのは、あのドラマに出演してからだった。
 似た環境でありながら全く違う生活を体験して、あんな世界もあったんだ、と思うと、今こうしてここにふたりでいられることが、奇跡のようにさえ感じられたのだ。
 星の数ほどいる人類の中で、こうして無事に大切なひとを見つけられた。自分が相手を想うのと同じく、相手も自分を想ってくれた。
 外敵もおらず、物語の中でしか凄惨な戦いを知らない。軍人として物足りないと思った日もあったが、とんでもないことだ。
 こっちが現実で良かった、と、シナリオを読んで、演じて、公開されたドラマを見て、小説を読んで、その度に思う。
 共に寝起きして、食事をして、愛猫を撫でる余裕さえあるこの世界。
 キスをしたいなと思って見やったら、お互いがそう思っていたようで視線がぶつかった。面食らって、笑って、口づける。
 愛しい人とこんな風にキスができる、この世界を愛してる。



 片づけくらい俺がするよとキッチンへ向かうミハエルを追い、アルトも食器を持って向かう。手伝う、と微笑んだら、ありがとうと返ってきた。
 リビングでは愛猫がふわふわのおもちゃとじゃれあい、時おり耳に心地良い鈴の音が聞こえてくる。食器を洗う水音と相まって、歌のようにさえ感じられた。
 歌――そういえば歌姫たちは元気にしているだろうか。活躍はよく耳にするが、全銀河規模のアイドルになってしまったかつての級友には、気軽に連絡も取れやしない。
 作中でこそアルトに恋する女の子たちだったが、現実はクラスメイトで、友人。普通だったら今度みんなで飲みに行こうとでも誘えるのに、そうもいかないのだ。
「ランカちゃんは、隊長の結婚式んときに見たけど、ゆっくり話す暇もなかったなあ」
「ウェディングドレスには目ぇきらきらさせてたな。女ってやっぱりああいうの憧れなんだろうか」
「そりゃ憧れるだろ、純白のドレス着てバージンロードって、普通は一生に一度だし」
「特別ってヤツか」
 特別というものに心を惹かれる気持ちはよく分かる。アルトにはミハエルが、ミハエルにはアルトが、まさに特別なのだから。
「はあ、しかしやっと最終巻かぁ。長かったような、短かったような」
 片づけを終えてソファにどさりと腰を下ろし、ミハエルは小さな文庫を手に取った。
「こっちの世界とごっちゃにするなってお前には言ったけどさ。正直俺、結構嫉妬したんだぜ」
 アルトは小さな猫を抱き上げて、ふわふわの毛を撫でながらなんでと訊ねる。
「シェリルもランカちゃんも、堂々とお前にアピールできていいなーって」
「…………お前も結構してると思うけど」
「これの中の俺はお前に恋してな……う~ん……ないと……思うけど」
 自信ないなと目を細めて息を吐く。本棚に並べた既刊を眺めて、思い返してはみたものの、親友というには少し近すぎるポジションをどう説明づけようか悩むところだ。
「俺はあんなに気にかけてたのに、姫の方はさっぱりだったしなー。三巻じゃとうとうシェリル抱いちまって、嫉妬でどうにかなるかと思ったのに」
「ばっ、バカあれはっ……!」
 アルトは真っ赤になってから思い出す。そういえば三巻が出てからしばらく、ミハエルの機嫌が悪かったことに。
 三巻でのミハエルの退場に、アルト自身も気遣う余裕などなくて、空いている時間にはずっとくっついていたけれど。
「勘弁しろよミシェル。そのことはさんざんシェリルにも言われたんだぜ。なんでアンタがあたしの初体験の相手なのよ!ってさ」
 ドラマの方ではぼかされていた部分も、結果として描かれていて、今思うと赤面してしまう。
 確かに女を知る前にミハエルに出逢ってしまったおかげで、現実でも女性の柔らかさなど知らないが、ミハエル以外の誰かに触れたいとは思っていない。
「ミシェル」
 アルトは気づいた。そういえばまだ一度も言ってやっていなかったことに。
「アルト? どう……」
 どうした?と顔を上げたミハエルに、ちゅ、と口唇を寄せる。惚けたような彼に、笑ってみせた。
「俺は、ここにいるからな」
 いつも、ミハエルがアルトに言ってくれた言葉。そっくりそのまま返して、告げる。
「お前の俺は、ここだ」
 だからお前まで違う世界に行ってくれるな、と。
 ミハエルは数秒アルトを眺め、嬉しそうに笑った。
「そうだな、俺の早乙女アルトは、ここにいる」
「俺のミハエル・ブランも、ここにいる」
 間違ってないよな、と訊ねると、間違ってないねと返ってくる。違う世界、なんてのも子供の頃に夢を見たけど、やっぱりこの世界がいい。
 このひとがいる世界が、いちばん大好き。
「余計なこと、考えるなよ」
「アルトに言われたくないな」
「う、うるさい」
 ぺし、と頭をはたいてやったら、イテ、と少しも痛くなさそうな声が返ってきた。
「あれ? アルトもう寝るのか?」
「んー、だってお前それ読むだろ」
 背中を向けて寝室に向かっていくアルトに声をかけると、アルトは少しだけ振り向いて答える。それ、と彼が指すのはミハエルの手にした小説。本を読む時、他人が傍にいて気が散る方ではないのに、今日に限ってなぜそんな気を遣うのだろう?と首を傾げた。
「俺がいたら、お前が泣けない」
 したり顔で笑うアルトに、カクンと肘を折る。確かに人前で泣いたことなんて、赤ん坊の頃を除けば数えても両手に足りる。
「泣かねーよ」
「ふん、どうだかな」
 おやすみ、と笑いながらアルトは背を向ける。泣いていた理由を当てられた仕返しか、とも思いながら、ミハエルは本の表紙をめくった。



 はた、と裏表紙を合わせて本を閉じる。ふうーと大きく息を吐いて、それから苦笑いをもらした。
 アルトのことをとやかく言えない。
 ミハエルは本をテーブルに置き、寝室のドアを振り向く。そこには家族と言える愛しいひとと愛猫がいるはずで、立ち上がってそこに向かう。
 愛猫はお気に入りのクッションの上に、恋人はベッドの上に、気持ち良さそうに身体を横たえていた。
「アルト」
 静かに声をかけても、小さすぎたのか彼には届かない。ピクリとも動かないアルトに、ミハエルはもう一度だけ声をかけた。
「アルト、もう寝ちゃった?」
 愛しいひとは、二度瞬いて、そうしてしっかりと瞳に映してくれた。
「ごめん、起こして」
「いいよ、別に。そんなに眠かったわけじゃないから」
 頬に手を寄せると、まるで猫のように擦り寄ってくる。ミハエルは微笑んで、髪を撫でた。
 ベッドの端にぎしりと座り込んで、膝の上で指を組む。こんなに情けないところを見られたくなくて、アルトには背を向けてしまった。
「ねえ、俺……泣いちゃったよ」
 絶対大丈夫だと思ったのになと続けると、後ろの方でミシェルと呼ぶ声が聞こえる。
「新しい星に行けて良かったなって思いと、やっぱりあそこに居たかったって気持ちがごっちゃになった。ホレた女守って、ってのが間違ってたとは思わないし、現実の俺だってクランのこと大事に思ってる。だから、それはいいんだけどさ」
 ミシェル、と名を呼んでアルトは起き上がる。
「やっぱり、お前の隣にいたかったな」
「ミシェル……!」
 悲しいのか辛いのか、ミハエルの声が痛い。アルトはミハエルを背中から抱きしめて、力の限りに腕を絡めた。
「でもそればっかりじゃなくてな。死んでいなくなる役目は、俺じゃなきゃダメだったんだって、改めて思ったよ。お前にいちばん近かった、俺じゃなきゃダメだったんだ。アルトにとって特別だったんだなって思うと嬉しいっていうか……なんだろうな、上手く言えない」
 複雑な気持ちだよと力なく笑うミハエルを、アルトは強く強く抱きしめる。同じことを考えるこの人だから、愛した。
「あの世界の俺はこっちの俺よりお前のこと分かってて、嫉妬したりね。なに、あの遺書。キザなことしやがって」
「でも、泣いたんだろ」
 しばしの沈黙のあとに、小さくうんと返ってくる。涙の溜まる瞳を思い描いて、アルトはふふと笑った。
「俺のこととやかく言えねーじゃねえか、お前」
 男のクセにと言ってやると、苦笑した顔が振り向いて口唇を奪われた。
「ん」
 三度ほど瞬いて、ゆっくりと目を閉じる。入り込んできた熱い舌先を受け入れて、同じように絡めた。
「んん……」
 混ざり合った唾液をこくりと飲み込んで、口唇を離す。吐き出す息さえ、愛おしく思ったけれど。
「……キスでごまかした」
 口を尖らせて抗議したら、決まりが悪そうにミハエルの視線が泳ぐ。
 愛しい。可愛らしい。抱きしめたい。
 アルトは、仕方のない男だなと笑う。
「でも、いい。俺もしたい」
 そう言って、ミハエルを首から引き寄せた。そのままベッドに背中を静めて誘う。
「いいの? 疲れてないか?」
「お前こそ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
 いつも、そうしてキスで始まる。 本当に仕方のない男だと思った。
 時々こうして弱いところを見せられて、愛しさが倍ほどに膨れ上がってしまう自分は、本当に仕方のない男だと思った。


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